第13話 初めての……


「よく、知っているな……」

「ふふっ」


 混乱する頭で、どうにか搾り出した台詞がそれだった。


 目の前までやってきた南條凛は、上目遣いで俺の目を覗き込んでくる。

 造形の整った相貌に、手入れの行き届いた艶やかな髪。この位置からならばそのスタイルのよさも確認しやすい。


 何も知らなければ、彼女にときめいたかもしれない。


 人好きのしそうな笑みを浮かべる瞳はしかし、どこか俺を探るような、何かを伝えようとしているような――どちらにせよ俺にとって、不穏な色を湛えていた。


 ――先日非常階段の事だろうか?


 俺には南條さんの意図がわからなかった。


 しかし、まじまじと見つめられる恰好は色々と困る。

 その気が無いとは言え、ドギマギしてしまう。


「倉井君の名前は、成績上位者の貼り出しでよく名前を見るからね」

「……精々、隅の方だと思うけど」

「あはは、だから逆に覚えちゃったのかも」

「……そうか」


 そう言って、ころころと鈴を転がすような声で笑う。


 南條さんは人気者だ。

 男女問わずの気さくな態度、人当たりの良さがそれを証明している。


 対して俺は、お世辞にも社交的とも言えない。

 よく話す親しい友人というのも、康寅くらいしかいない。


 そんな彼女が俺に話しかけるとなると、教室中の視線を集めてしまっていた。


 教室の端々から『誰だっけ、あの人?』『祖堅君とよく一緒の』『あまり他の人と喋ってるの見たことないけど』等と呟く声が聞こえ、奇異な視線に晒される。

 思わず、見世物になったみたいでたじろいでしまった。


 しかしそれを逃がさないとばかりに、南條さんが一歩詰め寄る。


 普通の男子ならば、ドキリとする行為だろう。

 だが口元に浮かべる笑みが、どうしてか獲物を捕食する肉食獣の様に見えてしまい、違う意味でドキリとする。



「ねぇ、倉井く――」


「南條さん、昴の事知ってたんすか?!」

「康寅」


 空気を読んでか読まないでなのか、俺達の間に康寅が割って入ってきた。

 お前だけ南條さんと話してズルイぞ――そんな顔をしているので、きっと後者か、何も考えてないだけだろう。


「いやー、こいつ無愛想だけど勉強だけはそこそこ出来て……知ってます? こいつ試験期間中もゲームばっかりして徹夜を――」

「おい、康寅」

「あ、あはは……」


 他にも調子に乗って『寝ぼけてビーチサンダルで登校してしまった』『食堂で蕎麦を食べながらクシャミをして鼻から出してしまった』といった俺の失敗談を面白可笑しく話し、南條さんだけでなくクラス中の笑いを誘っていく。


 いつもなら強引にでも諌めるところだが――話題の流れが康寅に移ったので、敢えて止めなかった。

 それに俺だけじゃなく、自分の失敗談も交えて話すところが、なんだかこいつの憎めないところだ。


 ――助かった、な。


 周囲を見渡すも、特に俺を気にしているものは居ない。


 ……


 南條さんは男女問わず気さくで人気者だ。

 俺みたいなやつに話しかけるというのも、珍しいことではないのだろう。


 だから、俺への視線はすぐに気付いた。


「――くすっ」


 平折だった。

 康寅の話を聞いて、微笑ましいと言わんばかりの笑みを浮かべていた。


 その視線に気付き目が合うと、恥ずかしがって逸らされてしまう。


 だけど――


「あ……」

「どうした、昴?」


 気付いてしまった。


「なんでもない、戻るわ」

「あ、オレ弄りすぎた?! ごめんて! 昴ー!」

「ちげぇよ!」

「おい、そんな顔するなって!」


 ――どんな顔だよ! と、心の中で康寅に突っ込む。


 そうだ。

 初めて、平折が正面から笑う顔を見てしまった。


 不意打ちだった。


 柔らかく細められた瞳に、クスリと小さく上がった唇の端。

 想像以上に優しげに笑っていた。

 それらが俺に向けられたものだと思うと、なんだか無性に恥ずかしくなって――


 なんだか胸を掻き毟りたくなる思いだった。

 感情を脳が処理し切れなくて、誰かに見せられないような顔になっていた。


(あぁ、くそっ!)


 ――それがバレないよう、逃げるように自分の教室に向かった。

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