フィギュアの制裁

 昨夜遭った出来事は夢か幻かと思い込んだが、ひとつの箱が『現実だ』と物語る。

 白倉薺のマスクド戦士好きが発覚した翌日、俺は彼女から手渡されたフィギュアを鞄に仕舞い込んだまま登校した。

 妙な胸騒ぎが主な理由だ。

 いくらオタク趣味バレを回避しようとその場凌ぎで演技して俺の私物と意識してもらえたとはいえ、コレは白倉が購入した商品。流れで自身の物にして良い方向にはならない。

 念のため持ち込み、向こうが物言わないのであれば有り難く貰う……ただそれだけだ。

 閉められた戸をガラリと開け、所属する二年B組に足を踏み入れる。


『…………』


「…………」


 開ける数秒前まで教室内は賑やかな話声で盛り上がっていたのに、俺が入室してくるや否やクラスメイトのほとんどが視線をこちらに向け、黙り出した。

 シラクラ王国の兵士男女も、サンドバックのご登場にニヤリと片方の口角を上げる。


【特撮好き】というレッテルだけでスクールカースト上位に目を付けられた俺こと石森爽真は、言わずもがなクラス内で浮いた存在……要するに殆どの生徒から低く見られている。

 朝の挨拶、なにそれ美味しいの?

 昔母親から『仕返しは良くない。相手が無視して来ても自分は挨拶しなさい』と散々教育されてきたが、それは大きな間違いだと断言できる。

 今この流れで俺ひとりだけ挨拶しても、無視されてもっと気まずい空気になるだけだ。

 目に見えている行為は出来るだけ避け、口を噤む。

 数名は侮蔑の視線を向ける反対で、残り半分は安堵している。恐らく前者は。


『また来たのか』

『いい加減引き籠れって』

『お前が来たせいでまたアイツらが騒ぐじゃんかよ』


 などと思い、後者は。


『良かったぁ、アイツ来てくれたから俺たち絡まれなくて済む』

『もうずっと白倉たちのサンドバックになっててくれよな』

『頼む、不登校にならないでくれ』


 と、各々勝手な思いを浮かべているのだろう。

 確固たる自信は無いが、登校早々『挨拶無し』『侮蔑の視線』『安堵』を目の当たりにすれば誰だって被害妄想を爆発させてしまう。

 マドカは珍しく『先に行ってて』とメールを送ってきたし、今の俺が出来る暇潰しはスマホでマスクド戦士の百科事典を読むか、突っ伏してホームルームまで寝るかの二択だ。

 どちらを優先しようか思案しつつ、席に腰掛けようと室内を移動する。

 徐々に沈黙の空気は破られ、会話が蘇生されていく。存在感を否定された瞬間だ。

 ま、そのほうが案外落ち着くから構わない。邪魔立てしないよう気を配るさ。


「も、モッキー」


 教室内の一部に溶け込もうと擬態能力を発動させると、この時間帯には意外な人物、白倉が目前に現れた。毎度一限目が開始直後か途中の時に登校してくる自由奔放ガールが、どうしてこんな早くに。


