好きよ

 午前六時十八分

 ≪おはよ~! 今日も色々あると思うけど、シクヨロ~!≫


 午前八時二十七分

 ≪さっきは蹴ってごめんね。でもマスクド戦士はバカにしなかったから許してちょ☆≫


 午前十時五十分

 ≪ゴミ当てちゃったから怒ってるよね……? イメージを守る為だから我慢してね☆≫


 午前十一時四十五分

 ≪笑いの種にしなかったらアタシの地位があああぁぁぁ! ごめんね☆≫


 以上が午前中受け取った白倉薺からのメール、ダイジェスト版である。

 四限目終了のチャイムを迎えるまでに受けた被害は小計で六回。内訳『ゴミの投擲』が二回、『脛蹴り』が一回、『嘲笑』が三回と、以前よりも大幅に負担が軽減された。

 心身ともに痛いには変わりないが。

 その都度謝罪文が送られ、足し引きゼロを目論んでの可愛い猫キャラのスタンプで誤魔化してきやがった。まあ、本人も可愛いからいっか……って違う。


 ともあれ昼休み。俺はマドカと向かい合って各々お弁当箱を広げる。

 相も変わらず容器から水筒、箸まで真っ赤っか。視界に入れるだけで血が滾りそうだし元気が湧き出そうだ。しかし色とは裏腹に、持ち主は浮かない表情を継続させている。


「ソウちゃん。ずっと聞こうか迷ってたんだけど、リアちゃん……まだ怒ってる……感じ?」


 曇っていた原因は、妹との口論による後悔の念だった。

 俯きながらの上目遣いは、昨夜と同様の蠱惑さを覚え、直視できんと視線を落とす。


「ま、まあ……あのあと帰ってからずっと怒りっぱなしではあったけど、朝まで特に引き摺ってる様子も無かったし、恐らく大丈夫だと思うぞ……」


 また恥ずかしさを隠すのに頬を人差し指でぽりぽりと掻きつつ答える。この癖、いい加減直したいな。


「そっか、良かったぁ。ずっと仲直り出来ないんじゃないかって不安で仕方無くて、あまり寝れなかったの」


 だから目の下が少し黒いのか。

 俺の発言を糧に、暗い顔付きが太陽のように照らし変わっていく。暖かい笑みに、思わず俺も口角を上げてしま……やめとこ。気持ち悪がられるのがオチだ。そんな訳で停止させる。


「でも、昨晩あれだけ触れられてほしくない部分突いたのに、よく許してくれたね?」

「時間が経ったってのもあるけど、決め手はもしかしたら〝これ〟かもな?」


 口頭で伝えれば直ぐなのに、一種のものぐさが自動運転してしまう。

 弁当のおかず枠から黄色い物体を摘まんで見せると、マドカが小首を傾げた。


「玉子焼き……?」

「そ。リアは基本機嫌が良好なら大抵の過去は水に流してくれる、単純かつ寛大なヤツだからさ。アイツの好物のひとつでもある俺お手製の玉子焼きを朝食だけじゃなく、弁当にも通常の倍作って入れてあげたのさ」


 そのため今朝は気分上々を象徴してか『お兄ちゃん大好き!』と連呼してきた。

 クッソ嬉しかったしクッソ可愛かったしクッソ録音して目覚まし代わりにすれば良かったシスコンじゃないぞ。


「そうだったんだ。だったらソウちゃんに感謝しなきゃ!」


 マドカの表情が更に明るさを増す。先ほどまで蕾のままだった花が開いた現象に似ている。


「改めてリアちゃんが羨ましいなぁ。毎朝ソウちゃんのお料理食べれて」

「そうか?」

「うん。ソウちゃんの作る料理って、玉子焼き含めて全部美味しいもん」


 にこやかに言われた賛詞さんしが心に染み渡り、小恥ずかしくなる。パッとお世辞と捉えたが、マドカは俺の手料理を一度たりとも食べ残した経験は無い。だからこそストレートに受け止めてしまい、はにかんでしまった。


