ごめんなさい……

「おっまたせ~♪」


 一人残った教室内で動画を視聴していたところに、白倉が戸を開けて入ってきた。

 どこぞで嬉しさを震わされたのか、曇りひとつ無い柔らかい笑顔を見せてくる。


「よお、やけにご満悦だな。何か楽しい事でもあったのか?」

「え、嘘マジ!?」


 意識していなかったのか、両手を頬に当て目をしばたたかせる。

 さっきと打って変わった純粋な反応を前に、とてもじゃないが額に激痛を走らせてきた同一人物とは到底考えられない。ジキルとハイド並みの変化っぷりだ。


「そんなに……ニヤけてた……?」

「ニヤけてたと言うか……〝嬉しさ全開〟って感じだったな。強いて例えるなら、昨日のガチャガチャでマジック当てた時と似た表情だったぞ」


 イメージしやすかったようで、当人も納得の表明として頷いた。


「じゃ、じゃあ……そういう事なの……かなぁ?」

「ん、どういう意味だ?」


 意味深に白倉が疑問符を浮かべるのに対し、俺もまったく同様の記号を脳内に表す。すると、彼女の視線が床に落とされた。


「さ、さっきさ……楽しい事あったかって、聞いてきたじゃん……?」

「ああ、聞いたよ。それがどうした?」

「せ、正確には……〝今から楽しい事がある〟って意識を持ってたから、笑っちゃってたのかもしれない……」

「…………あ?」


 わざわざ間を利用して理解を深めようと試みたが、結局は不明。返事もこの通り聞く人が聞けば、苛立ちを覚えるリアクションを取ってしまった。

 今から楽しい事……。俺との会合が終わったあとにでも何処か行ったりするのか?


「な、なにその反応。サイッテ~!」


 相当気に障ったか、とてつもない剣幕で張りのある声を上げてきた。音量的に教室だけじゃなく、結構廊下のほうまで響いたと思う。


「あ、いや、ごめん……。だけどさ、楽しみがあるんだったら……わざわざ俺と会うのなんかは後日にして、そっち優先したほうが良いんじゃないかって思ったんだよ」

「は、なに言っちゃってんの? 今この瞬間なんだけど」

「…………ん?」


 調子を取り戻した白倉の発言に、またもや間を置いての同じリアクションを取ってしまう。いや、今度のは五十音の最後だから進歩してるな。

 それよりも、疑わしき部分は彼女の台詞だ。今この瞬間が楽しい事……つまり、俺と会うのがか……? 感性が狂ったとしか考えられない。


「俺に楽しみなんか見出せるのか……?」

「もち。現に今だって、アンタと居て楽しいからね~♪」

「へ、へぇ……」


 純粋無垢も甚だしい返事に、脈打つ動揺を必死に隠す。俺なんかと居て……楽しい。こんな心暖まる台詞を浴びせられたのは久方振りだ。

 人間という生物は不思議なもので、嬉しさが最高潮に達すると呼吸も意識しなければままならない。おまけに視線を斜め下に傾けてしまった。緊張し過ぎだろ、しっかりしろ俺。


「あ、爪痕……」


 顔を俯けたことで、背の低い白倉に額を見られてしまう。芝居の一環だったとはいえ、爪を強く押し当てて来たのだから当然無傷では済まない。生々しく付けられた痕跡は、三日月状に形作られている。さっき鏡で確認してきたからな。


「残っちゃったね……」


 途端、白倉が徐に触れてきた。ほんのり暖かい指、傷付けてきた張本人とは思えない優しい感触、どうしてか目が虚ろむ。このまま触り続けていてほしい……と甘えた感情が芽生えるも、根元から引っこ抜き意識を保つ。


「べ、別に大丈夫だって。そ、それよりも、今回呼び出した理由は……?」

「あ、そうそう。ほら見て」


 陽気に戻った白倉が、自身のスクールバッグを掲げて見せてきた。紺色の本体にグレーの持ち手という、一般的なボストンタイプ。違和感を覚えたのは、フロントの『Dカン』なる名称を持つ金具部分だ。


 昨日脇目も振らずカプセルトイを占領してまで全品引き出した、マスクド戦士のラバーストラップたち。しかも単に各主人公十個が飾られているのではなく、放送順にしっかり並べてオシャレの一部にしている。

