第5話 wonderling roses

夕方になって、お母さんが帰って来たので


夕ごはん。


「さあ、お召し上がりになって」と

祥子ちゃん。

エプロン姿も可愛い。


調理実習みたい。


お母さんも「お手伝い、感心ね」と

笑顔。


孝くんは、何かいいたそうだったけど

昼間の事があったから、黙ってにこにこ。



陽子さんは、ちょっと微妙な表情。



「お寿司だ」と、僕。

「わたしが握ったの」と、陽子さん。

祥子ちゃんは「海苔巻きは、私が」

と。


鮪、こはだ、いか。

平目、玉子。


「母方は寿司屋さんです、僕も

跡継ぎに、と誘われて」と言うと


「お口に合うかしら」と。

陽子さんはお淑やか。


お刺身、お澄まし。

山菜の煮物。


生野菜のサラダ。


「サラダ、私が。ドレッシングから」と、祥子ちゃん。



「思い出します。調理実習で

僕もつくったな」と、

微笑みが。


「さあ、お召し上がりに」と

お母さん。


海苔巻きをひとつ。


「美味しいです。」と。僕が言うと

祥子ちゃんは笑顔に。


「じゃ、僕もいただきます」と

孝くんは、山盛りごはんとお刺身。


食べ盛りだなぁ、と

僕も微笑む。


「これも美味しいのよ」と

陽子さんは、グリルから

鮪のかま焼きを出し、ほぐして

分けようと。


「私、やる」と、

祥子ちゃんは、丁寧に菜箸で

骨を外してゆく。



「上手だなぁ、いい奥さんになれそうだね」と

僕が言うと、祥子ちゃんもニッコリ。


お母さんは、微笑みながら

祥子ちゃんの微妙な変化に気づいているようだった。


孝くんは元気に、もりもり食べている。


かま焼きを頬張って。

ごはんをぱくぱく。


「こはだの締め具合もいいですね」と。僕は微笑む。


握りの感じは、ちょっと優しいかな、と思ったけど

それは言わない。


「お寿司屋さんだって、知らなかった」と、陽子さん。


「そう言えば、太田裕美さんもそうなんです」と、僕。


なんとなく、陽子さんに似ている。


でも、ウチの母もそうだが(笑)。





ごはんを賑々しく頂いて。


お風呂に入って。


部屋で涼んでいると、陽子さんが

「入って'いい?」



「どうぞ」と


開いてる入口だからなあ、とも

思うけど。


ちょっと微妙な表情で

何の話か、なんとなく解る。



「祥子の事だけど」と。



「そうだと思った」と、僕は

軽く答えた。


「あの子、真っ直ぐだから。思い込むの。」と。陽子さん。



僕は頷く。

「お姉さん譲りだ」


陽子さんはちょっと微笑み


「まだ12歳だから。傷つけたくないと思うの。あなたが想い人で良かった。」



僕は、なんとなく微笑む。

「いいお姉さんだ」


何を言いたいか、だいたい解る。



「祥子がね、もうすこし大人になるまで、私達は、控えた方がいいと思うの。」


それは、なんとなく

陽子さん自身への自戒のようにも思える。


しあわせになりたいから、進学を

諦めると考えるような気持ちへの。


「良く解る。その方がいいと思う」



僕自身への自戒にも、なるのかな。


祥子ちゃんの気持ちが続いたら

どうしようかな、とも思うけど。


4年経てば、16歳。


充分かな。


「そうだね。」と、僕も微笑む。

12歳の気持ちが、そうそう続くとも

思えない。



「じゃ、そうしよう」と

僕が言うと


陽子さんは、ちょっと淋しそう。



「それでいいと思う?」




沈黙。


僕は

「淋しいけど、仕方ないよね。」


祥子ちゃんが落ち着くまでは。



そう思う。


「優しいお姉さんだね」



と、慰めた。


祥子ちゃんが気付くといけないから

抱きしめたいと思ったけど、控えた。






陽子さんの哀しそうな後ろ姿は、見ていて

僕も悲しくなる。


抱きしめたくなるけれど、祥子ちゃんがどこかで見ているといけないから

堪えた。



妹思いのお姉さん。

妹も、お姉さんを思って。


「いい姉妹なんだけどな・・・・。」


好きって気持は、変えられないのかな、なんて

僕は思うーーーー。





「なかよしでいてほしいなぁ。」と

思ったりもする。




二階は客室造りになっているので

居るのは僕だけで、静かだ。



窓を開けていると、漣の音が

微かに聞こえる。



自然がいっぱいの、いいところ。



「こういう所で育っても、美術大学に行きたいとか

船乗りになりたい、と思うのかな」と、僕はふと思うけど


近くにあれば、都会に出なくてもいいのだから

それは社会の都合なんだろう。



孝くんが、バイトしながら高校に通う、

つまり僕と同じことができないのも


バイト先がない。


それだけの理由だった。




「運、みたいなもんだね。」と


僕は思う。




静かだーーー。


時折、高台を走る電車が


かたかた、かたかたん。


レールの継ぎ目を越える音がする。




自動車の音も、オートバイの音もしない。




「いいところだな・・・・。」と


思っていると、廊下を歩く人の雰囲気がした。



誰かな、と思って入り口を見ると


「こんばんは、夜分にすみません。」


お母さんだった。







どうぞ、と、招きいれて。


「遠いところをようこそ、いらっしゃいましたね。

陽子も、淋しがりですから

とても喜んでいます。」



と、微笑んで。


どちらかと言うと、孝くんに似た

スリムな感じ。


凛々しい。



僕は「大変、親切にして頂いて

言葉にできないくらい、有り難く思っています。」と。



お母さんは、にこにこと。


しっかりと正座、背筋が真っ直ぐ。

祥子ちゃんみたいだな、と思っているとーーーー。




「町野さんは、陽子を好いてくださっている、のでしょうね。」と。



僕はどっきりした。


そういう事をお母さんに話すつもりはなかったのだけどーーー。

普通、親には言わないだろうし。




でも。



「はい。」



お母さんは、真っ直ぐに僕を見て


「祥子も、町野さんに好意があるようです。まだ子供だと思っていましたが

そういう気持があるのですね。」と

笑顔になった。



僕は「可愛い子ですね。お姉さん思いの。」と。




お母さんは「ふたりとも私の大切な娘です。いい子に育てたつもりです。

幸せになってほしい。それが私の願いです。」



僕は、黙って聞いていた。


「町野さん、どうかふたりを大切にしてください。お願い致します。」



と、お母さんは深々と、頭を下げた。




僕は「はい。わかりました。僕も、おふたりを傷つける事のないように

思っています。」と。


それは本心だった。


僕は、祥子ちゃんの「姉が好きですか?」と言う問いに


「はい」と答えた。



それだけで十分かな、などと思う。




結婚の約束はしていないとも言ったが

それも本当だ。


まだ僕も16歳だし。陽子さんも19歳。


心がどう変わるかは分からないーーーー。




そう思うのは普通だと思う。




お母さんは優しい表情になり

「あなたは大人ですね。陽子よりずっと。16歳なのに。

驚いています。男の子って違うんですね。」と。

そう言って笑顔になり


おやすみなさい、と。


部屋を出て行った。




「いい家族だなぁ。」と思う。













しばらく経って、陽子さんが

「お布団、敷いてあげる。」と


部屋にやってきた。



「いいよ、悪いから。」と僕は言う。



こんな静かなところで、お風呂あがりの陽子さんと

布団。


少年らしい妄想に駆られてしまう(笑)


