ダブルブッキング

 日曜の朝八時。

 俺の頭は多くの考えで混雑し、集中力が限界近くまで伸び切っていた。


「こんな事って有り得るのかよ……」


 話はだいぶ巻き戻って午後八時。

 マドカの異常な様子が引っ掛かり、訪問を決意して準備を整えた。しかしリアから、頭に血が上った相手の元に押し掛ければ、却って逆上させてしまうと止められる。

 一時は素直に飲み込んだが、数分後は腑に落ちない後悔が続いた。


 何度もメールを送るも既読は付かず、電話を掛けてみたが全て不発。

 交換条件を覚悟にリアに頼み込むが、拒否の一点張りで取り持ってくれなかったのは言うまでもない。気持ちが晴れずモヤモヤは次第に蓄積され、通常よりも一時間早く床に就いたのに気付けば時計の長針は四周し、二時を示していた。

 深夜遅くまで寝むれなかったのは実に何年振りだろうか。

 だが悩みを引き摺っても解決はされないと自制心を強め、睡眠に徹した。まずは寝よう。


 ふと先週の医療番組で紹介された不眠時のリラックス法を試すと、胸騒ぎで削られていた睡眠欲は徐々に膨張し、意識が朦朧とし始めた。

 混乱の引き金に指が添えられたのは、その四時間後。静寂な空間に震動音が鳴り響いた。


 鉛のように重たい瞼を抉じ開け、枕横に鎮座するスマホを引き寄せ起動させる。

 微睡む中でも、【谷矢円香】の名前が鮮明に読み取れ、自然と笑みが零れた。

 トーク履歴には、十個ほど小分けにされた文章が羅列する。まさに連射だ。

 繋ぎ合わせて要約すると、昨日マドカは俺との外出を望んでいたものの、既に家を出ていた為に出先で会えるのではないのかと期待していたそうだ。しかし望みは叶わず、孤独感から苛立ちが募り、つい我を忘れて不機嫌を露わに昨夜は辛く当たってしまった。という流れだ。