「あ、あのさ……」


 しかも俺に絡んでくる際は生意気な笑みを浮かべながらだというのに、変にそわそわしている。クラスの連中も、数人がこちらの情景に注目しだした。

 待ってくれ……俺はあんまり注目を受けたくないんだ。


「なんだ、何か用か……?」

「え、えっと……」


 昨日と打って変わって物珍しく、言葉がたどたどしい。目線も定まらず、泳ぎまくっている。

 次の一手が読めず、俺もただただ困惑していると。


「そ、そう。じゅ、ジュース奢ってよ!」

「…………は?」


 間の抜けた声を出してしまった。

 それに相手に至っては通常スタイルを意識して命令してきているようだが、明らかに表情はひくついているし、顔もどことなく赤い。この場を離れる口実を作ったってところか。

 実際周りは誤魔化せたようで『なぁんだ、いつもの光景か』と言わんばかりに会話を再開させた。

 俺自身も『下手に断れば面倒事になる』『恐らく昨日の件だろう』と、勘を働かせる。


「あ、ああ……」


 なので素直に答えた。


「けはは、ジュースだったか~!」

「早く登校してきた理由それかよ」

「ホント、ナズナってモッキー虐めるの好きだよね~」

「モッキー、ついでに俺らのジュースもヨロシク~!」


 人が建前で了承したらコレよ。

 しかもああいう輩は、何を買ってきても我が儘に拒否して困らせようという魂胆が目に見えている。

 財布と労力の無駄になるし、こいつ等のパシリに関しては素直に金欠を理由に断ろう。


「ダ~メ、モッキーはアタシの財布なの~。みんな勝手に使わないで~!」


 しかし、予想外の手助けが入る。

 おかげで取り巻き連中が文句無しに引いてくれた。なんか釈然としないな。

 人を財布扱いするって……ドラマだと中盤で惨殺されるポジションだぞ。

 出来れば今の発言が本音かどうかを知りたい今日この頃であった。


 ▲▲▲


 二階廊下の特に人気の無い場所。

 建前でジュースを奢ると返事したが、顔見知りにでも見られれば勘ぐられる最悪の事態を恐れ、自販機の隣で対話する事となった。

 横断歩道を渡る小学生さながらに廊下左右奥を要注意した白倉が、俺と視線を合わせる。

 いつもの生意気な面でないキリッとした表情に、少し拍子抜けしてしまう。


「ねぇ……」

「……はい?」

「昨日は……ありがとう……」


 また、しおらしくお礼を言われた。こりゃ午後辺り気象荒れるな。


「い、いいって別に。気にすんな……」

「そう? じゃ、じゃあさ。『アレ』返してくれないかな……?」

「アレって……?」

「だからその……ま、マジックのフィギュア……」


 白倉の視線が徐々に逸れていき、頬を赤くしだした。

 俺の胸騒ぎって時折当たるもんなんだな。


「あ、あいよ……」

「え、持ってきてるの……?」

「あ、ああ……。登校直後に家帰って持ってこいとか言われたんじゃ、たまったもんじゃないからな」

「そ、そっか……。ありがと……」


 鞄に仕舞い込んだマジック真骨頂版を取り出して白倉に手渡すと、白倉は目を輝かせながら両手で箱を持ち出した。


「は~、モッキーに渡しちゃった時はどうしようかって思ったけど、戻って来てくれた……」


 まるで小動物を愛でるような弛緩した姿に、夢か幻でも見ているのかと錯覚する気持ちに襲われる。

 こいつ……本当にあの白倉薺なのか。未知の宇宙人が皮膚剥ぎ取って被った姿じゃないよな。だとしたら俺の命が危うい。


「ん、ちょっと待って……!?」


 と、ここで白倉が何かに気付いたようだ。


「これ、一回開けられてない? テープ切れてるんだけど……ッ!」


 恐らくセキュリティテープの事だろう。

 安易に開封されないよう貼られているテープ、近年ではコンビニでの雑誌立ち読みを防止する為にも使用されている。そのテープを切るだなんて、悪い奴がいたもんだ。


「…………」

「ちょっと、なんで横向いてるの?」

「…………」

「もしかして……開けた……?」

「…………NO」

「どうして英語?」

「…………」

「もう一回聞くね。開けた?」

「…………はい」


 重い一撃が右足に乗っかった。


「ッ~~~……!?」


