今晩もお邪魔します

 時間は朝九時。集合場所は駅前と決めた。

 待ち合わせスポットとしては定番中の定番であり、ひとつ目のスタンプ台が設けられているのも選んだポイントだ。

 効率を考慮した提案は、白倉も納得してくれた。


 白倉薺 《りょ!》


 ……と『了解』を簡略した文のあとに、子猫がオッケーサインを取ったイラストスタンプが添付される。今更だが、ユーザーアイコンも猫の画像だ。さては無類の猫好きだな。どうでもいっか。


 取り敢えず、初のメールはトラブルも招かず順調に進んだ。正直、空白履歴に一文送信するだけで十分前後は逡巡した。

 以前まで、人権無視に近い扱いをしてきた相手と連絡先を交換した。それだけでも奇跡に等しいと言うのに、当日に早速メールを送るのだから指も止まってしまう。

 既読無視されたらどうしようとも思い悩んだ。俺は乙女か。


 それこそ最初は、グループ全体で俺を騙そうと策略しているのではと疑心を抱いた。

〝マスクド戦士好き〟から〝過去の惨劇〟までが彼女の虚言で、俺を信じ込ませるだけ信じ込ませ、心を解放した隙を狙い『ドッキリでした~』とネタばらししてくる。一番精神的に追い込むのだとしたら、状況も兼ねてこのパターンが最適だろう。


 ただその場合、あそこまで流暢に語る芝居を打つのは至難の業だ。どれだけ慎重に事を運んでも言葉は詰まるだろうし、変なところでボロは出る。

 そのような素振りは、先ほどの光景を思い返しても一切見受けられなかった。寧ろ会話を盛り上げる為だけに、彼女は資料集を持って来てくれた。並みのファンでは有り得ない粋な計らいは、親近感が湧いた。


 ということは……少しばかり神経質になり過ぎていたようだ。

 疑心も程々にしておかないと、近い内に信頼性が損なわれてしまうと母親が教えてくれた。

 今はとにかく純粋な気持ちで受け入れ、明日も心から楽しもう。そう決意を固めた。


 ▲▲▲


 帰宅後、リアから『遅い!』と怒鳴られた。

 時間は午後七時二十九分。うん、ごもっともです。


 昨夜組手時に目一杯練習した空中回転キックはお見舞いされなかったにしろ、母親の遺伝子を見事引き継いだ鬼の面が恐怖を煽ってくる。

『ごごごごめんなさい!』と、兄の威厳ポイ捨てよろしくレベルで情けなく敬語交じりに謝罪を発し、夕食の準備に取り掛かった。

 蕎麦を茹でている最中も背後から『ご飯……ご飯……』と念を伝えられ、胃が痛くなったのは言うまでもない。


 出来上がっても顰めっ面は健在。しかし必殺奥義『海老天三本』を繰り出した結果、眉間のシワはコンマ数秒で広がり、後光が刺したかの如く機嫌を直してくれた。効果は抜群、妹の不機嫌は戦闘不能となり瀕死する。

 母さんの分もついあげてしまったのが大誤算、後程罰が下されるのは覚悟しておこう。


 食後は昨夜と同様、マジック鑑賞会の続きとなった。

【二話】で主人公が戦いに対する決意を固め、【三話】は警察から射殺対象とされてしまった苦しみ、【四話】で相棒マシンこと『イージーオペレーション』が登場、計一時間二十分を費やしてディスク一枚を見終える。

