幼馴染vs妹

「くそがあああぁぁぁッ!」


 憤りを乗せた剛腕がクリーンヒットし、実に五十キロのサンドバッグが浮き上がった。

 目前の驚異的な破壊力に、話し掛けては危険であると暗黙のルールを作成する。


「リアちゃん、やけに苛立ってるね……。何かあったのかしら……?」

「緻密に練った計画が真っ白しろ助になっただけだから、気にするだけ無駄だ」


 ストレッチコーナーのシートに隣合って座り、マドカと雑談を交わす。

 ノベルトの落選悲報を受けて以降、夕食中も鑑賞中もリアの機嫌は右肩下降し続ける一方で、同じ空間に滞在する俺も息が詰まりそうだった。


 ついには募った苛立ちを解消せんとトレーニング室の利用を要求、渋々連絡を入れると二つ返事で容認され、ここに至る。寧ろ『来て』と言われた。寂しいのかな。

 最近になって使用頻度が高まり、谷矢家も習慣付いたのか現況は困惑の素振りもなく寛容に了承してくれている。


 一家の大黒柱を担うマドカの父親とも久し振りに顔を合わせ、普段は厳格さが一瞬で柔らかくなるあのギャップは、幾度と目にしても違和感を覚えてしまう。

 まあそれはそれとして、俺も第二十八話のアクションを練習したかったし、何より白倉に抱いたアホらしい感情を取り払いたかったから、ある意味好都合であった。


 マジックの鑑賞も残りわずか。終盤に差し掛かるにつれて人間関係も複雑になったり、初期よりも残酷な描写が増えるなど哀愁を漂わせてくれるも、しっかりと熱い展開も取り入れてくれる。


 悪く言い換えると主人公の死が刻一刻と迫り寂しさも湧くが、ラストには感動のサプライズが用意されてあるから待ち遠しいというのも素直な感想だ。

 今晩観たのが三十九話だったから、次は……。


「ソウちゃん、ひとつ聞いて良い?」


 自分の世界に入り浸ろうとした瞬間を、マドカに投網一本で引き上げられた。


「別に良いよ。どうした?」

「ここのところ、ホームルーム前に教室出ていく率が高くなってないかな。戻ってくるのもギリギリだし、放課後もよく残ってたりしているから、何してるのか気になっちゃって」