 ていうか……丸っきり俺と似たまんまの付け方だ。一瞬鞄が摩り替えられたのかと疑った。


「モッキーとオソロ~♪」


 あどけなく笑ってくれたのは申し分無く有り難いが、俺の中に問いが生まれる。


「まさか……それ見せびらかす為だけに残らせたのか……?」


 だとしたら俺は即行帰るぞ。


「なワケないでしょ~。これは前置き、本命はこっち」


 そう言うとバッグの中をまさぐり始め、時を移さず本題となる箱状の物が取り出される。


「え、それって……」


 既視感あるパッケージに息を呑む。

 一度は眼福を味わった『マジックのアクションフィギュア真骨頂版』と再びのご対面。印字された【MASKED WARRIO MAGIC】が、高揚感を掻き立たせてきた。


「えっへへ~。どう、懐かしいでしょ。アタシたちが今こうして話せてるきっかけ」

「いや懐かしいって……つい先週だろ?」

「まあまあ、些細な事は気にしない気にしない」


 おさげをくるくるとイジリつつ、こちらの指摘を軽く流してきた。言及しようか迷うも、面倒に思われるのも困るし、諦めの道を選んで話を戻す。


「で、フィギュア持ってきてどうしたいんだ。今度はそれを見せびらかそうってのか?」

「だから違うってば。あげに来たのよ」

「…………は?」


 一体何回同じ反応を示せば気が済むんだ。くどいぞ。自分関連だけど。


「どういう風の吹き回しだよ……。脳みそ腐り落ちたか……?」

「結構酷いこと言うんだね……。ちょっと傷付いちゃったよ……」

「あ、ごめん……」


 素で顔が引きつっていたから虚言ではなさそうだ。ていうか、こっちはその何倍も喰らってます。


「だけどよ……大切にしてた物をどうして急に渡そうって考えに至ったんだ?」

「これまでのお礼よ」


 間髪を入れずに発された回答に、我知らず『お礼……?』と復唱してしまう。


「そんなに俺……感謝されるような大それた事したか……?」


 心当たりが無く極度に混乱する中、白倉が口を動かした。


「店前でオタクバレ庇ってくれたでしょ」

「それって……以前回避方法あるっつってなかったか?」


 人を犬にしようとする為だけに買ったという、何とも道徳サヨナラの手法を。


「たしかに~、その場で誤魔化しは効いたかもしれないけど、後日面倒事に流れていたかもしれなかったから、本当に助かったってのが正直な感想かな」

「そ、そうですか……」


 明確な根拠を解し、たじろぐ。思い返してみれば、当時自分の取った行動は常軌を逸していたのかもしれない。

 虐めっ子のピンチに割り込んで犠牲になるなんて、思い付きにも程があった。あれが咄嗟の判断ってやつかな。

 物思いにふけっていると、話が続けられた。


「あと、スタンプラリー回ってくれたじゃん。映画も一緒に観たよね。この二つに関しては、一人だけだったら絶対無理だったから」


 次々とラインナップされ、感謝を受ける事かと疑問を持ち始める。ていうか、一人で映画は余裕だろ。いや、誘う相手がいないからとかじゃないよ。

 ホントにその……単独の鑑賞が……楽……しい……グス。少し泣く。


「だ、ダイジョブ……?」


 突然流れた俺の涙に、白倉が引いた。


「大丈夫だ……。続けてくれ」

「う、うん。それと、今回の握手会も追加かな。モッキー、色々と奮闘してくれたし」

「その努力の半分を否定してなかったか……?」


 拭ったあとで細めた目を向けると『まあまあ(以下略)』で片付けられた。こいつは……。


「まあ不本意ではあったけど、大手に頼み込んで、途中アクシデントにも見舞われながらも、アタシの望んだ結果にしてくれた。これだけ尽くしてもらって、何も無いのはさすがに心痛むな~って思っちゃってさ」

「そのお礼でフィギュアってか?」


 だとしたら重い贈り物だ。

 最初庇ったのだって見栄を張ったに過ぎないし、スタンプラリーは頼まれたにしろ映画の件は自分の欲望を優先しただけ。

 握手会もなんやかんや賭けに勝ちたかった、推しに会いたかった一心であって白倉への想いは五割以下だ。結局は私利私欲に頑張った場面を、自分の為にと勘違いしてしまったんだろう。ならこのフィギュアは受け取れない。


