目で『ごめんなさい』

 昨夜の低気温を引き摺っているのかと疑う寒さが、ブレザー越しに伝わってきた。

 あと数日もすれば五月に変わるというのに、ぽかぽかした陽気な暖かみが感じられない。


 もしかして……第四作目『マスクド戦士ノイズ』の主人公、暁奏徒あかつきかなとの仕業なのか……?

 だとすれば家族揃って布団から出られない原因にも納得がつく。

 きっとそうに違いない!

 あいつはただノイズの力を楽しんでいる。敵を倒す事で……自分の力を試しているんだ!


 なぁんて、界隈じゃ有名なネットスラングからの一人芝居をひとまず中断させて……と。

 下手したら今日の気温、昨日より低い可能性が高いぞ。

 軟弱な俺は隙あらば直ぐ体調崩すし、今晩は鍋作って内部から黴菌どもを根絶やしにしてやろう。


「ソウちゃん、おはよう」


 意地の悪い微笑みを口元に浮かべると、マドカが話し掛けてきた。


「お、おはよう……」


 無意識に緊張を孕んだ声で返してしまう。

 実質、憂鬱時に生じるモヤモヤは未だ続いている。

 その日に仲直り出来たにしろ、昨晩お邪魔した際は視線を合わせてすらもらえなかった。

 実は友達関係の修復は建前で、内心は腸が煮えくり返っているんじゃ……。

 悪い方向にばかり頭を回してしまい、今も自然と壁を貼ってしまった。


「どうしたの。具合でも悪いの?」

「あ、いや、別に……」


 しかし、現状マドカは以前と同様気兼ねに挨拶を掛けてくれたし、口調もだいぶ明るめだ。俺の考え過ぎだったのかもしれない。

 そうだよな。別に恋人同士でもない普通の友達なんだから、余程の大事(おおごと)が起こらない限りは心配する必要はない。

 無駄に貼った結界を解いても、問題は無さそうだ。


昨夜ゆうべは急にお邪魔して……悪かったな」

「ううん。私こそ、素っ気無い態度取っちゃって……ごめんね。その……謝った直後だったから、少し戸惑っちゃって……」

「まあ、気持ちは分かるよ。俺も日は跨いだほうがお互いイイって思ってたからさ……。今日帰ってからリアに言い聞かせとくよ」


 逆ギレは免れないけど。


「だ、大丈夫よ。寧ろ、昨日来てくれたの嬉しかったから……!」

「そ、そっか……。じゃ、じゃあ……お礼しとかないとな」


 どっちなんだよ一体。

 掌くるっくるな俺に対し、マドカは『ふふ、そうね』と微笑む。

 ああ、良かった……。いつもの雰囲気だ。

 何の変哲もない日常会話だが、それを味わえただけでも肩の荷が下りた気分に浸れた。

 モヤモヤも晴れたし、足取りが非常に軽く感じる。

 それからの人生は順風満帆で、一流大学にも合格できたし宝くじにも当たったし恋人もできた。【完】。ごめん嘘。


「ねえ、今日って予定とか入ってたりする?」

「いや、特になにも」


 あったとしても精々買い出しぐらいだ。


「じゃあさ、放課後喫茶店に行かない?」

「……なんで?」

「昨日手伝えなかったお詫び。今回は、私が奢っちゃうから!」

「そんな、気を遣わなくていいよ」


 本音としては、お洒落な場所とかなるべく避けたいし。


「だって、結局一人でしたんでしょ?」

「なにが?」

「掃除」

「あ、あ~……。えぇっと……」


 順調だった言葉が詰まる。

 白倉が教室に戻ってきた実際の状況を、マドカが知らないのも無理はない。

 この場合真実を伝えるべきなのか……。だが軽率な発言は命取りになると誰かに教えられてきた。


