こめかみに銃口

 ホームルームを終えて帰り支度をする中、どうせ今日も村上だの他からやいのやいのと言われ、掃除をさせられるのだろうと半ば覚悟していた。だが、抱えた不安も今回は何事も無く解消されそうだ。何故なら。


「よぉ、白倉ぁ。昨日は掃除を〝たった一人で〟頑張ったそうだな~?」


 久保先生の監視があるからだ。強調された台詞の一部に心臓が縮み上がる。


「え、あ~はい……。もちで~す!」

「そっかそっかぁ。じゃあその掃除テクニックを先生の前で見せてはくれないかぁ?」


 普段は即座に職員室へ戻るはずが、どういう風の吹き回しか教室での待機を選んでくれた。

 おかげで四日連続強引に任された教室掃除も、最後の金曜日は手を付けずに済みそうだ。


「え、わ、分かりました……っ!」


 当の白倉は、両足をかたかた震わせ、台詞も噛み噛みになっている。余程怖いのだと背中が語っていた。


 実際、先生は美人だが強面も上乗せされている。一睨み効かせれば狂犬だって大人しくしてしまう、まるで阿修羅そのもの。

 彼女の怒気をみなぎらせた顔付きには〝その場で従わなければならない〟オーラが現れ、どんな無理難題を課せられようと自然と口が了承に持っていかれてしまう。

 あれも一種の強要、もとい手を使わない教育の一環だ。


「よろしい。それなら今回はメンバーも追加してやる。そこの四人、手伝え」


 久保先生の猛攻は止まらず、被弾した取り巻き連中が『げぇッ!?』と揃えて声を上げた。


「先生、俺今日部活があって!」

「そうか掃除しろ」

「せ~んせ~、あたし、デートの約束が」

「そうか掃除しろ」

「先生、スポー」

「掃除しろ」


 最早聞く耳すら持とうともしていない。ありゃ適当な発言しても『掃除しろ』と一点張で確実に返されるな。


「さ、ソウちゃん。行きましょ」


 喜劇の観客張りに見入っていると、後ろからマドカが話し掛けてきた。

 どこか表情も柔らかく、こう……何と言うか……非常にスッキリしている。


「何か良い事でもあったか……?」

「ふふ、あとで話すね。まずは出ましょ」


 機嫌が悪い状態を『虫の居所が悪い』とよく聞くが、マドカの状態はその真逆『虫の居所が良い』ってところか。少なくとも、穏やかな気分である事は間違いない。

 マドカに誘われるまま教室を後にし、昇降口に直行する。

 廊下に出ると同じく帰宅or部室に向かう生徒で溢れ、久し振りに目にする光景にどこか新鮮味を感じてしまった。どんだけ数日間無人の廊下歩いたんだって話だ。

 しばらく駄弁りながら一階に下り、頃合いを見て先ほどお預けを喰らった疑問点に再挑戦を試みてみる。


「で、何があったんだ?」

「まだナ~イショ」


 人差し指を唇に当てるジェスチャーを取られた。加えて片目ウインク、小悪魔か何かか。

 てっきり学校を出る前に教えてくれると思っていたが、過信だったみたいだ。

 随分とご機嫌麗しい幼馴染は一体いつ話してくれるのやら……そうこうしている内に昇降口に到着。外靴回収へと向かう。


「んぁ、兄貴とマドちゃん」


 上履きを入れた辺りで、実質親の声よりも聞いたリアの声が背中に掛かった。

 気怠さ全開の雰囲気は、今朝と変化が一切見受けられない。寧ろ始業から放課後まで貫き通した堂々たる勇姿を褒め称えたほうが良いのかと錯覚するぐらいだ。


「こんにちは、リアちゃん」

「おいっすぅ。珍しいねぇ、ナズちゃんの掃除当番変わってあげてたんじゃないのぉ?」

「あれは無理矢理押し付けられてただけだ……」

「へぇ」


 顔も見ずスマホを弄り出した。もう少し興味を持て。


「リアちゃんは、もう帰るの?」

「そだねぇ。今日ナズちゃんグループ全員用事あるから集合無ぁし。だから帰るぅ」


 おい、どうしてマドカとは視線を合わせてキチンと話すんだ……。

 あれか、格下か。実のお兄ちゃんランキング何位に入賞してるの?


「二人はなにぃ、どっか行くのぉ?」

「うん、これから喫茶店に行くところ」

「へぇ、楽しそうぉ」


 お、なんだ。日頃からお洒落な場所には微塵も興味を沸かさず、兄と同様ホビーショップ巡りを生きがいの一部にしている実妹が珍しく食い付いてきたぞ。

 予想しよう。おおかた帰宅してもどうせ暇だろうし、適当に時間を潰したい&ただでケーキとジュースを飲み食いしたいと考えている。にやっと悪~い笑みを零したから間違いない。


 言うまでも無く、金の出は俺だ。容赦なく注文する姿が目に浮かぶ。

 けど、いくら生意気な妹でも〝付いてくるな〟と追い返すのは心に来る。

 財布へのダメージか兄妹の絆か、天秤にかける必要も無い。


「来るか?」

「え、良いのぉ?」

「良いぞ。ただし予算は三百円以内な」

「やっすぅ……ケーキ食べれるか分からないじゃぁん―」


 三本立てた指を一瞥後、頬を膨らませながら顔が上げられる。すると同時に『ひっ!?』と悲鳴を発した。


「ど、どうした……?」

「あ、や……その……」


 近年稀に見る妹の青ざめた表情。何事にも動じない落ち着きあるこの子が、これ程までに取り乱すなんて……俺の後ろに何かいるのか……?