 質問の内容は、早朝の教室不在についてだ。

 白倉がマドカとの衝突を避けんと手法を変更し、メールで俺を呼び出すようになってから教室を後にする回数が増えた。


 退室の都度、行き先を聞かれれば曖昧に流すを繰り返し行ってきた日々だったが、その適当さが災いに発展。追加で放課後の会合についても疑問を持たれた。

 敵視する白倉薺とお話してます、なんて軽々しく漏らせば関係性を更に追及される。


 実は特撮仲間だったんだと言うには困らないが、面倒事は巻き起こるだろう。

 推測出来ているなら、真面目に解答する必要性は無い。

 濁せるだけ茶を濁すだけだ。


「別に気に掛ける事でもないって。ちょっと散歩してきてるだけだからさ」

「散……歩……。三度の飯よりも座るのが大好きなソウちゃんが?」


 幼馴染の視点から俺ってそう捉えられていたのか。

 耳にしたくなかったイメージに凹んでいると、俄かに信じ難いと言わんばかりの目付きで顔を寄せてきた。


「ねぇ、本当にただのお散歩なの。何か隠してない? 嘘とか吐いてないよね?」


 ここぞとばかりに捲し立て、追い詰めてくる、

 今夜の彼女は積極的。月九のタイトルかな。


「ひょっとして、あの女からこっそり呼び出されて集られてるとか、そんなのに巻き込まれてる訳じゃないわよね……?」


 おまけに勘も鋭く、恐喝じゃないにしろ該当人物の言葉選びに全神経電流染みた衝撃が走る。身体って正直だな。今のでバレたか……いや、まだ大丈夫そうだ。


「ねぇ、どうなの……?」


 マドカの畳み掛ける尋問は快速電車並みに停まらない。

 数ミリ単位までの接近に一度息を飲み込んでから答える。


「お、落ち着けってば。本当に散歩だよ……」

「嘘ね」


 看破が早い。推理ドラマなら一時間持たないよ。


「ソウちゃん嘘吐く時、右目寄りになる癖があるんだもん。もしかして、自分で気づいてないの?」

「な、嘘だろ!?」

「お間抜けさん発見」

「あ、騙したな……」


 鎌掛けにまんまと嵌められ、口を滑らせてしまう。

 引っ掛けてきたマドカは〝狙い通り〟と言いたげに『ふふっ』と蠱惑的な笑みを浮かべた。


「騙されるほうが悪いんです。さ、本当のこと言ってちょうだい。最近どこで何してるの?」


 刑事の取り調べを彷彿とさせる淡々とした聞き出し方と迫力に圧され、息が詰まる。

 次も虚言吐いたら殺されそうな勢いに身が強張った。


「おぉい、そこの夫婦ぅ。イチャつくなぁ」


 の、タイミングで一通りストレスを発散させたリアが汗びっしょりで近寄ってくる。

 御助け舟、と言い掛けたが不要な表現が入り混じってあったから泥船に変えてあげよう。


 恐らく妹の魂胆は定番中の定番『だだだ誰が夫婦だ、誰が!』と焦る兄を嘲笑いたいだけに違いない。その手に乗るものか。


 俺は口を閉じ、無視を決め込む。マドカも指摘したら負けだと察してか、沈黙する。

 顔が真っ赤なのは、我慢しなければならない抑制から生じる忍耐の蓄積が起こした症状だろう。間違いない。俺の勘もたまに冴えたりするからな。


「反論しないってことは認知したのねぇ」

「ちがわい!」


 即効で根を上げてしまった。作戦は失敗。

 どう言えば俺が条件反射でツッコむのかをしっかりと把握してやがる。恐ろしい妹だ……。


「…………リアちゃん、ありがと!」

「…………ウェイ!」


 おい何だそのハイタッチは。結局ツッコんだから計画通りのハイタッチってか?

