第4話 old fashioned love song

呆気なく免許が取れたので、自分のバイクがほしくなる。


兄のTYは、兄がクルマの免許を取って

乗らなくなると、母が強奪。

この頃は戦前の名残で、そう言う親も居た。


で、チャピィに変えてしまったが


(兄もこの性格が災いし、若くして死す。桑原桑原たけし。)



兄はGR50の中古を買って来た。


6万。


1500km、3年落ちだから

当時はバイクって安かった。


新車で10万である。


それを、チューニングして。


圧縮比を上げ、充填効率を良く。


125ccノーマル並みの速さになった。




でもまあ、気分としては...。250cc位はほしい。


GTがいいかな、RDかな。


この頃、学校で授業中に『お手紙』が回って来て。


「ねえ、オートバイ持ってる?」

クラスの女の子、尚子だった。


バスケ部だったかな。


なので『50はあるよ』と。


ふつうにクラスメートで、割と可愛いコだった。


でもまあ、陽子さんの方がいいなぁ、なんて。


家族の為に、健気に頑張る19歳。

希望を持ってほしい。


そう言う人の為に、何かしてあげたい。


僕もそう言う人種。


なら、オートバイを買わずに

父の療養費にすれば、とも思う。


でも兄が「高校生のうちはいい。遊べ。学生時代じゃないと出来ないぞ」



そう言ってくれたので。


アルバイトで買う、そう言う約束で

バイクに乗れた。



(ただ、買ったバイクは兄も乗りたかったらしい。)


当時の家族って、そんな感じだった。


これは、日本中がそう言う感じだった。


いい時代だったんだ。


会社も、学校も。






でもまあ、若者だから

なんとなく、死、の匂いのあるものに憧れる。


オートバイもそうだし。


ハード・ロック。 そういうものだと思う。




僕は、なんとなくその、中学のクラスメートだった

朋ちゃんの刹那なところが、気になったりもして。



Led Zeppelin の stairway to heavenを思い出して。



ちょっと悲しくなったり。


あの、前奏のギターのアルペジオを

弾いているつもりになって


左手はコードの形になったり。



・・・なんで、あんなに刹那な16才と

明るい19歳が居るんだろうな。


と、陽子さんのことも思った。



恋・希望。

そのどちらかなんだろうな、なんて

思ったりもした。



朋ちゃんは、どういう訳か失望をしたようだった。


でもまあ、それに関わるほど

アルバイト生活は暇では無かった。


生きていく。

その為には、悩んでいる暇なんてないのだ。






その気分をぶっ飛ばすには、やっぱり

ハード・ロックかな、と。


まだ、ウォークマンが無かったので

心の中で音楽を繰り返していた。


Deep Purple のハイウェイ・スター。


ライブ盤が好きだった。



「そろそろ、部活動を決めないと」と言う

小野君の言葉を思い出し。



「じゃ、軽音にするかな」


事情は判ってくれるだろうし、バンドでなくソロなら

文化祭も問題は無い。


練習しなくてもいい曲を弾けばいいから。




稔くんは、意外にも体育系で

陸上部に入ったらしい・・・のだが。

あんまり練習には出ないようだった(笑)忙しいもんねぇ。


この学校は、あんまりスポーツの成績とか

そういうものに拘らない学校だった。



県立だし、PRの為にスポーツや、学業を使うのは

芳しくないと言う教育委員会の考えだった。

(それはそうですね)。



スポーツは、心を鍛えるもの。結果は二の次。


正論だが、中々そうはならないな、なんて事を

少年なりに思っていた。


あの、スーパーの食料品チーフの近藤正臣似くんも


好きな陽子さんが相手にしてくれず、僕を可愛がるので

八つ当たりに仕事上の立場を利用して、怒鳴る、怒る。


仕事の為にならないのはあたりまえだけれども。


あんな大人には絶対なるまいと思った(笑)。





ーーーそういう訳で、稔くんは相変わらず

授業が終わるとどこかに居なくなっていた。


僕は、放課後になると

アルバイトがあるので。


この頃は午後6時から、出ていたから


それまでに家に帰って、着替えてからスーパーへ。


4時半くらいには下校しないと忙しい。



「クラブ、どうしよっかな」と思い


やっぱりLM、軽音にする事にした。


表向きはロック禁止、エレキ禁止であったが

(まだ、エレキが不良と言う偏見が残っていた時代である)。




「えーと、クラスでLMの奴は、誰か居たかな?」



思い出してもよく判らないので、学級委員の女の子。

理恵ちゃんに「クラブね、LMにするから」とだけ言っておいた。

先生には伝わるだろうから、急かされる事もない。



まあ、どの道幽霊部員になるのだし(笑)。





理恵ちゃんは、このクラスではひとり。


この頃、割と人気のある名前だった。


別のクラスにも何人か居た。


このクラスの理恵ちゃんは、髪はさっぱりストレート。ちょっと長めのボブ、と言う感じで

シルバーフレームの眼鏡を掛けて、もの静かな文学少女と言う感じだった。



話をした事が無かったのだけど、卒業後の5月、街で

横断歩道の信号を待っている僕に、後ろから声を掛けて来たりして。


ちょっとびっくりした記憶がある。


学校で声を掛けられた記憶が無かったから。



淋しかったんだろうな、卒業で。






そんなことを、今思う。






ロックのことを考えていたら、なんとなくギターの音がしたので


音の方向へ行って見ると、階段の下の倉庫、みたいな所に


小さなアンプとギターを持ってきて、何か弾いているようだった。


「弾くのは面白そうだ」と思う。



どちらかと言うと、ジョージ・ベンソンみたいに

綺麗な音でメロディを弾くのはいいな、とも思っていた。



管楽器の方が実は得意で


小学生の頃から、トランペットで鼓笛隊に入ったり

(でも、買えないので辞めたが)