 連続三話も視聴すると、俺たち兄妹は涙ぐずぐず鼻水べちょべちょの、傍から見れば仲がよろしいと揶揄されるほどに感動で大泣きしていた。

 視界をぼやけながらもディスクを入れ替えて【五話】へ突入する。


 五話は、赤い姿バーンフォームへの形態変化をメインとした回だ。

 ゴキブリの能力を宿した『コックローチジーペット』の素早さに対し、白い姿のままのマジックは苦戦を強いられた。

 魔法こと異次元的な能力を有さない完全武闘派なマジシャンフォームに、敵怪人が『魔法ヲ使エナイヨウジャ、俺ニハ勝テナイ』と侮辱の言葉を浴びせてくる。

 鼻で笑う相手に、大人しい性格の主人公が口調を強め言葉を漏らす。


『魔法魔法って、さっきから何言ってんだよ! そんなモン使えるなら、俺だって使ってみてぇよ! もしも、魔法が……使えたら!』


 高層ビル頂上に佇む敵を見据えたマジックが、自身の想いを口にした。すると白い姿が赤く変色し、固有能力のテレポーテーションが無意識に発動した。

 主人公および視聴者目線からは、気付いたら戦闘相手が突然前に現れた驚き展開が起きる。


 唐突な能力の発動にマジックは困惑し、隙を狙われ屋上から蹴落とされる場面で次回へ持ち越された。

 この作品の見所は、新しい姿になったからといって、直ぐに敵に勝てるとは限らない事を教えてくれるシビアさだ。

 戦いながら未知の力や形態を徐々に知り、逆転となるキーワードから新しい姿への真価を発揮するまでの過程が実に素晴らしい。


 六話【剣士】では、瞬間移動の代償として使用不可となった必殺キックを、武器で補う回だ。

 弱点克服の手段が単純明快でありながら、そこに辿り着くまでのヒロインのサポートや、何気ない知人との会話からヒントを得るなどの描写が興奮度を上げてくれる。

 特にヒロインこと藤沢詞那さんが、主人公の手助けになれればとマジックの随所に刻まれた古代文字を自ら解読し、危険を伴うと知りながらも戦地へ赴き助力する。エピソードの要としては、最高に胸を熱くさせてくれた。


『炎の心! 熱き光に手を翳し、鋭い刃を手にする!』


 そしてクライマックス手前、解読結果の文が要約されずそのまま伝えられる。太陽から武器を生成しろとの遠回しなメッセージに、当時誰が気付いただろうか。

 しかしストーリー上そこまで考え込ませる訳にはいかない意向の下、勘良くマジックが太陽に視線を送り、手を翳しだした。

 助言通り炎が手の中に吸い込まれると同時に形が構成され、日本刀をモチーフにした専用武器『バーンスレイプ』が手中に収まる。


 無論、剣の扱いに慣れていないマジックは出鱈目でたらめに振り回す事しか出来なかったが、襲われそうになったヒロインを救おうと必死にジーペットへ刃を向けた。

 殺戮対象が変えられた時は懸念を抱いたが、そこを瞬間移動でカバーする場面は何度見ても心を揺さぶられる。さて、いよいよ必殺技の《イグニスバーン》が。


「兄貴ぃ」

「ん、なんだ?」

「マドちゃんとのデート、楽しかったぁ?」

「はい……?」


 やけに静かだなと思ったリアから、耳を疑う台詞が吐かれる。

 おかげで必殺シーンを見逃してしまった……。


「いきなり何言ってんだよ……」

「だってぇ、男女二人で喫茶店に行くなんてデート以外無いじゃぁん」


 言われてみれば確かに……ってバカ、納得するんじゃない。

 認知する気か。やめとけやめとけ、落ち着くんだ石森爽真。

 そうだ素因数分解を数えるんだ、よく分からんが。


「あのなぁ、俺とマドカはそういう間柄じゃないぞ……。そもそも、アイツと釣り合うのは陰キャじゃなく爽やかな王子様風イケメンって流れが決まってる。今日行ったのだって、昨日のお詫びは建前で、実際は理想の彼氏と来る為の予行演習に過ぎないんだ」


 照れ隠しのつもりが不必要な自分理論を長々と披露してしまい、せっかくの特撮鑑賞会をブルーな雰囲気に塗り替えてしまう。


「…………」


 リアも反論せずに黙り込み、言った俺としても気まずくなって黙る。画面から視線を動かそうとせず、先ほどの発言内容をひとつひとつ空気として取り扱ってほしいと願うばかりだ。