 万が一取り巻き連中に知れ渡りでもしたら、白倉薺は特撮オタクくそ陰キャの石森爽真とこっそり会っている事がクラス全体に露見してしまう。

 具体的な例は省き、ややこしい事態に発展して収集が覚束(おぼつか)なくなるのは明らかだ。白倉には悪いが、今は単体でやったと嘘を吐かせてもらおう。


「ま、まあ……そう……だね」

「ほら当たった。頑張ったのに何も無いなんて酷いじゃない。だから、そのご褒美も兼ねて奢ってあげる」


 陰キャの特撮オタクである俺には何とも勿体ない、朗らかな笑顔を見せてくれた。

 本来なら喜びたいところ、後ろめたい気持ちも生じて素直な感情を表に出せない。

 今の俺、笑えてるかな……。


「それにしても、自分の蒔かされた掃除を四日連続もソウちゃんに無理強いさせて、ホントあの女許せない!」


 俺の為に腹を立てているのは有り難い一方で、こちらは心がチクチクしている。

 白倉ごめん、せっかく一緒に掃除してくれたのに幼馴染からの評価下がっちゃったよ……。


「ねぇ、どう? もしかして、嫌だ……?」

「いやいや、大丈夫だよ。じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて奢ってもらおうかな~!」

「ホントに? それなら、楽しみに待ってるね」


 自覚ありありに困惑するも、疑いを掛けられずには済んだ。

 普段は勘が鋭く、さっきの慌てようから不審がられるかと思いきや、その予感はゼロ。

 深追いせず流してくれたか、はたまた何も感じなかったのか。彼女の性格は謎な部分が多い。


 昔は〝おっとり〟一択だったけど、その面影も数回しか見掛けなくなった。

 人の性格は顔を変える事より難しいと聞くが、マドカはかなり変化したと思う。

 特に怒りの面に関しては大幅に更新されたから、近い未来付き合う男性が現れたらその人が大変そうだ。

 早朝からハッピーになったり、かと思えば肝を冷やしたりと喜怒哀楽が激しく、まだ学校に到着もしていないのに疲れた……。


 ▲▲▲


「お、モッキーじゃ~ん。丁度良かった、今日もジュース奢って~」


 教室に入って早々、白倉にたかりに来た。

 昨日注目してきたクラスメイトたちも、一瞬黙り込んだかと思えば直ぐ賑わいを取り戻す。


『石森爽真は白倉薺から早朝ジュースを奢らされる』というイメージが刷り込まれた事を物語る。たった一回で驚きの浸透率だ。

 村上たち四人も、完全にこちらへの興味を無くして会話を楽しんでいる。それはそれで囃し立てられずに済むから、安心できる要素には変わりないけど。


 それに、これが本当の強要行為なら『買って来いよ』と言うはず。

『奢ってよ』だと同行のニュアンスを醸し出す。となると恐らく白倉は、また相談を持ち掛けてきたのだと考えられる。

 なら断る理由はないと思った矢先。


「…………」


 マドカが横から割って入ってきた。


「なんだよ女狐~、そこ退けよ」

「そういう訳にはいかないわ」


 怒気を露わにする女王様だが、隣の幼馴染のほうがもっと凄い剣幕で怖かった。

 あの……お二人さん、どうしてご自身の美貌をそう容易く崩壊させるのでしょうか……。


「あなた……いい加減にしなさいよ……」

「あ、何がだよ?」


 険悪なムードは付近の生徒から徐々に感付き、次第に視線が集中し始める。

 マズいマズい、早く止めないと……。


「〝何が〟ですって……ふざけないで。仕事を押し付けたり、飲み物を奢らせたり……ソウちゃんはあなたの召使いでなければ道具でもないのよ。彼をこれ以上扱き使うのなら、私が許さない……ッ!」