中学になると、ブラスバンドの連中が仲間だったので

いろいろ吹いたりした。

低音楽器がメンバー不足、なんて時。

割と、あれは誰でもなんとかなってしまう。


ユーフォニーム、とか、チューバとか。



そんな事を思いながら、二階への階段を上がると

北校舎との連絡通路に、ジュースの自動販売機があった。

紙パックの牛乳、フルーツジュース。


いつでも買えるので、よく休み時間に飲んでいる人が居る。

ホントは禁止だが、まあ、おおらかな校風である。




ふんわりした気持で歩いている。



二階なので、窓の向こうに雲が見えて。


そろそろ、夏の雲のように真っ白な雲が見えている。



ノリちゃんが、ちょっと緩めのワイシャツ姿で。


暑がりなので、夏服はありがたい。そういう感じだ。


でも、黒いズボンは暑いみたい。


ちょっと緩めかな。ドカン、と言うズボンだろうか。


僕のもそれに似ているが、これは単に貰ったズボンが

太すぎただけだった。




「何見てる?」と、ノリちゃんは直裁に話す。


いつもそういう話し方だ。



僕は「ああ、雲。夏だなー。」と、にっこりすると


ノリちゃんも笑顔で「夏休みに行きたいなぁ、ツーリング」と。


ノリちゃんは10月生まれなので、まだ免許は取れない。



「そうだね。」と、僕はそれだけ言って

夏の雲を見た。


開け放たれた窓から、爽やかな夏の風、のような

薫り高い風が流れてくる。



「免許、取るの?」と、ノリちゃん。



僕は「もう取ったよ。5月生まれだから」と。


学校には持ってきてはいない。万一落とすと

持っている事がバレてしまい、ピュンピュン丸先生の

面子を潰すから。


それに、風紀委員の先生、丸坊主でいつも竹刀を持っている

ヘンな、小早川が見つけると面倒だ。


何かと因縁を付けられると面倒なので、職員室に行くときも

小早川が居ない時に、みんな、していた。


以前は結構、ツッパリの生徒と喧嘩したりしたらしい。

(ちなみに小早川先生は剣道部ではなく、世界史教師である)。


だから、僕らは世界史を選択しないようにしていた(笑)。



そういう理由で結構、決まってしまったり。





渡り廊下なので、いろいろな人が通る。


三年生も通る。丸川先輩は、いわゆるツッパリで

髪をオールバックにしていて。


でもいい人で、僕らに会うと「なんかあったら言えよ。北高の

平和は俺達が守る」と。


昔風の義賊、なんだろうか。


番長、みたいな怖いものとはちょっと違うイメージだけど、

この時代はどこでもそういう用心棒のような人が居た。


頼りになる兄貴、みたいな。








そう、あのスーパー、ヤオセイでも


お肉屋さんのお兄さんがそれふう、で

左手の指が何本か、無かったり。


その人は、僕が「おはようございます」と


夕方でも挨拶すると


ニカッ、と笑って「よぉ、学生。頑張るな」


僕の事は、誰かから聞いているのだろう。





なので、あの近藤正臣似くんのハラスメントは


朝が早いお肉屋さんが帰ってから。



「・・・まったく、セコイ奴」と、僕は思う。



昼間は、あの人が居るから

陽子さんも安心だろうな。そんな風にも思った。





ーーーーーー




そのうち、夏休みが来れば。

子供の頃は楽しくて仕方なかった夏休みも

「アルバイトに長く出られるな」

その位の感覚しかなかった。



でも、それは人が足りなければの話で


どちらかと言うと昼間の時間は暇だから

パートのおばさんとかが多く居て

僕ら、学生アルバイトの出番はあまり、ないようだった。







下校しながら、自転車を走らせて。

田んぼを渡る風が、蒸し暑く感じるようになる7月である。


梅雨の間は、自転車通学も参る。


雨合羽に、傘。


傘は本当は禁止だから、正門に行くと

風紀委員が煩いので、みんな、裏から入っていた。




通学かばんにカバーをするのが面倒なので、僕は

スポーツバッグをたすきに掛けて、その上から

合羽の上を着ていた。


だから。


着膨れたカッパ、そんな感じで


「こんな姿を陽子さんに見られたくないなぁ」なんて

アルバイトに行く時は、傘だけで出かけたりした。



ジーンズにTシャツ。

だいたい、安物だったけど、無地の青や緑、そんな色のものを着ていて

ブルー・ジーンズは、裾の広がったものを探して着ていた。


色を落としたりしていない、ナチュラルなもの。



髪も伸びてきて、ちょっとはミュージシャンふうに見えるだろうか、なんて

思ったりもした。


パーマは学校で禁止なので、真っ直ぐで長いままだったけど、

たまーに、母のホットカーラを使って、ウェーブをつけて

アルバイトに行ったりした。



そうすると陽子さんは僕を見かけて


「ステキね。かわいいわ」と。



陽子さんにかわいい、と言われると

うれしい。


他の人に言われたら「子供じゃないんだから」って

可愛いはない、なんて言い換えさせたりするんだけど(笑)。









そんな、ある日。


夏休みに入ろうか、と言う頃。


閉店時刻が7時で、その日は

八百屋のバックヤード、学校の教室くらいの広さのそこで

僕は、きゅうりの袋詰めをしていた。



きゅうりを何本かいれて、ビニール袋の口を

テープの回ったセッターに通すと

よく見かける、テープがくっついて封が出来るあれ、が出来る。



結構難しい。



それをしていると、陽子さんが

私服に着替えて。


僕のそばに来た。


僕は顔を見上げると。



「あの、ね。私、支店に戻る事になったの。」


陽子さんは、複雑な表情をしていた。


晴れやか、なんだけど、どこか翳りがある、と言うか。



僕は、ちょっとその表情が気になった。


「良かった、と思います。何か、気になる事があるんですか?

