第4話

 突然のプロチウムとの婚約から三日後。エリーゼは友人の家を訪れていた。

 あいにくの雨。室内で近況を報告し合い、会っていなかった間の話で盛り上がる。と言っても、エリーゼは『有毒植物図鑑を手に入れた』くらいしか報告できず、会話はエリーゼからの質問で成り立っていた。

 明るいブラウンのウエーブのかかった髪、そして興奮しながら質問攻めにするエリーゼを優しく見守るブラウンの瞳。座る姿は白百合がごとく堂々として尚且つ優雅なフリーネイリス・ルオ・コート。彼女はコート侯爵家の令嬢でエリーゼよりも爵位は上だ。だが、コート侯爵家は魔法に使う魔法植物の卸をしており、植物研究に勤しむアブソリュート伯爵家とは旧知の中。エリーゼ自身もフリーネイリスとは幼馴染であり、お互いに気の置けない間柄、身分の違いは二人には関係ない。


「フリーネ、マグネ様と領地に戻ったのでしょう? 楽しかった?」


 嬉々としたエリーゼの質問に、「ふふ」とフリーネイリスは笑った。


「マグネ様との二人旅なのよ? 楽しいに決まっているでしょう」

「そうよね! 詳しく――」

「と、言いたいところなのだけど、残念ながら私付のメイドが二人と他に護衛が二人同行していたから変わったことなんてなかったわ。いつも通りの帰領よ」

「えぇ……。マグネ様がご一緒なら護衛なんていらないでしょう? それに、コート領は近いじゃない。二日くらい、自分の事は自分でできるでしょう?」

「そうは言ったわ。でもお父様が許さなかったのよ」


 それでもフリーネイリスは、「でも楽しかったわよ」と微笑んだ。


「今日マグネ様はいらっしゃらないの?」

「どうかしら……。最近お父様から無理難題押し付けられて忙しそうなの。それより、リゼ。あなた、私に一つ隠し事しているわね?」

「え?」

「リゼの最近の変化は、欲しがっていた有毒植物の図鑑を手に入れて嬉しいってことだけかしら? そんなことはないわよね?」

「ええと? フリーネ?」

「よいこと、リゼ。マグネ様は軍の魔導師のナンバーツー。そして、その上、実力的なトップは誰かしら?」

「クレヌ様、かしら……」

「そうね。で、何故そのクレヌ様がリゼの護衛になったのかしら?」

「フリーネ、どこからその話を!?」

「あら、私の婚約者がマグネ様だという事を忘れないで」


 フリーネイリスの婚約者、マグネ・ライツ・ホワイトはフリーネイリスたちの八歳年上の軍の魔導師。その実力は非常に高く魔導研究の成果も含め軍魔導師の二番手。

 護衛としては文句のつけようがない実力者。マグネレベルの魔導師ならば、王都内などいうに及ばずこの国中どこへでも移動の許可が下りるだろう。フリーネイリスがマグネと二人旅をしても、許可の面でも世間体的にも申し分ない。なんせ婚約者なのだから。こちらは正真正銘本当の。

 マグネは駆け出しの魔導師の頃からフリーネイリスの家、コート家の事業である魔法植物の運搬時の護衛としてコート家とはかかわりが深かった。幼いフリーネイリスの護衛を務めたこともあるマグネは、そのフリーネイリスと婚約中だ。

 この二人の婚約はかなり物議を醸しだした。

 それもそのはず。フリーネイリスの父親コート侯爵家は宰相職。対してマグネは貴族ではなく一般市民の出。それにもかかわらず、コート侯爵家の一人娘のフリーネイリスと婚約した。この大逆玉の輿的な話は魔導師を軽んじる貴族たちにとっては受け入れがたい様で、一部では『軍と宰相が結託し国家転覆を担っている』、などという根も葉もない噂が囁かれ続けている。

 そしてごくごく一部では、『マグネに目をつけていたとある貴族が、コート家に先を越され妬んでいる』とも言われている。

 そんな物議を醸しだした二人だが、本人たちはいたって幸せそう。フリーネイリスの左手の薬指には洗練されたデザインのシルバーのリングが光っている。マグネの言葉が出るたびにフリーネイリスの嬉しそうな視線がそのリングに落ちるのだ。二人の関係が良好以上の証拠以外の何物でもない。


「リゼ、いい加減白状なさい」

「う……。フリーネはどこまで知っているの?」

「リゼとプロチウム殿下が戦略的婚約を交わした。その見返りがクレヌ様のリゼの護衛。そうでしょ?」

「戦略的婚約っていうのはどうかと思うけど、その通りよ。でも、マグネ様はそこまでご存知なの?」


 クレヌがエリーゼに関わることで仕事上、マグネに迷惑をかけることがあるかもしれない。ならばマグネに話が通っていてもおかしくはない。だが、プロチウムの婚約(仮)の話まで知っているものだろうか?


 エリーゼが首を傾げていると、「ギィ」と扉が開く音がした。するとフリーネイリスの顔が急に「あ!」と華やぐ。白百合のような優雅さは消え去り、色とりどりのチューリップでも咲かせるように愛らしくなったのだ。


(フリーネがここまで嬉しがるという事は……)


 振り返らずとも予想はつく。いつでも堂々と構えるフリーネイリスが可愛らしくなるなど一人以外考えられない。


「私とクレヌは皆さんが考えている以上に仲が良いのですよ」


 エリーゼの背後から聞こえた声に振り返る。急に声をかけられたにもかかわらず、驚くこともない。ここにいて当たり前の人間の声であり、その声が静かに音を立てる波のように穏やかなものだったからだ。「いらっしゃいませ、マグネ様」と、フリーネイリスが立ち上がり一礼するのにエリーゼも倣う。そうするとマグネが最敬礼をもってエリーゼに返したのだ。


「マグネ様! な、何故そんな跪くのですか!? おやめください!」

「ご婚約おめでとうございます、エリーゼ様。プロチウム殿下の婚約者ならこれが妥当かと思いましたが、違いますか?」

「……フリーネから聞いております。マグネ様は詳細をご存知なのでしょう?」

「おや、それは先手を打たれてしまいましたね」


 落ち着いた動作と声。それが似合うマグネはこの世界ではかなり珍しい黒い瞳でエリーゼを見て再び笑うとフリーネイリスの隣に歩み出た。


「フリーネイリス様、お喋りすぎますよ? 内緒ですとお約束したはずです」

「ごめんなさい。どうしても聞きたくて……」

「おしゃべりな口はここですか?」


 マグネはフリーネイリスのアゴに手を添えるとその親指で唇に触れた。すると、瞬間湯沸かし器が如くフリーネイリスの顔が真っ赤に茹で上がる。涙目で首をプルプル横に小刻みに振るフリーネイリス。一体何を否定しているのか分からないが、エリーゼは傍観に徹することを決めた。

 手持ち無沙汰で、エリーゼはカップに口をつけた。紅茶がぬるい、思わず微妙な顔になってしまう。


 そんなエリーゼなど気にせずに目の前はどんどん進んでいく。


「ち、ちがいます!」

「おや、この口じゃないと? では、フリーネイリス様は口以外で喋る特技をお持ちなのですね。一体どこでしょう?」

「え、そんなものは……」

「ああ、瞳ですかね? よく言いますから、目は口程に物を言う、と」

「ち、ちがいます……」

「そうですか?」


 マグネはワザとらしく驚いた。そして「では」と、フリーネイリスの髪を耳にかき上げた。


「その口を塞いでみれば分かりますかね?」


 そう首を少し傾け、背を屈めたマグネ。


(ああ、お茶がぬるくて甘いわ……。砂糖なんて入れるんじゃなかった。味覚と視覚のダブルパンチとはね……。もう目の前だけでお腹いっぱいよ。傍観せずに部屋を出て行けばよかったわ。それか本でも持って来ればよかった)