 そんな身勝手な理由を反省した上で謝罪が送られ、お詫びとして。



 ≪今日の十時、映画観に行かない?≫



 お誘いをいただいた。当然、断る理由など無い。

 丁度スケジュールも空白だったし、俺は『良いよ』と送り返す。

 時間帯を逆算し、もう一時間ゆっくり過ごせるところまでは良かった。そこからが悲劇だ。

 休日特権の二度寝をかまそうと瞼を閉じて数分後、またもやスマホが震動した。



 ≪今日の十時、映画観に行かない?≫



 この時の俺は頭も視界もぼんやりしていた。差出人なんて見ていない。

 ただ文章は丸っきり同じで、マドカにしては珍しい誤送信かと捉えた。

 そこで無視すればどれだけ平和に終わったか……。

 何故か意地悪な思考が芽生えた俺は、からかってやろうと同じ返事を送った。

 その安易な行動がトリガーを引くとも知らずに。


「こんな事って有り得るのかよ……」


 大事なことなので二回言ったまで。一通目の映画の誘いは、確かにマドカだった。

 問題は二通目、送信者の名前に顫動せんどうが背中を駆け巡る。



 白倉薺 ≪今日の十時、映画観に行かない?≫



 目を疑った。あまりの意外さに呼吸が狂う。

 内容は分かるが、普通文章まで被るか? 一字一句比較するも、違いが無いのは事実。

 驚異のシンクロ率と、見定められなかった自身の爪の甘さに呆れ、まずは目の前の課題に向き直る。

 時間帯は両者とも十時。集合場所は映画館現地。

 現在の起床時間が八時十七分で、今から支度を済ませて出れば予定の一時間待ちは余裕。


 大きなハードルはそこからだ。了承した手前、誘いを断る訳にはいかない。

 マドカなら関係は以前よりも悪化するだろうし、白倉なら学校での虐めがエスカレートするのは確実。だから俺は賭けに出る。

 どちらかを先に探し当て、最初に会った側の入場時刻を遅らせてもらう。

 理由は正直に。ただ双方の名前を口走れば二人ともご立腹状態になるのは目に見えている。ならばどうするか……『友人とのダブルブッキング』と濁して装う。


 メールでも良かったが、焦燥感で正常な文章がまとまらない今、口で説明したほうが早い。

 無論、失礼に値する要望だから詫びる形の想定は承知の上。

 マドカはお洒落な店をよく好むから、財布がギリ息できるお高めのレストランをリサーチしておこう。

 白倉は未所持のマジック関連グッズを聴取して、財布が心臓マッサージで息を吹き返せる程度に買い与えるのが得策だ。

 金で解決するのはいささか名案ではないが、慌てている現状これしか思い浮かばない。


 他に要求があれば、納得してもらうまで話し合うのが妥当だ。

 幾つも押し寄せてきた神経を鎮め、平穏さを取り戻す。

 とにもかくにも、早々に身支度を済ませて直行しないと。


 ▲▲▲


 映画館に着いたのは指定時間の一時間と六分前。

 日曜日ともあり、館内は鈴なりに混んでいた。

 人波を見渡し、それらしい人物がいないかをチェックする。


「あ、ソウちゃ~ん!」


 探し当てる前に、聞き覚えのある愛称が耳に届く。さすがマドカ。俺よりも数倍早い。


「…………ッ!?」


 声を頼りに前方を向くと、呼吸を忘れるほどに見入ってしまった。

 赤のロングスカートと白のニット、モカブラウン色のコートを羽織った組み合わせは、春らしさに加え大人びた風貌を醸し出している。

 黒のベレー帽が申し分無く似合い、可愛さをより引き立たせていた。


 数ヶ月振りに見るマドカの私服姿は、余裕のドストライクゾーン範囲内だ。

 その美貌に圧倒されたのは俺だけじゃない。

 若者、中年、老人、家族or彼女連れ……多種多様の男性陣半分以上から脚光を浴びていた。

 群衆に抗う容姿端麗さから、知り合いと名乗るのがおこがましくなる。


「ソウちゃ~ん♪」


 しかし俺の感情とは裏腹に、幼馴染が満面の笑みで手を振り歩み寄ってきた。

 男性陣の一部は美少女の行く先が俺であると素早く察知すると、ジェラシーの視線をボウガンの如く向けてくる。

 羨ましいか、羨ましいのか。こちとら気が気じゃないんだよ。


 せっかく早く来てくれたのに、今から入場時刻を遅らせてもらうんだぞ。

 自業自得? 知ってるよ。自分で蒔いた種なのは百も承知だ。

 だけどな、平和な解決法としてはこれしか手が無いんだって。

 こんなクズ男でごめんな、マドカ。

 キミなら分かってくれるはずだ。お洒落なレストランで許してくれ。


「どうしたのソウちゃん。そんな暗い顔して?」

「あ、その……マドカ。ごめん!」

「お~い、モッキー。遅いよ~!」

「……………………ソウちゃん?」


 異常事態発生。異常事態発生。白倉薺も同時に出現。

 服装は昨日とまったく同じ、ってそこじゃない。

 ちょっとアナタたち。俺が言うのも何だけど、予定よりも早過ぎるって。

 しかも何でまた被るの。リハーサルでもしてましたか。


「どうして……あなたが……」

「女狐……何でここに……」


 互いを認識後、双方表情と動きが硬直する。

 世にも奇妙な光景……お嬢様と女王様が休日に会合してしまった。


「ソウちゃん……どういうこと……?」


 マドカの眼光がレーザー光線となって射出され、腹部に五百円玉サイズの風穴が開けられる……感覚を味わった。

 怒るのも無理はない。自分が敵視する相手とのダブルブッキングをしてしまったのだから。

 反省の準備は出来ている。さあ、謝罪タイムだ。


「ごごごめめめんんんなななさささ!!!」


 出だし失敗。思考回路と口元が仲良くバグった。

 素因数分解を数えて落ち着かせる暇も無い。幼馴染から滲み出る覇気を数名の利用客が感じ取り、俺たち三名を上手く避けて無関心を演じている。

 暗黙の了解からなる統率されたこのフォーメーションを名付けたいところ。

 現在そんな余裕ありましぇん。


「ねぇ……ハッキリと説明して……」

「あ、え、その……」

「アタシが誘ったんだよ~」


 台無しとなった計画を一から立て直すべく奮闘を重ねていると、白倉が我先に返答した。

 嘘偽り無しだが、拍車をかける要因には変わりなくマドカの眉がぴくっと動く。


「何ですって……?」

「え、白倉」

「…………いいから黙ってて!」


 右肩をぐいっと降ろされ、耳元で囁かれる。

