第5話 お願い
非常階段の壁に背を預け、南條凛を待っていた。
鞄も床に下ろさず肩にかけたままだ。
用件が終わればすぐさま立ち去りたいという意思の表れだった。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
そんじょそこらではまずお目にかかれないレベルの美少女との逢瀬だというのに、心はこれっぽっちも踊りはしなかった。
頭の中では南條凛の用件が気になりつつも、平折への言い訳を考えていたりして、なんだか悶々としていた。
一体何の用件だというのだろうか?
嫌な予感だけが募っていく。
「ったく、人のノートは見世物じゃねーっての! ……と、相変わらず辛気臭いわね」
「余計なお世話だ、厚化粧」
「あ、あんたねぇっ!」
「目の下隠せてねぇぞ」
「ぐぎぎ……っ」
遅れることおよそ10分、やってきて早々悪態を吐かれた。
指摘した通り先日同様、目の隈をメイクで巧妙に隠している。
唸る彼女が被っていた猫は、とっくにどこかへ逃げ出していた。
それとなんだか、いつもよりテンションが高く見えた。
テンション駄々下がりの俺は、付き合って入れられないという気持ちを込めて、投げやりに答える。
「で、何の用なんだ?」
「そうよ! あんたにちょっと聞きたいことがあったのよ!」
ぐぐい、と興奮気味に目の前まで詰められた。
その瞳は興奮に彩られ、まるで子供かと突っ込みたくなるほど、全身でうずうずとした様子を見せている。
どう考えても、何か厄介な事に巻き込まれる予感しかしない。
「あんた暇? 祖堅君は追試だし暇だよね? ちょっとあたしに付き合いなさい!」
「嫌だと言ったら?」
「賢明な判断をしてくれると信じてるわ」
「……やれやれ」
鼻息荒く、高いテンションで話を進める南條凛。
そこには有無を言わさぬ迫力があった。
こういう時は逆らわない方が、被害は少ない。
◇◇◇
「こっちよ、早く!」
「お、おい!」
俺たちはそのまま非常階段から学校を飛び出した。
そして、人目を忍ぶようにして住宅街の裏手を急かされていた。
「一体どこへ向かってるんだ?」
「着けばわかるわ」
「わかるって……」
「何さ、他に用事でもあった? もしかして彼女?」
「……いねーよ」
「だよね」
「こいつ……」
小走りで進むので、着いていくのがやっとだ。時折置いていかれそうにもなる。
しかしここで置いて行かれようものなら、『だらしない』『カッコ悪っ』と悪態を吐かれるのが容易に想像できたので、半ば意地になって着いていく。
だがその意地も、周囲の景色がやたらと広い家や高そうな車が立ち並ぶ区域に差し掛かり、不安に取って替わられていった。
一体どこへ向かっているのだろうか?
……
果たしてたどり着いたのは、学校からでも良く見えるタワーマンションだった。
「ここは……」
「見ての通りよ」
ちょっと引いてしまうほど、豪華なエントランスだった。
南條凛は慣れた手つきでセキュリティーを解除して中へと入っていく。
キョロキョロとおのぼりさんの様に周囲を見渡すも、南條凛に呆れられながら強引にエレベーターへと押し込められる。
「……」
「……」
互いに無言だった。平折とは違う気まずい空気だった。
鼻歌混じりでご機嫌な様子の南條さんが、ちょっと恨めしかった。
25Fという目的地までは、結構な時間がある。
――平折となら、無言でも嫌では無いのにな。
そんな事を考えながら、針のむしろのような時間をやり過ごす。
目的階へと着けば、まるでホテルみたいな廊下を、南條凛の背中を見ながら進んだ。
そしてある扉の前に止まったかと思うと、鍵を取り出し開錠する。
表札を見れば、『南條』と書いてあった。
……どうみても彼女の家である。
一体、南條凛は何を考えているのだろうか?
あまりに早く突拍子もない展開に、俺は少々混乱していた。
「さ、勝手に上がって」
「……おじゃまします」
促されるままに玄関を跨ぐ。
部屋の中も、外に負けないくらい良いつくりをしていた。
女子の家と言うだけでなく、明らかに生活レベルが違う家に、少し気後れしてしまう。
情けないかな、自然と猫背になり縮こまってしまった。
「奥の扉の先がリビング。すぐ行くから適当に待ってて」
「あぁ……」
そういって南條凛は右手のある部屋に入っていく。自分の部屋なのだろうか?
玄関で立っていても仕方がないので、言われた通りリビングに行く。
そこは想像通りというべきか、随分と広かった。うちよりも広いな……
調度品は数少なく、必要最低限と言った感じだ。
よく言えば機能的、印象のままで言えば殺風景。
間取りはおそらく4LDK、このマンションで平均的なファミリータイプだろうか。
やたらと座り心地の良いソファーに腰掛けるが、どうにも腰が引けて変に背筋が伸びてしまう。
「おまたせ……て、何変な格好で座ってんのさ? ぷっ!」
「うるせぇよ……そういや親御さんは? さすがに挨拶くらいは――」
「居ないわよ。一人暮らしだし」
「――そうか、一人暮ら……はぁっ?!」
さらりと、爆弾発言が飛び出した。
そして、さすがの俺も動揺が隠せなかった。
女子の一人暮らしの家に招かれる……その気が無くても緊張するなというのが難しい。
「ていうか、何意識してんのさ、キモッ! 言っとくけど、あたし合気道黒帯だからね? 物理的にアンタにどうこうされるわけないってーの」
「へーへー、頼まれても手なんて出さねーよ」
「それはそれでムカつく」
「じゃあどうしろってんだ」
しかし南條凛と軽口を叩き合う内に、緊張もほぐれていく。
まるでそう仕向けられているかのようで、狐につままれた感じすらあった。
……
少し気になるけど、まぁいい。
それよりも、わざわざ自分の家にまで招いた、南條凛の事だ。
一旦自分の部屋に寄った彼女の手には、キャンパスノートとノートPCがあった。
俺をここに呼んだ事と関係があるのだろうか?
その2つのノートの意味が、上手く結びつかない。
「で? 俺をここに呼んだ理由は何だ?」
「……笑わない?」
「場合によっては爆笑する」
「あんたねぇ……これよ」
そう言って南條凛は、スリープモードだったノートPCを開いて見せてくれる。
画面には見慣れたものが展開されていた。
「これ、は……!?」
「あの時見せてもらって気になってさ。体験版やったんだけど、いやー最近お陰で寝不足で……あはは」
――Find Chronicle Online……俺と平折がやっているMMORPGだった。
複雑な気持ちだった。
自分の好きなゲームを気に入ってくれたのかという気持ちと、よりにもよってこれか、という気持ちだ。
しかし、これがどうしたというのだろうか?
何故かモジモジとしながら恥ずかしそうにしている南條凛に、目で聞いてみる。
「あのですね、本登録の仕方とか教えて頂きたくて……」
「……は?」
思わず気の抜けた返事をしてしまった。
訝しげに彼女を見てみるも、顔や耳、見えている肌を全て赤く染め上げ羞恥を表現している。
だけどその瞳は、どこまでも子供じみた期待と熱望に彩られていた。
その瞳の少し下を見てみれば、メイクで巧妙に隠した目の隈。
……
なるほど、目の隈はそういうことか……
何だか呆れた様な、複雑な感情が混じったため息が出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます