第3話
口ごもったプロチウム。
少し目を伏せて祈るように手のひらを組んだその表情は、実に切ない。今まで瞳の揺らぎに少し感情を織り込んでいた人物とは思えないくらい、表情が、いや、全身で感情を表している。
(あらあらこれは……、まさか)
「……その……」
「お好きな方でもいらっしゃるのですか?」
「――ッ! いや、その……」
スカイブルーの瞳がこぼれんばかりに見開かれ、プロチウムの頬が少しだけ色づいた気がする。これは自分と同じかそれ以上に恋愛に関しては奥手か可愛らしいことだ、とエリーゼは微笑まずにはいられない。
「ふふ、隠さなくてもよろしいのに。羨ましいですわ、私、そう思える方にお会いしたことなんてありませんもの」
貴族令嬢としてごくごく一般的な育てられ方をした。蝶よ花よと溺愛されたわけでもなく、過保護にされた記憶もない。ただ、植物に異常に愛を注ぐ父親の影響を多分に受け、恋愛に興味などなかったエリーゼには意中の人物などいない。確かに目の前のプロチウムは、無表情が端正な顔立ちを映えさせ雄々しさを感じるし、その風格はさすが王族といったところ。だが、先ほど見せた動揺した表情は、一転して人として好感を抱けるものだった。
最初は至近距離に迫られ動揺したエリーゼだが、植物図鑑にあっという間に乗っ取られるプロチウムに対する心臓の高鳴りは、『誤作動』、そう考えて妥当だろう。もしくは一般的な女性なら皆こうなるはずで、エリーゼが特別ではない。エリーゼはそう結論付けた。
「あら、そう考えれば意中の方がいない私は適任ですね。お役目引き受けますわ、プロチウム殿下」
「怒らないのか?」
「今のところは。でも何故私なのですか? もっと爵位が高い方のほうが自然ですよ?」
「よくあなたの評判を耳にする。家柄が違えば妃候補にあがってもおかしくないと。それほどならいきなり私の婚約者と言われても耐えられるかと思って」
「まあ、耐えられるって……」
確かに第一王子であるプロチウムは、既に十八歳。対してエリーゼは十六歳。十八歳から成年とみなされるこの国では、プロチウムはすでに公務を多岐にわたってこなしている。婚約者というならば、全てではないにしろ同席することもあろう。
(まあ、それだけ期待されていると、プラスに考えましょう!)
「お任せください。プロチウム殿下のご期待に応えられるよう頑張ります。あ」
「エリーゼ嬢?」
それまで笑みを湛えていたエリーゼの表情が固まった。思い出したのだ。公務とかではない、プロチウムの婚約者として立ち向かわなければならない人物を。
(リチェルーレ様……。絶対に、何かある)
プロチウムの手前ため息はつけない。でも、表情には出たらしい。「何か心配事でも?」とプロチウムが顔を覗いてきた。近い。美形が近くで顔を覗き込んでいる。ちょっとでも動けば肌に触れてしまいそうな距離だ。
そこまで近づいて、プロチウムから清潔感のあるいい香りがすることに気付いた。最初は気が動転して気付かなかったが、落ち着く香り。
エリーゼは首を振った。
「いえ、お気になさらず」
「そうか。でも、頼んだのは私だ。何かあったらすぐに教えてくれ」
そう言うと、プロチウムはエリーゼの左手を取った。
「仮とはいえ、あなたは私の婚約者だ、エリーゼ嬢。傍にいるからにはきちんと守る」
そう言い終えると流れるような動作でエリーゼの薬指にキスを落とした。
「――っ!? あ、え、その!?」
免疫のないエリーゼが動揺を隠せず思わず距離をとる。ソファの端ギリギリまで一瞬にして移動したエリーゼは実に俊敏だった。別に襲われるわけでもないが、経験値ゼロのエリーゼに、至近距離での歯の浮くようなセリフと所作は耐えられない。キスされた左手を右手で包み込んでいると、「気に障ったか?」と、プロチウムが申し訳なさそうに動かず言った。
「いい、いいえ! 違います、ただ、びっくりしただけです! えと、プロチウム殿下のお気遣い感謝いたします。そ、それで、私はどれにサインをすればよろしいのですか? あ、婚約宣言書ですね!」
いたたまれなくなり婚約宣言書に手早くサインをしたエリーゼは、誓約書に再び目を通した。