「お顔真っ赤だけど、どうしたの? 具合悪い?」

「いや……そんな面と向かって褒められたのなんて久し振りだったからさ……。そこまで言ってくれるのなら……食べるか……?」


 摘まんだ玉子焼きを差し出すと、マドカの目がわずかに開いた。


「え、い、良いの……?」

「ああ……。まだひとつ残ってるし、心配する必要は無いからさ……」


 リアの煽てに調子付き、本来は四つ入れるところを二つと、半分も持っていかれた。

 今頃ご本人は大量に詰め込まれた玉子焼きを前に、天使でも司った笑顔を浮かべているはずだ。余談も加えるなら、俺は玉子焼きで白米はどちらかと言えば一緒に食べない主義だ。

 米とともにするのは肉類か魚類、あとはキムチに限る。異論は求めん。

 だから玉子焼きが減ろうが、特別支障は来さない。


「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……」

「ほいよ……」


 申し訳なさそうにお弁当のフタが前に出される。箸渡しは基本禁止だからな。

 なのでその上に乗せようと。


「お、いっただき~!」


 した瞬間に鷹が獲物を上空から刈り取るかの如く、白倉が横から素手で掴み取っていった。


「お、おい!」

「あ~ん」


 取り返す余裕も無く、丹精込めて作った玉子焼きが女王様の口内へ運ばれていく。

 横取りされたマドカに視線を戻すと……こちらは大量殺人犯のような歪んだ口元と鋭い眼光を絶賛公開中です。こえええぇぇぇよおおおぉぉぉっ!


「え、何これマジうっま~!? モッキーが作ったの~?」

「そうだけど……」


 咀嚼しながら喋るな、行儀悪い。出来ればそれも演技であってほしい。


「はあ!? モッキーきもいだけが取り柄かと思ったら超家庭的じゃん! 明日っからアタシの分も用意してもらおっかな~。お昼代浮くし~」

「……お山の大将気取りもそこまでよ」


 発言と同時に冷気が漂い、喧噪けんそうが散る。腰を下ろしたまま、マドカのバーストモードが発動した証拠だ。


「は~? なに言っちゃってるワケ~。まったくのイミフ~」

「言葉を理解できないのなら学校にいる必要性がなさそうね。ここはある程度の知識を持った人間様だけが入れる神聖な施設よ。遊びたいだけのドブ猫さんはお仲間さんたちと野山で駆けずり回りでもしたらどうかしら?」


 お、今回は一味違うな。ブラスターモードだ。


「はあ!? じゃあなに。アタシは人間じゃないっつうの~?」

「あら、そこは理解できるのね。ごめんなさい、ドブ猫の生態系を随分下に見てたみたい。私も知識不足だったようね。あなたよりかは優れているけど」


 今日の幼馴染は波が荒れ狂っている。決着付けるつもりかな。

 やめて、被害が壮絶になっちゃう。街消し飛んじゃうって!


「あんたさ~……人バカにすんのも大概にしろよな……?」

「どの口が言ってるのよ……!」


 幾度となくお嬢様VS女王様の言い争いを間近で観戦してきたが、前例よりも格段にパワーアップしている。

 常時囃し立てる取り巻き連中も、場の雰囲気に乗って欠伸を漏らしたりスマホを操作したりと一切関与する余地が窺えなかった。


「は、つかモッキーの作ったもんなんか食べたらキモオタになっちまうし、元からいらねぇって思ってたから~!」


 口火を切ったのは女王様。どうしてかマドカに対してではなく、俺に被弾させてきた。それならさっき玉子焼き食べた意味は……。


「ていうかさ、毎度思うんだけど。モッキーからかってんのに何であんたが突っ掛かって来るワケ? もしかして~好きなの?」

「ええ、好きよ」

「……うぇい?」


 谷矢円香が口から出した返答を認識するのに、およそ三秒も費やした。

 後方のクラスメイトたちも私語を慎み、凍てつく静けさの中、現況を感付かない生徒の騒がしさが廊下からぎゃはぎゃはと迫る。


「うわ、マジのトーンとか気色悪……。キモくなったから保健室行こ……」


 口元に手を当て、嘔吐寸前のモーションを取った白倉が教室を去っていく。

 あれは演技だろうから、恐らくこれ以上戦っても埒が明かないと察し、退散を余儀無く選んだ。或いは口実を設けて午後の授業を逃れる魂胆のどっちかだろう。


 とにもかくにも、過去これまで室内が静まり返ったのは初だ。兵士軍の含み笑いすら皆無ともなると、注目される行為を取れば火種が降り掛かってくると読んでのスルースキルを発動していると考えられる。