いい香りがする陽子さんのそばに居ると


少しヘンになりそう(笑)。

両思いなんだもん。



お母さんの気持、祥子ちゃんの気持を思い出して


そこは、堪えるより他ない(笑)。



男はつらいよ(笑)。





結局、布団は敷いて貰ったけれど


あまり、陽子さんのそばに行かないように・・・して。


のんびりと過ごす。


「明日は、なにしよう。夕方まで居られる?」と

陽子さん。



バイトは休みにしてくれたから、別に夜までに帰ればいい。


「うん」と、答えた。



「みんなで、水族館に行こうか。」と

陽子さん。



隣町は結構大きくて、水族館や遊園地があるらしい。


祥子ちゃんの思い出作り・・・かな。



優しいお姉ちゃんだなぁ、と思う。




僕は内心「お金足りるかな・・・。」なんて思っている

貧乏学生だった(笑)。





陽子さんは僕の表情を見て

「私が奢るわよ!社会人なんだもの。それに・・・・。」





「それに?」



「祥子の大切な人、だもの。」と

陽子さんはにこにこ。







いい人だな、陽子さん。




僕は、疲れていたのだろう。

ぐっすりと眠った。


幾たびか、夢を見る。


なぜか、夢に出てくるのは・・・・・・。


初々しい少女のような、イメージだった。


白い肌、柳の枝のようにつるり、とした裸身に

ヴェールのようなものを纏い


ふわふわ、と舞っているのだーーー。


泉のような、水辺。


深緑が生い茂る森の中。


透明な水は、清らかに。





それが誰なのかは分からない。

近づこうともせずに、ただ、美しいそのイメージを

眺めている僕だった。






「これは夢なんだろう」と

僕は気づいているのだけれども

その夢に、耽っているーーー。






少し、明るくなってきて

僕は目覚める。



時計、玩具のような腕時計は

Jimmy pendrix と言うペンギンちゃんのキャラクターで

Hendrixの洒落、なのだろう。



ゼンマイ時計を巻き忘れていたので、止まっていた。



普段、腕時計はしていない。



なんとなく、手首が動かし難い感じで。


それに、オートバイの整備や

アルバイトをする時、壊してしまいそうで

ちょっと怖かった。


叔父に貰ったTIMEXの時計は、そんな理由で

上野ー青森を叔父の乗務列車に随伴する時しか、しなかった。


いつか、国鉄職員になって

叔父のように白いスーツを着て、乗務する。

そんな夢を抱いていたりした、小学生の頃。




「祥子ちゃんも、そんな年代なんだな。」と

想う。





窓辺を見ると、夜が明けはじめ


白く、東の空が明るくなってきていた。




さく、さく・・・・。と、何か音がするので


窓の外を見ると、少女が

サンダルを履いて、玄関から出て、歩いていた。



祥子ちゃん。




「お散歩かな」


と、思ったけど。




万一、怖い人に会ったりしたらいけないな、と

思って。


心配になり、僕は


作務衣のまま、階段を静かに下りて

玄関から、サンダルで

後を追った。




まだ、薄暗い林の中は

ちょっと怖いくらいだけれども


住んでいる人には、そうでもないのだろう。


祥子ちゃんは、しっかりとした足取りで


浜辺の方へ向かっていた。





「祥子ちゃん」と

浜辺のそばで追いついて


僕は、静かに声を掛けた。



深緑の小鹿のように、祥子ちゃんは

振り向く。


「あ・・・・。おはようございます。」と。


にっこりした。でも



胸元を押さえて「わたし、こんな格好なの・・・恥かしい。」


大きく胸元が開いた、ふわふわのワンピースで


ちょっと、生地が薄くて。


ナイトウェアなのだろうか。



「可愛いよ。妖精さんみたい。」と

僕はにこにこ。



祥子ちゃんは、頬を染めて


「失礼します!」と


駆け出して。




家の方へ戻っていった。






あとに残るのは、朝もやの渚だけだった。



僕は、少し風に吹かれてみようか、と

渚を歩いた。



「まあ、家に戻れば心配もないし・・・・。」


と、思っていた。





遠い水平線は、ほんとうに丸く見えた。


海辺は、コバルト・ブルー。


南の海って綺麗だな、と

僕は思う。



「リゾートって、こういう所を言うんだな。」


僕なら、ここに住んだら

出たくなくなってしまうだろう。



音楽を聞きながら、ずっと、ここに居られたらな・・・。


なんて思う。







少し、明るくなってきて

海岸道路に自動車が走り始めると


ふつうの風景に見えてしまうから、不思議。



別世界に来ていたような気がしていたのだけれども。









何時かわからないけれど、始発電車が動き始めたから

5時くらいだろうか。



遠い、高台を

カタンカタン、と

軽快に、水色の電車が走っていった。



「帰りたくないな・・・・。」なんて思うけど。


ここに居るわけにも、いかない(笑)。






家の前で、お母さんに出会うと

少し、驚いたような表情で僕を見た。



「おはようございます」と

僕が言うと。


「おはようございます。」と

お母さんは、柔和な表情に戻り


「夫が戻ってきたのかと思いました。ああ、驚いた。そんなはずないのに。」と


少し、口調が砕けて


どことなく陽子さんのようだった。



視線を下ろし「そう・・・お父さんに似てると思ったのね。

陽子も、祥子も。」


と。


「似ているんですか、僕。」と尋ねると



お母さんは「はい・・・・。雰囲気、なのかしら。なんとなく。

私も驚きました。」と。





僕は、なんとも応えようがなく・・・。


玄関から、階段を昇って

僕の部屋に戻った。



「あ、おはよう、お散歩?」と、陽子さんは

僕の布団を上げて。



「きょうはお天気だから、干そうかな、おふとん」なんて。


溌剌としていて。



なんとなく、微笑ましい。


「新妻みたい」と思ったけど。それを言うと

また、雰囲気がラブラブになってしまうので(笑)


祥子ちゃんが見てたら、可哀相だから、止めた。






「あ、そうそう、水族館がいいかな、って思ったけど

きょうはお休みみたいなの。夏休みが終わりだから。

お掃除の日、みたい。


森林公園に行きましょうか。この、山を登っていくの。



それにね・・・。」




「それに?」と、僕が聞くと



陽子さんは「祥子がね『水族館、

ちょっと子供っぽいかしら』って。うふふ。お嬢さんになったのね、あの子。」




陽子さんは微笑む。



もし、僕が小学生で。

好きな人に連れて行ってもらうとしても

水族館でも、気にはしないけど。


「女の子って、大人になるのが早いんだね。」と

僕が言うと




陽子さんは「そうよー。だって、16歳で結婚できるんだもの。」


と、言って、陽子さんも、なんとなく気づく。



4年後には、祥子ちゃんは16歳なんだ。



little ladyなんだね。


僕はそんな風に思った。







朝ごはん。


「きょうはパンにしたの。」と、陽子さん。


「わたしも、スクランブルドエッグは作りました!」と祥子ちゃん。


にっこりすると、12歳らしい。

真面目な表情をすると、お姉さんと変わらないくらい

大人に見えたりもする。


ちょっと不思議な感じ。



孝くんは「俺、メシ食いたい」と言うので


陽子さんは「ご飯も炊いてあるよ。おかずは一緒でもいいでしょ?」と。



レタスときゅうり、トマトスライスのサラダ、たっぷり。

クリームスープ。


スクランブルドエッグ。


ウィンナーソテー。


ショートパスタ・サラダ・オランデーズ。



フレッシュジュース。




「豪華だなぁ。」と、僕は思い


「ジュースって、大変なんだよね。作るの。」と


駅で、よくジューススタンドがあって。


ミキサーにいろいろな果物を入れたり、氷を入れたり。


結構、沢山果物を入れていた。



陽子さんは「それは、夕べのうちに」と。


頑張り屋さんだなぁ、と思う。



そんなに、頑張ってると疲れないかな?

