幼馴染は怒る
外に出ると、インクをぶちまけたかのように景色が黒く染まっていた。
青から赤、最後に黒くなる空の現象を今更ながら改めて不思議に思う。
「何も見送りまでしなくて良いのに」
上を見据えていると、白倉が隣から消極的な態度を取ってきた。
「いやさ、こんなに暗いだろ。さすがに女の子ひとりはどうかと思って……」
心配症や独善的と揶揄される恐れはあるが、このご時世『絶対有り得ない』は有り得ない。
マドカとリア、俄かに信じ難いが母さんも不審者に遭遇した経験談がある。
被害は精々尾行のみで、肌への接触や金品要求でなかったのが救い。マドカはその場で交番に逃げ込み、リアは機転を利かせ『おっかない先輩(白倉グループ)』への武勇伝を傍聴させた嘘通話、母さんに至っては全治十年のケガを負わせたのみで済んだ。
最後に関してはどっちが被害者なのか疑ってしまうレベル。お咎め無いのが奇跡だ。
とにもかくにも、身内だけでなく友人も遭っていると聞いていては黙っちゃいられない。
対処できるかは不明だが、少しでも確率が減ってくれるのであれば願ったり叶ったり。その行動のひとつに過ぎない。
「ふ~ん……清々しいほどの人思いね」
「そりゃどうも」
褒められた気がしない。
「それかもしかして、アタシに好意持っちゃった?」
高速で回れ右をしたくなった。自動車なら逆走もいいところだ。
「調子に乗るな。ついでにジュースの奢りも兼ねてだ」
「な~んだ、つまんな~い」
とは言いつつも、険悪なムードは生まれなかった。
からかわれるのは好きな方ではないが、ある程度お互いの信頼性というのか、心を解放してあるのなら多少は許せるし流せる。
つまり、俺が白倉薺を受け入れつつある訳だ。
入学当時は尊い存在と認識し、罵倒をかけられてからは煙たく感じ、今は友達と捉えている。
数日間の短いスパンで、彼女と親密性が深まったのは高校生活において一番のどんでん返しだろう。しかも自室にまで招き入れ、おまけに限定品を貢ぐときた。
だが決して今まで受けてきた虐め及び嫌がらせの数々を、綺麗さっぱり忘れる意味には繋がらない。遅かれ早かれ彼女には罪を償ってもらう予定だ。具体的な案はまだ考え中だけど。
「どうしたの、すっごい怖い顔しちゃって~?」
「え、あ、ごめん……」
考えに耽っていると、横から顔を覗き込まれた。思わせぶりな行動に目を背けてしまう。
「あれ、モッキー君じゃねぇかよ?」
直後、いかにも人を小馬鹿にしたような声が背後から聞こえる。振り返ると、村上がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「…………」
兵士・隊長枠の登場に、女王様は深く被っていた帽子を更に深める。
暗さも相まって、向こうは俺しか視認してない様子だ。出来れば『人違いです』と去りたいが、そんな誤魔化しが通用する相手でない事は百も承知。気兼ねなく挨拶しておこう。
「や、やあ……奇遇だね……」
「うっせぇキモいんだよ」
メンタルHP残り一。気合の
追い討ちで付添人が『ぷふっ!』と吹き出す。いや笑うなよ。
「にしても、休日にお出掛けなんて、キモオタにしては珍しい光景だなぁ?」
「そ、そうだね。偶々、用があったから……さ」
「話すなクセェんだよ」
どうすれば正解なの……。無言がお好み?