 名残惜しいが、感謝が大き過ぎる。その辺の自販機でちょっとお高めなジュース一本が等価。断る姿勢に移らんと意識を集中させ、声を発しようとする。


「ううん、まだあるよ」


 が、遮られた。まだターン続いてたか。

 やっとの思いでボスを倒したらまさかの第二形態!? という感覚に陥る俺を当然気にも留めず、続行された。


「一番のお礼は、アタシを見付けてくれたこと」

「…………はい?」


 よし、今度は二文字発せられたぞ。進化してるぞ偉い俺。いや今はそんなこと心底どうでもいい。見付けてくれたってなんだ、かくれんぼか何かか。


「えっと……どういう意味だ……?」


 正答が行方不明となり、悩んでても仕方ないと思考を止めて問い掛けに移る。すると白倉の目に悲しみの色が浮かびだした。


「素のアタシを知ってるのは、この校内でモッキーただ一人だけってこと」

「え、マジか……?」

「大マジよ。皆が普段から見てるのは、作り上げた外見のアタシだけ。本当はどこにでもいる平凡な特撮オタクなんだから。それをアンタは……見付けてくれた」


 妙にしんみりした口調だ。とすれば、本音と捉えるのが妥当か。


「最初は驚いたし、まずいな~とも思った。だって、普段小突き回してる相手に弱点握られたような感覚だったから。けどモッキーは今日まで、ず~っと黙っててくれた」

「信用してもらえないって悟らされたからな……」

「あはは、それはお気の毒~」


 他人事のように振る舞わないでくれ。事実叩き付けてきたのお前だぞ。


「でもさ、クラスの皆じゃなくてもリアっちや女狐には教えられたはずよね。なんでしなかったの?」

「なんでって、こっちに何のメリットも無いから」


 リアは俺との雑談時にマスクド戦士が関連しないと基本九割上の空だし、マドカに至っては敵対視する人間の情報を得ても不要と判断する。

 所詮は無鉄砲。利点もへったくれもあるか。話すだけ後悔のデメリットは背負いたくない。


「それに、仮に公になったのが基で白倉まで虐めの対象になったら……可哀想だろ」


 何様目線と思われようが構わない。俺は俺の意見を述べ続けさせてもらう。


「せっかく高校で華々しくデビュー出来たんだし、如何なる理由でも奪って良い権利なんて無い。ついでに言うと、女子が虐められる光景は正視に耐え兼ねない」


 最後に歯切れが悪くならないよう『以上だ』と付け加え、締め括る。それまで白倉はぽうっと聞き役を担い、掠れ気味に『あはは……』と愛想笑いを浮かべてきた。

 喋る内容が尽きた現状、会話の主導権を黙認で譲る。


「やっぱモッキー、おかしいぐらいに優しすぎるよ……」

「そうか?」


 浮かんだクエスチョンマークに対し、か細く『うん……』と返された。



「アタシ……モッキーと、もう少し早くに出会いたかったな……」



 白倉が喉を振り絞るように声を出す。意気投合した際に生まれるそのフレーズは、ご機嫌取りを狙った社交辞令であるから鵜呑みにするなとネットで教えられてきた。

 とは言うものの、妙に本心っぽく聞き取れたのは気のせいだろうか……。取り敢えず、言葉を挟む隙間は無さそうだし、今度はこっちが聞き役を担う。


「もし……中学で一緒だったら、理不尽な虐めなんか二人で乗り越えて……四六時中マスクド戦士について語り合ってたかもしれないって、月曜辺りからふと思ったんだ」


 顔は微笑んでいるが話し方はどうも寂しい。返答に困り、口元が固まる。


「そうなってたら、今も地元に残って……いつまでも実家に居座りながら……アンタと楽しくマジック観てたかもね……!」


 笑ってはいるが明らかな無理した笑みだ。感情の抑制が治まらず、目元に薄っすらと浮かんだ水滴が夕日に反射して小さい光を放っている。ていうか、泣いてるのか……。


「でも、もう取り返しの付かない部分までいっちゃったもんね。アタシのくだらない会話のせいでモッキーを……石森爽真を一年以上も苦しめた。その過去は変えられない」


 言いながら、白倉は箱を掴む手に力を加えた。


「だから……御詫びも兼ねて、このフィギュアを受け取ってほしいの……。いらないって言うなら、それはそれで構わないけど……これだけは言わせて……」


 潤んだ瞳が真っ直ぐに俺を見据えていると、直感が働いた。白倉の姿勢が正され、次に吐き出される言葉が予想出来るにしろ緊迫した空気が渦巻く。いや、分かっているからこそ緊張していると言えよう。