 そこまで思い至り、エリーゼは読んでいた本を思い出す。そうして暇でも潰そうとした矢先、ゴン! と、どう考えてもおかしい音がした。

 目の前では、フリーネイリスのおでこに口づけているマグネがいる。

 その一文だけなら微笑ましい光景だろう。だが、エリーゼの目にはちっとも微笑ましくない、羨ましくもない光景が映った。

 フリーネイリスが自らおでこをマグネにぶつけにいったのだ。

 魔導師とはいえ歯は鍛えられない。フリーネイリスがすぐさまおでこを離すとマグネは口元を手で覆って痛みに耐えていた。


「あ、その……。まあ、マグネ様どうなさったの!? 私、心配だから先生呼んできます!」

「え」


 フリーネイリスは言い逃げするかのようにドアをぶち開けた。


「フリーネ!? あなた自分でやって何を言っているの!?」

「あ、マグネ様よろしければお茶とクッキーもどうぞー!!」

「いや、今、マグネ様の心配をしていたでしょ!?」


 エリーゼのツッコミなんて聞かずにフリーネイリスは駆けて行った。何事かと様子を覗いた侍女がいたが、マグネが首を振ると何かに納得したようで、一礼して去って行く。


「……大丈夫ですか、マグネ様」

「ええ……」


 口元は大丈夫だし、幸い口の中も無事のようだ。だが、マグネは頭痛がするように頭を抱えた。


「あの調子でプロポーズを十回もはぐらかされたのです。私の人生最大のトラウマですよ」

「どうやって成功なさったのですか?」

「屋敷の皆さん全員に協力してもらってフリーネイリス様を嵌めました。退路を全て立たないとあの方は大人しくなさらない」

「えぇ……」

「仕方ありません。真面目に話そうとするとどうにも逃げようとするのですよ。最後の方は、御父君のコート宰相に『頑張れ』と同情されるほどでした」


 黒い瞳に涙を浮かべつつ過去を振り返ったマグネ。彼は一つ大きなため息をついて「私たちの事より」と、エリーゼを見た。珍しい黒い瞳に、艶のある藍色の髪。年相応に落ち着いた様子を見せたマグネは胸に手を当てた。


「クレヌは私より年下ですが、実力は疑いようもなく本物です」


 そう言うと、軽く腰を折り、頭を下げた。


「エリーゼ様。クレヌをどうぞよろしくお願いします」

「頭を上げてください! ……何故マグネ様がクレヌ様のことを気にかけるのですか?」

「彼は、幼いころから軍の魔導師として活躍していましたから、人並みの楽しみというものがないのですよ。エリーゼ様と一緒に過ごして良い思い出ができればいいと思いまして。プロチウム殿下もそうお考えになったと思いますよ」

「幼いころ? クレヌ様はおいくつの時から軍属の魔導師だったのですか?」

「正式には十歳ですが、その前から軍には関わっていましたよ」

「十歳!? クレヌ様は、そんなに早く魔導師になろうと思ったのですね。何故また……」


 その年から魔導師になれる才能があるという事も驚きだ。「へぇえ」と感心しきりのエリーゼにマグネは諭すように話し始めた。


「エリーゼ様、ご存知ですか? 私たち魔導師が何故魔導師を目指すのか」

「ふむ……。憧れて、ですか?」

「いえ、魔法という現象に対する純粋な興味ですよ。その研究のためには魔法を知る必要がある。その手段として魔導師になる我々は、自分が好きでやっている人間がほとんどです。ですから魔法が野蛮だという古い考えの人間や、貴族たちに道具のように雇われても意に介さないでいられるのです。全てが自分の興味のためですから。そして研究費のためでもある」

「まあ、皆様そうなのですか。そのお気持ちは分かります!」

「さすが植物公爵と名高いアブソリュート伯爵のご令嬢ですね。ですが、自分の為ではない魔導師も、ごくごく少数いますよ」


 マグネの表情が愁いを帯びた。


「その方々は何故魔導師に?」

「……自分の意思でないことだけは確かです。特に、幼い子供はそうです」

「それって、クレヌ様の事ですか?」

「ですから、クレヌをよろしくお願いいたします」


 再び頭を下げたマグネに、エリーゼは形式的に「はい」と返事をした。


 結局戻ってこなかったフリーネイリス。マグネに「伝えておきますから遅くならないうちにお帰りください」と苦笑いされたエリーゼはお言葉に甘えることにした。フリーネイリスが部屋から出てこないのだ。宰相家のご令嬢のフリーネイリスは、決してその辺の礼儀をないがしろにする人間じゃない。だが、マグネの行動に対する羞恥は礼儀をすっ飛ばすらしい。


(フリーネがあんななりふり構わず逃げ出すだなんて……、恋とは恐ろしいものだわ)

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