 早朝でぼ~っとしていた頭が、一気に活性化するのを味わう。これ、カフェインよりも効果あるって。お目々パッチリ、腹に溜まる力、健康的で良いかもしれない。

 ただ右足とは早目におさらばしそうだ。

 なんて冗談は置いといて。


「ぅぉぉぉ……」


 姿勢を低め、踏まれた箇所を上履き越しから擦る。絶対跡付いたな……。


「アンタ……なにやってくれてんの……?」


 見上げた白倉の目付きは、明らかな『怒』を表している。

 次に何かやらかしたら頭を踏まれること間違い無しだ。


「いやだってさ、考えてもみろ。真骨頂だぞ。開封してポーズ取らせて写真撮りたい欲求抑えられるはずないだろ!」

「ポーズ。という事は、付属品の手首パーツも出したの……?」

「…………」


 視界が廊下で埋まった。俺は絶対目線を合わせない。

 例え頭を踏まれたとしても…………踵落としはアカンやろ。


「うごぉぉぉ……!」


 今度は両膝を付き、両手で頭頂部を覆う。

 これ凄い。嫌な記憶を全部忘れられそうだ。他の大事な思い出も全て消滅しそうだけどね。


「アンタ……蹴り殺すよ?」


 素晴らしく怒気を孕んだ声が静かに降り掛かる。

 マズい……マスクド戦士随一の善人ことマジックが、怒りに囚われた『三十五話』並みの殺気を放っているぞ。


「ご、ごめんってば。最初は仁王立ちだけで済まそうと思ったんだけどさ、カッコ良すぎてつい弄っちまったんだよ……ッ!」


 溢れ出る涙を堪え、スマホを胸ポケットから取り出して昨夜のフォルダを開く。

 画面を向けると、怒りを露わにしながらも白倉は黙って凝視しだした。

 ストーリー内の定番な構えから始まり、戦闘時の構え、必殺技発動時の構え、そしてキックポーズ……どれもテレビ本編に似せた最高傑作の一枚だ。


「…………」

「な、なあ……どうだ?」

「なにこれ……。マジカッコ良いんですけど……ッ!」


 どうやら効果は絶大のようであった。


「ていうかさモッキー、フィギュアの撮り方も上手いんだね。そこ〝さすが〟って感じ」

「それって、褒めてるのか? 貶してるのか?」


 いつも取り巻きの一人が貶すように口にするから『さすが』の方向性を見失いつつある。


「は? 褒めてるに決まってんじゃん。バッカじゃないの?」


 しかし白倉の発言は『褒め』の方向だった。そのあと貶されたけど。

 つうか、何度も確認するようだが今俺の目の前にいるのって白倉薺だよな?

 先ほどから生意気な笑みを浮かべてこないし、更に見下した態度も取ってこない。

 ここでひとつの仮説が脳内を過る。


 もしかして俺、パラレルワールドにでも転送された……?


 それなら納得が付く。並行世界なる住人は、元いた世界とは逆の性格をしていると定番だからな。

 だけど、そう考えると今朝はリアも母親もいつも通りだったし、クラスメイトも通常の対応だった……。という事はまさか、パラレルワールドの白倉薺が以前いた白倉薺と入れ替わったってしまったってのか!?

 あ~もう訳が分かんねぇ……誰か助けてくれ五百円上げるから。


「ていうか、もう隠し切れないから言うけど。アタシ……この作品大好きだから」


 おっとそう来たか……。確かにパラレルワールドの白倉なら有り得そうだな。

 あんだけ昨日もマスクド戦士の事を〝こんな趣味〟呼ばわりしたんだ。

 反対世界の彼女が好きであるのも頷ける。

 よし、分かった!(矢部○三 風)


「まあ別の世界に来たんだ、驚くのも無理ないよな?」

「は? モッキー何言ってんの……?」

「そりゃそうだ。いきなり知り合いが反対の性格してるんだからな。俺だって今の白倉見て驚いてるもん」

「ねぇちょっと、本当になに言ってんの?」

「大丈夫大丈夫。元の世界に戻れるまでキチンとサポートしてやるから」

「あのさ、いい加減にしてくれる?」

「まずここでのお前の役割はスクールカースト上位の女王として君臨して俺をイジメる事だから、そこを臆さず徹底するように」

「話聞けっ!」


 またしても受けた一撃が全身に痺れ渡る。鳩尾はアカンって……。

 しかも変に急所入ったから今朝食べたトーストがモザイクに変身して出そうだ……。

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