なんて思ったりもする。



ダメダメでもいいじゃない。と、思ったりもするけれど。

それはプライド、なんだろう。



僕なんか、ないけれど(笑)。






「いただきまーす」と

みんなで楽しく。



「楽しいね、みんなだと」と、陽子さん。






孝くんが「和食だとね。」と。味付け海苔と納豆。

それに卵を掛けて。


どんぶりのご飯に掛けて。さらさらと食べた。



元気一杯で、微笑ましい。



お母さんは仕事があるらしく、先に食事をとって

出かけたらしい。




「いつも、こうならいいのにね」と。祥子ちゃん。



学校があると、みんなバラバラで


学校は8時からだから、孝くんと祥子ちゃんは

お母さんと、だいたいご飯を食べて。


お母さんが早い時は、それもなかったり。




陽子さんは朝が遅いので、ゆっくり朝。

夜も、一緒でなかったりする。



田舎の町にも、結構時間の制約ってあるんだなと

僕は思った。




仕事場が、あんまり田舎にないから。







「俺はさ、宿題があるから後から行くよ」と

孝くん。


朝、涼しいうちにするそうだ。



そうそう、そんな習慣もあった。






朝ごはんを食べて、ゆっくりして。




きょうもいいお天気で、渚の漣はきらきら。


こうしていると、別世界に来た様だ。



「リゾートホテルがあるものなぁ」



入り江の向こうの海辺に、白い大きなホテルが建っていて

結構、それは賑わっているらしい。



「まあ、そうだろうな。」



僕だって、知らない家に泊まるより

その方がいい、と思う事もある。



親切な家かどうかは、行くまで分からないし。



キャンプの方がいい、なんて思うのは

そんな時だったりする。




ふと、北海道ツーリングの事を空想した。

どこまでも続く草原を、オートバイで走り

日が暮れたら、テントを張って。

眠る。

星空が綺麗で。

何の音もしなくて。



「ノリちゃんは、どうしてるかな」と

北高のクラスメートを思い浮かべる。


北海道ツーリングを企画した。



「あ、テニス部の練習だろな」


スポーツマン、なのだ。



陽子さんも、そういえば中学の頃

テニス部だったと聞いた。



「さっぱりしてるのは、それで、かな。」





「そろそろ出かける?」と、陽子さん。



「そうだね。僕はいいけど」と


森の中は涼しいだろうな、と


米軍仕様の水筒を出して。



「あ、それ。貸して。麦茶入れてくる。氷と。」


陽子さんは、細かいところによく気がつく。


「ありがとう」と、渡した。






少し経って。



玄関に下りていくと、陽子さん、祥子ちゃんが

スポーティーなスラックス姿で。


長袖。

夏帽子。


「山は、ね、虫がいるから」と。

慣れている感じが、地元の人である。





孝くんは、お見送り。「宿題がなければなぁ」と。


陽子さんは「貯めちゃうんだもの。貯めるのはお金だけ」と言うと


みんな、笑顔になった。



お金、ないもんな・・・・(笑)。




この家から、海岸道路に戻って登るのだけど


家の裏手から、その道に出られるそうで。



「少し、怖いけど」と、陽子さんは

先に立って、けもの道のような


林の間の狭い空間を、歩いていく。



斜めに。



この家も、傾斜地を切り拓いて建てたみたいで

結構敷地は広かった。


「広いんだ。家」と、僕が言うと


「そう。民宿を続けるつもりだったけど。でもね、ホント言うと

あんまり好きじゃないの。民宿。」



と、陽子さん。


それはそうだろうと思う。


プライベートがないもんね。



いい人ばかりでもないだろうし。お客さん。




特に、女の子だと。




「あ、それで画家に?」と

僕は思う。


アトリエなら、あんまり人を入れなくてもいい。



「ううん、絵はね、ただ好きなだけ。

画家になれるなんて思ってないもの。」と

陽子さんは現実的だ。



「祥子ちゃんは、なにになりたいの?」と

僕が聞く。


林を抜けて、少し広い登山道に出た。



階段のように、丸太が埋めてある。



「わたしは・・・・・お嫁さん!」と


可愛いお返事だけど。

僕はドッキリした。



そういうクラスメートも多かったけど。








丸太の階段は、案外きついけど

林の中なので、涼しくて

少しづつ、登っていきながら。


時折、稜線のようなところに


丸太を切ったようなベンチがあって。


「ああ、いい景色ね。」と、陽子さん。



かなり登ってきたらしく、海岸道路が

細い線のように眼下に。


遠い水平線は、丸く、青かった。


僕は、「恋はみづいろ」の、和訳の歌詞を思い出していた。


空も海も、みづいろ。

わたしたちみたい。


恋は、みづいろ・・・。




なんとなく、淋しげな響きが好きだった。



♪~♪

ハミングする。


「素敵なメロディですね。ラジオで聞いた事あります。」と、祥子ちゃん。



「祥子ちゃんは音楽好き?」と聞くと


「はい!大好きです。聞くのも、歌うのも。」と。



陽子さんも微笑んで「歌手になりたい、って言ってたものね。」


と言うと


祥子ちゃんは「小さい頃ね。」と言って


ちょっと、恥かしそうに肩を竦めた。


そんな様子は、Ladyみたいだった。