 思惑は不明だが、自分では誤魔化し切れない状況を彼女に任せるしかなさそうだ。

 にしても、距離が距離だから吐息が掛かってその……気持ち良かった。


「どうしてあなたが……ソウちゃんを……?」

「あ~? 突然映画が観たくなったからだよ~」


 目くじらを立てながらも冷静になるマドカに、白倉は校内での喧嘩腰スタイルで応戦し始めた。演技か、単に本気で相手をしているのか。

 ひとつ言えるとしたら、俺のピンチを察して助けてくれたのは確かだ。


「だったら一人で来ればイイじゃない……」

「だって今アタシ金欠なんだも~ん」


 エゴイスティック満開な発言に、血管の切れる音が何処からか響いた。

 目前の気品溢れるお嬢様からじゃありませんように……。


「あなたの金欠と彼に、一体何の関係があるって言うの……?」


 喋る毎に冷気が感じられ、この場を中心に五メートル範囲に居る者は凍る沈黙と思わぬ重力に苦しめられているだろう。大丈夫、俺もだ。


「え、あんた知らないの? モッキーはね、アタシの財布なの~」

「財……布……?」


 額に三組一セットである『く』の字の青筋を張らせ、目じりを吊り上げ、唇をひん曲げる。

 誰彼構わずいさかいに誘う攻撃的な目付きに、両足がガクブル震えた。


「それに、逆らおうものなら月曜からもっと酷くしちゃうかもしれないからね~」


 尚も女王様の猛攻は止まらなかった。

 芝居で言っているにしろ、敵対心を持っている相手に豪語しているから本心かは不明だ。

 こんなに使い分けなきゃならないなんて、白倉も大変だな、


「というワケで、残念だったね女狐。せっかくのおめかしご苦労様~」


 決着を付けんとばかりに、最後はマドカの努力を蔑むパワーワードを発射した。

 あまりの非動さに、これから映画を楽しもうという群衆のテンションが一気に下がる。


「モッキー。行くよ~」


 袖を掴まれ、半場強引に引っ張られる。引力には逆らえず、足が動いてしまう。

 当の原因を作った俺はというと、二人の勢いに押されて言葉が出てこなかった。口の中で舌が膨らみ、塞いでいる感覚を味わう。


「ちょっと待ちなさい……」


 棘の含まれた声が低いながらも響き、白倉の歩行が一瞬で止まる。

 振り向いた先には、憤怒の炎で焼き尽くさんばかりに怒る恐ろしいマドカが映った。


「そんな理由で納得するはずないでしょ……。私だって約束したのよッ!」


 黒目を小さくさせながら、ホラー映画さながらにゆっくりと接近してくる。

 すると、解放状態の左手がぎゅっと掴まれ。


「だから、渡さない!」


 右方向とは反対に引っ張られた。いった!? ちょ、いった!?


「な、何だよ女狐。離せよ!」

「あなたこそ離しなさい。このドブ猫!」


 どちらも諦めず、俺をロープに見立てた綱引き大運動会が主催者不明で行われた。

 説明するまでもなく、人々の目が一斉に注がれる。

 民衆よ、羨ましいと思うか。実際はくっそ痛いぞ。もはや拷問だよ!


「ふ、二人とも。い、一旦落ち着いてててっ!」

「あ……」

「ごめんねソウちゃん!」


 ダブル貴族は優しい心の持ち主で、痛さを考慮してか試合を中断してくれた。

 千切れる寸前まで身体が悲鳴を上げたのは初めての体験だ。


「あなたが無理に引っ張るからいけないのよ!」

「そりゃそっちもだろうが!」


 だが今度は袖を掴み合いながらの口論が始まる。

 これはこれでラブコメ展開として非常に嬉しいが、学校外……しかも公共施設では環境的にきつい。更に年端の行かない初心うぶな子供に、この光景は刺激が強過ぎる。

 これ以上恥を晒す訳にはいかず、咄嗟に思い浮かんだ提案を慎重無しに口にしてみた。


「あ、あのさ……」

「「なに!?」」


 キミたち実は仲良いでしょ。こんなに綺麗に重なるってこと無いよ。

 ツッコミは置いといて、本題に入る。


「さ、三人一緒に観るのは……どう……かな……?」


 我ながらナイスとは程遠くバッドとも捉えられないアイデアに嘆かわしく感じるが、双方の時間も奪わず解決する手段はこれしか見付からない。


「冗談言わないで。こんな女といるなんて真っ平ごめんよ!」

「アタシだって!」


 否定的意見は見事に一致。おまけに両腕を組んで隣同士とは反対の方向に首を動かし、不満の声を漏らしたタイミングもバッチリ。息の合ったコンビネーションだ。

 オーラに押し潰されそうになりながらも、お嬢様と女王様に説き伏せてみる。


「だ、だけどさ、俺の身体はひとつだし、片方優先するともう片方は単独鑑賞になるからさ。みんなで観たほうが寂しくも無いし、楽しいと思うんだよね……」


 大勢集まれば楽しい。一部の人間は好ましくないだろうが、俺にはこの解決方法しか見当たらない。平和的解決に賛同してくれるか……期待したいところだ。


「「それでもヤダ!」」


 コンマ一秒で裏切られた。しかもタイミングまで合わせてきよったぞ。


「じゃあ今日は諦めて、解散する……?」

「「それもヤダ!」」


 アンタらやっぱ仲良いだろ。ならば隠し玉だ。


「だったら……チケットにドリンク代、それに昼食も全部俺が持つからさ。今回は我慢して一緒に観るって流れにしてもらえないかな……?」


 要はデメリットが重複しなければ良いだけの問題だ。

 嫌いな相手以外に、金銭が掛かってくるなら互いにプラスにはならない、

 ならひとつでも半分のデメリットを俺が受け持って解決できるなら、実行するまでだ。


「お、ご飯も奢ってくれるの? さすがモッキー、そうこなくっちゃ!」


 白倉は賛同してくれた。うん、お前はそろそろ遠慮しろ。

 昨夜のジュースだって結局買ってもらってないんだからな。


「マドカは……どうだ?」

「そ、そこまで言うなら別に構わないけど、無理してない? ドリンクだけでも大丈夫よ」

「へ、平気だって。事の発端は俺なんだし」

「そ、そう……? じゃあ、お言葉に甘えて……」


 思い切った案の提供から二名の怒りはようやく静まり、映画館内は先ほどの賑わいさを取り戻してくれた。

 さあて、ATMから貯金の七割下ろしてくるか……。

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