「な~んで女狐が関わってくんだよ。あんたには関係のねぇ事っしょ~」


 水と油……誰が先駆けて比喩したかは不明だが、二人の関係性にはぴったりだ。

 決して交われない相性、顔を合わせれば口論は免れない。

 一度も付き合いが無いのにここまで互いが嫌いになるのも、現代だからこそ普通と認定されているのだろうか。息苦しい世の中だ。


「いいぞ~」

「やれやれ~」


 白倉の席周辺にたむろしながら煽る取り巻き連中とは反対に、平民ポジションのクラスメイトたちは口を閉じる。内の何人かは、俺を睨んでいた。

 この空気を作った諸悪の根源……お前がどうにか静めろ……と、あちこちから痛く伝 わる。

 まるで疫病神みたいな扱いだな。だったらギャラリーのお望み通りに実行するまでよ。


「あ、じゃあ……ジュース買いに行こうか……」

「お、そうこなくっちゃ~♪」

「ソウちゃんっ!」


 両者を静めるのは不可能に近い。そしたら片方を優先するのは当然の行為。

 この場合、マドカを優先すれば白倉のご機嫌は更にひねくれ、挙句の果てに兵士軍団まで動いたかもしれない。

 なら、ただ話を持ち掛けているクラスの女王様を取ったほうが比較的安心できる。

 呆れられるリスクは高いが、平穏に解決する為だ。正しい選択である事を切に願いたい。


「いいんだってば。これも平和的な解決法なんだから……」

「そういうこと~。じゃあね、女狐~♪」


 不要な捨て台詞を吐いてくれたおかげで、マドカの口から舌打ちが鳴らされた。

 俺はこの時点で既に疲弊困憊している。究極に帰りたい……。


 ▲▲▲


 常に同じ場所が無人だとは限らないとの予測から、今日は外の自販機近辺に誘導された。

 ジュースを催促されない様子から、やはり目的が違うと悟る。

 しかし、腕を組んだ白倉の態度はご立腹状態であった。


「ったく、なんなのあの女狐。ムカつくッ!」


 原因は勿論マドカに対してだ。

 手は出なかったにしろ、喧嘩には変わりない。苛々が残るのも分かる。


「つうかアンタ、いつもアイツと一緒にいるけど、どういう関係なの? もしかして彼女?」

「違うよ、ただの幼馴染だ。それ以上それ以下でもない」


 否定すると、『ふぅん』と返された。なにその意味深な反応……。


「ま、アタシはアイツのこと嫌いだから、一切興味なんて無いけどね」

「そうかい。で、ここに連れてきた理由は?」


 幼馴染との関係性は適当に流しつつ問うと、『あ、そうだそうだ』と素振りを取った。


「今日の放課後も、教室で喋ろうよ」

「え、どうして……?」

「どうしてって……楽しかったからに決まってるじゃん。あんなに興奮して話したの生まれて初めてよ!」


 瞳を輝かせて両手を上下に振る姿は、高揚感が抑え切れていないと伝わってくる。

 その気持ちはストレートに肯定できた。

 俺も昨日久し振りに熱量を大開放して楽しかったし、まだまだ話し足らなかったのも事実。

 今朝仲直りを心配する傍ら、今日も雑談が出来ないかと期待したほどだ。


「ねぇ、良いでしょ~?」

「あ、その……それは嬉しいんだけど、ごめん。今日は予定が入ってるんだ……」


 せっかくマドカが自ら奢ると言ってまで誘ってくれたんだ。

 優先順位を変えてしまえば失礼にも甚だしいし、昨日以上に関係が悪化する可能性だって高い。男という生き物は、時に趣味を犠牲にしなければならない。悲しい宿命にある……。


