イジメっ子がフィギュアを・・・?
マドカへのお礼は、コーヒー二杯の税込み八百円とちょっとで済んだ。勿論、代金は俺持ち。
ただ支払うまでの間、ず~っと幼馴染と店員さんの謎の言語を使用した会話が鼓膜を刺激していた。
相変わらずすらすら噛まずによく言えるもんだ。
え~っとなんだっけ……『キャラメルクラッチヤサイコッテリニンニクオオモリ』?
どこの地獄絵図ですかそれ?
なんて冗談を思い浮かべていると、プラスチック製のタンブラーを二つ店員さんから受け取ったマドカが戻ってきた。
店内で飲むのかと思いきや、外のベンチに座って飲みたいなどと言い出され、俺たちは外に移動する。
歩いて五分も掛からない近場にベンチはあり、二人並んで腰を掛けた。
気さくに『いただきます』と口にされ、『召し上がれ』と俺は返す。
マドカが注文してくれたコーヒーは想像していた苦さとは掛け離れた甘味を感じられ、熱いながらも飲むペースが自然と早くなってしまった。
一口一口を味わう幼馴染とは対照的に、『一週間振りの水だ』と言わんばかりに飲み干す。
それから何気ない雑談でなんだかんだ楽しんではいたが、彼女のスマホが震動を始めた事で平和だった時間に終止符が打たれた。
マドカは未だに親から門限を決められていて、その時間帯は午後六時。
現時刻は午後五時五十分と十分前であるから、心配をして電話を掛けてきたのだろう。
この手の門限有りのご家庭であれば着信した段階で嫌な顔をするのが定番であるが、マドカは至って冷静な表情でスマホを開いた。
というのも、遅くなった原因を『ソウちゃんと掃除していたから』と答えたからだ。
谷矢家の両親とは、幼少期からマドカと遊ぶのに訪問していた為、顔なじみである。
しかも俺をどうも気に入っているようで、年がら年中ウェルカムな姿勢だと彼女の口から聞いた時は素直に嬉しかった。
なので、マドカの帰宅が遅い理由として俺の名前が出た際は、許されるそうだ。
それならいつでも門限破り放題じゃないかだって。甘いな。
その都度スマホを渡され、俺自身の声を聞かせなければならない。
ただ一言『こんばんは』と言っただけで、マドカ母が通話越しに歓喜した。
正直ここまで気に入られた理由は不明だ。
現段階そこまで引っ掛かる件ではないが、こうも喜ばれたりすると寧ろ不気味で怖くなってくる。いずれ聞いてみるか……。
それから通話を済ませたマドカは、これ以上遅くなると一家団欒での食事に遅れてしまうという理由で、先に帰って行った。
一方その場に残された俺も、リアから『ご飯~!』という催促のメッセージを受け取り、帰路に就く。
たまには自炊しろよ……と考えが過るも、以前カレーを作らせたところ母親と仲良く綺麗なお花畑を駆け回ったという、希望もしてない臨死体験がフラッシュバックする。
悪寒が走り、一刻も早く帰宅しようと歩を進ませた……が。
一度は通過した『アラカワ・オフ』が再び視界に入ってきた。空は薄暗くなり、店舗内の灯りが非常に目立っている。
ガラス越しから見える『マスクド戦士』コーナー。ああ、すんげぇ癒されたい。
今日は特にストレスが溜まりに溜まっている。だから眼福を味わいたい。
思い立ったら即行動、俺の身体は店舗に引き寄せられていた。
入口との距離を詰め、センサーが反応し自動ドアが開かれる。ようこそと迎えらた気分だ。
そして入店と同時に轟く特撮作品の音楽……今放送されている巨大ヒーロー『ハイレベルマンZ』の主題歌だ。カラオケで熱唱すれば喉を酷使してしまうと、ネットで評価された熱き魂の歌をBGMに店内をすたすたと進む。
目的は『マスクド戦士』。その中でも俺が注目しているアクションフィギュアコーナーに直行し、商品棚を一段一段凝視していく。
アクションフィギュアシリーズは指が動かない分、手首のパーツを差し替えなければ付属の武器を持たせられないという欠点がある。しかしそこを気にさせないレベルの高頭身化と美麗な造形が、マニアには堪らない。これこそ超一級品。
俺も実に数十体は所持してあって、全てポーズを取らせて飾っている。
未所持の物もいくつかあるから、今日はどんなお宝と出逢えるのか。
湧き上がる高揚感を制御しつつ確認を取っていくことニ、三分。
「ん~今回はハズレだな」
落胆した。
というのも、店頭に並べられた商品は全て持っている。仮に間違って既存の物を破損させない限りは、現時点で置かれた商品に手を付ける事はまず無い。
「…………」
と思った矢先、諦めて変身グッズコーナーに移動しようとする俺の歩を、止める存在が現れた。
【アクションフィギュアシリーズ 『マスクド戦士 マジック』 真骨頂版】
思わず二度見、いや三度見した……。
見落とすのも無理もない。手前の商品が僅かに死角になっていたのだから。
『マジック真骨頂版』は、『マスクド戦士マジック』のテレビシリーズ終了から十周年記念として製作された、まさに本物感を追求した究極のフィギュアだ。
しかも『未開封』の
問題は値段だ。
【六、五〇〇円】
やはり通常価格よりも若干お高めに販売されているか。
現在の手持ち金は千円札が七枚……これを使ってしまうとリアへの晩飯代が無くなってしまう。
「う~ん……。ま、良っか」
意外と決断は早かった。お宝を前にファンは躊躇わない。漫画のタイトルっぽいな。
では妹へのご飯はどうするのかって? パスタ茹でて食わせる。以上。
よっしゃ、そうと決まれば。
「すみませぇんっ!」
俺は大声を発し、店員さんに呼び掛ける。振り向いてくれたタイミングを狙い、指を差す。
「「これくださいッ!」」
それは決して聞き間違えじゃない声の重なりだった。
なにっ!? ほぼ同じタイミングだと!