大人になりかけの、ちょっと不思議な頃。


いろいろ、夢もあるんだろうな・・・。なんて、思う。


ずっと、そのままでいてほしいな。

とも思う。


なかよし姉妹で。




家では、孝くんが

物思い。



「・・・・・サチのやつ。大丈夫かな。」と。


素直で、優しい性格だから

脆いところもある。



お姉ちゃんは好きだけど。


自分もしあわせになりたい。



けど、お姉ちゃんのしあわせも、壊したくない。




「難しいものに、出逢ったなぁ、サチ。」と


お兄ちゃんらしく、妹を気遣った。



なんとなく、サチの方を応援するような事を言ったのは

もちろん、冗談だけど


姉の方は、もう大人。


悲しみも受け止められるだろう。


でも・・・。12歳のサチに失恋はつらいよな・・・。と


お兄ちゃん、孝は思う。


宿題は進まない(笑)。





「孝、遅いね。」と、陽子さん。



僕は、なんとなく

孝くんは遠慮したのかな、と

思ったりもした。


祥子ちゃんと、僕の時間が

長くなるように。




優しい少年だから。






「じゃあ、行きましょうか。」と

陽子さん。


「待ってなくていいんですか?」と、僕が尋ねると



陽子さんは「平気よ。宿題の方が迫ってると困るし。孝は足が速いから

すぐに追いつくよ。」と。


案外クールだ。


陽子さんが少し、離れて行ったのは


ひょっとしたら、祥子ちゃんと僕が

ふたりになれるように。

そんな優しさ、なのかもしれなかった。




祥子ちゃんは、ふたりきりだと

ちょっと静かになる。


僕は、気を遣って

「いい所だね、ここ」と言うと


頷いて。「はい。」



遥か遠くの、峠を見て


「あの向こうに、お住まいなんですね。」と。


ちょっと淋しそうに。


僕も「そうだね」と言ったけど。



何を言いたいか、だいたい解る。


「バイクで来ようかと思ったんだけど」


と言うと


「もう少し、ここに居てくださいませんか....。」と、言葉は途切れ途切れ。


瞳は熱っぽい。



涙が滲んでいる。


「そう...僕も名残惜しいけど。」


せっかく、来れたのに。



そう言いたかったけど。



その時、陽子さんが

雰囲気に気づいて、振り向いて


「だいじょぶー、歩ける?」


と、言ったので


祥子ちゃんは、夢から醒めたように


「大丈夫よ。」と言って


元気なふりをした。




山の途中にある森林公園は


ホントに森林公園で、自然に親しむ為のもの。



なんと言っても、歩いてでないと

来れないのだ。



絶景。


崖に近い稜線の上の展望台。


遠い小島がいくつか、海の彼方に見えた。


「もう秋ね。風が冷たいわ」

と、陽子さん。


泉があるようで、祥子ちゃんが

見に行っている間、陽子さんは


「祥子、何か言ってた?」


僕は素直に

「もう少し居られないかって。」



陽子さんは「それは私も同じ気持ちだけど」と、笑って。


「でも、先伸ばししても、

いつか帰るんだもの」と。



大人はぞう、割り切れる。



「僕も、夏休みの終わりにね、避暑から帰るのが嫌で、泣いたもの。

10才だったかな。帰って来てから泣いた。過ぎた時間が愛おしくて。」



「かわいい」と、陽子さんはにっこり。



まるい微笑み。


「祥子ちゃんもそんな感じなのかなって思って」



「祥子はね、お父さんに可愛いがられてたから。とっても」


陽子さんは、ちょっと淋しそうに。



「お母さんは、僕がお父さんに似てるって。見間違えたって。」



「そう.....そうかもしれないわ。私も、なんとなく懐かしいような....」


と、陽子さんも思い出しながら。



「お母さんも、まだ認めたくないのね。あの家を売らないのもそれで、だと思う。どこかでお父さんが生きてるって、思ってるんじゃないかしら」


そう言うものかもしれない。



想い出はずっと残るから。


色褪せず。


思い出せる切欠があれば。



「祥子にとって、お父さんの想い出と、あなたが一緒になってるのね。

それで、別れるのがとっても辛いのね。それだけじゃないと思うけど。」


......なるほど。



陽子さんも似た気持ちなのかな。


初めて会った時から、自然に

すっ、と

親しくなれた。



今思うと不思議だ。




「でも、どうしようもないよ」



と、僕は諦めた感じ。



「....そうなのよね。」と

陽子さんも淋しそうに。



その時、祥子ちゃんが

明るい声で


「泉、とっても綺麗で見惚れちゃった。見てきたら?」と


さっきと違う人みたい。



.....いいなぁ、若さって。


と、僕は老人みたいな気持ちになった(笑)。



自然が、祥子ちゃんを

癒やしてくれたのかな。





陽子さんは、察したように

「私、行った事あるわ、ここで景色を見ているから、さっちゃん、案内してあげたら?」




僕は「お願いします」と。


祥子ちゃんは「はい。こっち。」と

軽快に、元気な足取りで歩いていったので

僕も後について。


木々に隠れて、昼でも涼しい。

木漏れ陽が美しい・・・・。


「いいところだね。来た事が無かった。」



と、僕が言うと




「はい、私も、そんなには。」と。祥子ちゃん。



「幼い頃、父が連れてきてくれたのは、ちょっと覚えています。」