 固まった唾を飲み込むと同時に、彼女が動作を起こす。



「本当に…………ごめんなさい…………ッ!」



 身体を畳むように、小さい頭を深々と下げてきた。

 声は今にも消えそうで、鼻を啜る音が所々耳に入る。フィギュアのパッケージに水滴が落ちたのも見逃さなかった。


 保身とはいえ、自分の蒔いた種が引き起こした他者への悲劇。その罪悪感に苛まれ、精神が不安定となって涙腺に響いたのかもしれない。


「顔……上げてくれないかな?」


 謝られている側なのに、こっちの息が絶え絶えだ。

 本来なら長年のもやもやから解放された優越感に浸れる状況なのだろうが、こんなにも苦しいのは初めてかもしれない。


「モッキー……?」


 指示に応じて白倉は折り畳んだ上半身を起こし、顔を見せてくれた。やはり目が赤く腫れている。可能なら黙って教室を飛び出したいが、居たたまれない環境に踏み留まり、一呼吸置いてから重い空気を壊す。


「正直、未だに信じられないよ……。虐めっ子が面と向かって謝ってきている現象が……」


 事実を突き付けると、白倉の視線が再び落ちる。洒落でも加えたほうが良いかと一瞬不安になったが即座に振り払い、構わず続けて口を動かす。


「確かに、俺はお前のせいで長期間苦しめられてきた……。勿論多少は恨んではいるし、いずれケジメを付けてもらおうとも考えてた……」


 けれどもそれは、意図的による行為だった場合の話。周りから誤解され、勝手なイメージを付けられた白倉薺は、その期待に応えるべく行動した事に他ならない。

 お決まりの頬ぽりぽり癖を発動させ、伝える準備に入る。


「だけどさ、そう謝られたら……」

「…………」

「んな考え……無くなったよ」


 ゆっくり、またゆっくりと開花するように目が見開かれた。嘘でしょ、冗談でしょ、とでも言いたげな動き方だ。


「許して……くれるの……?」

「ああ……。お前も苦しんだ経験を味わったってのは、充分に理解したさ。だから、俺も腹を括るよ」

「…………え?」

「残りの学校生活、お前の為に我慢してやる。蹴られようが笑われようがゴミを投げられようが、白倉が楽しい学校生活を送れるってんなら、石に齧りついてでも粘ってやるって」