だが渡してなるものか。相手が例え屈強なマッチョマンでも勝ち取って見せ。
「え……モッキー……?」
「…………」
闘争本能と思考と言葉が一気に消滅した。
視線の先にいる人物には見覚えがある。
入学してから数日後に、俺の趣味を現在進行形で否定している女。
アッシュ系のヘアカラー、それを耳よりも下で結び目を両サイド作った〝おさげ〟。
全部はずされたブレザーのボタン、乱れたリボン、ボタンも二つほど開けられたブラウス、露出された瑞々しい肌、規定値より少し短いスカート。
『ギャル』と呼ばれても疑われない、百人中百人が頷く風貌。
「白……倉……?」
白倉薺が、俺の求めていた商品を指差しながら視線を向けてきていた。
「…………」
向こうは化け物とでも対面してしまったかのように目を見開き、口をあんぐりと大開放させている。その気持ちは俺も同じだ。
「お前……なんでここに? それにコレ……買うのか……?」
「…………」
白倉は尚も口を開けたまま黙り続ける。そして俺は先ほどの彼女の発言を懸命に思い出す。
『これください』……俄かに信じられなかった。
あの白倉が……?
毎日飽きもせず鞄に付けているマスクド戦士のラバーストラップ摘まんで『お子ちゃま~』と茶化してくる女王様……白倉薺〝が〟だぞ……。
数秒間のフラッシュバックが終了、だが意識を目前に向けても彼女は動かない。
どうした、時止められたか……。
「…………あ」
それはこの重い空気を打破しようと、喉奥から懸命に吐き出した空気と捉えられた。
白倉の様子に異変が起こり、全身が小刻みに震え出すのが窺える。
「あ……あっはっはっはッ!」
日常的に聞かせられる女王様な笑い声が、夜遅くもあって静かになりつつある店内に盛大に響き渡った。
「モッキーってばやっぱモッキーだね! こんな場所にいるなんて期待を裏切らない気持ち悪さッ! おまけに何そのブッサイクな顔。ブサイク過ぎて一瞬でお腹の中ぐるぐる痛みだしたんですけど~ッ! ちょっとどうしてくれるんですか~ッ! アタシのお腹になにか恨みでもあるって言うの? もうホンっトにキモ過ぎて死ね死ね死ねッ! 早く帰って死んだほうが良いよ。何だったら今から油とライター買ってきて焙ってあげましょうか? 焼かれれば少しばかり綺麗になるんじゃないのかなッ!」
その光景に一瞬で悟った。
〝いつもの絡み方じゃない〟。
過去ここまで流暢に罵詈雑言を浴びせてきたのは初だ。しかも学校外で。
だから通常の倍、傷付いている……。
「え、もしかして泣くの? ごめんねアタシ嘘吐けないからモッキー気持ち悪いのどうしても言っちゃうんだよね! ブッサイク。あ、めんご。キモ過ぎてもう一回言っちゃった。キモ、ブッサイク。ああ、めんごね。だから早く死んだほうが良いよ? 何だったら今からスコップ買ってきて埋めてあげましょうか? 頭だけでも埋まればカッコ良く見えるんじゃないかなッ!」
彼女の口は止まるところを知らずにぺらぺらと動く。
普段の『モッキーまじキッモー』程度の中傷なら愛想笑いで済ませられるが、過度を超えた暴言には気持ちが沈んでしまう。侮辱される筋合いが一体どこにあるのか。
俺はただ、自分自身の好きを貫いているだけなのに……。
考えれば考えた分だけ、下降していた感情が苛立ちで上昇しだした。
「あのぅ……」
明らかな修羅場。そんな空間に、先ほど偶然にも二人で呼び掛けた女性店員さんが、恐る恐ると割って入ってきてくれた。いいねぇアナタのその勇気、嫌いじゃないわ。
「ほ、他のお客様のご迷惑になりますので、もう少し発言を控えるか、音量を少し下げていただけますでしょうか……?」
「あ、す、すみません……」
意外にも先に謝罪したのは、今だけ罵詈雑言製造機と変わり果てたはずの白倉であった。
え、こいつが頭を下げた? 俺の視力狂ったか?