「え~、昨日もっと話したいって言ったのどこの誰だっけ~?」

「う、ごめん……」


 非を認め、ふんすと鼻息を鳴らしながら腕組する女王様に頭を下げる。


「ま、仕方ないか。でもそれって、絶対ずらせない用事?」

「そうだな……」


 覇気の無い返事に、また『え~』と残念そうに言葉を漏らされる。

 俺だって出来れば場違いな店を利用するより、教室で趣味トークのほうが何倍もしたい。

 でもな、昨日の今日だからもう溝を作りたくないんだ……。


「ふぅん。因みにその用事って、何時間で終わりそう?」

「まあ……早くて一時間、遅くて二時間……かな?」


 マドカってたま~に話長くなる時あるし。


「わあ、そんなに掛かるんだ……」

「という訳だから、今日のところは諦めてくれ。もし待ってくれるなら、どっかで落ち合って話すのもひとつの手だけど……」

「うへぇ……アタシ大切な人以外相手に待つの苦手なんだよね~。長くて三分」


 カップラーメン級か。この手のタイプは自分が待てない反面、人を待たせる際は一時間平気で遅刻してくるから将来の彼氏とかが苦労するに違いなさそう。


「連中と遊んで時間潰せば良いんじゃないのか?」

「み~んな部活だのデートだのスポーツ観戦で放課後はボッチ一択~」

「だったら諦めてくれ。それか待っててくれ」

「え~、は~な~し~た~い~ッ!」


 駄々の捏ね方が小学生並みだった。

 これ以上我が儘を貫かれると第三者の反応、もしくは介入は避けられない。

 正直気乗りはしないが、奥の手を出すか。


「なぁ……電話はどうだ?」


 白倉薺の連絡先を登録する―彼女の本性を知らなければ一生有り得なかった申し出だろう。

 知る前であれば、悪戯電話や悪徳サイトへの情報流出を恐れ、しつこく申告されても断固として拒否した。脅されたら分からなかったけどね……。


「電話か~……。電話だと伝え切れないところとかあるからね~」

「他に方法が無いんだ。我慢して通話にするか、何も話さないか、選択肢は二つ。さあ、選ぶんだ」

「む、なんかモッキーに指図されるのムカつく~」

「じゃあ今日は何も無し。精々一人寂しく放課後を過ごすんだな……」


 もう付き合いきれん。


「ああ、ウソウソっ! ごめんなさい! 登録する、登録します! 電話で我慢します!」


 ようやく自身の身勝手さを改めてくれた白倉が、半べそかきながら申請を了承してくれた。

 えっと……地味に可愛いかったな。

 取り敢えず、人間生きていると普段からお高くとまったいじめっ子の連絡先を、無抵抗で追加する展開に持ち込めるんだなと感慨深く思った。ん、誰か近付いて来てるな。


「お、いたいた。ナズナっち~」


 白倉のユーザーIDを登録し終えたタイミングで、取り巻きの女子が乱入してきた。

 俺たちは咄嗟にスマホを隠す。


「ど、どしたの……?」


 少しばかり遅れた白倉が動揺を示した。落ち着けってば。取り乱せばその分気付かれる確率も跳ね上がるぞ。この想いよ、届け。


「いやね、随分とおっそいし、なんかトラブってんのかなぁって思って様子見に来たんだ」


 ここへ来た理由を聞くに、どうやら連絡先交換の現場は見られなかったみたいだ。隣からほっと吐息が漏らされる。だから勘付かれるような行動は慎めって。


「ちっがうよ~。モッキーが中々お金出そうとしないし、ちょいと脅してたところ~」


 いつもの調子を取り戻した白倉が、ほんの先ほどとは真逆の態度を取って俺のネクタイを引っ張ってきた。切り替えが早い。つうか苦しい……。


「まじぃ? あたしも手伝おっか?」

「ダイジョブよ~。一人でじゅ~ぶん」


 手助けの申し出を断った白倉が細い右足を上げ、ドンと突き迫ってきた。

 これは……壁ドンならぬ、足ドン。


「おらクソキモオタク。さっさとジュース奢れってば~!」


 立場を逆転させれば完全なる告白場面ではあるが、そんな妄想と冗談は通じない。ギャルから集られているオタクの絵だけが完成した。


「ひゅ~。ナズナっち超イッケメ~ン」


 煽ててくる女子に、持ち上げられた白倉が『おらおら~』と強要をエスカレートさせていく。

 普通なら男らしからぬ情けない悲鳴を発して膝をガクブル震わせなければならないところ、俺は必死に笑いを堪えていた。


 だって……目が明らかに『ごめんなさい』って伝えてきているんだもん。

 お、おもしれぇ……もう暫く観察していたい。


「ねぇ、ナズナっち~。次で応じなかったら本気で蹴飛ばしたほうが良いよ。あたしもイラついてきたし、マジ手伝ってあげる~。つか蹴りたい」

「うっそマジ? おねが~い」


 という欲望は叶わなかった。それはさすがにヤバい。

 無駄なケガを負いたくないあまり、結局俺は本来払わなくていい白倉へのジュース、および取り巻きの女子にも奢る羽目になった。

 くっそ、ただでさえ貯金崩さないようキツキツの生活チャレンジ送ってる最中だってのに。

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