 今度は唇を内側に引っ込めて口元をすぼめた。瞼に涙を滲ませ、小刻みに震えている。


「モッキーさ……なんでそこまでしてくれるの……。ホントに、気持ち悪いほどに優し過ぎるよ……!?」

「気持ち悪いは余計だ」


 褒めた表現かもしれないが地味に傷付く。


「あ、ごめん……。でも、どうしてアタシの為に頑張ってくれるっていうの……?」

「前も言ったろ。俺はマジックみたいに優しく強い存在でいたいんだ」


 こうなれば忸怩じくじたる思いも関係ない。一度言ったなら最後まで貫き通すのみ。


「だから、明日もいつも通りのお前でいろ。我慢できる範囲は我慢すっから」

「ホントに……良いの?」

「ああ。ただ、多少の手加減はしろよな……?」


 でないと心身ともに負傷して、若年で通院生活を送る羽目になる。


「ま、任せてよ。周りが変に思っても、上手く誤魔化してみせるって。仮に酷いことしちゃった日はさ、放課後ちゃんと謝るから!」


 口では強気な態度を示しているが、表情は崩れている。しばし鼻水を啜る音が小刻みに続き涙に濡れた目がふと見えた。


「だ、大丈夫か……?」

「だ、ダイジョブ……だよ。モッキー、やっぱ優しいねッ!」


 明らかに大丈夫とは反対ではあるも、向けられた愛嬌ある笑みに顔を背ける。


「な、なら良かった。ところでさ……これは契約って流れになんのか……?」

「どちらかというと、約束……じゃない?」

「そ、そっか。だったら……約束ってことで」

「う、うん……約束だね、約束ッ!」



「そういう事かよ」



 その野蛮な声が介入してくるや否や、にこにこ笑顔だった白倉から血の気が失せる。

 教室の端に位置する戸の前に、村上が立っていた。


「と、智也……。どうして、ここに……?」

「あ? 決まってんだろ。急に用事があるっつうからさ、最近付き合いわりぃなって思ってこっそり後付けてたんだよ」


 淡々と経緯を説明してきた。そう言えば、昨夜リアが取り巻き連中の様子を教えてくれてたっけか。本人にも一応伝えておけば良かった……。


「でもまさか、ナズナがキモオタと密かに会ってたなんてな。しかもそのナズナ本人もオタクって、思わぬ収穫だ」


 敵将の首でも取ったように村上は口角を上げる。笑顔が汚い……。


「本音言うとさ、キモオタ御用達の店からお前が出てきた時から怪しいって思ってたんだよ。そしたら見事に的中ってわけ。自慢じゃねぇけど、オレの勘ってたまに鋭くなるんだよ」


 いらん情報だ。マドカが、例え弱点でも嫌う相手の事情を不要と考える予想、あながち間違いではないかもしれない。


「これ、明日み~んなにバレたらどうなんのかねぇ?」

「智也お願い、このことは黙ってて! お金なら……出すから……!」


 咄嗟に白倉が交換条件を言い放つ。早い話が金銭解決って……現況仕方ないか。


「金なんかいらねぇって。それより欲しいモノがある」


 一番分かりやすい交渉が決裂。金以外を要求って、なんだ……?


「な、なに……?」

「ナズナ、てめぇのトップの座だよ」


 まさかの視認不可である地位を求めてきた。下克上ってやつか。


「お前の存在が強過ぎてオレはいつも影だ。だから、明日からお前が下に着け!」


 高身長を巧みに利用し、命じてきた。

 これ、小学生時代によく目にした光景だな。どこでどう捻くれたら出来上がるのか不明だが、何故に人を支配下に置きたいのだろうか。会社なら組織的に必須だろうが、学校、ましてやクラス内で制度を作るその概念が理解できない。

 過去虐げられてきた反動か、幼少期から継続状態のままなのか、いずれにせよガキ大将を張りたいお子様心理というのは同じだ。


「わ、分かった……。それで済むなら……」

「誰が済ますっつった?」


 終結まであと一息と思いきや、村上が声を張り上げる。ぴりついた雰囲気が四散し、俺と白倉は身体を強張らせた。急に驚かせんなよ……。


「もうひとつは、そのフィギュアを……ぶっ壊すことだ!」


 目が明らかに血走っている。トップの称号を受け渡された、というよりかは強奪した今のコイツは実体の持たない権力を手にして快感が昂ったのだろう。一種のトランス状態か。

 追加された要求が非常に子供染みていた。


「オレは〝オタク〟つうのが大っ嫌いなんだよ。いつまでもアニメにゲームと脳みそ成長させずにへらへらしてるガキみてぇな姿がマジできめくて鳥肌が立ってくる。なのに楽しんでるってどういうこった。ムカつくったらありゃしねぇ。特に存在もしねぇ虚像の空想ヒーローに憧れてる特撮オタクってのが一番虫唾が走るんだよ!」