目を何回か擦るが、残念な事に現実だ。
「そ、それと……どちらがご購入されるのでしょうか……?」
おどおどする店員さんが、ついでにショーケースを開ける為の鍵を持ってきてくれた。
そのキチンと業務をこなす姿勢も、嫌いじゃないわ。あと先手必勝。
「あ、自分です」
「はッ!?」
間を置かずに俺が挙手して宣言する。白倉の驚愕した声が、再び店内に響き渡った。
「ちょ、何それおかしいじゃない。勝手に決めないで!」
「なんだよ。お前『マスクド戦士』のこと毎回バカにしてたろ。そんなヤツがなんでフィギュア欲しがるんだ。そっちのほうがおかしいだろ?」
「そ、それは……」
既に俺の怒りパラメーターはMAXの値ぎりぎりに触れていた。
なのでせめてもの復讐に、こいつの悔しがる表情を見つつ購入を決めてやる。
「で、では……こちらのお客様がお買い上げになられるのですね……?」
「はぁいッ!」
取り出された商品の会計をその場で問われ、間も置かず返事をした。勢い余って間抜けになったのはこの際仕方がない。
店員さんがフィギュアの収められた箱を丁寧に扱い、レジに運び清算を始める。
表記通りの値段に、俺は余裕綽々と財布から札を取り出す。
そして、後ろで呆然と見詰めているだろう白倉に振り向き、トドメを刺すと言わんばかりに支払いの様子をわざと見せ付ける。
今の俺はきっとゲスい笑顔を作っているはずだが、構うもんか。
一年の時から受けた傷、ここで晴らしてやる。
「…………」
えぇ……っと、手が止まって笑みが消えてしまいました。
今にも泣き出しそうな潤んだ瞳で俺……というかフィギュアの箱を見詰めている。
何あの撃墜された天使のような表情……過去見た事ないんですけど。
「あの……お客様……?」
店員さんが困るのも無理はない。目前の客が充分足りる札を手に持っているのに、それを釣り銭トレーに置こうとしないのだから。
出来れば俺だって早く置いて手にしたいさ。だけど……情に響く……。
「あの、すみません……」
「はい?」
「自分、買うのやめます……」
「は?」
「……へ?」
店員さんのきょとんとした表情が面白くて思わず笑いそうになったが、我慢する。
ここまで迷惑かけた上に、笑ったりしたら出入り禁止にされそうだと判断したからだ。
俺は振り返り、驚いて立ち竦む白倉に声を掛ける。
「やっぱ金足りなかったから……お前買っていいぞ」
「…………え?」
「だから、お前買っていいぞ」
「え、あ、えっと、その……あ、ありがと」
今度は……お礼言った? たまげたなぁ。明日辺り隕石振ってくるぞ。
▲▲▲
会計を済ませ『アラカワ・オフ』と表記されたビニール袋の取っ手を手首に巻き付けた白倉が、どうしてか俺の元にすたすたと歩み寄って来た。
「なんだ、自慢か?」
「違うって……。もう一度言いに来たの……ありがと」
嘘だろ……あの白倉薺が俺に二回もお礼を……。明日地球終わった。最後の晩餐は母さんの手作りカレーに決定だな。
という一割の冗談は置いておいて。
「き、気にすんなって。金が足りなかっただけだ」
「そうには見えなかったけど……」
「じゃあ今お前から買い取ってやろうか……?」
「絶対売らない!」
購入した商品を抱きかかえ、俺を睨み出した。あれは死んでも離さないと覚悟した眼差しだ。
「冗談に決まってるだろ……」
「そ、それならいいけど……」
白倉の警戒が解け、周囲を覆っていた殺気が無くなったような気がした。
不思議な現象ってあるもんなんだね……。
「じゃあ、アタシ帰るから……」
「おう、落とすなよ?」
「するかよバ~カ」
最後の最後で暴言を受けるとは思わなかった。こちとら心配してやったってのに……。
白倉が目の前から去って数秒後、自動ドアの開閉音が耳に届き、退店したと音のみで捉える。
「あれ、ナズナじゃねぇか?」
と同時に背筋が凍り付く嫌な声も聞こえた。
急いで出入り口に視線を送ると、白倉と取り巻き男女四人が対面している。
センサーに反応する位置を占領していた事で、自動ドアは開放されっ放しのまま。無論、会話も筒抜けだ。
「こんなとこで……なにしてんだ?」
「え、あの、えっと……」
常に側近の男子生徒から真相を求められた白倉の後ろ姿は、萎縮した状態だ。
「もしかして~、オモチャ買ったの?」
また別の男子生徒から問われると、視線を落としているであろう様子が窺えた。
「え、ちょ、マジ? そしたらナズナっち、まじ幻滅なんですけどぉ」
休みなく続くアホっぽい喋り方に、店内にいた客が危機感を覚えて奥へ奥へと逃げていく。
一方、白倉は不安や焦燥を背中で物語っていた。
しかも女子のほうが穏やかではない刺々しい台詞を吐く。
内容から仲間外れという単語が過り、最悪のパターンが予想できた。
出来る事なら関わりたくない。だけど……。
特撮好きで迫害を受ける人間を、これ以上増やしたくない。
マスクド戦士のみなさん……俺に勇気と根性を。突撃ッ!