でも絶対『何か喋ろ』って無茶苦茶言ってくるのは猿でも分かる。
取り敢えず、罵倒返答覚悟で会話を成立させなければ。
それよりも。
「ぷふ、くふふふふ……!」
白倉さん笑い過ぎ。自分を守る為とは言え、ちょっとは援護してくださいよ。
「つうかさ、隣の子……誰?」
含み笑いが注目を集めたのか、村上のターゲットが変更された。瞬間、白倉の笑いは嘘のように一瞬で止まり、硬直し始める。あからさまではなく、徐々に徐々に顔を俯け、帽子を視界のメインにする作戦に出ようとしていた。名案だが、反面帽子引っぺがされたら終わりだ。
その時は殴られると腹を括って止めに入るしかない。
えぇっと……口内出血と鼻血に百円。誰と賭けしてんだ俺は。
「顔見せてくれねっつう事は、ブス確定だな」
手は出されなかったにしろ、余計な一言が浴びせられる。
こいつ、初対面の相手に、しかも女性に向けて言うのか……。いや状況的に初対面じゃないから別に良いけど。いやいやいや、良くないか。落ち着け俺。
「でもまさか、キモ~いキモ~いモッキー君が、他の女の子と一緒にいるなんてなぁ」
「は、ははは……」
あのさ……逐一相手の感情を逆撫でしないと死亡する病気にでもかかってるのか。
俺だって人間だし、拳を握るぐらいの苛立ちは感じたぞ。振るう機会無いけど。
「今日の谷矢さんが知ったら、悲しむだろうなぁ」
「え……『今日』の?」
「ああ、昼頃に街中で見掛けてよ。暇潰しにナンパしたらオメェと待ち合わせしてるって、強く睨まれたから諦めたのさ」
俺と待ち合わせ、そんな約束してないよな……。
恐らく村上を避ける為の口実だとは思うが……あとで連絡してみるか。
もし本当に約束事があったら立派な背信行為。家に直行して土下座タイムだ。
「ま、元からオッケーもらえるなんて思ってなかったけどさ」
人が別で意識を集中させている中、淡々と話が進められる。口の動きから、まだ続きそうだ。
「でもよぉ、てめぇがその気なら、オレが彼女を可愛がっても良いんだぜ?」
距離が縮められ、俺を照らしていた街灯が隠された。
鼻息の掛かる至近距離まで顔が寄せられ、音量を絞ったイケメンボイスが鼓膜を震わせる。
本能的に逃げ出したい背筋の凍る状況ではあったが、そこはぐっと堪えた。
というか〝その気なら〟って、どういう意味だ……。
「あの女、口はうるせぇけどヤラしい身体付きしてっから、良い〝穴〟にはなってくれそうだよ……」
「……ッ!」
両目に力が入る。マドカという唯一無二の親友を傷付ける言葉もそうだが、何より女性を下劣に比喩する部分が引っ掛かった。異性を尊重としない、畜生以下の考え方だ。
「あっはっはっはっは!」
ケガを負う危険性も顧みず睨むと、村上が高らかに笑い出した。
心の底からのせせら笑いは、近所迷惑も甚だしいボリュームだ。
「モッキー君てば本気にし過ぎ~」
若干傾けられた腰を伸ばし、先ほどの定位置に距離が開く。あ~、気分悪かった。
「でも、事実は事実だからな。なんかあったら言っちゃうかもねぇ?」
最後の最後で脅しと捉えられるような違うような台詞を残し、俺たちの横を通り過ぎて行った。可能なら目で追って睨み続けていたかったが、胸糞悪くてままならない。
照らされた地面から目が離れず、立ち尽くす。
「アイツ……最低……」
ようやく喋り出した白倉の開口一番は、取り巻きへの失望だ。
いくら自分を慕う側にしろ、失言の数々は女王の反感を買ってしまった。
水と油な関係である前に、同じ女性としてマドカの立場を汲み取ってくれたに違いない。
これは逆に、マドカと白倉が結託する方向に持ち込めるかしれないぞ。
「マジであったまきちゃう。誰がブスよ!」
あ、そっちっすか……。
「智也め~……月曜会ったら早朝からイビり倒してやるんだから!」
拳をわなわなと震わせ、今後の予定をセルフで発表してくれた。
非常に有り難いんだが、その分の八つ当たりが俺に来るだろうからやめてほしい。
「つうかアイツ、隙あらばまだ狙ってんだ」
「『まだ』って……どういう意味だ?」
「モッキー知らないの? 智也って、去年何回も女狐に告ってたんだよ」
…………は?
「初耳なんだが……」
告白は何回も受けたと本人から報告はされたが、誰とは聞かされてなかった。
一応候補の内のひとつには挙げていたが、該当してたなんて……。
「あんな一緒にいるのに。ていうか、何度も何度もアタックしてその都度フラれたって噂で校内盛り上がりだったじゃん!」
「興味の無い事は基本筒抜けだから……」
「かぁ~、信じられない」
両腰に手を当て、半軽蔑の眼差しを向けられる。
いやまあ、確かに幼馴染枠なら色恋沙汰を把握してなければならないと創作物では鉄板な要素だけども……現実でそれは気持ち悪いと思うぞ。
と、ここで少し記憶を戻す。
「だけど村上って、一昨日辺りマドカのこと殴りそうになってた気が……」
「そりゃそうよ。アイツって一度嫌いになると容赦ないから」
「は? それなのに狙ってるのか?」
情報量が渋滞して訳わかめだ……。
「今は身体しか興味ないんだって。この前恥ずかしげも無く言ってた~」