 一方俺は、先ほど幼馴染が発した台詞に実感が湧かず、瞬きを一定のリズムで小刻みに繰り返す。目が乾くのも理由に入るが、雪景色のように真っ白に染まった脳内で、思考が働かない今、可能な行動がこれひとつに絞られているからだ。


「逃げたわね、情けない……」


 彼女の未消化な怒りが、文句に変換されて吐き出される。俺からの手出しはしてないにしろ、微量ながら胃が痛くなってきた。


「さ、邪魔者は消えたし、食べよっか」


 向き直る頃には、衝突前の暖かい笑みに戻っていた。大魔神かよ……。


「どうしたの、食べないの?」

「あ、えっと……その……さっきの言葉が引っ掛かって……さ」


 聞き間違いでなければ、マドカは確かに俺を〝好き〟と……言った……。

 この二文字が喉に詰まり、どう足掻いても飲み込めずいがいがする。

 仮にあの状況を乗り切るのに勢いで口にしたのなら、そう答えて落ち着かせてほしい。


「そのまんまの通りよ。私、ソウちゃんのこと大好きだから」


 表情筋ひとつ変えず、言葉をアップグレードさせ再度放ってきた。公衆の面前で堂々とですか……。だが油断してはならないぞ石森爽真。さあ、お前が次に返す台詞はこれだッ!


「それは……〝友達で〟って意味だよな……?」


〝好き〟には二種類の特徴『本気』と『遊び』があると、先月ネット記事で読んだ。

 淡い期待を持っても、女性サイドは飽くまで社交辞令での発言に過ぎず、恋愛感情無しなのが殆どだったりする。さっきの『好き』も遊びのカテゴリーに属しているだろうから、本気として受け止めてしまえば関係はぎくしゃく、友情は木っ端微塵、心火を燃やしてぶっ潰されてしまう。ほら、マドカも『え、そうだけど?』みたいな今更感を醸し出して心底呆れかえっているじゃないか。さ、夢を見るのは終わりだ。目を覚ませ。