「ここにも私のサインがいるのですか?」
「ああ、その前に……。箇条書きになっているだろう、その最後の部分はエリーゼ嬢のためのスペースだ」
「私?」
「ああ、できうる限りの望みは聞く」
「でも。すでにお父様たちとお話は纏まっているのでしょう?」
「それはそうだが、一番苦労するあなたに利益がないのはおかしい」
(真面目ねぇ……)
父親と植物に対する情熱が同じエリーゼにとって、父が飲んだ条件は自分にとっても魅力的なことだった。それにプラスしてさらに願いを聞いてくれるというのだ、この太っ腹な真面目王子は。好感度、一アップ、といったところだろうか。
「でしたら……。そうだ! プロチウム殿下、私にお一人、魔導師の方を紹介してくださいませんか?」
「魔導師を? 何故?」
「一人で外を歩いてみたいのです。でもお母様たちは『まだ早い!』と、取り合ってくださらないのです」
「そうか。紹介することはもちろんできるが……」
プロチウムは少し言葉をためらった。言いかけては口を閉じる、まるでなんと言っていいのか分からないような動作を繰り返し、やっと話を続けた。
「あなたは魔導師が怖くないのか。古い習慣では、魔導師は野蛮で近寄ってはいけないとも言われているだろう」
プロチウムが言葉を選んだのは、おそらく『魔導師が野蛮』という言葉のせいだろう。
魔法に対する妬みか嫉妬か、はたまた恐怖かは定かではないが、昔から『魔法とそれを使う魔導師は野蛮で恥ずべき存在』と、そう言われてきた。しかしそれはもう何百年も前からの事で、今はその腕を頼って魔導師に警護を依頼するほど。それに、腕の立つ魔導師は子供の憧れでもある。魔導師が野蛮という考えはもう古い、と、エリーゼはそう思っている。
もっとも、貴族連中からしてみれば、先ほどのリチェルーレ同様決して肩を並べさせることなどない、従僕のように従わせる存在であるということは間違いないが。
「確かに、魔導師の方は貴族にとっては従僕ですものね」
それが一般的。だが、自分の両親はどうだろう。
「でも、お父様たちは魔導師の方と仲良しですし、私も小さい頃から可愛がってもらいましたから、野蛮とか怖いなんて思ったことありません! それに、我がアブソリュート伯爵家は別名『植物公爵』ですよ? 魔導師の方が魔法の原料にする魔法植物の研究だってしているのです」
幼いころから、魔導師と同じ目線の高さで向き合い、魔法植物を議論する父親を幾度も見たことある。激論を交わして険悪になっても、次また見た時には楽しそうに顔を突き合わせているのだ。そんな魔導師はエリーゼと遊び、時には魔法と魔法植物の事を教えてくれた。もっと話を聞きたくて帰る彼らに泣きついて大層困らせたこともある。父はそんな彼らに絶大な信頼を置いており、「何なら一度連れ帰ってもらってもいい。後で迎えに行く」と
父親が絶大な信頼を置く魔導師は、決して、『雇う』とか、『用意する』などという言葉が適さない、父親と同じ志を持った人物たちだった。
そこまで思い、エリーゼはやっと理解した。
「そうですね、魔導師の方は『同志』です!」
『同志』、という言葉を導き出せたことに、エリーゼはいたく感動した。
両親たちが魔導師達と肩を並べていることに不思議がっていたのは、無意識のうちに魔導師が親と肩を並べるのがおかしい、つまりは他の貴族同様『後ろに控えるのが正しい』と思っていたからだろう。それを両親は見透かしていたに違いない。だからいくら頼んでも魔導師を護衛として外に出かけることを許さなかったのだろう。マギに『魔導師を用意してくれない』と文句を言ったことも、一人間に対しての扱いとしてはよくない言い方だった。
一人で一通り感動したエリーゼ。そんなエリーゼに対してプロチウムは怪訝な表情を呈した。
「同志……、魔導師が?」
「はい! あ、私にとっては魔導植物と魔法の先生でもありますね! 幼い頃によく魔法の何たるかをお話してもらいましたもの!」
「……」
「プロチウム殿下?」
「いや……。そうか、同志に先生か……。いい言葉だな」
ほんの少しプロチウムの口元が緩まり口角があがった。
(ものすごくレアなのでは!?)