 こうなりゃ切り替えるしかない。そうだな、そうしよう。

 えっと、確か次は白倉の推しの……タイダルフォームの初登場回だったっけか。


「…………鈍感」


 テレビから鳴ったSEと妹の声が同時に重なり、発言がほぼ伝わってこなかった。


「なんて?」

「……何でもなぁい、バカ兄貴ぃ」


 でも悪口はハッキリと通った。これこそ聞き取ってもらいたくないのに……。


「そう言えばリア」

「……なぁに?」

「放課後の時だけど、お前……何に脅えてたんだ?」

「…………」


 血色の良かった顔が青ざめ出した。恐怖をフラッシュバックさせてしまったか。


「だ、大丈夫か……。まさか、変なモンでも見たとか……?」

「た、確かに……あれは〝この世のモノ〟とは思えない怖さだったぁ……」


 やっぱり……〝見えて〟いたのか。

 常に〝不思議ちゃん〟と感じていたが『霊感』があったなんて。

 きっとこれまで交差点とか渡る際に、周囲と雰囲気の違う人を何回か見掛けたに違いない。


 そんな苦しい思いを一人で抱え込んで生きてきたのか……。

 ごめんよリア、でももう大丈夫。今後はお兄ちゃんが絶対守ってあげるからな。

 まずはお祓いだ。時間あるときにでもお祓いに行こう。

 母さんは顔が広いから、相談すれば坊さん一人か二人は紹介してもらえる。

 金曜は決まって深夜近くに帰ってくるが、我慢して待つか。可愛い妹の為だ。


「……マドちゃん、マジで怖かったぁ」


 また丁度良くSEと台詞が被って聞こえなかった。打ち合わせでもしたかのタイミングだ。

 にしても、さっきの『バーンフォーム』の剣裁きカッコ良かったなぁ。

 スーツアクターさんもただ適当に動くんじゃなく、どう適当に見せるかで苦労したと語っていたから真似したい気持ちが前進している。


 本音を言うと組手に行きたいが、連日迷惑を掛けるのは避けたい。

『七話』と『八話』を視聴し終えたら、日曜の昼にでも訪問して良いかどうか聞いてみるか。

 もっとも、感涙に咽んで忘れていなかったらだけど。


「兄貴ぃ、スマホ鳴ってるよ」


 七話のアバンタイトルに集中していると、スマホが投げ渡される。顔目掛けてなかった?

 ナチュラルな投擲に脅えながら画面を見ると、マドカからの通話着信だった。

 リビングから廊下に移動し、アイコンタップをスライドさせる。


「はい?」


 耳に押し当てると、一呼吸置いてから声が聞こえてきた。


『あ、夜遅くにごめんね』

「別に大丈夫だけど。どうかしたか?」

『うん。今晩も、組手に来ないかな~って思って……』


 グッドタイミングにも程があった。


「マドカ、もしかしてエスパーか?」

『え、なんで?』

「今丁度考えてたから……」


 苦笑い交じりに言葉を紡ぎ出すと、間を置いて喜笑が鳴り響く。

 うちの母親、妹とは違う上品な笑い声はお嬢様そのものだ。


『そうだったんだ。じゃあ、今から来る?』

「え、良いのか……?」


 急遽なお誘いに狼狽え、無意識に廊下を往復し出す。

 心を落ち着かせるこの行動に名称がほしい。


『うん。今お母さん、ドラマの撮影で県外に行ってるから……寂しいんだ』

「なるへそ……」


 あれだけ大きい家に一人は、言われてみれば寂しいな。

 下手すれば強盗が押し込んでくる可能性も無きにしもあらず。

 とすれば、防犯対策でお邪魔してやるのが筋ってもんか。


「んじゃあ……行って良いか?」

『うん。待ってるから!』


 孤独感が解消されると分かるや否や、マドカの声が朗らかになった。

 通話を切り、リビングに続くドアを開ける。共有していたソファーが、寝そべった妹に占領されている現状を目にしてしまう。

 しかも俺が戻ってくるや、嘲る笑顔を見せてきた。


「な、なんだよ……?」

「べぇつにぃ」


 生意気な態度に少し苛立ちを覚えるも、平静さを保つ。


「で、何だったのぉ。デートのお誘い?」

「違うって。組手しに来ないか、だってさ。行くよな?」


 リアの事だから即答してくれるかと思いきや『んぅ』と膝から下を交互にぱたぱたさせながら迷う素振りを取ってきた。


「行きたいんだけどさぁ、昨日ママにめっちゃ怒られたでしょ。今日はやめとこうかなぁって思ってぇ」

「金曜は決まって十二時近くだから、余裕で出迎えられるだろ」

「そうだけどさぁ」


 昨夜の礼儀知らずは何処へ……と、思うレベルで珍しく乗り気じゃない。

 出来ればリアも一緒に居てもらえると助かる。

 二人よりかは三人のほうが気まずさを回避できるし、再現するなら相手が欲しい。

 こうなれば、奥の手使うか……。


「帰りにアイス買ってやるぞ。しかもお前の大好きな小分けされたピノ」

「ほら、早く行くよ。ぐずぐずしない!」


 ……今なにが起こった?