僕で良かったら、聞きます。話して下さい」と、努めて笑顔でそう言った。




陽子さんは「でも、ここじゃ・・・・・。」と。


視線を落とす。



僕は少し考え「それじゃ、今日は早退にします!この袋詰めが済めば、大丈夫。」


と言うと、陽子さんは「それじゃ悪いわ、一時間くらいだったら

わたし、待ってるから、隣の喫茶店で」


ここのスーパーは、潰れたボーリング場の建物そのままなので

喫茶店、ゲームコーナーはそのまま営業していた。


並びの建物なので、そんなに気になる距離でもない。



と、陽子さんは気を遣ってくれたが、僕は少年なので


「はい、でも、ホントに一時間くらいなら早退できます。」


事実、八百屋の仕事の後は時間潰しのようなものだった。


店内の陳列等は、どうでもいい仕事なのだった。


僕は、事務室に直ぐ行って、まだ残っていた副店長に

「すみません、少し早退できませんか?」と言うと


副店長は、事情を察した表情で「いいよ、直ぐ帰りな。八百屋の残りは

俺がやっておく」と。





陽子さんと僕の事は、店の中の誰もが知っているから、でもあった。




その陽子さんが、いなくなるので



副店長も、よくものの判った人だった。











僕は、ロッカールームに行って

八百屋さんの上着を脱いで。


いつもの、Tシャツとジーンズに戻った。


そして、通用口から出て。


陽子さんの姿を探した。


もう、社員はみんな帰ってしまって

誰かに見つかる心配はないけれど

それでも、ちょっと気になるのだろう。


少し離れたところの、電話ボックスの所に

陽子さんの姿を見つけ、安堵した。


白い、麻だろうか。

夏服のワンピースは袖が小さく付いていて。

空色の編みこみが、細いストライプのよう。



「ごめんなさい。待ちましたか」

と、僕が言うと、陽子さんはにっこりとして


「君と、最初のデートだね。」と。



デート、なんて。考えた事も無かった。

そんな余裕は無かったんだ。


なにせ、学校とバイト先の往復。


夜9時頃、帰宅してそれから入浴、食事。

寝るのは11時過ぎだった。


それでも、まだ新聞配達よりは楽だけれども。




陽子さんは、意外に楽しそうで

「ずっと誘ってくれないんだもん、私って魅力ないんだって

落ち込んじゃったのよ。」と


ちょっと、お姉さんの顔をして、そう言った。



実は女の子を誘った事はない。



誘い方も知らなかった。中学の頃は、なんとなくグループで

遊んでたから、誘うことも無かった。




僕は考え「じゃあ、喫茶店にでも行きましょうか」と言うと


陽子さんは「わたしの部屋に来ない?直ぐ近くだから」と言うので


僕は、自転車を取ってきて。


いつもの通学用だ。



陽子さんは「いつも自転車なのね。時々見てた」と。歩きながらにっこり。


お店沿いの国道を、町とは逆の方向に少し歩いて

グラウンドのある斜めの道、車は入れないので、ゆったり歩いて


三つ目の路地の奥に、陽子さんの部屋はあった。


コンクリートの三階建てで、外階段の。


よくありそうな鉄筋アパートだった。


割と新しかった。


白い吹きつけ壁が高級感を醸している。



「ここの三階の角ね。」と、陽子さんは

中央にある階段を先に登る。



音がしないように静かに歩く陽子さん。


上品な人だなぁ、と

僕は一歩離れて。



ドアはシリンダー錠で、重厚な感じのマホガニーのドアだった。



がちゃ、と、鍵が外れる音がして「さあ、どうぞ」



綺麗に片付いていて、仄かにいい香りがする。


陽子さんは玄関の灯りを点けて「狭いけど」と。


2DKなので、狭くは感じなかった。


あまり家具を置かず、シンプルな内装だった。



「ちょっと待ってて、お茶いれるから」と


陽子さんはダイニング・キッチンへ。


僕は、洋間にあるソファに腰掛けた。


窓にはカーテンが掛かっていて、表がどんな様子かは判らない。


静かだ。



「お待たせ」


夏なので、スパークリングかな。

シトラスの香りがする炭酸が、氷の満たされたグラスに。



綺麗に磨かれたグラス。



僕とは住む世界が違う人だなあ、と

一瞬思ったけど


陽子さんも、弟たちに仕送りをしている人なんだな、と

改めて気づく。




僕は、一気にそのシトラスを飲み干そうとしたが

炭酸が強く、途中で止めておいた。



陽子さんは「そういう所は男の子ね」と


にこにこ。



「そういうとこ?」と、僕は笑顔で聴き返すと


陽子さんは「君って、女の子みたいなんだもの。」



よく、言われる事だった。


大人しい、のだろうか。


幼馴染の女の子にも言われた。


あの、中学のフォークソング仲間、朋ちゃんにも

よく、そう言われた。




「そう、陽子さんはいつまであのお店に居るんですか?」


と、忘れていた事を聞くと、陽子さんはちょっと表情を曇らせて


「今月一杯なの」




あと幾らも無かった。



「そう・・ですか。」僕も、なんとなく沈んだ気持になる。



「でも、美大に行けるんでしょ?」と僕は明るい話題にしたくて

そう言った。



陽子さんは「そう、奨学金は貰えそうなの。でもね・・・・。」と。

視線を反らし、立ち上がって窓の傍に。


外の方を眺めて。



「わたしね。高校の頃も男の子と付き合った事、無かったの。

なんか怖くて。女子高だったし。でもね・・・・。


君は、なんか怖くないの。可愛いって思う。

ずっと、傍に置いて可愛がりたいなって思うの。


男の人に憧れるのと違うの。

弟とも違う。


なんだか、判らないの、私の気持。」と、陽子さんは

繊細な事を語った。



僕は、黙って聞いていた。


「僕は、そういう人なんですね、きっと。

幼馴染にも似たようなこと、言われました。」




陽子さんは振り返らずに「どうしたらいいか、わからないの。」と


ちょっと、涙ぐんでいるようだったので


僕は立ち上がり、恐る恐る、陽子さんの肩に触れた。


か細い肩、だったけれども

女の子らしい、柔らかな感じで

いい香りがした。


「すみません」と、言って

僕は背中から、すこしふるえる手を前に回して


柔らかく抱きしめた。



「ありがとう・・・・。」と、陽子さんはか細い声で

涙が、僕の腕に流れた。



「あ、ごめんなさい・・・。」と、陽子さんはか細い声で・・・・。







そうして、優しい時間が過ぎた。







なんとなく、肩の力が抜けたような気がした。


女の子と付き合う、って。

こんな感じなんだな。


僕は、家路を急ぎながら

星の瞬く田舎道を、ブリジストン・アスモの

ギアをTopにして。


「陽子さんは恋人、なのかな。」


そう思った。でも。


幾らも、日にちは残って居なかった。


「夏の日の恋'76かな」


と、パーシー・フェイス・オーケストラの

ダイナミックなサウンドを連想しながら。


音楽が心にあると、あまり深刻に

悩まない。


そんな感じだ。



「いずれ、別れるんだろう」


陽子さんが故郷に戻れば

僕がついて行くか、

陽子さんに帰らないで貰うか。



どちらも無理だった。


それに、美大に行く為の勉強も必要だろう。


「僕にお金があればなぁ」



無いものは仕方ない。



翌日は、期末テストだったが

元々、勉強は得意なので

赤点にならなければいいかな。


そんな感じ。

元々北高を選んだのも、勉強に苦労しない為だった。


アルバイト生活になる為。


ホントは、中卒で国鉄に入りたかったのだが

国鉄職員の叔父の進言だった。


それで高卒にしようと(笑)。


叔父は大学へ行けと言ったのだが。




そんな想いがあるから、陽子さんが

一旦諦めた美大に、もう一度

行けるチャンスが来た、そんな気持ちを

大切にしてあげよう。

そう思った。


陽子さんの故郷と、この街は

オートバイなら、峠を越えて2時間位で

行ける。


「でも、そばには居られないな」


淋しい。そうは思うけど。



テスト勉強していない僕を見た

ノリちゃんは

「頭いいからなあ、タマは」


ノリちゃんは、お兄ちゃん肌なので

僕の事を呼び捨てで呼ぶ。

でも、嫌じゃない。


ノリタマツーリング倶楽部、にしようよ、名前。


ぞう、ノリちゃんは言うんだ。


のりたま、ってふりかけが

当時、人気だったんだ。



テストで、授業がない。


でも、アルバイトの出勤時間は

変えて居なかった。


忘れていたんだ。


久しぶりに、ゆったりとした気分で

下校した。


学校の周りは田畑で

畦道を僕は自転車で走って。


夏を感じていた。




夕方、定刻より少し早く

スーパーに入り、いつもは

慌ただしく制服を引っ掛けて

お店に出るんだけど


ゆったりと廊下を歩いていると

陽子さんにすれ違う。



陽子さんも気づく。けど


恥ずかしげに俯いて、赤くなって。


小さな声で「おはよ」


声が震えている。



僕も、なんとなく恥ずかしい。


「おはようございます」と、いいながら


すれ違う。


昨日の夜と、同じ香りがした。


振り返らずに見送り、僕は八百屋さんの売り場に出て

仕事。


青果チーフのアゴいさむ似(笑)が


「よぉ、カオ紅いぞ。熱あんのか?」


何でもないです、とかぶりを振ったが。


胸はときめいていた。



少年の夢はひろがる。


なんとなく、イメージだけだった

恋、結婚。


みたいなものが、カタチになって

見えて来たような、そんな気分。


「いいなぁ、陽子さんが奥さんなら


美大の卒業後って、4年かな。



その頃には僕も、高校を卒業しているだろうから


国鉄に就職、してるかな。


そんな夢想に耽っていた。



八百屋さんの仕事も、ちょっと

のんびりムードで


幸せに浸っていた。




期末テストの順位なんて、別に気にしていなかったけど

ピュンピュン丸先生は「順位をこんなに落として」と

言っていた。


まあ、どうでもいいや。



登校するのも、なんとなく暑い7月。


梅雨はもう上がっていた。


77年頃は、梅雨は6月の風物詩で

7月の半ば頃には上がっていたから


北高の生徒たちも夏休みの計画で楽しそうだった。



僕はまあ、アルバイトがあったし

遊びに行く事なんて無理だった。


陽子さんの事もあったけど、でも、それは悩んでも仕方ない。




「Can't give you anything みたいな気分かな」なんて思った。


「誓い」と言う邦題がついている、The stylisticsのいい曲。

