第15話 何やってんだ……


 その夜、俺はなかなか寝付けないでいた。

 色々考え過ぎて気疲れしているはずなのだが、一向に眠気はやってこなかった。


 ――平折が孤立していた。


 何度も寝返りを打っては、その事を考えてしまう。

 実際、本人が言う様に深刻なことではなかったのだろう。

 それは今の平折を見ればわかる。


 今更考えても仕方のない事だ。

 俺が考えても意味のない事だ。


 だけど知らなかった。

 そんな事も知らないほど、今まで俺は平折と向き合ってこなかった。


 ――そんな俺が、今更平折と仲良くしたいだなんて……


 どうしても、その思いから逃れることが出来なかった。

 後悔にも似た思い、それと自分へのいら立ちが、胸の中で荒れ狂う。

 最近浮かれていた自分が、馬鹿みたいだ。


 そんな思考をぐるぐる繰り返し、ロクに睡眠をとったという実感がないまま、朝を迎えてしまった。




 ……


 気分は最悪だった。

 眠くて頭がフラつくクセに、思考は妙に冴え渡っていた。

 お腹の奥底には、何か得体の知れないものがぐるぐると暴れている。

 それでも起きないわけにはいかず、のそのそとベッドから這い出ることにした。


 なんだか、平折と顔を合わせづらい――


「……っ!」

「平ぉ……」


 ――だというのに、いきなり顔を合わせてしまう。

 自分が部屋を出てくるのと、平折が部屋から出てくるのは同時だった。

 名前を呼ぼうとするも、尻すぼみになってしまい、最後まで呼ぶことができない。


 平折は既に制服姿で、手には鞄を持っている。

 もう家を出るところなのだろうか?


 髪はひっつめ、膝が隠れる長いスカートに黒タイツ、いつもの優等生な感じだ。

 その表情に影はなく、小さな安堵のため息をつく。


「……」

「……」


 なんともいえない沈黙が流れる。

 最近お馴染みの沈黙だ。

 決して悪くはない沈黙だ。


 平折は目線は逸らしつつも、俺を意識しているのがわかる。


 だけど、どうしたことか俺の方が平折を直視できなかった。


「……ぉ」

「――ッ!」


 不意打ちだった。

 それはいつもと違った変化だった。


 平折の方から、何か言葉を口にしようとした。


 なんて言おうとしたかわからない。


 だけど――急に怖くなってしまった。


 動揺したまま、まるで逃げるように、自分の部屋に戻ってしまう。

 事実、逃亡以外のなにものでもなかった。


 そのままずるずると、扉を背にして床に吸い寄せられるかのようにへたり込む。

 背中からは、あたふたとしている平折の気配が、扉越しに伝わってくる。


 それが余計に、罪悪感を加速させた。



 ――俺は、何やってんだ……




◇◇◇




 朝から俺は陰鬱としていた。

 休み時間もしかめっ面で頬杖を突き、周囲に負のオーラを撒き散らす。

 さぞかし周囲は迷惑なことだろう。


 昼休み、そんな俺にわざわざ声を掛ける奇特な奴なんて、康寅くらいしかいなかった。


「今日はどうしたんだ、昴? 便秘か?」

「ちげーよ、康寅」


 へらへらと茶化すように言うこの友人が、実は心配してとの事だというのも知っている。

 放っておけばいいものの、わざわざ声を掛けてくるところが、本当、憎めない奴だ。


 ……


 正直なところ、吐き出して相談したくもあった。


 だけど、それは出来ない。

 神妙な顔で首を振る俺に、何かを察したのだろう。康寅もそれ以上何も言わなかった。


「昼、どーすべ? 学食? 購買?」

「あー……今日弁当だから」

「そっか」

「すまん」


 これ以上康寅に気を遣わせまいと、嘘を吐いた。


 食堂方面に向かう康寅を見送り、俺も席を立つ。

 どこか気晴らしになるような場所に行きたかった。


 廊下に出れば、あちこちから活気のある声が聞こえてくる。

 それが今は、ちょっと恨めしい。


「ねぇねぇ、お昼どうする?」

「涼しくなってきたし、中庭にいかない?」

「じゃあ購買かな~」

「いいの残ってるといいんだけどね~」


 廊下を歩いていると、南條凛を中心とした隣のクラスの女子たちとすれ違う。

 その中には当然、平折もいた。


「ぁ……」

「――っ」


 目が合ってしまった。

 今までなら、もし視線が合ったとしても、そのまま何事も無かったかのようにやり過ごすところだ。


 だというのに――


「……っ」


 平折は俺の方を見ながら、ぎこちなく小さく手を振ろうとして――そこで目を逸らしてしまった。

 きっと、今の俺は変な顔をしている。


 それを見られたくなかった。


「ん? どうかした、吉田さん?」

「……うぅん、なんでもない」

「そう? 大丈夫?」

「うん……」


 俯き、顔を見ないようにして平折たちとすれ違う。


「あ!」

「凛ちゃんどうしたの?」

「うぅん、なんでもない」


「早く行こ?」


 お昼何にしようか? 昨日の番組の事だけど! 来週の追試いやだなぁ

 目まぐるしく変わる彼女達の話を背中で聞いた。


 楽しそうな会話だ。

 その輪の中に、平折がいる。

 それはとても良い事だ。


 だけど――


 ギィ、と鈍い音を立て扉を開く。

 そして非常階段に腰掛けて、大きくため息をついた。


「はぁ……なにやってんだか」


 そう言って空を見上げる。

 ぐちゃぐちゃになっている心の内とは正反対に、雲一つ無い快晴だ。


 あの空の様に、何も問題が無いハズだ。


 だというのに、どうしてか自分の中で鬱屈とした思いが溜まってしまっていた。


 目を瞑れば平折の顔を思い浮かぶ。


 今朝から、随分と嫌な態度を取ってしまったかもしれない。

 せっかく縮まりかけた距離が、また開いてしまうかもしれない。


 そう思うと、余計陰鬱な気分になってしまう。


 ――こういう時フィーリアさんなら、今まで平折と知らなかったフィーリアさんなら、どうなんだろう?


 平折の事はわからない。だけど、長年接してきたフィーリアさん・・・・・・・なら――


 そう考えた時、突如その場に光が差したかのように錯覚した。


「見つけた!」

「フィー……南條、さん?」


 軽く編みこまれた明るい髪に、華やかな相貌。

 一瞬フィーリアさんゲームの平折かと錯覚してしまった少女。


「って、うわぁ……辛気臭っ! やめてよね、あたしにまで伝染しちゃう」

「……うるせーよ」


 目の前に現れたのは、学内の誰しもが認める美少女――南條凛がそこにいた。

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