 勝手にヒートアップし、好き嫌いを述べる。その姿勢こそガキみてぇだ。自分のことを知って欲しいと躍起になるかまってちゃんかよ。


「キモオタの妹も、ナズナが気に入ってっから我慢してたけど、明日にはグループからはずしてやる。したら、キモい兄妹仲良くキモい趣味に徹してるんだな!」


 その言葉が勘に触る。侮辱だけじゃなく脱退させる、その意味は遠回しに虐めの対象にすると俺に伝えたようなものだ。恐怖よりも怒りが上回った。


「ほらよナズナ、早くぶっ壊せって。そしたらまだ良い待遇してやっから」

「…………嫌よ!」


 白倉の答えに、村上から不敵な笑みが消える。萎縮を維持し続け、てっきり躊躇無しに壊すのかとばかり。意外と肝は据わってるんだな。


「大好きなモノを……壊すなんて出来っこないよ!」


 しっかり面と向かって楯突く根性に拍手を送りたい傍ら、村上が『ちっ』と舌打ちした。


「あっそ…………だったら!」


 コンマ数秒で距離が詰められ、下がるのも間に合わずフィギュアの入った箱が取り上げられる。抵抗の余裕も無い一瞬の出来事、俺でも守れるか怪しかった。


「返して!?」

「おら!」


 振り上げられた箱が床に叩き付けられ、衝撃音が轟く。それだけで終われば中身への損傷は大して無かったのだが、村上は自身の体重を片足に溜め込んで何度も踏み潰した。

 紙製の鈍く崩れる音、ブリスターパックの軽く変形する音、そして……造形物の破損する音。

 どれも耳が痛く、吐き気を催しそうだった。


「やめて…………やめてってば!」

「うっせッ!」


 止めに入る白倉に、村上が迷うことなく平手打ちを喰らわせた。ばちんという轟然たる擬音が響く。その様子を見るに、今まで友情すら芽生えず仕方無しに付き合っていた仲であったと察した。

 しかも彼女のバッグに飾られたラバーストラップを一瞥すると、それすらも嫌悪感を抱いたのか無理矢理引き千切り、下へ投げ付ける。


「おらよ。ヒーローが壊れるところ、ちゃんと見とけッ!」


 およそ十回以上は踏まれた箱は、既に原型の面影も見受けられない。ぐしゃぐしゃとなった容器から、よれよれとなったマジックのフィギュア本体が取り出される。

 上半身と下半身をそれぞれ握り、力が加えられた。


「やめてえええぇぇぇッ!」



 パキリ



 甲高い声のあとに、不快な割れる音が静かに鳴った。

 一瞬の静寂。最後の望みに賭けようと近付こうとした白倉の動きは完全に止まり、歯の隙間から声を漏らし号泣し始める。

 怒りをぶつけようにも抵抗できない、当惑する憎悪は無論、電気がかかったように硬直した俺にも伝わってきた。

 こんなに忌々しい感情を抱くのは、後にも先にもマドカの事件以来だ。


「ひっ……!?」


 視線が合うや、村上が顔面を蒼白させた。俺の怒りに震える表情を目にしたからだろう。

 以前リアに教えてもらったところ、血の気を引かせるほどの恐怖を植え付けるそうだ。

 吊り上がった目は極度に強調され、顔全体は黒ずんでいる。非現実的な比喩だ。


「な、なんだよ……。なんか文句あんのか?」


 なおも威勢よく荒らげた態度を取ってきた。そりゃそうか。明日からクラスのボスになるのだから、こんな陰キャにびびってちゃ王の名がすたるってもんだよな。

 俺も争いは避けたいし、一度瞼を閉じ表情筋をほぐす。


「いや……別に文句は無いよ。だけどさ、そこまでする必要性があるとは思えないんだよね。マスクド戦士に……親でも殺された?」


 抑えたつもりが、改めると完璧な煽りだ。証拠付けるように、発言を受けてぼんやりした村上が意識を戻すと同時に『くくく、あっはっはっは!』と高笑いした。

 その瞬間、俺の頬に重い一撃が入る。身体は後方に吹き飛ばされ、机と椅子を何セットか巻き込み、のけぞって倒れた。

 痛みは数秒遅れて左頬に伝わり、舌と歯にも共有される。いってぇ……。


「そういうところがきめぇんだよ! きめぇきめぇ……まっじできめぇッ!」


 笑ったと思えば怒りの色を表したりと、情緒不安定もいい加減にしてほしい。


「あとよ、そこまでするかって……? 当たり前だろうが。お前らみたいなキモい連中はな、オレみたいなトップから奴隷扱いされるって法則があんだ。キモオタに、人権はねぇ!」