僕には何も無いけれど、でも、君が好きなんだ。

そういう曲。




いつか、ラジオで聞いて。ラジカセで録音した。


FMエアチェック、だろうか。この頃は流行っていた。


陽子さんも音楽は好きらしい。



「you make me feel like dancing」は、レオ・セイヤーの楽しい曲で

踊りだしたくなっちゃうような気持を歌ったみたいだな、と

僕は思った。



「まあ、別に離れたって別れる訳でもないし・・・・。」とも思うし

職業少年にとって、悩んでいる暇は無かった。



懸命に働かないと生きていけないのだ。




それは、陽子さんも同じなので



僕らは、残り少ない日々ではあったけど

相変わらず、スーパーで仕事中に会って

微笑みを交わす、くらいの感じだった。




「でも、そのくらいが丁度いいな」と僕は感じる。



それは、陽子さんもそうだったんじゃないかな、なんて

空想もした。



なので、稔くんとガールフレンドたちの生き方は

やっぱりなんとなく「違う」なあ、と

そんなふうに思った。


そういう生き方が好きな人もいるんだろう。







終業式が終わり、夏休みに入るのだけど

登校しなくていいので楽になると言うだけだった。


幸い、スーパーの方で「昼間も出る?」と

副店長さんが気を利かせてくれて。


僕と陽子さんの事は、このお店ではもう皆が知っているので

残り少ない日々を、できれば一緒にさせてあげたいと

そういう気持だったのだろうと思う。



アルバイト料のほうは、昼間は時間給が安いのだけど

お金貰えて、陽子さんの近くに居られて。

それはとっても幸せな事だった。


別に、姿を見ていなくても

同じ屋根の下に居て。


時折、お昼ごはんの時間が一緒になると

陽子さんは僕の近くに来て、なにか、他愛もない話をする。


節度のある人だから、ひと目のある所で

殊更親しい、と言う態度を取らないようにしている。


そういう所も好感だった。

僕も恥ずかしくなくて済む。


でも、パートのおばさん達や、若い女子社員は

その、僕らの表情で何かを感じるようで



僕らが、社員食堂の隅に居ると


あまり関わらないように、遠くに離れていたりした。




「みんなが、やさしい」と、僕はそう思うーーーー。



その、僅かな日々はとても幸せだった。


陽子さんは住所と電話番号を知らせてくれたから、僕もそうしたけれど

電話が無かった。


この当時は、電話加入権が高くて

無い家も多かった。



僕の家も、父が働けないのでそうなった。



それで、アパートの住人で仲のよい、土居さんと言う

看板職人の人の電話を「呼び出し」として書いた。




「手紙書くね」と、陽子さんが言ったりすると


ああ、お別れなんだなぁと。ちょっと思うのだった。




「引越しの準備、出来てますか?」と、僕は

そんなふうに実務的な事に気持を切り替えて。



陽子さんは「だいたいね」と言って

にっこり。


表情が、ちょっと19歳の女の子なりになったな、そういう

感じに見えて


その変化が不思議だった。



最初は、もっと大人な感じに見えたんだけれども

このところ、僕にはそういう少女の顔を見せるようになっていて

それは、とても素敵に見えた。



無理してたんだな、と

労う気持で一杯だった。



「手伝いに行きます、引越しの日」と僕が言うと


陽子さんは俯いてかぶりを振り「いいわ、辛くなるから」と


その一言で、ちょっと涙ぐんでしまった。


「ごめんね」と、陽子さんは席を立って

ちょっと早足で社員食堂から出て行った。



「やっぱり悲しいんだろうな」と

僕は思う。



僕は「cant give you anything」の歌詞を思い浮かべて


それを言ってあげるべきなのかな、なんて

思ったりもした。



言葉にした事はなかった。



でも、恥ずかしくてとても言えないので


この曲の事、歌詞の事を書いて


「こんな気持です」と、陽子さんに紙片を渡した。



アパレルの品出しをしていた陽子さんに、仕事の連絡のように手渡して。



なんとなく、感じ取ってくれた陽子さんは、胸ポケットにそれをしまって


にっこり。



いつもの平日みたいに、夜7時に閉店すると

八百屋さんの翌日準備。


この日は、西瓜の数を数えて、明日出せるものを選んだり。



キャベツが、明日どのくらい売れるか見当で

傷んでいるものを外したり。


そんな仕事をしていて。



いつものように、僕はひとりで仕事をしていた。


陽子さんが私服に着替えて歩いてくる。


その、足音でなんとなく判るようになっていた僕だった。


ゴム底の靴で、音はしないのだけれども。



陽子さんは笑顔で「お手紙ありがとう。嬉しい、とっても。」それだけを告げて

ちょっと涙ぐみそうになって踵を返して

「ありがとう」と、か細い声で言って。

そのまま、バックヤードから出て行って。


廊下を小走りに歩き、通用口から出て行ったようだった。





陽子さんの希望通り、引越しの手伝いはせずに


7月の最終日、僕は一日中アルバイトをしていた。


副店長は、何か言いたげに僕を見ていた。



陽気で、気の利く、いい人だ。

真っ赤なコスモに乗っていて。



黙々とアルバイトをしていて、アパレルの辺りをちら、と見ると


いつも、そこに居た陽子さんの姿が無いので


僕は、本当に泣きたくなった。


なんといっても16歳の少年である。


「映画みたいに『行かないで、お願い』と、縋るべきだったのかな」


なんて、思ったりもしたけれど、でも、そんな事は出来なかった。



気持は好きだって言ったって、食わないとならないし。


陽子さんをお嫁さんに貰うくらい、働かなくては。



今すぐには、とても無理なお話だった。


「それに・・・・。」


陽子さんの将来も台無しにしてしまう。



そう思って堪えた。



「心だけでいいのにね。」なんで体があるんだろ、なんて

思った。





夜、閉店しても

アルバイトを続ける。


八百屋さんの仕事をしながら「もう、家に着いただろうな」と。

陽子さんにとっては故郷だから、ここに居るよりはいい。

自然が一杯で。



山と海があって、浜辺。

夏は、海岸が賑やかだろう。


美大を受験するにしても、来年だから

しばらくは働きながら絵の勉強をするのだろう。


夢がある。それだけでもいい事だと思う。


僕に夢ってあったのかな・・・なんて思ったが

働くのと学校で精一杯。


夢見る暇も無かった。




8時になり、タイムカードをがちゃり、と押して

帰る支度をしようと思い、ロッカールームに向かう。


副店長が「おお、元気だせ!」とにこにこ。


天然パーマのオールバック。


その、気遣いが嬉しかった。「ありがとうございます。」と

礼を述べて。


「沢口くん、いい子だもんな。大事にしてやれよ。」とも。



僕は、まあ、知られているとは思ったけど「はい。」



副店長は、うんうん、と頷いて


「沢口くんのね、育英資金。組合からも出るんだ。だから、

入学まではね、あんまり向こうの支店にも出なくていい。」


僕は、そんな制度がある事までは知らなかった。




「いや、会社も迂闊でね。あんなに素直でいい子がどうして

田舎のスーパーの支店なんかに勤めるんだろう、って思わなかったんだね。

この間初めて聞いて。それなら、会社は退職せずに休職扱いにして。

基本給の70%は出るんだ。」


と、更に意外な事を副店長は述べた。



みんなが、優しい。

僕は、感涙した。「ありがとうございます!。」



副店長はにかっ、と笑って「でも、大学出たら、今度は本社の

デザイン部門だな。あのお店から電車で一時間くらいだから

通えるだろう。」



そんな制度は、まあ、アルバイトには知る由もない(笑)。


この時代、大企業には良くある制度ではあったが

スーパーマーケット、と言う不安定な業種では珍しく


それは、ここの会社が福祉の思想を持って運営している、と言う

そういう事だった。


創始者が、そういう助け合いの中で生きてきたから。

そういう時代でもあった。1970年代。



僕は、なんとなくコトバにならなかったけど、ただ「ありがとうございます」と


涙を拭うのが精一杯で



副店長は「さ、男が泣くな!元気で帰れ。また明日もな、元気で。」



と、僕の肩をぽん、と叩いて。








ロッカー・ルームで羽織っていた制服をハンガーに掛け、自分のロッカーに仕舞った。


小さな鏡。

涙のあとが残る、みっともない少年の顔があった。


僕は、ごしごし、と

顔を腕で拭って。ロッカーを閉じた。



通用口から出ようとすると、ガードマンのおじさんが

守衛所で「あ、ちょっとちょっと。預かり物」と言って


会社の紙袋。

中を見ると、可愛い封筒と

小さな、手作りだろうか。

マスコットのお人形さんが入っていた。


「おじさん、ありがとう。」と言って

僕はそれを受け取った。



差出人は勿論、陽子さんだろう。


いつ、来たのだろう。気が付かなかったけど

最後の挨拶に来たのだろうか。



僕は、意外な事にまた、感動した。


感じやすい16歳である。




通用口を出て、あの、電話ボックスのところで

手紙を見た。



陽子さんの綺麗な字で



「ありがとう、突然だからびっくり。

でも、とっても嬉しいの。こんな気持って初めて。

誰にもそんな事言われた事ないの。」


と、stylistics の can't give you anything を


イメージした僕の短文の事を言った。



「私も、とても君のこと大切に思っています。

君のおかげよ、もう一度やり直そうと思ったの。」


と、綴られ、


「でも君って、いつも音楽の事を考えているのね。

そういう所も、どこか違うわ。ほかの人と。

不思議ね。」


と。



「落ち着いたら手紙書くね。家は民宿をやっていたから

泊まりに来てね。」と


手紙は綴られていた。






僕は嬉しかった。






自転車を、駐輪場に取りに行って

立ち漕ぎして飛ばした。


淋しいけど、でも、なんとなく・・・明るい気持になれた。



「いいなぁ、陽子さん。」



でも・・・・。


陽子さんが居なくなった店に出ると、陽子さんを

思い出して。


そのたびに感傷的になった。



「会いたい、のかな。」


そんな風に思う。


頭ではわかっているつもりでも

なんとなく・・・・辛い。