 横になってた妹が一瞬で玄関先に……しかも着替えも済ませてある。

 俺の周りだけ時間止まった……?


 ▲▲▲


『オリャアアアァァァっ!』


 液晶テレビに映るバーンフォームが、雄叫びを上げながら武器を相手の腹部に突き刺す。


「オリャアアアァァァっ!」


 少し出遅れて俺もリアの腹部に剣を突き刺す……振りをして寸止めした。


「はい、しゅうりょぉ。最後ちょっとタイミングずれたけどぉ、他は大体オッケーなんじゃなぁい」


 コーチか、はたまたトレーナーなのか、全体評価がされた。聞く限りではダメ出しが少なくて安堵する。

 本日のテイク数は七本、その半分は谷矢家から借りた稽古用刀を滑り落としてのNGだ。

 強く握っていれば余裕と低く見ていたけど、実際動きを合わせて大きく振ったりすると直ぐ手から抜け落ちたりする。剣裁きの奥深さを知った気分だ。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 また虫の息寸前まで追いやられ、スポーツ飲料をラッパ飲みする。

 驚いた事に、一回で飲み干してしまった。


「もう飲み切っちゃったのぉ? ウチの番終わった時どうするのよぉ」

「ああ、だから直ぐ買ってくるよ……」


 通常は一本で済むのだが、予想以上の体力消耗に想定外のアクシデントが発生。

 隅に置いた荷物から財布を取り出し、外の自販機に向かおうと準備を整える。


「待ってソウちゃん。飲み物ぐらいならあげるよ」


 ウインドブレーカーのパンツを履き、上を羽織ろうとした段階で止められた。助かった。

 汗びっしょりのまま外出たくなかったし、財布の中身も守りたかったから渡りに船だ。


「マドちゃぁん、甘やかしちゃダメだよぉ。バカ兄貴の運動神経ゼロが招いた結果なんだからさぁ」

「悪かったな……」


 しかし乗り込もうとした船に、無慈悲にロケットランチャーをぶっ放してくるリアの発言が飛んだ。保護者みたいなこと言って……母さんそっくりだな。


「ううん、私が招いたんだし甘えても良いんだよ。他に何か欲しい物とかはある?」

「じゃあケーキぃ。ちなホールで」

「そういう事じゃない」


 手加減した手刀を叩き込むと、反射的に『あてっ!』と声を発せられた。それと『ちな』じゃなく『因みに』とキチンと伝えなさい。


「う~ん。一応用意できるけど、この時間に食べると太っちゃうよ?」

 いや、ツッコみよりもまず用意できるのかい。さすが金持ち……。

 小道具だけじゃなく、飲み物にデザートまで……冗談でバイクって言いそうになったけど用意されたらドン引き間違い無しだから口を噤んどこ。


 ふぃ……それにしても熱い……トレーニングウェアなんかびしょびしょだ。

 冷えると明日に悪影響するし、ひとまず着替えるか。


「え、ちょ、ソウちゃん……ッ!?」

「ん…………あっ」


 マドカが顔を赤らめるのも無理はない。

 つい自宅感覚で上半身を大っぴらにしてしまった。こりゃ、やっちまったな……。


「前々から思ってたけどぉ……。兄貴の身体、がっちりしてきたよねぇ?」


 そして空気も読まずトレーナーが再登場、体格を評価してもらえた。

 自慢じゃないが、谷矢家で組手を行っている内に俺の身体はやや仕上がりつつある。

 見せびらかさないのは、単純に人前で裸になるのが嫌いだからだ。今説得力無いけど……。


「…………ッ」


 ほら、マドカも俯いちゃってる。

 見せてはイケないモノを見せてしまった申し訳無さ感が襲ってきた。


「………………カッコイイっ!」

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