と。


落ち葉を踏みながら、下り坂。

また、丸太の階段。


ゆっくり下りながら。


ゆっくり、ゆっくり・・・。









陽子さんは景色を眺めながら・・・・回想。



「祥子が落ち着くまで、少し待ってあげようか。

4年って、大学の卒業くらいだし。」と。


いつまで、祥子ちゃんが同じ気持で居るかはわからないし。

そんな思いもあった。







それは、陽子自身にもよい理由だった。

我侭で、誰かの人生を変えてはいけない。と。


「その時、祥子が選ばれるなら、それでもいい。」



妹が幸せになれるんだし。


あの人が、親戚になる事には変わりないし。



























「あっ。」


祥子ちゃんが濡れた落ち葉に滑って。


転びそうになったので、抱きとめた。



華奢で、折れそうに細い。




「大丈夫?」と、僕が言うと


祥子ちゃんは、僕に身を委ねたまま


「もう少し、こうしててください・・・・。」



しばらく、そうしていて。



ゆっくりと、祥子ちゃんは醒めたように。


頬が上気している。


夢を見ていたように、熱っぽい瞳。



「ずっと、こうしたかった・・・・。」




それから、また、歩きながらお話。



「お父さんと似てるって、お母さんが言ってたね、僕のこと。」




「・・・・。」祥子ちゃんは、黙っている。





「僕の事、お父さんに似てるって思った?」と、尋ねると



祥子ちゃんは「・・・・はい。でも、お父さんに甘えたい・・・のではないです。」


と、はっきりと言った。




「あなたのそばにいたいです。」と。



そういう気持もあるんだろうな、と。

思う。



僕だって、最初から陽子さんと恋仲になりたいとは

思わなかったし。


なんとなく、いいなぁ。


そう思っているだけだった。




祥子ちゃんは、はっきりと


「あなたは、どんな気持なの?」と

ふつうの言葉で言った。


お兄さんに対する、敬語ではなくて。



なんとなく、性急な若さを感じた。


どっきりした。



僕は「・・・・そうだね。祥子ちゃんとは、昨日初めて会ったんだし。

まだよく判らないけど、可愛いって思うよ。

時間が掛かるんじゃないかなぁ、人を想うって。」と。



正直にそう言った。



祥子ちゃんは「すみません、失礼でした。」と。


泉へ向かった。


泉は、深い谷のようなところにあり


透明な水がさらさら、と。


山の中では珍しい。



「綺麗でしょ?ね!。」と

祥子ちゃんは、溌剌とした少女に戻る。



元気に笑顔で。



ちょっと、びっくりするほど


引き摺らない少女だな、と思ったし



元気でいいな、とも思う。





祥子ちゃんは、僕のその言葉を


「祥子ちゃんを好きになるかもしれないけど、時間が必要」


と、思ったらしい事は、後で分かる(笑)。



オトメちゃんのかわいい夢。

もう少し、夢のままでいたほうがいいかな。






展望台に戻ると、陽子さんが


「お昼にしましょうか。孝は来ないみたいだから、余っちゃうけど。」と

言って。


きょうは、おにぎりのお弁当。


経木に包まれた、のりまきのおにぎり。

沢庵の漬物。


「なつかしいな、これ」と、僕が言う。


僕が以前住んでいた辺りは、商店街だったので

お惣菜を買ったりすると、こういう包みだった。


コロッケ、シュウマイ。お肉。


納豆も、三角に折られて包まれていて。

お豆腐屋さんで売っていた。


その事を話すと


「まだ、あるわよ、この辺りには」と、陽子さん。


海岸通りを、少し行った

隣の駅には、小さな商店街があるそうだ。



「行って見たいな」と、僕が言うと



「行きましょうか」と、陽子さん。



「そうだね、帰りがけに見ていこうか。」と言うと


祥子ちゃんの表情が曇る。



また、思い出しちゃったのかな、お父さんとのお別れ。




陽子さんは「明日、お店はあるの?」と言うので



「夕方からだけど、休みにしていいって言われてる。」と


僕は余計な事を言った(笑)。



陽子さんは「それじゃ、もう一晩泊まってよ、ね?

もっとお話したいし、いろいろ。」



祥子ちゃんも、ちょっとお願いする感じの表情だけど

黙して。




「・・・・でも、お母さんは許してくれるかな。それに、ご迷惑でしょう。

二晩も。」と。




僕は常識的に言ったけど、ホントは僕も帰りたくはなかった。




とてもいい環境で、ずっと住んでいたいと思うような海辺だった。




「うちはいいのよ。私も実は、明日も休みにしてあるの。

夏休みをまだ取ってないから、もっと休めるんだけど。」


お店は、交替で夏休みを取るようになっていて

そういえばアルバイトの僕も、そうしても良かった。




「そう・・・じゃ、そうしようか。お母さんのお許しが出たら。」と

僕が言うと


陽子さんは「ホントはね、母もそうして貰ったら、と言ってたの。ゆうべ。」




・・・・・・それは。祥子ちゃんの気持を考えての事?


優しいお母さんだな、と

僕は暖かな気持になった。



きょうが27日。明日になれば28日で

そろそろ、新学期の準備なんかの時期だから


祥子ちゃんの気も紛れるだろうし。



僕もまあ、新学期なのだけど(笑)