アパレルの辺りを通らないようにしたり。


閉店後、八百屋さんの明日の準備をしていると


「こんばんは、頑張ってるね」と

陽子さんがにこにこと、入ってくるような

そんな気がして。



「そんな訳ないのにね。」と、ひとりごとを言いながら


大根の、傷んだ葉っぱを取ったり。


きゅうりの袋詰めをしたり。


にんじんの重さを測って、同じくらいの重さになるように

袋詰めしたり。


そんな事をしていると、なんとなく切なかった。



「Layla and assorted other love songsを作った時の

クラプトンもこんな気持だったのかな」なんて


あの、スライド・ギターの音を思い出した。



thorn tree in the gardenと言う、アコースティックギターの

ハーモニクスで始まる曲を思い出して



ちょっと、安らいだり。


でも、なんとなく自棄になって


バックヤードでつながっているゲームコーナーに行って

ピンボールをやったりした。


普段、無駄遣いはしない僕だったが。




次の日。


青物チーフのアゴいさむ似さんが、ちょっと厳しい表情で


「あのさ、気持は判るけど。仕事中にゲームはダメだぞ」



その時、喫茶店の中にいて

偶然見かけたらしい。


それは、いつも見ている制服の僕が

ピンボールをしていれば目立つだろう。



僕も、制服くらい脱いでいけば良かったんだけど


誰かに叱られたい、暴発したい。


そんな気持だったのかもしれなかった。



「わかりました。すみません。」と、僕は謝った。



副店長も見ていたそうで、普通ならアルバイトで

そんな事をしていたらクビ、だけど


「まあ、辛いんだろう、今が・・・・・。もうするなよ。」とだけ言って

不問に付された。




僕も素直に謝った。


副店長は「おまえはバイトだけど、沢口くんと同じこの会社の社員なんだから。

そんな事をして解雇されたら、沢口くんが悲しむぞ。」




そこまで考えていなかった。



このお店は福祉主義、なのだけど


1977年、他のアルバイト先も

なんとなく、温かみがあったし

大人は、目下を可愛がった。


だから、気持に応えようと思ったりもする。



そんな時代だったーーーー。






夏休みの間に、陽子さんの家に遊びに行こうか、なんて思ったりもした。


GR50でツーリングしようかとも思ったけど、ちょっと、50ccでは大変そうだし

第一、ツーリングした事が無かったから、何かトラブルがあったら帰れない

事故でも起きたら大変だ。


夏休みも終わりに近くなれば、スーパーも暇になるし

僕も、結構稼いだので

一日くらいは休んで、行こうかな。



そう思い、僕は陽子さんに手紙を書く事にした。


なるべく綺麗な字で書くようにして。




ーーー

陽子さん、お元気ですか?

僕も元気です。


夏休みの間に、海が見たいから

陽子さんの街に行ってもいいですか?



ーーーー



こんな、シンプルな文章だった。



ここから、陽子さんの住む海辺までは

電車で2時間くらい。海辺の電車はのんびりしているので

時間が掛かるのだった。


オートバイで峠を越えて、走る事を夢想した。


風を切り裂き、バイクを寝かせて

コーナーリング。


峠を越えると海が煌いて・・。


風が頬を撫でていく。


そんな空想。



「250くらいはほしいなぁ。」


陽子さんを乗せて走れるし。

でも、陽子さんはオートバイは苦手そうに見えた。





GT250にしようか、RDがいいかな。

なんとなく2サイクルを選ぶのは、少年なりの考えで

軽くて力のあるバイクがいいな、と思ったからだった。



中古なら、もう少し頑張れば買えそうだった。






陽子さんからの返事は、すぐに来て


「わたしも、会いたいなと思っていたの。

ありがとう。いつ来るの?」と

僕は日程など考えていなかったので(笑)



夏休みの終わり、26日頃がいいかな、と

思って。



思い切って、電話をしてみた。



初めてだった。女の子の家に電話したのは。



中学の頃、なかよしグループの女の子には掛けた事があったけれど

学校の連絡網みたいなもので、特別に感慨もなく・・・・。

女の子、なんて意識したことも無かった。



午後8時。


お店に行っていたとしても、もう帰っていると考えて。

あまり遅いと、お母さんが心配するだろうとも思った。


なにせ、一応は男子である。(笑)。



色々詮索されると、陽子さんが困るだろうと思ったりもした。



(家に行けば、どの道そういう事になるとは思わなかったのが少年である)。




アルバイトが終わった後、あの電話ボックスから掛けてみた。

市外局番。


ダイアルを回しながら、どきどきした。



受話器を耳に当てて。呼び出し音を聞いて。


「頼む、陽子さん出てくれー。」と叫びたい気持。


怖いお兄さんが出たら、どうしよう。

なんて思ったりもする。(笑)



かちゃり。



「はい、沢口です。」声が明るい。陽子さんだった。



「あ、あの」と、名前を言う前に


「ああ、キミね。元気そうじゃない。どうしたの?電話。」

と、陽子さんははじけるように元気だった。


クラスメートのようだった。






「あ、あの・・・・日程なんですけど。26日辺りはいかがですか?」



と、陽子さんの都合も気にせず。



陽子さんはカレンダーを見ているのか、少し間を置いて


「いいわよ。私も、お休みが余ってるの。」


陽子さんは社員だから、休暇があるらしい。

夏休みもあるのだけど、子供がいる家は

どうしても夏は休み勝ちになるから

社員の陽子さんは、休みが取り難くなっているらしい。



「はい。電車で行きますから。駅からの道は

大体判ります。お気遣いなく。」と、僕は言った。



小さな海辺の町なので、道、と言ってもそんなに複雑なものは

無かった。


駅から、浜辺に行く道があり、海岸道路と交差していて。


そのどこかに、陽子さんの家はあるのだろう。



時刻表にある地図で見た事があった。




陽子さんは時刻表を見たのだろうか「そうね、お昼頃の列車になるわね。そこから

来ると。」と。



壁に貼ってあるのだろう。よく、民宿の赤電話の傍に

そういうものが貼ってあるのを見た事がある。


僕は、国鉄職員の孫なので

良く、随伴して列車の旅をしたから

記憶がある。




僕は「もう一本早いので行きます。10時半でしょうか。」と

うろ覚えの時刻表の乗り継ぎを思い出した。



ここから、峠をくぐるトンネルの幹線に乗って。

峠の向こうで海岸沿いの列車に乗り換えるのだった。



陽子さんは、いつかみたいに

くすっ、と笑って


「始発で来るって言うかと思ったわ。キミって大人なのね。

泊まれるんでしょ?」


泊まる、なんて言葉を陽子さんの声で言われると


なんとなくドキドキした。

16歳の少年である。



「まあ、家族が一緒だし」と、心の中で冷静に戻った(笑)。



「はい。お邪魔でないですか?」




陽子さんは「うちはぜーんぜん大丈夫。民宿だったから

お部屋は沢山あるわ。掃除しとくね。」と

溌剌。


海辺の民宿の娘、そういう感じの話し方に

僕は、安心した。



「元気にしているんだな・・・・。」と。

心でつぶやく。



それだけでも、電話して良かった。

声を聞くだけで落ち着いた。


不思議だけれども。



陽子さんに会える。


それだけで、明るい気持ちになれた。



「あ、でも外泊は」

どうやってごまかそう。


嘘は苦手だ。

でも。


女の子の家に泊まりに行くなんて言えば

詮索されるだろう。



そこで。


「バイト先の人が民宿をやってて、ちょっと手伝いに」(笑)



まあ、嘘でもない。



母に話すと煩いから、兄に言った。


兄は、なんとなく気づき

「へぇ、お前がねぇ。ま、いいけど。気をつけろよ。俺が上手く言っとく。」と。


有難い兄貴である。こう言う時は。




バイト先に話す。26日を休みにして。と。


青物チーフ。



アゴ撫でて、ニカッ。

「いいよ、だいたい公休だろう。あ、連休にするか?」



と、僕が明るい表情なので。

なにか、気づいたらしい。


でも、それを告げない所が男。

却って休み辛くなるから。

そんな気遣いが嬉しい。


25日は、旅支度をしてから

バイトに行った。


夏休みも、もう終わり。

行く夏を惜しみつつ。

希望に胸いっぱい。


台所に吊ってある真空管ラジオを

聴きながら。

夕食を摂った。


old fashioned love song が流れていた。

three dog night のスウィートなサウンド。

ちょっと淋しく始まって、明るく終わる曲。


僕の気持ちのようだった。



「始発で来ると思った」と言う

陽子さんの声を思い出し


「早く来て、ってことかな」


自惚れは良くないけど、そうだったら嬉しいな。



早く眠って、始発に乗るかな。


そんなふうに、床に就く。



翌朝、5時頃目覚めて

母が起きないうちに、と。

逃げるように出掛けた。


母親って、なんとなく苦手だ。


陽子さんはお姉さん、と言う感じだから

好ましかった。





駅まで歩いて、切符を買って。


まだ、改札掛かりがいないので

そのまま通る。



始発ではないものの、早い時間に乗れた。


オレンジ色の電車。


向かい合わせ座席で。


ほとんど人がいない。



この電車で30分、トンネルを潜って

向こうで乗り換えて。

一時間くらい。


少し、寝られるかな。



走り出した電車の、レールの響きを聴きながら。


少し、うとうと。



駅に着くと、ドアが開くけど

乗り換える人は少ない。


海岸に行く人も、少ない。


もう秋なんだ。


うとうとしてて、乗り過ごすと

困るな、と思ったけれど

案外、トンネルの音が大きいので

目覚めてしまった。


「そうそう、寝台車でもあったっけ」叔父が車掌さんになってからは

良く、上野ー青森を乗った。

そんな夜、最初は

トンネルの音で目が醒めたり。


それも、楽しい想い出だった。


乗り換え駅に着き、バッグを持って降りる。


緑色の、柔らかい生地で出来た

ジーンズふうの仕立てのバックだった。


ツーリングにも良さそうだ。


僕は、いつものジーンズにTシャツではなく

白い夏ズポンに、ポロシャツ。

コットンのジャケット。



「初めて会うんだもの、家族に」



別にお見合いでもないのだが(笑)