 私見をぶつけるだけではなく、仰向けに倒れ込んだ俺に馬乗りとなった村上が何発も……何発も顔面に固く握った拳を打ち当ててきた。頬、鼻、目と、ランダムに痛みが走る。

 ああ、だから嫌なんだよ。暴力ってのは……。

 痛いし、それは向こうも然りなはずなのに、どうしてこうも続けられるのだろうか。

 本当……創作物だけども、マジックこと述宮さんが殴る感触を嫌う理由が分かってきたよ。


 とにかくやるべき事は、反撃せずに組手で覚えた受け身を取るのが先決だ。

 曖昧でもわずかに力を逃がせるなら、緩めたりはしない。


「おら、死ねや!」

「もうやめて!」


 白倉の涙声が発され、次に来るであろう殴打がぴたっと止まる。はあ、やっと終わったか。


「ちっ。最後の命令はそれって事にしといてやる」


 腹に乗った重みが無くなり、自由の利かなかった呼吸が再機能する。しかし鼻孔を刺激するのは、鉄の臭いだけだ。


「それとナズナよぉ。お前、明日っから『モッキー二号』な」

「……え?」

「一号と一緒にボロ雑巾になるまで遊んでやっから、覚悟しとけ」


 鉄臭いながらも酸素の供給に徹底していると、最低最悪な会話が聞こえた。


「そして、一号君に朗報~。今晩、谷矢さん襲うからよ。変わり果てた彼女の姿、撮影して動画だの写真だのいっぱい送ってやっから、今夜のおかずにでもするんだな」


 薄れる聴覚にマドカの名前が聞こえ、どこまでも洗い浚い打ち明ける非道さに残った熱が燃える。が、反撃する力も無ければ起き上がる力すらそもそも無い。


『ばいび~、キモオタども~』を最後に、教室内は白倉の噎び泣きのみが小さく響く。

 俺はというと、ある程度呼吸が整い、多少喋れるまでに回復できた。けどまだ痛い。

 顔のみ狙われたのを幸いと称して良いのか理解に苦しむが、首から下は無傷。上半身を起こすと、うずくまる彼女の姿が映った。


「白倉……大丈夫……か……?」

「大丈夫なように見える……?」


 くぐもった声に、俺は沈黙で返してしまう。


「全部壊されて……挙句の果てには虐めの対象……これじゃあ中学の時の繰り返しじゃない! もう嫌……。なんで、なんで好きなモノがあるだけで……こんな目に遭わなきゃならないの……。アタシはただ、普通に学校生活を送りたかっただけなのに……」


 そこにいつもの女王様、白倉薺は存在しない。居るのは中学の頃に傷付いた彼女自身。二度と思い出したくない悲しい姿。寂しさを物語る背中に、俺は語り掛ける。


「もしかしたら……今までの罰なんじゃないのか?」

「なにそれ……どういう意味よ……?」

「言葉のまんまさ……。本心じゃないにしろ、お前は俺を散々傷付けてきた。そのツケが巡り巡って今日に回ってきたって事だ……」


 途中、啜った鼻血が喉を通り、あまりの鉄味に嘔吐しそうになるも堪える。


「だから何だってんのよ! そんなの、今言うタイミングじゃないでしょ!」


 顔を上げ、振り向いた彼女は涙と鼻水でナチュラルメイクを台無しにして表情を崩していた。叩かれた頬は通常の肌色より赤みがかっている。

 言われてみれば、俺もどうして口走ってしまったのか。軽く焦ってるからかもな。


「ごめん、確かに今言うべきじゃなかった……。取り敢えず、今日はもう帰って……明日に備えろ」

「は……? なに寝惚けたこと言ってんの……。虐められるのよ……? これまで以上に嫌なことされんのよ……。それなのに来いって言うの!?」


 逆上がどんどん浴びせられ、不穏さが増す。だから俺もつい口を尖らせる。


「俺はそれを毎日受けてた。誰かさんのおかげでな」

「だからお説教なんかやめて! 充分懲りたよ! まだ苦しめって……言うの……?」


 突如白倉の興奮が鎮火し、再び身体を丸くしてしゃがみ込んだ。


「もうヤダ……。学校……来たくない……」


 心が壊れた。一言で表すなら、コレが一番該当するだろう。


「大丈夫だ、心配するな……」


 希望を失い欠けている彼女に、そっと近付く。


「なに格好つけてるのよ……。力の無いアンタにどうこう出来る問題じゃないでしょ!」

「ああそうだよ。まずは一旦落ち着け!」


 現に彼女は、他者の意見に耳を傾けられないほどの混乱と焦燥に煽られている。ならその不安を一時的にでも消す威力が必要だ。だから俺は声を荒らげる。


「確かに、俺には力が無い! でもなぁ!」


 その台詞と台詞の間に、白倉だけじゃなく、マドカ……そしてリアの顔を思い浮かべる。

 以上の三人をどうしたいのか……すっかり静まった彼女に対して、自分に言い聞かせるように俺は告げた。


「お前を……お前たちを。守る事は出来る……ッ!」

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