呆れた態度に加え、同性がそう見られていた事実に何も不満を感じないところから、本気でマドカに興味が無いと悟る。他人への無関心がよく分かるお手本だ。
「前はキツい性格含めて好きだったらしいんだけど、最後告って撃沈した際につい〝誰かさん〟の悪口言ったら血相変えて大激怒したらしいのよ。そこから双方怒鳴り散らしのぶつけ合いで、嫌いになったんだって~」
え、言葉が汚いからが先じゃないのか。
どうして俺には嘘吐いたんだ。友達を酷評されたから取り繕えないところまで来たとか、俺でも充分に理解できるし納得できるのに。そもそも。
「誰かさんって……誰なんだ?」
「さ~ね。アタシも覚えてな~い」
う~ん、謎の人物か……気になる。
▲▲▲
リアが帰宅した時間は午後七時五分。友達と映画を観てきたらしい。
夕飯はまだで、ご要望からパスタを茹でるよう命令もといご指示を受けた。
「…………我が家にも女王様が」
「何か言った……?」
殺気。
「ヴェ! 何も!」
ソファーから滲み出るドス紫色のオーラと敵意に満ちた気配が消えた。
細心の注意を払って呟いた音量を聞き取られるなんて……閻魔様の耳でも千切って持ってきたのか疑う地獄耳だ。
この前の瞬間移動に加え、度重なる妹の能力に戦きつつ母親のも含めて3人分の用意に取り掛かる。妹は能力者? なにその在り来りなタイトル。
「ところでさぁ。朝早く出掛けてたけど、何処になにしに行って来たのぉ?」
「スタンプラリーしに色々回ってた」
「えぇ、またやってきたのぉ?」
寝そべっていたリアがテレビそっちのけで起き上がり、キッチンに立つ俺に向き直る。
「何であんな疲れるイベントやってきたん? 特典もらったじゃん」
「友達が参加したいって言うから手伝ってきただけだ」
「とも……だち……?」
意図的とは程遠い本気の驚愕だ。
「それって……マドちゃん?」
「違う、別の人」
ぱかっと口が開かれた。キミいい加減にしなさい。
「ボッチで虐められっ子の兄貴に……マドちゃん以外の友達とかいたの……?」
いらんワード二つ加えてダメージ与える必要あった?
「因みに……誰?」
「県外の友達」
「けんがい……?」
さすがに妹が属するグループのリーダー様なんて口が裂けても言えない。
多少の濁しは否めないが、白倉は前に県外から引っ越してきたって言ってたし、実質間違ってない。ウン、ダイジョウブ。
「もしかして、オフ会的なヤツぅ?」
良い感じに解釈してもらえた。これで押し通す。
「そう、それ」
肯定の態度に出ると、『なるへそ~』と納得してもらえた。
滑らかにソファーに寝転がり、妹の姿が背もたれで再び見えなくなる。
何はともあれ、変に勘ぐられなくて助かった。
「じゃあ、マドちゃんとは当然会わなかったよねぇ?」
「は? どういう意味だ?」
今度は身体を起き上がらせず、寝そべったまま会話が続けられた。
「映画観終わってお昼食べに行こうとしたらぁ、街中で見付けたんだよねぇ」
お前もか。傍から聞いてると時折出現するレアキャラみたいな扱いだな。
「何してんのか聞いたらぁ、兄貴に会えるんじゃないかって歩き回ってたんだってぇ」
「なんでそんなことを……?」
「さぁねぇ。ウチは知りませぇん」
無関心さがこれでもかと前面に押し出された怠惰さだ。可愛いけどムカつく。
それよりも気掛かりなのは、マドカの奇行だ。
俺との遭遇を期待して街中を徘徊するなんて、低確率にも程がある。
まるで石森爽真の行動ならお見通しと言わんばかりの堂々とした発言。
なら通話時の『またね』って、その意味を成していたって訳か……?
何だか怖くなってきたぞ。
背中が一瞬ぶるっと震え、完成間近の夕飯を台無しにしそうになった。危ない危ない。
木製ボウルに盛ったミートソースパスタを食卓に置き、妹に準備が整った旨を伝えるとスマホがバイブレーション機能を発動させた。やっべ、連絡するのすっかり忘れてた。
「先食べてて良いぞ」
「んあ」
画面を見てから玄関とリビングを繋ぐ廊下に移動し、『谷矢円香』からの通話を取る。
「マドカ、丁度良かった。ちょっと気になる事があって」
『今日……どこにいたの……?』
俺の言葉はまるで聞かず、質問が繰り出される。
声質は低く、明らかに『怒』が含まれていた。
「どこって……どうして……?」
『いいから答えて……ッ!』
あたかもその場で睨まれたかの反応になり、背筋をぴしっと伸ばしてしまう。
「い、色んな場所かな。ヒーロー記念館とか……」
声だけで気圧され、つい口を滑らせる。なんだ、何が起こってるんだ。
『それって……一人?』
「えっと……友達と」
『ふぅん……あっそ!』
一方的に切られ、虚無だけが残る。
次に何かある訳ではないが、しばらくスマホを凝視してしまう。
リビングに戻ると、口周りをソースで真っ赤に染めた妹が視界に入った。
目が合うや、額に手を当てガッカリとでも言いたげに溜め息を吐かれる。訳わかめ……。
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