印象は大切だ。


地下道を通り、1番線ホームに向かう。

海岸を通る電車は、ライトブルー。


「海辺に似合う色。」なんて、気分も軽くなる。



20分くらい待って、電車はごろごろと

ドアをゆっくり閉めて。


ホーンを、ぷぁん、と鳴らして

ゆっくり走り出す。


「ああ、旅に出たんだな」と、感じる瞬間だ。




車窓には、海。

高台を走っているので、漣が煌いて美しい。

山沿いを切り拓いたような線路は、下を見ると

落ちそうで怖い。


トンネルを通り、線路が単線だった事に気づく。




さっきの幹 線と並行して走っていたけど、最初の駅で別れて。

それからは海辺の風景を見下ろして。


岩場が多くて、釣りが好きな人には良さそう。

干物を干して売っているお店、たくさん。


「のどかだなぁ。」


こういう所で育つと、陽子さんみたいに

ふんわりした人になるのかな。


海の風を感じたいと思ったけれど、冷房が入っているから

やめておいた。


いくらか乗客もある。


時間が早いので、スポーツクラブらしい学生。

僕と同い年くらい。


髪を短く刈って、日焼けした顔で


空いている4人掛けの椅子の、ひとりかふたり。


まだ、夏休みなのだ。


駅の間が、だんだん時間が長くなり


学生達も、みんな降りてしまう。



静かな、旅にまた戻る。




陽子さんの住む町の駅は、小さな駅。

森の中に建っているような感じで、駅前にも何も無く

海辺への道が真っ直ぐに見えた。



駅員さんに切符を渡す。鋏が入っていないので

ちょっと見ていたけれど。


「あ、朝早かったんで。」と言うと


朴訥そうなおじさんは、にっこり。「どうぞ。」


改札を抜けると、砂地のような細かい砂利敷きの

駅前広場で

バスは入っていない。

お店のようなものもないけれど、自動販売機が幾つか。

7UP、ドクターペッパー。

僕の住んでいる街とは違うところに、なんとなく旅情。




とはいえ、貧乏学生なので

水筒を持ってきて。米軍仕様のような

体のフィットするように曲げられたアルミで

カーキ色のザックに入っていて。


それを、バッグに入れてある。


よく考えられていて、このザックを濡らすと

気化熱で中の飲み物が冷える。

そういうふうにも考えられているらしい、と兄から聞いた。

兄は、こういうミリタリーものが、いくらか好きなようで


時々、米軍の携帯食料を買ってきて食べていた。

そんなに美味しいものでもなかった(笑)が、気分だろう。




砂利を踏みしめ、静かに歩くと

林を渡る風が涼しい、

仄かに、海の香りがする・・・・。



林の中を歩き、海岸沿いの国道、と言っても

片側1車線のふつうの道に見える。


オフシーズンだから、車は少ない。

それに朝だ。



バス停があったので、ちょっと見ていると


オレンジ色のバスが近づいたので、バス停から離れて


乗りません、と言う手振りをした。


運転手さんが気を遣わないように。



ほぁん♪


バスはエアホーンを鳴らして、ゆっくり通過していく。


黒い煙と、ディーゼルの排気の匂いがする。



道沿いには、少しだけ商店のようなものがあり

漁具や、エンジン、モーターボートのオイル。


バイク屋さん。自転車屋さんのような感じだけれども



まだ時間が早いので、閉まっている。


木の硝子格子の向こうに、カブが一台。自転車が数台あって。

土間はオイルで黒く染まっている。



白い軽トラックが通りかかり、静かに止まった。


格段気にせずにいると

「早いのね。」降りてきた人物が言う。



陽子さんだった。


いつもはスカートなのだけど、きょうは

ライトグリーンのスラックスにポロシャツ。


海辺の少女。そういう感じだ。



「あ、おはようございます。」と、僕は挨拶をした。




「お店を思い出すわ」と、陽子さんはくすっ、と笑った。

いくぶん、日焼けしたようで

明るい田舎娘、そういう感じになった。



「陽子さんも早いんですね。」と僕は言うと


「キミが来るから、お魚を買いに。」と

魚河岸に行ってきた、と。



「運転できるんですね。」と

僕は意外だ、と言うイメージで。



陽子さんはにこ、と笑って

「19だもの。高校を卒業する前にね。学校で。」



就職に有利だから、18になると

学校を休んでもいいそうだ。


ずいぶん違うものだな、と思う。


都会の方だと、暴走族になるし、事故があるからと

取らせないような感じだった。

バイクほどではないけれど。


僕の住む街では、そういう事はないけれど

学校を休んでいい、と言う訳でもなかった。



「年上なんだなぁ。」と僕は思う。


三つ上。

兄と同じかな、と。



「乗って」と、陽子さんは

軽トラックの助手席を薦めた。「狭いけどね。ごめんね」と言って微笑む。


ちょっと短くなった髪が、活動的に見えた。



僕は素直に助手席に乗り「あ、民宿のクルマか。」と言うと



「そうよ。お客さんの食べ物を仕入れたりするのに要るの。

前はワゴンもあったの。送迎に。」と。



エンジンを掛け、慣れた感じでギアを入れ、右後ろを良く見てから

静かにスタート。



「運転上手いんですね。」と、僕は率直に。



「ありがとう。運動神経はいいのょ。中学の時はテニスをやってたし。」と


ちょっとイメージから遠い事を言った。



「そうなんですね。芸術少女かと思ってました。絵描きさんになりたい、と

言うくらいの。」


と、僕はそう言うと


陽子さんは笑顔で「運動は体にいいもの。さっぱりするし。」


「そうですね、僕もカンフーを」と言うと



「うん、バーベキューの時、酔っ払ってカンフーしたものね。」と

楽しそうに笑う。



「ああ、そんなこともありましたね。なんか、遠い昔みたい。」と

僕は言うと



陽子さんは「そうね。ほんと。少し前なのに。」と。



全然、環境が変わってしまうと

そんな風に思うのかもしれなかった。



旅、も

そんな感じ。



「きょうはご馳走するからね。」と、陽子さんは

腕まくりの仕草をした。



クルマは、ゆっくり走って

海岸から少し離れた、高台のところにある一軒の大きな家の前で止まった。


「さ、どうぞ。」


と、降りて見ると、ちょっとイメージとは違って

普通の大きな家、そういう感じ。



「民宿みたいじゃないでしょ?驚いた?」と、陽子さんは

楽しそうに笑う。


「はい。なんか・・・海辺の民宿って、こじんまりとしていて

浜辺に近くて。泳ぎに行くのに便利で。」と

イメージを話すと



「そうだったの、私が幼い頃は。今も建物はあるんだけど。

そこが手狭になったから、別館にしたのね。浜辺のほうは。」




「繁盛してたんですね。」と。





陽子さんは「その頃ね。それでこの家が建ったくらいで。」



と、少ししんみりとした口調になったので、その先は尋ねない方がいいな、と

僕は思い


「しばらくぶりに会えて、とっても嬉しいです僕」と言うと


陽子さんはにちゃ、と笑う。


少女らしい笑顔、いいなぁ。


そう思って見ていると「わたしも、淋しかったの。」と。



来てよかったな、と

そんな風に思った。






「ラブラブだね。おふたりさん」と。

玄関の方に、中学生くらいの少年。


背丈は高く、僕とそれほど変わらない。

スリムで敏捷そうだ。丸坊主の頭で

ニカッ、と笑う。



「そ・・・・。、こら、孝!。」と、陽子さんは

頬染めながら、彼を叩くふり。


孝と呼ばれた少年は、でも、しっかりと


「弟の孝です。中2。今は夏休みさ。へぇ、お姉ちゃんのカレシさんですね。」と

ちょっとおどけて。


でも、悪い気は 。



僕も「お姉さんのバイト仲間です。町野です。はじめまして。」