「どうしたの、ソウちゃん?」


 けど背後にいるのはマドカ一人、しかもリアの身震いも音から止まったと感じ取る。

 正面に向き直ると、再び『ひぎゃあっ!?』と悲鳴が上がった。なに、何なの。


「リア、大丈夫か……?」

「だ、大丈夫大丈夫っ! ウチ先帰ってるから、二人で楽しんできてぇぇぇ!」


 そう声を荒らげると、ローファーに素早く履き替え陸上選手よろしくで走り去っていった。

 あんな慌てふためいた様子は初めて目にしたし、常にゆっくりな動作が高速化するなんて。

 まあ運動能力は俺より数倍優れているから速いのも当然か。


 にしても。


「どうしたんだ、あいつ……?」


 原因がさっぱり不明だ。何に脅え、何が視界に映り込んだんだ。

 まさか、この世のモノとは掛け離れた存在でも見えたか……?


「リアちゃん、大丈夫そう?」

「ああ、多分な……」

「それなら良かった。じゃあ、行きましょうか」


 またナチュラルに腕を掴まれ、半強引に連れていかれる。今更で無いにしろ、やっぱ小恥ずかしい。取り敢えず、マドカの内緒話もそうだが、リアの先ほどの件も心配になってきた。

 仮に〝見えていた〟のなら……今度お祓いに行かなきゃ。


「…………付いてこなくて良かった」


 ▲▲▲


「え、じゃあ先生が教室に残ったのって……」

「そ。私が告げ口したから」


 一昨日入店に抵抗のあった、マドカご希望のお洒落な喫茶店にて衝撃を受ける。

 内緒にしていたのは、久保先生が教室に残った真相だ。

 昼食後に席をはずしたマドカは職員室を訪れ、昨夕起こった出来事を洗い浚い話した。

 忠告直後に発生した裏切りは、先生からの残り少ない信用を傷付けたも同然。それが許せなかったらしい。


「だけど、よくマドカから聞いた旨を口にしなかったな……」

「うん。そこは抜け目なく口を滑らせないよう念を押しておいたから」

「へぇ……そ、そうなんだ」


 どちらかと言うと〝念〟より〝釘〟っぽそう。意味変わらんけど。


「ホント、上手くいって良かった」


 気分はまさしく『るんるん♪』、そう捉えられるぐらいに表現を露わにしていた。湯気の立つ香り高いコーヒーを目の前で啜り、味を堪能しているのか瞼がしばらく閉じられる。


 反対に俺は、罪悪感で心が少し凹んでいる。

 昨日白倉はキチンと掃除に取り組んだのに、していないと決め付けられた。行った事実を否定されるのは寂しいし、悔しい。

 あの時、正直に名乗り出て証言すれば……世間一般に言う〝たられば〟後悔だ。

 今頃、彼女は俺に対して何と思っているのか、単純な被害妄想だけが脳内に過る。

 楽しむはずのコーヒーも、あんまり美味しく感じられない。


「そう言えば気になってたんだど、リアちゃんは大丈夫なの?」

「何が?」

「あの女たちとつるんでる事よ。危険な目に遭ったりしてないの?」

「大丈夫でしょ」

「そんな適当な……」


 眉をハの字に見詰めてきた。

 油断したら吸い込まれそうな程の綺麗な瞳を素直に見れず、目線を逸らす。

 コーヒーを一口含み、苦味で気持ちを休めてからカップをソーサーに置いた。


「だってあいつ、中学の頃から不良系の友達多かったけど、問題なく学校生活送れてたのはマドカも知ってるだろ?」

「確かにそうだったけども……」

「それに、何かに巻き込まれても報連相が出来るってところは兄の俺が一番よく知ってる。もしそこが欠ける事態であれば、嫌われでも探るまでだ」


 どんなに煙たがれようと、兄である以上俺は奮闘する。マジックだって身体張って妹を守ったんだから、見習うべきだ。


「ふふ」

「なに笑ってんだ?」

「冷たいなと思ったら、やっぱ普通に優しいお兄ちゃんだったんだなって」

「からかうな」

「はいはい、ごめんね。お兄ちゃん」

「……やめてくれ」


 恥ずかしさを隠そうと、もう一度カップを取ってコーヒーを流し入れる。

 色だけでなく味までも、闇夜のトンネルのように暗くて苦かった。今の表現、中々良いな。


「あ、それとソウちゃん」


 マドカの口調が〝思い出した〟に変わったのを聞き取る。

 せっかく自分に酔っていたのに……と、残念そうに顔のパーツを傾けたが気付いてはもらえなかった。


「どした?」

「もうあの女の要求を安請け合いしないこと!」


 数秒前までの優しい微笑みが一変、眉を逆ハの字にされ、目を細めて睨み付けてきた。

 不思議だな、彼女の背後に釘型の幽波紋が見えるよ……。

 もしくは『YES』と発言しなければならない銃口をこめかみにブチ当てられている感覚だ。

 こういう時、もっとも頼りになる存在は。


(ツンツン)


 ≪Hey!≫


『YES君』、久し振り~。今こそキミの力を借りたい!


 ≪OK!≫


「ソウちゃん、分かったの?」

「……YES」

「どうして英語……?」


 マドカの眉が再度ハの字に傾く。

 やっぱ『はい君』のほうが正しかったか。『YES君』使えないな。


 ≪Fu○k!≫

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