重なる笑い声
第12話 どうして?
幾分か柔らかくなった朝日が、カーテン越しに部屋に差す。
それをベッドの中から、鈍い頭でぼんやりと眺めていた。
昨夜は寝つきが悪かった。
自分の中の気付いた気持ちに、戸惑いのようなものを感じてしまっていた。
それがどういう類の感情かもよくわからない。
だからそれを、どう処理していいのか持て余していた。
ひとたび意識してしまうと、焦燥感にも似た、胸を掻き毟りたくなるような思いになる。
あまり気持ちの良いものではなかった。
……
思えば、都合のいい話だと思う。
何せ今まで没交渉だったのだ。
家でも学校でもロクに会話した記憶もない。
平折にしてみれば、突然の事だと思うかもしれない。
事実、昨日の夕食はギクシャクしていた。
「でも、嫌われてはいないよな……?」
自分を鼓舞するかのように呟いてみるも、確信には至らない。
不安や焦りにも似た感情が増すだけだった。
思考の袋小路に入りそうになったところで、頭を振りベッドから出ることにした。
時刻を見れば、目覚ましがまだ鳴る前の時間だった。
いきなり態度を変えると不審がられるかもしれない――だがどうすれば良いかという妙案は出てこない。
鏡を見ればしかめっ面をしているだろう顔で、階段を降りる。
「……あ」
「っ!」
リビングから出てくる平折と遭遇してしまった。
折り目正しく制服を着こなし、ひっつめ髪の、地味な印象の女の子。
鞄を持っているところを見るに、今から登校するところなのだろう。
「……」
「……」
互いに僅かに視線を逸らし、無言の時が流れる。
何か言うべきなのだろうか?
何を言ったらいいのだろうか?
時間にして数秒の、しかし、ただただ気まずい時間だった。
こんな時フィーリアさんゲームの平折なら――
「…………っ」
平折はこの空気に堪えられなくなったのか、赤くなった戸惑う顔を伏せ、俺の脇をすり抜け玄関に向かおうとした。
「平折っ!」
「~~っ?!」
無意識の行動だった。
気付けば平折の手首を掴んでいた。
自分でもびっくりだった。
平折のひんやりとした肌の感触や、そのあまりにもの細さにもびっくりしてしまう。
華奢だとは思っていたけどこれほどとは――
「ぁ……ぅ……」
「っ! いや、その……」
平折が奏でた、辛うじて搾り出すような、しかし鈴の音のように聞き心地の良い声で我に返り、慌てて手を離した。
――ああ、くそ! 俺は何をやってるんだ……っ!
「……おはよう、平折」
「…………」
口から出てきたのは、そんな言葉だった。
もっと気の利く台詞もあったと思う。
自分で自分が嫌になる。
平折は無言で俺に掴まれた部分を、もう片方の手でさする様にしながら踵を返し、背を向ける。
――やらかしてしまったか。
平折の立場になって考えれば、今までロクにかかわりの無かった男に、急に手首を掴まれたのだ。警戒されても仕方ないだろう。
その線の細い背中を眺めながら、自分の突飛な行動に、後悔ばかりが押し寄せる。
「……ぉはようっ!」
「……っ!」
その声は小さいけれど、遅くなったけれど、確かに返事を返してもらった。
たった一言の台詞が、不安や後悔を洗い流していってくれる。
耳や首筋まで真っ赤になった平折が、逃げるように玄関を開けて出て行った。
――嫌われてないよな……?
なんだか足元が軽くなった気がした。
きっと俺は単純なのだろう。
◇◇◇
「実力テスト返すぞ~、赤点は追試と補習があるから心するように」
朝一番のSHR、そんな教師の発言で、教室の中は阿鼻叫喚の様相となった。
聞いていない、成績とは関係ないって聞いたのに、等と抗議の声も聞こえてくる。
そんなもの知ったことかと一気に返されるテストの束に、教室の空気は悲喜こもごものものに包まれた。
これは夏休み明け早々に行われたテストだった。
テスト範囲は夏休みの課題の範囲だったので、ちゃんとしていればそれほど苦労はしない。
俺はと言えば、上の下といったところだったので――まずまずといったところか。
それなりの結果に胸をなでおろす。
……
そういえば平折はどうなのだろうか?