陽子さんは、黙って聞いていて「わたしの台詞がないわ」と

陽気に笑った。



「ねえ、町野さん。」と、孝くんが言うので


「なに?」と返すと


「お姉ちゃんと結婚すんの?」と、どっきりする事を聞く。


陽子さんは怒り「なーんて事言うの、あんた!。あっち行きなさい!。」



と、ちょっと乱暴な言葉を言うので、僕もびっくりした。



孝くんはにかっ、と笑い「ヤメた方がいいよ、ねえちゃん、この通りだから。

怖いよー、怒ると。俺もよくぶん殴られたもの。」と


言いながら


「あ、でも男っケはないよ。それは保障するから。しばらく付き合ってあげて。

姉ちゃん淋しがりだから。」と


真面目なんだか、冗談なんだか判らない軽快な少年だ。



と、孝くんが逃げた後「まったくもう・・・。あ、お転婆なの、バレちゃったね。ははは。」


と、解放されたように笑った。



「その方がいいです、自然で。」と、僕は返す。



「孝もね、中学出たらバイトしながら高校行くって言ってるの。

それだと、ここの家は妹と母だけになっちゃうから、私もちょっと不安なの。」



と、陽子さん。


なんとなく事情は判る。

「そうですね。高校って近くにないんですか?」と、言うと


陽子さんは「隣町なの。バイトしながら通うのは無理だわ。

その高校か、もっと大きな街の高校へ行かないと。」と。



バイト・・・高校。


そうだなぁ、と実感。僕も新聞配達くらいしか、できそうもないと

思った。



「新聞配達くらいなら、出来そうだけど。」と

僕は経験を話した。



折込と朝夕の配達だけでも、結構な金額にはなる。

ただ、近所で募集があれば、の話。



いろいろと難しいんだなぁ、生きていくって。

そう思う。






玄関の所で、大人しそうな少女が此方を伺っていて。


陽子さんは気づき「あ、祥子、ご挨拶なさい。」


髪はまっすぐ、ちょっと茶色っぽく見えるくらい細い。

陽子さんに少し似ているけれど、もう少し、細面。


「はじめまして。妹の祥子です。6年生です。」と。

かわいらしい夏柄のワンピースを着ているので

小学生に見えるけど、大人の服を着せたら

レディ、に見えない事もない。


陽子さんより少し小柄。


色白。




「はじめまして。町野です。」と僕は言い。かわいいなぁ、と思っていると


陽子さんは「あ、妹の方がいいな、なんて思ったでしょ?」と

ちょっといたずらっぽく。


僕は大袈裟に手を振ると、祥子ちゃんは笑顔になった。


12歳なりの笑顔だった。


それが自然でとってもいい、と思う。


海辺で、のーんびり育った子、そんな感じ。




「さあ、ようこそ。」と

陽子さんは、玄関に迎え入れてくれる。



「それでは・・・お邪魔しまーす。」と言うと

玄関の向こう、廊下の奥から


「いらっしゃいませ。」と。


孝くんに似た感じの、上品なご婦人。

和服ではないけれど、着物が似合うような。



「母です。」と、陽子さん。



「お邪魔します。町野です。」と

僕は丁寧に挨拶をした。


少し、着てきたものがラフだったかな、と思うくらいに

きちんとした印象のお母さんだった。


「陽子がお世話になりまして。」と

お母さんは礼を言う。



僕は「いえいえ、僕は何も。」と言うと


お母さんは「陽子は淋しがりだから、向こうで

町野さんがお友達になってくださって。

これからも、宜しくお願い致します。」




これからも、と言う言葉が

ちょっとなんだか・・・。と僕は思ったけれど


陽子さんが「イヤネお母さん、お見合いみたい。」と

笑うと


お母さんも「あら、ホント。」と言って笑顔になった。



その笑顔は、ちょっと陽子さんふう、だった。






「お部屋はこっちよ。」と、陽子さんは

玄関の正面にある階段を昇り。

二階の廊下。

両側に部屋が幾つか。


「すごく広いんだ。」と

僕は驚く。



なにせ、家は今2DKの木造アパートである(笑)。




陽子さんは、かぶりを振って「掃除が大変なの。いつもはね、二階は

あんまり掃除してないの。」と、正直に言った。



なんとなく、民宿を止めた経緯は理解したので、その事には触れないように

僕は思った。



お父さんがいないんだもの。




でも、陽子さんは自ら「父が事故でね。それで。やっぱり父がいないと

母も経営は素人だし。それで、浜辺の方は売ったの。

ここ建てたから。費用を払わないとならないし・・・・。」と。




僕は、言ったほうがいいかな、と思い

「僕だって、アルバイトしなくてはならないような学生だから。

一緒だよ。父は居るけど、病気で働けないし。」



陽子さんは「うん、なんとなく。そういう感じがした。

きっちりしてるもの。キミ。」と。


僕は「だから、陽子さんが負い目に思わなくても。

みんな、なにか抱えてると思います。

裕福だから幸せ、って事もないし。」


陽子さんは、窓を開けて。

白波の立っている渚、を眺めながら。



「ありがとう、慰めてくれてるの?

でも、わたし思うの。あなたに苦労を背負わせる

事になってしまうでしょう。、私達が・・・・。」



結婚したら。

そう言うのが恥ずかしいので、いえなかったのだろう。



そこまでは考えていなかった。


僕は、ふんわりとした気持でいたかっただけ、だったから。




それで「陽子さん、そんなに急がなくてもいいんじゃないかな。

これから、大学へ行って、いい仕事に就いたら

お金は入ると思うよ。

僕だって、その頃には、何か仕事に就いていると思うし。」




陽子さんは、向き直り「そうね!。私、何を考えてたんだろう。

だめね、ひとりで考えると。」と。



大学を出て23歳。まだまだ若者である。



僕は、ふと気づく。


「孝くんも、祥子ちゃんも、育英会資金出ると思うよ。

お父さんが事故だったら。」


僕は、どこかで見た、そういうPRチラシを思い出した。

北高の進路指導室だったかもしれない。



あまり、PRされていないので

知られていない。




僕も、もし大学へ行くなら

そういう方法もあるかな、なんて思ったり。





「借りる、んでしょ?返すのが大変じゃないかしら。」と

陽子さんは、どこか、借金があった家の事を思い出しているのかもしれない。




「利子はつかないって聞いたけど・・・ただ、希望者がみんな貰える訳

じゃないって聞いたな。」



と、少年少女にしては大人な会話をしている、僕と陽子さんだった。





「まあ、きょうは深いとこまで考えないで、遊ぼうよ。ね。」と

僕は笑顔で。



陽子さんも「うん。そうしよ。」と、口調が少し砕けて。



何もかも打ち明けて、少し親しくなれた。

そんな安心からかな。


僕は、なんとなくそう思う。




「じゃ、海行こう!。泳ぎに。もう、誰もいないから静かよ。」と

陽子さん。



まだ、泳げそうなお天気。

8月も終わりだと、波が立って危ない事もあるけれど。


きょうは、どうかな。



「水着持ってる?」と、陽子さん。



僕は頷く。学校で使ってる

紺色の。


中学の時から使っている。



あんまり、身なりに構わない僕だった。


まあ、お金がないのもある(笑)




「朝ごはん、まだでしょ?なんか作るね。」と

陽子さん。


「そんなぁ、悪いよ。」と言うと


陽子さんは微笑みながらかぶりを振り「いいの。作りたいの。」と。



部屋を出て、階段を静かに下りていった。



静かだ。



時折通る電車の音くらいで

国道をクルマが通る音も、あまり聞こえない。


渚の音が聞こえる。


そのくらいの静けさだった。



「こういう所だと、絵を描きたい、と思うのかな。」と

僕は思う。


海岸道路をオートバイで騒音立てたら、いけないな(笑)


