第8話 仮面


 非常階段の扉は鉄製でそれなりの大きさだ。

 開閉すれば、ギギギと特有の大きな音を出してしまう。


 もし今扉を開ければ、ここに誰かいるというのを2人に喧伝してしまう事になる。


 ――せっかくの空気を壊すのはよくないな。


 詭弁と言うのは百も承知だった。自分にそんな言い訳をして息を潜める。

 もっとも、平折の言葉で南條さんが気になってしまっている――その自覚はあった。


「ごめんなさい、あたしやっぱり……」

「……そっか」


 どうやら結果は、彼も大多数の男子と同じになったようだ。

 しかしどういうわけか、彼はフラれたという割りにはそこまでショックを受けたようには見受けられない。


 相手はあの南條凛だ。


 元からあまり期待してなかったのかもしれない。あっさりしたものだ。

 だというのにその一方で、南條凛の方が悲しんでいる――そんな真逆の事を感じてしまった。


 ……どういうことだ?


 困惑する俺をよそに、南條凛と男子はなんとも形容の出来ない空気を醸し出していた。

 2人の間にこれ以上交わす言葉はなく、それじゃと男子は片手を上げて去ろうとする。


「あのっ!」

「……へ?」


 その背中に、南條凛が声をかけた。

 予想外だったのか、男子からは素っ頓狂な声が漏れる。


「あたしのどこがよかったのかな……?」


 それはおそらく男子にとっては不可解な質問だった。

 彼と同じく、俺も不可解な顔をしていたに違いない。


「そりゃ、南條さんは可愛いし、色々できるし、それによく気が回るし……ははっ」

「そっか……うぅん、ありがと」


 そしてそれは、男子にとっては追い打ちとなる質問になった。彼は自分の思ったままのことを告げていくがしかし、どんどんと南條凛の顔は失望へと彩られていく。


――もう何も話すことはない。如実に拒絶を示す意志が、彼女の瞳には篭められていた。


 ……あれはキツイな。

 頭を振って小さく息を吐き、2人に視線を戻す。

 あの目を向けられた男子はさすがに居た堪れなくなったのか、彼も泣きそうな顔をしながら、金属製の非常階段の扉をバタンと大きな音を立てて去っていく。

 後に残された南條凛は何かを堪え、泣きそうな顔をしていた。


「……」


 南條凛はしばらくその場から動かなかった。俺はそんな彼女を息を潜めて眺めている。

 こんなの覗きだ。いけない事だとわかっている。だけど不思議と目が離せない。


 その場で憂いを帯びた表情で、儚げに佇む姿は可憐だった。

 そして同時に得も知れぬ迫力もあった。俺はすっかりそんな彼女の空気に飲み込まれ、その場に縫い付けられてしまう。


 周囲の男子達が騒ぐのもわかるな……


 そして何故か俺はフィーリアさんゲームの平折の姿と被せてしまい……ふと我に返る。何を馬鹿な事をしてんだ、俺は。

 ガリガリと頭を掻き、さてどうしようかと考え始めたときのことだった。


「可愛くて気が回る、か。それだけの人ならテレビや雑誌にいくらでもいるんだけどな……」


 突如、南條凛は自虐的にそんな事を呟いた。まるで呟いた言葉が刃になって、自傷しているかのようだ。


 わけがわからなかった。

 噂では告白100人斬りだなんて言われている。

 事実、数えきれないほど先ほどのように断ってきているはずだ。だというのに、あの表情はどういう事なのだろうか?


 それは明らかに、南條凛が他人に見せないような繊細な部分だとわかる。

 これは俺のような他人が見てはいけないものだ。きっと平折も知らない一面に違いない。覗き見てしまったことに罪悪感を覚えてしまう。




「あー、やってらんねー。あいつも結局上っ面しか見てねーのなー」




 ――ッ!?

 突如、南條凛が低い声でそんな事を呟いた。いつもの鈴を転がすような柔和な声でなく、ドスの利いた低い声である。

 そしてガシガシと、髪が乱れることを気にすることなくかき回す。


 豹変。

 まさにその言葉がぴったりな変わり様だった。普段のイメージからかけ離れたあまりにもの言動に動揺を隠せない。


「……はぁ」


 南條凛はひとしきり感情を爆発させた後、のそのそと乱れた髪を整え始めた。そしておもむろにスマホを取り出し弄りはじめる。


「気立てが良くて可愛いだけならウリエたんの方が可愛いでしゅよね~っ! 早く水着や浴衣のウリエたんをお迎えしなきゃだし、ガチャしよ、ガチャ! あぁ、もう! こうイライラした時はガチャに限――」

「ぶふっ!」

「――だ、誰っ!?」


 再度、南條凛が豹変した。

 これまた普段のイメージとは遠い、猫撫で声でスマホに話しかけていた。それだけでなくスマホに頬ずりまでしだし、くるくる回って変なダンスまで踊っている。

 そんな突拍子もない行動に、今度は堪らず噴き出してしまった。こんなの完全に不意打ちだ。


「すまない、覗くつもりはなかったんだ」


 俺は悪気がないという意思を示す為に、両手を挙げて姿を現す。南條凛の俺を見る目は警戒に彩られており、睨みつけるかのようにこちらの様子を観察してくる。


「へぇ……?」


 まるで値踏みするかのようにジロジロと見られる。いつもの人懐っこい笑顔ではなく、不機嫌と敵愾心を隠そうとしない目だった。美少女なだけに、妙に迫力がある。

 さて、どう言ったものか。俺は頭を掻きながら、柳眉を吊り上げる彼女と向き合った。

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