第7話 掌から伝わる熱
その日、俺は朝から混乱していた。
「なんだこれ?」
目の前のダイニングテーブルには朝食と思しきから揚げが鎮座していた。
他に何の付け合わせもなく、ただただから揚げが存在しているだけだ。
朝から重くないか? 誰が用意したんだ? もしかして平折が?
ちなみに今朝早くから弥詠子さんは単身赴任中の父の世話をすると言って出て行っている。今、家には平折と2人しかいないはずだ。それ自体は珍しいことではない。
だが今まで平折が朝食を用意してくれたなんてことはなかった。
「ん? これは……」
首を捻りつつダイニングテーブルを見てみれば、から揚げだけではくメモ書きもあることにも気付く。
『協力して下さい』
平折の丸っこい字で簡潔にそれだけが書かれており、更にゲーム雑誌とお弁当箱があった。
どうやら本当に平折が用意してくれたらしい。しかし協力してくださいとはどういうことだろうか? 雑誌に付けられていた付箋を開いてみる。
『ヘブン11とコラボ! から揚げを食べて限定アバターを貰おう!』
……どうやら大手コンビニのヘブン11でから揚げを一定個数購入すると、ゲーム内のアバターがもらえるというモノだった。
コラボ期間は今日からだ。要項を見るに約1か月の間に7回、週に2回も買えば貰える計算になるのだが……どうやら平折はすぐにでも欲しいらしい。
「まったく……」
長年親しんできた
きっかけはどうであれ、これは平折が作ってくれたものだ。
掌から伝わる熱がじんわりと胸を温め心が浮ついてしまうのを感じる。
どうやら俺は、かなり嬉しいらしい。
◇◇◇
――お礼を言ったほうがいいのだろうか? でもどうやって?
授業の合間の休み時間、そのことを考えては眉にしわを寄せていた。
「お、南條さんだ」
「隣のクラスの奴はいいよなぁ、目の保養になって」
「……フラれた相手と同じクラスはちょっと気まずいかも」
ふと、クラスの男子達が騒めきだす。
彼らの話題にする先を見てみれば南條凛を中心とした隣のクラスの女子グループがいた。どうやら生物の移動教室のようだ。
その中には平折の姿も混じっていた。いつもと同じくオシャレとは程遠い、地味で目立たない姿である。
平折はグループの隅の方で教材を持って移動していた。
よくよく見れば心なしかその足取りは軽く、どこか浮かれているように見える。
――わかりやすい奴。
思わず苦笑してしまう。
「お、ついに倉井も南條さんが気になりはじめたか?」
「ちげーよ」
と、南條凛達のグループを眺めていたクラスメイトに突っ込まれる。
南條凛は美少女だ。
手入れが行き届いた明るくツヤのある髪、制服から伸びるスラリとした長い手足、そして穏やかに顔に浮かべる人懐っこい笑みは男女問わず魅了する。
……それからニットベストの上からでもわかる膨らみ。
ついつい目が行ってしまったのは先日の平折の言葉のせいだろう。慌てて目を逸らす。
視線を戻して平折を見てみれば、昨日と違って話の中心には居ない。
代わりにというか南條凛がいつものように周囲に万遍なく話を振り、気を配っている。
随分とその辺りの気が利く人の様だ。人気があるのも当然だろう。
平折が憧れるという気持ちもわかる。しかし、何かが引っ掛かった。
「あっ」
「大丈夫、吉田さん!?」
「っ!!」
いきなり何でもない所で平折が転びかける。
どうやら浮かれていて足元が疎かになっていたらしい。
「ご、ごめんなさい。ぼぅっとしていて……」
「気をつけてね」
事なきを得たもののしかし、弾みで教材を落としてしまい廊下に散らばってしまう。それを周りの皆で拾い集めてくれた。平折はただひたすら気まずさからあたふたしていた。
――ったく、手間のかかる奴。
そんな平折の顔を見ていたら、いつの間にか俺の口元は緩んでいるのだった。
そうこうしているうちに昼休みになった。
隣のクラスから康寅がわざわざこちらの教室に顔を出し、声を掛けてくる。
「昴―、今日は学食か?」
「いや、今日は弁当があるんだ」
包みに入った弁当箱を取り出し康寅に見せる。今朝平折に作ってもらったものだ。
「じゃあオレは購買にするかなー」
「……ッ! あーいやその、ちょっと昼は用があったの思い出した。悪いけど今日は1人で食べといてくれ」
「昴?」
俺はそれじゃ、と開けかけた弁当箱に蓋をして、一目散に教室を飛び出した。
人目が無いところはどこだと、非常階段を目指し走る。
「あいつ……っ」
弁当を開けて、呆れたため息とともに独り
それは見事にから揚げしか入っていない、から揚げのみ弁当だった。
弁当箱にみっしりと敷き詰められており、赤、白、こげ茶……唐辛子、塩、しょうゆ味だろうか? ご丁寧に3色に分けられ彩りも考えられている。見た目だけは。
もし誰かに見られたらツッコミは不可避だろう。これをどうしたかと馬鹿正直に言えることでもないし、上手く言い訳する自信もない。だから人気の無いこの場所へとやってきたのだ。
普段の優等生然とした
まったく……困ったような、でも可笑しいような不思議な感覚だ。悪い気はしない。
「ここなら誰も居ないな」
「……そうね」
「っ!?」
から揚げを摘もうとした時、不意に誰かがこの非常階段にやって来た。
幸いにしてやってきた階が違うので俺の姿を見られることはなさそうだ。思わず息を潜め、から揚げだけ弁当を隠すようにして上方からこっそりと彼らの様子を伺う。
そこに居たのは一組の男女だった。
「この間の返事、聞かせてもらえるかな?」
男子が女子に何らかの答えを催促している。
これが一体どういうことか、そういう機微に疎い自覚がある俺でもわかる。どうやら、青春の1ページともいえるイベントが繰り広げられているようだ。
――これは覗き見をしていいような類のモノじゃないな。
すぐに退散しようとしたのだが、困った顔をする女子の顔を見て俺の足が止まってしまう。
その女子は南條凛だった。
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