正直言って、どうでも良かった。

高校は出ればいい。そのくらいの気持だったから

真面目に勉強もしなかったし。


もとより、アルバイトが忙しいので

勉強している時間は無かった。




そのうえ、オートバイを買おうなんて

考えていたのだから。





きょうは、束の間の休息だった。





「さ、いただきましょうか」




「いただきまーす。」


と、僕らは景色を楽しみながら

お昼を頂いた。



おにぎりのほかに、煮物、揚げ物、焼き物などの

折り詰めもあった。


駅弁のように纏まっていて、厚焼き玉子と

小さなコロッケ、シュウマイ。

白身魚のフライ。

野菜サラダ。


お水の出ないように工夫されていた。








8月とは言え、木陰は涼しい。


よく、自動車の入れない山中に公園を作ったなと思うような


立派なテーブルとベンチ。


どれも、丸太をうまく加工したものだった。



木陰にあるところも、自然でいい。








お弁当を食べていると「おーい」と

孝くんの声。


「あ、お兄ちゃん。こっちこっちー。」と

祥子ちゃんは元気。

普通の12歳に戻る。



孝くんが来ると、楽しい感じになるので

祥子ちゃんも、かわいい妹に戻って。



「ああ、良かった。」と

僕は思った。



「良かった。孝のぶんのお昼、持って帰らなくて済んで。」


まあ、登りの時も僕が持ったんだけど(笑)。




食べ盛りの孝くんは、おにぎりを美味しそうに、ぱくぱく。



おにぎりは、三角の、ちょっと小さめのものに

海苔が巻いてあるもの。

それと、俵型。ゴマがまぶしてある塩味のもの。


あと、孝くん用なのか

ソフトボール大の、丸いおにぎり。


梅干入りだったり、おかかの醤油あじ。

昆布の佃煮。


焼鮭の解したもの。


焼きたらこ。



水っぽくなく、程よく結ばれている。




「美味しい。」と

僕が言うと


「えへ。これ、民宿のお客さんに

時々だしてたの。」


連泊する人が、ハイキングに行くときとか

頼まれると作るそうだ。



「親切なんだね。」と僕が言うと


「可哀相だもの。まあ、サービスじゃないし。」と。陽子さんは笑う。



「それはそうだよね。」と僕も笑う。






ーーーー

コンビニ、なんて無い時代である。




そういう人情に「ありがとう」と。


便利でない方が、助け合いってあったのかもしれない。


ーーーーー







「じゃ、午後はどうしましょうか?」と。陽子さん。




「その前に、明日休めるか聞いてみないと。お店に」と、僕。





「そうね。じゃあ、家まで戻って、電話してからにしましょうか。」




「折角登ってきたのに。」と、孝くんは言ったけど


「ま、いっか。森林公園って、何にも無いものね。」と。




僕も笑いながら「ごめんね。」と。



丸太の階段を下る事にした。




下りは結構辛い。(笑)。




傾きかけてきた陽射しが、秋、を思わせた。





歩きながら、孝くんは「バイク乗るんでしょ?どんなの?ナナハン?」


って。



僕は「ナナハンは今、免許が難しくて。いきなりは取れないから

とりあえず400の免許を取ったよ。」と。



孝くんは「いいなぁ、バイク、今乗ってるの?」と。


僕は「これから買うんだけど、今は50。兄貴のバイクで。」



と。



孝くんは「なーんだ、50か。」と言う(笑)。



陽子さんは「失礼よ、孝」と。



孝くんは「あ、ごめんなさい。」と。



僕は「いいよ、僕のバイクじゃないんだし。

それに、最初は小さいバイクから乗った方がいいんだよ。

大きいのは重いし、力もあるから。」




「よく、そういうよね。俺は、でもナナハン乗りたいなぁ。」と、孝。




「僕も、高校生のうちに免許は取りたいって思ってる。」と言うと


「乗っけてよ。バイク、今度」と。孝くん。


「そうだね。」と僕は笑う。でも、今度がいつになるのかは分からない。



夏休みが終わったら、また忙しくなるのだ。




「じゃさ、買ったら乗せて、400。」と、孝くん。


「うん。」と、僕。




陽子さんは「バイクは危ないよ。孝は危ない事が好きね。」と

苦笑い。



祥子ちゃんは「そうね。でも、ちょっと乗ってみたいな。」



祥子まで、と。陽子さんは笑う。




家に戻って、電話を借りて。




お店に電話をした。




青物チーフの、アゴさんに(笑)


「あ、なんだ。連休にしてあるよ、とっくに。

引き止められてるんだろ?

そうだと思った。まあ、おまえ夏休み取ってないし。

いいぞ。気をつけてな。」と。



・・・・・そうは言っても、バイトだから無給である(笑)