 くそぉ、こっそり組んでやがったな……。


「ところでさぁ、ちょこちょこ話の内容聞こえてきたんだけど〝あの女〟って誰のこと差してんのぉ?」


 話題が変えられると、途端にマドカが顰蹙(ひんしゅく)する。陰湿なものが漂い始め、口を開くべきかと迷う。


「二年B組のお高くとまってる我が儘女王様よ」


 俺の代わりにマドカが答えてくれた。すると一度首を傾げたリアだったが、直ぐ様閃く素振りを見せてくれる。よく分かったな。


「あ~ナズちゃんねぇ。そいえばさぁ、最近のナズちゃん付き合い悪いって周りの先輩たちが愚痴ってたんだよねぇ。男出来たんじゃないかって説あったなぁ」

「ふぅん。あの女に恋愛感情を抱くなんて、物好きな紳士がいたものね。恐らくマゾか変態、それか物好きよ」


 マドカの語調は強く、本人不在でも敵対心を剥き出しに不満を垂らしてきた。

 真実を知る分、複雑な感情が渦巻いて愛想笑いもままならない。


「ナズちゃんもよくマドちゃんのこと『女狐』って呼んでるけどさぁ、二人って仲悪いの?」

「明らかな愚問ね。アナタのお兄ちゃんをクラス中で笑い者にしてる張本人なのよ。妹として何とも思わないの?」

「別にぃ。ウチはウチで可愛がってもらってるからねぇ」


 対岸の火事視の考え方ってやつか。至って間違っていないし、寧ろ賢明な選択と言える。

 中途半端な正義感で下手に庇って、自分も痛い目に遭うのは損でしかないからな。

 だから妹の現環境には満足と言えば満足している。俺なんか二の次だ。極力リアには楽しい高校生活を送って卒業してもらいたい。家族としての唯一の願いだ。


「それにさぁ、笑われるって分かってんなら学校での趣味を抑えればいいだけなんじゃないのかなぁ。家帰れば好き放題できるんだし、周囲に適応すればいいと思うんだよぇ」

「どうしてこっちが我慢しなければならないの。変だと思うなら関わらなければ済む話じゃない。わざわざ指摘してからかってくること自体が既に幼稚な行為なのよ!」


 リアの意向にマドカが反発する。冷静な口調ながら、言葉の端々に怒気を孕んだ重みのある発言だ。


「趣味は人それぞれなのよ。それが相容れないからって差別を生んで、優越感を得る為だけに支配下に置いてストレスを発散させる。そんな身勝手な理由でソウちゃんは……アナタのお兄ちゃんは……あの女に囃し立てられたり暴力を受けてるのよ。本当に最低よ……あのドブ猫は……ッ!」


 ここぞとばかりに啖呵を切り、段々と語気を強めた。はっきりとした嫌悪が窺え、二人の溝は今後どう人力を尽くしても修復不可な状態であると物語っている。

 けど、その身勝手なストレス発散を、白倉も受けてきた。今でも彼女が訴えてきた〝浮いた趣味による虐め〟の苦痛に満ちた表情は覚えている。


 だからこそ伝えたいのだが、信じてもらえる状況下ではないから躊躇ってしまう。

 運動器具がずらっと並ぶ広いトレーニング室に、怒声の余韻だけが残った。


「……ねぇ。あんまりナズちゃんのこと、悪く言わないであげて……」


 呼吸も一苦労な空間内にて、リアが反論の意を示す。

 焦点は真正面じゃないにしろ、眉の形状から憤りを感じているのは理解した。


「リアちゃん、なに言って……」

「ウチは兄貴と違って何も言われてないからあれだけどさぁ……。ナズちゃんって友達想いだしぃ、後輩のウチにも優しく接してくれたりするからぁ、ぶっちゃけお姉ちゃんみたいだなって思ってるんだよね……」


 淀みなく語る妹に、幼馴染の顔が硬直する。普段は場の雰囲気を読んでくれるのに、他人の陰口に目くじらを立てるのは非常に珍しい光景だ。


 しかもお姉ちゃんか……。以前不仲な姉がいるとは聞いていたが、反面的に年下には面倒見良くする傾向が白倉にはあるのだろうか。

 気にもなるが、今は空気が張り詰めてそれどころじゃない。


「だからさぁ、ナズちゃんの悪口は」

「黙りなさい……」


 冷酷な声が響き、会話を遮った。

 スッと立ち上がったマドカの横顔には見覚えが……白倉を睨む際の顰めた顔だ。


「あんなのがお姉ちゃん……笑わせないで。そしたらリアちゃんは実の兄が苦しんでいる状況を許すって言うの……?」

「そ、そういう意味じゃ……」


 吐き出される台詞には冷気でも追加されているのか、綺麗ながらに肌を刺す。

 先ほどの威勢が削り取られたリアも、しどろもどろに目を泳がせる。


「いいこと。どんなに優してくしてくれても、一人を傷付けている事実には変わらないの。アナタが慕う白倉薺は、校内では上でも社会的には低辺以下の存在価値なの!」


 鞭のように頬を打つその声は、緊迫感を数秒で作り上げた。

 寒さに加え、身震いも起こす。言葉で殴られているみたいだ……。


「むぅ……そこまで言わなくてもいいじゃん。マドちゃんのバァカ!」

「なんですって……」


 負けじとリアも反抗を試みるも、マドカの勢いも止まらない。


「や、やめろって。二人とも落ち着けよ!」


 情けなく唖然としていた俺もさすがに行動を取り、間に割って入る。

 妹と幼馴染の喧嘩なんていつ以来だろうか。

 何れにせよ、俺の不在理由をしつこく咎められず逸れて助かった。別の方向には散らかったけども……。


「デカ乳だけの乳牛女!」

「ちびちんちくりんのチビ助!」


 険悪なムードに従い、互いが幼稚な罵倒で言い争いを開始する。

 こういうごちゃごちゃしたのは、好きになれない……。

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