そう思わずにいられない、プロチウムの微小。それをしっかり目に焼き付けたエリーゼに対し、プロチウムは「では」と切り出した。
「エリーゼ嬢、クレヌを紹介する」
「ク……レヌ? とは、まさか、あの、クレヌ・オン・フュージ様の事ですか?」
「ああ、よく知って――」
「知っているも何も、この国一番の天才魔導師じゃありませんか! 本当にクレヌ様を!?」
リゼの歓喜に満ちた瞳に対し、プロチウムはゆっくり頷いた。
「嬉しい! あとで嘘だなんておっしゃらないで下さいね! ささ、プロチウム殿下、その最後の空欄に早くお書きになって!」
「そんなにクレヌに会いたいのか?」
「勿論です! お会いして沢山お話したいです、魔法の事とか魔法植物の研究の事とか!」
「……あなたは魔法が怖くないのか?」
「あら、先ほどと似たようなことを聞きますね。プロチウム殿下、私は植物と魔法が大好きなのです!」
満面の笑みでそう返事をしたエリーゼは、自分の手を見て静止した。プロチウムに誓約書に書くのを急かすがあまり、ペンを握らせようと手を握ってしまっていた。それを理解したエリーゼは、ゆっくりとプロチウムの手から自分の手を離すと、ペン立てにそっとペンを戻した。どんなにゆっくりした動作でも、音を立てなくてもプロチウムにはバレているのに、何事もなかったかのように手を膝の上で重ねて平静を装った。
(私、何を勝手にプロチウム殿下に触れているのよ!! どど、どうしよう!? 気でも害されたら――)
エリーゼの心中は歓喜から恐怖へ一直線に急降下した。だがそれは、早い段階で再び上を向いた。「ぷっ……」と、吹きだす音が隣からすると、「あはは!」と、聞いたことない笑い声がした。顔を向ければ笑い声は止み、その代り眉間にしわを寄せ、笑いを堪えるプロチウムが肩を震わせていた。
(この人、声を出して笑うの!?)
先ほどの微笑レベルでないプロチウムの表情にいたく驚いたエリーゼの顔は、この世のものではない物を見てしまったときのような驚愕の表情だ。少し考えれば、プロチウムに対するとんでもない偏見を持っていることに気付けるだろうが、あいにく今のエリーゼにはそんな余裕はなかった。
「いや、すまない。一部始終見ていたら、挙動が不自然すぎて……」
エリーゼの無礼な思考など気づいていないプロチウムは、「コホン」と咳払いをすると、ペンを取り誓約書に文言を付け加えた。
『エリーゼ・ロウム・アブソリュートの護衛を、クレヌ・オン・フュージに一任する』
と。
そしてエリーゼがその書面に嬉々としてサインをすると、机の上の書類を持ち席を立った。
「では、エリーゼ嬢、今日はこれで帰る」
「はい。お気をつけて」
だが、そう言った割に扉に手をかけたプロチウムは動かない。そして、エリーゼを見ると、空いている手で髪を一束手に取った。
「聞くが、エリーゼ嬢は魔法を使えるのか?」
「ま、魔法ですか!? いえ、私は使ったことございません」
「氷結魔法も?」
「氷結魔法ですか!? それは今では使える人間などいない、文献にも詳しく記されていないものだと記憶しております。もちろん、私には無理ですよ」
それを聞くと、プロチウムは手に取ったエリーゼの髪を名残惜しそうに手放した。
「そうか……」
「プロチウム殿下?」
「いや、クレヌはエリーゼ嬢に会ったら喜ぶだろうな」
「そう、なのですか? それは良いことですが……」
一体何を言いたいのか、その真意がまた読み取れない。無表情のプロチウムと彼を迎えに来たメイヤーを見送り、エリーゼはプロチウムが手に取った髪にそっと触れた。
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