一日休むと結構、気になる貧乏学生で。





「さて、あとは家か。」と。


家は、昼間は誰もいないだろうから、と。

どの道呼び出し電話だから、込み入った話は出来ない。


それで、兄貴の職場に電話を掛けた。



内線直通なので、こういう時は便利で


兄は、よそ行きの声で「はい、わかりました。お気をつけて。」と



仕事の電話を装って(笑)。




優しい兄である。







「さあ、これでもう一日・・・・か。」



まあ、別れが辛いだろうけれど。


少し、お話したから

祥子ちゃんも夢想から戻ってこれるだろうと思う。



誰かを好き。

そう思っている間が楽しいんだよね。



僕もそんな気がしてきて、陽子さんに会いたいと

思っている間はとても切なかった。


でも、来て見ると。

何か、天国から地上に降ろされたような、そんな気分でもあった。



それはそれで、楽しくもあるけれど。




いい音楽、例えばスイート・ソウルのstylistics。


you are everything、を聞いたり

歌ったり。


その時の気持は、天国のような気がした。



でも、実際に誰かを「you are everything」と言う事って

たぶん無いだろう。



音楽のほうがいいなぁ。


そんなふうにも、思う。






ほっとしていると、孝くんがちょっと、慌てた感じで


「サチがさ、ヘンなんだ!。ぐったりしてて。」


玄関まで、孝くんと歩いてきて、倒れてしまったらしい。


「すぐお医者さん呼んだほうがいいわ。」と


陽子さん。


電話を掛けている。



「すぐ来てくれるって。近くのお医者さん。」


「じゃ、祥子ちゃんのお部屋に寝かせてあげようか。」



と、歩けそうにない祥子ちゃんを抱えて、僕は

祥子ちゃんの部屋、一階の奥に。





可愛らしいお部屋かと思ったら、案外質素な和室で

けっこう広い。


勉強机と、本棚と。


古いステレオがあったり。



音楽が好きなんだな。と思った。



ベッドではなくお布団なので、お布団を

陽子さんが押入れから出して、敷いて。


広いお部屋だから、真ん中のあたりに。


お医者さんが来るし。





お医者さんは、すぐにやってきて。


古いスバルの軽だった。


箱型で。

青い煙を出して走る、2サイクルのもの。




のんびりした丸顔の医師は、ひとの良さそうなおじいさん。




「先生、お願いします。」と、陽子さんは心配そう。




僕は思う。





・・・・さっき、泉で滑ったとき、熱っぽかったからな・・・・。


そのあとは元気だったので気がつかなかったんだけど。





診察。



一階のリヴィングで、僕らが待っていると


先生「あー、夏の疲れだろう。心配ない。栄養のあるものを食べて寝てれば。」と。




良かった。


孝くんも「ああ、よかった。先生ありがとうございます!。」



先生は「あー、なんでもない。熱下がらなかったらまた呼んで。」と。





陽子さんも「いろんな事あったものね。」と。



孝くんも「そうだよなぁ。初恋なのかな。」と。


僕は、なんとなく恥かしい(笑)。



陽子さんは「あの子、そういえば男の子の事とか・・・あんまり気にしてないタイプだものね。



と。




「あんなにかわいいのに?」と、僕が言うと




「結構、この辺りは古い街だから。あんまり、男の子と女の子が


並んで歩いたり、ってくらいの事もなかったわ。中学くらいでも。」





僕は「それは、東京の方でもそうだよ。」と言うと



孝くんは「東京生まれなんですか?」



僕は「そう。東京って言っても、都心じゃなくて。


蒲田ね。川崎のとなり。下町さ。」







生まれたのはそうだけど、住んでいたのはあちこち。


目黒、横浜、青森・・・。


どれが故郷かは分からない。




どこでも、60年代ってまだ、戦前の名残で

男の子は女の子と近づかない、そんな風習があった。



僕のように、女の子のペット(笑)になる子もいたけれど

それは稀なタイプで。



普通は男の子だけで、乱暴な遊びをして。


女の子は可愛らしい遊び、おままごととか。



僕は、あんまり男の子とは遊んだ記憶もない。





「祥子ちゃん、寝てる?」と聞くと


陽子さんが「うん、お薬が効いてるんでしょう」と。



「安心したのかな。」とも。







「安心って、なにに?」と、尋ねると




「お別れが伸びて。」と、陽子さんは言ってしまって


あ、しまった、と言う顔をした。




・・・まあ、伸びたっても一日だけだし・・・・。





僕らは、とりあえず安心して。


でも、祥子ちゃんを置いて遊びに行く事も出来ず。



孝くんは宿題の続き(まだ、残っていたらしい)。



陽子さんは、夕ご飯のお買い物と。



それぞれに、「ふつうの午後」に、戻っていった。





僕は、傾きかけた秋の陽射しを追うように、渚の方へ行ってみる。



海岸通りにも、もうレジャーのクルマもこない。



ときたま、オートバイが走りぬける。



ホンダのCB750が、重厚な音をたてて走っていった。