「おおおぉぉぉい、白倉あああぁぁぁ!」
一呼吸置いてから、まるで彼女を追い掛ける素振りを見せる。俺の作戦、それは。
「あ? モッキーじゃんか」
「うわ、期待を裏切らない場所にいたもんだ……」
「モッキーまじキッモー……」
最早テンプレかと言わんばかりに、俺を侮辱し始めるが大丈夫。慣れた。
「モッキー……?」
「〝ようやく買えたんだからさ、返してくれよッ!〟」
『は?』
五人が上手い具合に声を重ねた反応を見せてくれた。
俺の作戦、それは……『白倉にいつものようにイジメられてました作戦(略称考え中)』
「モッキー、なに言って」
「…………演技しろ」
「……え?」
「…………いつもみたいにするんだ」
漏れ響かないよう音程を最小限に絞り、白倉に囁く。
可能なら『この状況を潜り抜けたければ、いつも通り俺を虐めてる風に芝居を打つんだ』と詳細を告げたかったが、生憎そんな余裕はなく端折り過ぎてしまったのは否めない。今は彼女の理解力に賭ける。
「……あ、そうそう。モッキーまじキモいんだよね~。イイ年してこ~んなオモチャ買っちゃってさ~。だ~か~ら、ストレス解消ついでに取り上げてたところだったんだ~!」
「……はあ~、そういう事ね」
どこか説明口調に近い誤魔化しに冷や冷やするも、効き目はあった。取り敢えず現況は私語を慎むから内心で呟かせて。
『イイ年してこんなオモチャ』……盛大なブーメランだからな。
「なぁんだ、いつものモッキーイジメか」
「さすがモッキーまじキッモー~!」
「ちょっと~、それアタシの台詞~!」
そして下品な笑い声が、俺のエデンことアラカワ・オフの前に響く。
店員さんだけじゃなく、他のお客さんの鋭い視線が刺さって痛い。
明日からこの店、来づらくなるなぁ……。
「じゃあいつまでも触ってると『モッキー菌』うつるから返すわ~!」
おい、それ地味に傷付くパワーワードだぞ。
「マジかよモッキー菌かよ! ナズナ、俺に触んなよ?」
「どうしようかな~! じゃあ近くにいる人に付けちゃお!」
「きゃぁ、やめて~! モッキーになる~!」
人権侵害って言葉をこの人たちは知らないのだろうか。
「ナズナ、俺触ってみろよ?」
「よぉし、じゃあタッチっ!」
「ぎゃあモッキーになるぅ! 『まじマジックたん萌えっすわ……』」
物真似下手くそか。
「うわぁモッキーが増えた。逃げろぉ!」
「マジックたんマジ萌え~!」
「きゃっはは、まじきっも~!」
「あっはははははははははッ!」
……こうして五人の下品極まりない男女は、小学生レベルの遊びで盛り上がりながら夜の街へと消えていった。
取り残された俺はと言うと、店内の人たちほぼ十割に睨み付けられている始末。
こりゃしばらく来れないな……。
寝泊まりしたかったほど大好きな店が今後入店し辛い雰囲気になってしまい、辛く苦しい重い涙が出そうになった。
リアの為に真っ直ぐ帰っていれば、こんな弊害を受けなくて済んだのに……。
垂れる鼻水を啜り、唇をぷるぷる震わせながら手元の箱に視線を落とす。
「つうかコレ……どうしよ」
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