今まで気にしたこと無かったというのに、妙に気になって仕方が無い。
――平折に振り回されているな
そう自虐的に独りごちるが、不思議と悪い気はしない。
気付けば隣のクラスに足を運んでいた。
そんな自分の行動にびっくりした。
こちらでもテストが返されたようで、悲喜こもごもとした空気は一緒だ。
当然ながら俺と平折は学校での接点は無い。
急に話しかけたりするのは不自然だろうか?
もしかしたら、あらぬ誤解を招いてしまうかもしれない。
距離は詰めたいと思うが……それは望むところではない。
――平折に迷惑をかけたいわけじゃないからな。
しかしここまで来て、何もせず帰るのも不自然だ。
ならば康寅はと探してみれば、机の上に突っ伏して微動だにしない物体を発見した。
それは、全身から近寄りがたい陰鬱なオーラを発する屍だった。
クラスメイトも腫れ物を扱うかのように遠巻きに見ている。
一瞬声を掛けるのも躊躇ったが――ここで引き返すと平折の様子を伺う事もできない。
大きなため息を1つ吐き、観念して話しかけた。
「どうしたんだ、康寅?」
「昴……へへ、やっちまったんだぜ……」
突っ伏したままの体勢でくぐもった声で答える。
それが一層辛気臭さを演出していた。
正直ちょっと気色悪い。
「赤点か。いくつだ?」
「……全部」
「逆に凄いな」
そしてそのまま動きを止め、哀愁漂うオブジェに戻った。話す気力もないのだろう。
康寅は普段から遊び惚けてあまり勉強をしないので成績が悪い。去年も進級のときギリギリで世話をしたのも覚えてる。
赤点は完全に自業自得なので、同情はしない。
そして――
「…………ふふっ」
康寅と同じ様に、虚ろな表情で嗤う女子が居た。
目立たず、校則通りの制服を着こなした真面目そうな女子――平折だった。
その焦点の合わない瞳は、絶望に彩られていた。
……悪かったのだろうか?
「うそ、凛ちゃん全教科90点越え?!」
「数学なんてかなり嫌らしい問題だったのに?!」
「南條さん、マジかよ」
「さすが成績首位独走、実力テストでも健在か」
「あはは、たまたまだよ~」
そんな2人とは対照的に、クラスの皆に囲まれ照れ臭そうにしている女子がいた。南條さんだ。
何人かとは答案を持ちより、間違えた個所を教え合っている。
ああいうのを才媛、というのだろうか?
平折はグループの隅の方で眩しそうに南條さんを見つめ、いつの間にか復活した康寅は、ほぅ、とため息をついて見惚れていた。
だがしかし、どこか彼女に違和感を感じてしまう。
先日の非常階段の時とも違う。
まるで無理して明るく振舞っているみたいで、顔もどこか普段と違――
「あっ」
薄っすらと目の隈を隠すように化粧をしていた。
寝不足なのだろうか?
「どうした、昴?」
「いや、なんでもない」
急に声を上げた俺に、怪訝な顔をする康寅。
女子の目の隈を指摘するというのは野暮だろう。
そんな事を考えていると、どういうことか南條さんと目が合ってしまった。
「倉井君どうだった? そこそこ成績よかったよね?」
「っ?!」
「昴っ?!」
「ふぇっ?!」
それは予想外の問い掛けだった。
訳がわからなかった。
平折も康寅も怪訝な声を上げる。
俺は変な顔をしていたのだろう。
南條さんがクスクスと、からかう様な笑みを零している。
康寅はどういう事だと怨嗟も籠もった目で睨み、平折はお化けか幽霊に遭遇したかのような驚愕の表情を浮かべ、青くなっていた。
俺と南條の接点は無い。
あるとすれば、先日の非常階段での一件だけだ。
普段通りにしていれば、まず関わりを持たない。持てばそれだけ勘繰られるリスクが高まる。
――一体、どういうつもりだ?
妖しく笑うその口元からは、猫が逃げ出しているのがわかった。
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