「あ、あはは、そうだよな。こんな俺に惚れる要素なんてないもんな」


「…………なんで気付いてくれないんだろ」


 唇は動いているが声音は耳に届かない。よし、読唇術開始。なになに……。

『なに期待してるの、バカじゃない?』か。ぐうの音も出ないな。


「と、取り敢えず食べようか。はい、玉子焼き!」

「え、でも……」

「いいんだって。俺を助けてくれたお礼だから」


 それに空腹を満たしてあげれば話題も逸れて平穏な時間を取り戻せる。


「そ、そういう事なら、ありがと……」


 遠慮がちだったマドカも、最後は素直に食べてくれた


「やっぱり美味しい。私も毎日食べたいな~」

「じゃあ将来職に困ったら谷矢家の家政婦として雇ってもらおうかな」

「…………朴念仁ぼくねんじん


『気持ち悪い』……か。読唇術、通信で習得するんじゃなかったよ。


「ちっ」


 余計な特技を増やした状況に悔いていると、復活しながらも何処かぎこちない賑わいの中から舌打ちが聞こえた。

 それはマドカでも白倉でもない……新参者の音だ。


 ▲▲▲


「テメェそろそろ死ねよ……ッ!」


 かつてない暴言だ。

 昼食後に手洗い場を訪れた俺は、用を済ませて出てきたと同時に待ち伏せしていた村上に胸ぐらを掴まれ、開口一番にそう言い放たれた。

 圧倒的身長の差と握力の違いに、全身が自由自在に持っていかれる。

 五限目開始数分前という時間帯から、見物人はゼロ。恥辱は避けれた。

 ピンチなのは変わりないが。


「調子乗ってんじゃねぇぞキモオタが……」

「ち、調子……? 何のことかな……?」


 獰猛な顔付き、眉間に広がるシワ、恐ろしい眼力、人ひとりに圧を掛けるには充分な素材たちは陰キャの俺に効き目抜群。足の震えが止まらない。


「〝何〟が……? とぼけてんじゃねぇぞゴミムシ。幼馴染だか何だか知らねぇけど、これ見よがしにイチャつきやがって」


 彼が沸騰した基は、台詞を辿るに教室での出来事についてだ。『幼馴染』なる単語に有無を言わさずマドカが脳裏を過る。


「べ、別にイチャついてたんじゃ」

「喋んな殺すぞ」

「…………」

「返事は?」

「……はい」


 支離滅裂だ。喋んなとは一体……。

 そんな俺の心情など露知らず、イケメンが口を動かした。


「俺が谷矢さん狙ってたの知ってるよな? ぶっちゃけ今も狙ってっけど。特にカラダ」


 言う必要性がどこにあるのかと思わせる目的が告げられ、虫唾が一気に走る。

 マドカが執拗に軽蔑する理由がようやく分かってきた。


「そう考えるとお前ってスゲェよな。あんな乳を前にして手ぇ出してないんだからよ。なに、勃たないの? それともホモなの?」


 極端過ぎやしないか。大切な友達を性的な目で見れるかってんだ。


「つうか、んな情報知っても気持ち悪くなるだけだから答えてくれなくていっか」


 大丈夫だ安心しろ。元から答える気も無い。


「つうかよ、最近のお前なんか楽しそうなんだよ。そういうところもムカつくんだって。分かるぅ?」


 口先をやや突き出し、ガンを飛ばしてくる。

 こいつは驚いた……白倉以上の我が儘気質がご登場したぞ。

 世界は自分を中心に回ってるっつう理論か何かか。機嫌を取る為の道具じゃないんだぞ。

 他人の様子次第で感情の起伏を左右するなんて、環境の奴隷かよ。


「あとよ。先週からナズナがお前の〝きめぇ趣味〟弄らなくなったんだが……何かしたのか?」


 話題は自身が仕える女王様に変わった。やはり疑問視していたか。正直に明かしても散らかるだけだろうし、適当に誤魔化すしかない。


「な、何もしてないって……」

「許可なく喋んじゃねぇ、クセェんだよ」


 もう無茶苦茶だ。飼い犬じゃないんだぞ……。

 不満が蓄積されるばかりで、現在自分がどんな感情を表に維持し続けているのか把握すらままならない。


「ま、キモオタ扱き使ったり蹴ったりはいつも通りだからな。特に追及する必要もねぇけど、今後楽しそうな光景見せたら……」


 襟元を更に上へ引き寄せられ、足が数ミリ浮く。


「本気で潰してやっからな。そのガキっぽい脳みそにしっかりと刻んどけよ!」

 村上の迫力に冗談は混じってない。典型的な脅迫行為が、戦慄の種を植え付けてくる。

「ちっ!」


 胸ぐらが解放され、雑に放り投げられた。冷たい廊下に背中を打ち付け、苦痛を訴える。

 転倒時のディフェンシブには組手で慣れていたはずだったが、俺の運動能力じゃ実践には活かし切れなかった。


「ついでに、近いうち谷矢さんをオレの〝穴〟にする予定だから、邪魔すんじゃねぇぞ」


 咳き込んでいるだけでも惨めだなと自覚しているのに、追い討ちで村上は不道徳のセリフを吐き捨てて教室へ帰っていった。

 どうして……どうしてそんなモラルの欠けた言葉を発せられるんだアイツは……。

 イカれた人間性を前に、拳を強く握り締め、歯を食い縛る。

 今この瞬間にでも抵抗を起こせば親友を助けられるかもしれない。だが失敗したらどうする、と念が押し寄せてきた。安っぽい正義面を晒した代償は倍に膨れ上がる苦痛だけだ。

 でも放っておけばマドカが……等々、葛藤している内に不良生徒の後ろ姿が見えなくなった。本当に俺は……惨めで弱いな。

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