第6話 だから、彼女は……
なんとも理解しがたい状況だった。
俺は何とも言えない顔をしながら、ノートPCで南條凛の登録の代行を進めていた。
時折メールアドレスなどを聞くために隣の南條凛に目を移すが――全身をそわそわと小刻みに揺らしながら「まだ? まだ?」と言いたげな顔で画面を覗いている。
これだけの為に俺を呼んだのだろうか?
その無邪気な態度に……色々と突っ込みたい気持ちをグッと堪える。
Find Chronicle Onlineは、いわゆる月額課金制のMMOだ。
無料体験版のDLだけなら1クリックで済むのだが、本登録となれば運営サイトへの会員登録、製品版の購入およびシリアルコード入力、それに月額コース設定などがあり、それら一部は運営とメールをやり取りしなきゃいけなかったりと、結構面倒くさい。
……寝ぼけた頭では混乱して出来なかったのだろうか?
「南條、製品版を購入しないといけないのだが……」
「それってどうするの?」
「コンビニでプリペイド式の電子マネーを買ってくるか、クレジットカードで――」
「クレカね、これでいいのかしら?」
「ッ?! それは……いや、俺に渡されても困る。番号は自分で打ってくれ」
「番号……こうかな?」
生まれて初めて
確か年会費だけでも数十万もするとか。
少なくとも高校生が持っているような代物じゃない。
「それ、親のカードか? 勝手に使って大丈夫なのか?」
「あたし個人のだから大丈夫よ」
「……マジか」
「それより、これでいい?」
そういって、ノートPCの画面をこちらに見せてくる。
購入画面の確認ページになっていた。
……複雑な事情がありそうだな。
それを言えば、自分だって
誰だって聞かれたくない事だってあるだろう。
ならば好奇心で踏み込むまいと、本登録の続きの作業に没頭した。
「……」
「……」
静かな部屋にキーボードの打鍵音が響く。
「……聞かないのね?」
「聞いて欲しいのか?」
「いいえ……あんたって本当に変ね、ふふっ」
「ほっとけ」
何故か、南條凛はご機嫌だった。
一緒に住んでる
それよりもこの落ち着かない空間から、一刻も早く帰りたいという気持ちの方が強かった。
だからその呟きは、聞きたいから聞いたというわけじゃなかった。
「
「労働? 何かのバイトか?」
「才色兼備の完璧な南條家令嬢、凛を
「なるほど、
相槌以外、打ちようのない台詞だった。
自分で言って傷付いているのか、ソファーの上で膝を抱えて顔を埋める。
部外者が勝手に踏み込んでいい空気ではなかった。
俺に出来る事は、本登録を進める事くらいだ。
「終わったぞ。あとはダウンロードが終わってパッチを当てれば、体験版のデータを引き継いで続きを遊べるはずだ」
「わぁ、ありがとう!」
「っ!」
不意打ちだった。
それは無垢な笑顔だった。
どこまでも嬉しさがにじみ出る、眩しい笑顔だった。
南條凛という少女が、仮面を脱ぎ去った無防備な表情だった。
言うまでも無く、南條凛は美少女だ。
そんな彼女の笑顔が自分に対して向けられて、ドギマギするなと言うほうが難しかった。
――何より、初めて挨拶が重なった日の平折の笑顔と、似ていると思ってしまった。
どうして? 自分で自分に混乱する。
ダウンロードの残り時間は20分以上と表記されていた。
時間はあった。だから、この質問は照れ隠しに近かった。
「どうして、このゲームをしようと思ったんだ?」
「っ!」
あの日、南條凛はスマホのゲームにのめり込んでいる様子だった。
自分の好きなキャラをあれだけ語っていたのだ、思い入れもあったのだろう。
だからこそ、ここまでネトゲに嵌るわけがわからなかった。
変な質問をしたつもりはない。
だというのに、南條凛の顔がみるみる赤くなっていく。
もじもじと膝をすり合わせるその仕草は、元が美少女だけに破壊的だった。
「……」
「……」
不思議な沈黙だった。
言いたくないわけではない、幼子がとっておきの秘密を知ってしまったので、誰かに言いたくて仕方がない……だけど恥ずかしい。そんな顔をしながらチラチラと俺を見ている。
思えば、あの南條凛が俺にだけ見せる顔だ。甘えるかのような顔だ。とてもレアなもののはずだ。
他の男なら喜び、自慢にすることだろう。
だというのに、何故か既視感があった。
――平折?
そう、平折に似ていた。
いつ話しかけても、もじもじとして結局は逃げ出す過去の
だから、いつもそうしようとしていたように、じっと辛抱強く、先を促すかのように顔を見つめてしまった。
「……あたしじゃない、あたしになれたんだ」
ぽつり、と呟いた。
その声色は羞恥に彩られていた。だけど、どこまでも熱を帯びていた。自分でも処理しきれないだろう様々な感情が乗っていた。
「目の前に写る人々がさ、あたしを素通りするんだ。何も気にせず、そこにいる多くの一人だって言うように。新鮮だった。ソシャゲと違ってさ、自分の分身のキャラを作るよね。街に立っているのはあたし。だというのに、その反応は現実と違ってたんだ。皆素通りするだけじゃない。あたしが初心者だとわかると、色々教えてくれたりする人もいた。とにかく――違う自分になれたのが……すごく嬉しかったんだ!」
「……そうか」
まるで自分が見つけた秘密基地を、大切な宝物を、それを自慢するように、一緒にその喜びを分かち合って欲しいと言うように……
それを聞いて、ふと
何故だかはわからない。
だけど、南條凛から目を離せなくなっていた。
「馬鹿みたいに思うかもしれない。だけど自分じゃない自分になりたくて、このゲームをしたいんだ……」
だから、そう自虐的に笑う南條凛が、何故か平折が自分を傷付けるように見えて――
「馬鹿じゃねーよ!」
――思わず大声を出してしまった。
熱くなってる自分こそが馬鹿みたいだった。
自覚すると途端に恥ずかしくなって、南條凛から目をそらしてしまった。
視界の端に、ビックリして目を見開いている彼女の姿が見える。
「……くすっ」
「……うるせぇ」
あぁくそ、何やってんだ俺は。
何とも言えない空気になったのを、頭をかきむしって誤魔化そうとする。
そして、いつしかダウンロードは終了していた。
「終わったぞ。これで続きが出来る」
「そっか」
南條凛は早速パスワードを打ち込み、起動させようと試みていた。
それを見て俺の役目は終わったとばかりに、鞄を持って帰ろうとする。
長居は無用だ。
ここにいると、変に調子が狂ってしまう。
「これでもういいだろう。帰るぞ」
「ま、待って!」
だというのに、何故か引き留められた。
そして平折を髣髴させる仕草と顔で、こんなことをのたまった。
「ゲームでさ、
……
その瞳には、どこか寂しさを感じさせる陰りがあった。
まるで一人は嫌だ、孤立しているのは嫌だと――
2人を重ねるなんて、平折にも南條凛にも悪い事だとわかっている。
だけど今、目の前の少女が、必死に手を伸ばしているかのように見えてしまった。
「……ああ」
だから、その言葉を断ることが出来なかった。
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