世界が、あっ、と驚く高性能バイクだった。


4シリンダの大型オートバイ。



1969年だったろうか。



77年頃は、400Fのように集合マフラーのタイプも出ていたが

僕は、古い4本マフラーが好きだった。


漫画で、主人公がアルバイトをしてCB750の中古を手に入れて

バイクとともに過ごす、そういう作品が好きだった。



兄が買っていた雑誌を、読ませて貰っていた。



兄は、その世代なので750ccも乗れる免許が取れたが

どちらかと言うと4輪が好きなようだった。





砂浜を歩いていると、白い軽トラックが

止まって。



陽子さんが手を振っている。



僕は、なんとなく笑顔になって


道のほうへ。


海岸道路からの道は、地面のままで

砂混じり。


そこに、トラックは止まって。



陽子さんがにこにこ 「もう、きょうも夕暮れね。」



「祥子ちゃん、大きな病気でなくて良かったね。」




陽子さんは「お医者さんがね、『恋患い』じゃないかって言うの。うふふ。」

と。



「楽しいお医者さんだね。」




と、僕も笑顔になった。




「12歳の恋患いか・・・・。女の子って早いのかな。」と

僕が微笑みながら。



まるい太陽は、大きく見える。

沈んでしまうと、きょうも終わる。


夏の盛りより、いくぶん遠い。



陽子さんは「そうね・・・・。わたしはあんまり、経験ないけれど。

あなたはどう?。」



と、楽しそうに聞く。




「僕も、熱出した事はないなぁ。なんとなく、僕は・・・

女の子のお友達って感じだから、想う暇がないんだね。

そばにいると。」



陽子さんは笑って「わたしたちみたいね。」と。




そういえばそうだね、と言って僕も笑った。



「あ、買い物買い物。ねえ、商店街見てくる?」



「そうだね。」と


僕は、促されるままにトラックの助手席に乗って

隣の小さな駅前だ、と言う

商店街へ行く事にした。




「お休みの日に、自分の店って行きづらいものね。」と僕が言うと


そうそう、と陽子さんも頷く。笑顔で。


「なんとなく仕事してる気持になっちゃうけど・・・・でも、あの時は違ったな。」と


陽子さん。



「あの時って?」と僕が言うと



「7月の終わり」と、陽子さん。




・・・・ああ。


僕と出逢った店の最終日。

お店に陽子さんは来たんだった。


でも、僕には会わなかった。



「あの日、会えなかったね。」




「だって、泣いちゃいそうだもの。」と、陽子さん。



僕も、そうだったかもしれない。




「ひとつき前か。随分遠い昔みたい。」と僕が言うと



ほんとね、と。陽子さんは笑った。








ちいさな商店街は、僕の育った下町のように

ささやかな感じ。


近所のひとたちが、仲良く暮していて。


ちょっと違うのは、軽トラックで買いに来て

駅前に止めておける、と言うあたり。


田舎らしい、車で移動する生活。



「こういう所だと、バイクもいいなぁ。」と

僕が言うと



「オートバイ、買うの?」と、陽子さん。



「そのつもり。買えればね。」と、僕。



「危ないから乗って欲しくないな。」と、陽子さん。




僕は「そうでもないよ。無理しなければ。」と。僕。



陽子さんは、そうかもしれないわね、と言いながら


八百屋さんのおばさんと親しそうにお話。



「あらぁ、陽子ちゃんのお友達?」と。僕の事。


はい、と、僕。



おばさんは、かわいいお友達ね、と、にこにこ。



すこし、オマケしてくれたり。





つぎのお店に行く間、陽子さんは

「かわいい、って言われて怒らないのね。」と。


僕は「慣れてるから。」と。




「ずっと、そう言われてたの?」と、陽子さんは

すこし驚いたように。


僕は「うん、なんだかね。そういうふうに生まれたのは

仕方ないもの。僕もあんまり、乱暴な事って好きじゃないし。

カンフーはするけど。」と言うと


陽子さんは「そうそう!あの時、酔っ払っちゃって。」と

バーベキューパーティーの時の話を。



僕は「飲ませるんだもの、みんな。」と。




陽子さんは、楽しそうに笑って「お酒は弱いのね。」



僕は「ぜんぜんダメ。遺伝みたいね。父もダメだったって。

三々九度で酔っ払っちゃって倒れたって。」



陽子さんは、ははは、と解放的に笑った。


・・・・元気になって、良かったなあ。


僕はそう思う。


お店にいる時は、なんとなく、無理してそう、って感じだったけど。





お肉屋さんでコロッケとシュウマイを買って。


やっぱりすこしオマケして貰ったり。



「あ、あのお弁当のコロッケ。」と

僕が言うと



「たまたまね。家で作る時もあるけど

忙しいと冷凍で、なんて事もあるわ。」と

正直な陽子さん。



ちょっと、肩を竦めて。




「無理しないほうがいいもんね。」と、僕。




ほのぼのと、南の町は

暮れてゆく・・・・。














.

..





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る