なんて思ったりも。



暫くして、陽子さんは

お盆とお櫃を持ってきて。「朝ごはんよ。」と。



隅にあった座卓を出して。


鯵の干物、焼き海苔。

若布のお味噌汁。

山菜の佃煮。


卵豆腐。


生野菜のサラダ。


ミルク。



「旅館みたいだね。」と僕が言うと


「これ、民宿のメニューなの。」と、陽子さんは笑った。


そっか、と。僕も笑う。



差し向かいでご飯を食べると、ちょっと恥ずかしい。



新婚夫婦のようで。



陽子さんも、ちょっとそんな気持になったのか

言葉少なになった。



「一緒に住んだら、こんな感じなのかな。」と

僕が言うと


陽子さんは頬を染め「私も、今、そう思っていたの。」と


気丈に見えて19歳の少女である。

そういう夢を見る事もあるのだろうな、と思う。

可愛らしいと思った。



丁寧に、干物をほぐして。


僕に差し出して。


「ありがとう。なんか、お母さんみたいね。」と

僕が言うと



陽子さんは「弟や妹にしてたし・・・。でも、キミには

してあげたいって思うの。」




いつかの夜、僕の傍に居たいと言った

その人なんだな、と


なんとなく、イメージがつながったような気がした。



「いい奥さんになれるね。」と

僕が言うと。



「・・・・・・。」と、俯いて。

赤くなっている。




いや、僕の・・・とは言っていないけど(笑)。まあ、いいか。

嬉しいんなら。



まあ、僕もそうしたいと思っているけど

今すぐには無理なだけで。



陽子さんは、上品にご飯を食べるので

僕も、上品にしないとな、と


気を遣う(笑)でも、まあ


好きな人には良く思われたい。そう思うだろうな、と。



誰でもそうなんじゃないかな。



「海の音が聞こえるんですね。」と

僕が言うと


「そう?耳がいいのね。そう・・・かな。聞こえる?」と


陽子さんは、耳に掌を当てて。


かたちの良い耳、柔らかい指先。


綺麗だな、と思った。


瞳を閉じると、ときめいてしまう。



陽子さんは「少し、聞こえたわ」と

いつもの声に戻って。



「片付けるね。」と

お盆を持って、下がろうとするので


「僕も手伝う」と言うと


「いいの。お客さんだもの。」と、陽子さん。



「お金ないですよ。」と言うと


陽子さんは笑って「そうじゃないのよ。わたしのお客さん。」



ああそうか、と

僕も笑った。


貧乏暮らしが身についていると、ついつい・・・・・(笑)。





それから、僕らは

海岸へ向かった。

歩いてもすぐなので、水着に着替えて

上から服を着た。


「もう、海の家も開いてないし。」と、陽子さん。


民宿のお客さんも、よく、こうするらしい。





孝くん、祥子さんは

宿題が残っているそうで、後から来ると言ったけど


気を利かせて遠慮したのだろう。


お姉さん思いだな・・・・・。



サンダルを借りて、歩いていく。

何も持ち物がないのは気楽だ。




砂浜は、この辺りが終わりで


海岸沿いのカーブの向こうは、岩場だから

あまり人が来ないようで。



入り江になっているためか、波も静かだ。


沖の方では白波が立っている。

もうすぐ、9月。



「泳ごうか」と


陽子さんは葉陰に行って、水着になった。


弾けるような色合いのレモン・イエロー。

白い肌によく似合う。


「素敵ですね。」と

僕は思わず。


長身なので、美術の彫刻のようだと思う。



「ありがとう。ちょっと、ね。ボインちゃんじゃないけど。」


と、陽子さんにしては軽い言葉を言ったので


僕は笑ってしまった。




「可愛いですよ。」と言うと


陽子さんは


ありがと、うれしい、と


なんとなく恥ずかしくなったのか、海に入っていった。


後姿は結構、女らしい曲線だな、と

思う。



いつかの夜の香りを思い出して

僕もちょっと、恥ずかしくなって


海へ入った。



海は冷たく、秋、を感じさせた。



夏の海とは違うなぁ、と

僕は思う。



陽子さんは、楽しそうにはしゃいでいる。


つめたーい、とか言いながら。



僕も、ちょっとふざけて

海のお水を掛けるふりをした。


掛けはしないけれど。



髪が濡れていると、とても幼い子のように

可愛らしかった。






海が冷たいので


すぐに出てきて。

葉陰で休んだ。


南国のような、椰子の木が

自生している。


「南の島みたいだ」と

僕が言うと


「日本じゃないみたいね。」と

陽子さん。



温かい地方なんだなぁと思う。



こんなにいい所に住んでいたら

出かけたくなくなるな。


僕は、そんな風に思った。



「わたし、わからなくなったわ。絵を描こうと思って

美大を目指したけど。どうでもいい事かな、なんて

今は思えるの。」


陽子さんは、不思議な事を言った。



そういう気持って、あるかもしれない。


「僕なんて、将来の夢なんてないようなものだから

わからないけど。」


それは本音だった。



生きていければ、それでいい。



そんな感じだった。





「そうじゃないの。こんなにしあわせなのに。

絵の勉強をするから、しあわせをね

自分で遠ざけてる。そんな気がするの。」と。



僕は、ちょっと考えて

「絵の勉強をしながらだって、しあわせになれるんじゃないかなぁ。」と。



陽子さんは「うん、頭ではそう思う。けどね。4年も離れてたら・・・・。

怖いの。しあわせがなくなっちゃいそうで。」と


落涙した。


僕はどっきりして。その涙を拭ってあげて。



思う。



恋、なのかな。陽子さんの。



「でも、僕はあと二年で卒業だし。そのあと、陽子さんの大学の

側に引っ越してもいいし。」と、気休めを言うと


陽子さんは「私、待てない。今すぐにでも、あなたと暮したい。」



と、意外にわがままな事を言うので、とても可愛くなって

涙ぐんでいる陽子さんの肩を寄せた。




「ひゅーひゅー、いい事やってんじゃん?」と


孝くんが遠くから囃した。


陽子さんはいつもの声に戻り「こら、覗くな!スケベ!」と


同じ人かいな(笑)と、言う感じで

駆け出して、弟を追いかけて行った。



「まあ、助かったな。孝くんのおかげで。」



あのまま、流されていったら

本当に、家に帰れなくなってしまいそうだった。



「龍宮城、みたいだな。」と

僕は楽しくなった。


どこかで、弟をとっちめて来たらしく

爽快な表情(笑)

息を弾ませて、陽子さんが帰ってきた。


僕を見て「また、変な所見られちゃった」と、ちょっと恥ずかしそうに

下向いた(笑)。



「元気でいいですね。明るくなったな、って思います」と、僕は

素直に。


陽子さんは「さっき、ごめんね。言ってみたかったの。ワガママ。」



僕は「言うだけなら、いいですけど」


と、笑顔で。



お姉さんだし、ワガママ言える相手もいない。


ずっと、家族の為に頑張って来た。

そう言う陽子さんだから、

いいなぁ。

そう思えるんだろう。


僕はそんなふうに思った。


そう言う人を大事にしたいと思う。



孝くんが、頭を押さえて歩いてくる。


「あー、いてて。今の見たでしょ?この女ヤメた方がいいよ、ホント。いつかあなたもそうなる」と言って、また逃げた。


健脚だから、本気なら逃げられるだろう。


お姉さんに甘えてるんだな。

そんなふうに僕は思い、微笑む。


「孝くん、いい少年ですね」


そう言うと、陽子さんは

「ホントは優しい子なの。照れ屋なのね。」


「船乗りになりたいから、そう言う学校に行きたい、って言うのよ。

みんな反対してるの。危ない、って。」


そうだなぁ、と

僕は思う。


お父さんも事故だし....。



その事は言わずに「どこかの会社の付属高校、と言う方法もあるね、それだと。海運会社にないのかな。」


中学の時、クルマ好きのクラスメイトが


日産、トヨタ。

そう言う会社に入って、付属高校に入る。そう言うやり方もあった。


陽子さんは「わたしも、そうなるのね。あ、でも....この近所にないもの。大きい会社。孝が家から出る事に変わりないわ。」


「あ、じゃあ陽子さんがスーパーに就職したのも.....」



と、言うと

陽子さんは頷いた。


タイミングが良く無かったのかな。


高校に割り振られる「就職枠」。企業から、この学校で何人、みたいな。


学業、人物。


暗黙の了解で、先生が会議して決める。



従っていれば、まず不合格にならない。


なので、進学出来ない事情が出来て、就職にしても、あまりいい仕事は

残っていない。


それは運でしかない。


「母はね『家なんか構わないから、思ったように生きなさい』って言うんだけど、そうもできないし・・・。」と、陽子さん。



「僕もそうだよ。今まで育ててくれた分くらいは返さないと、って思うけど・・・・。」


「けど?」



「それにも限界があるって思う。」と、僕は現実を見て、そう思う。



「自分が潰れちゃったらしょうがないもの。その方がお母さんも悲しむでしょう?」


と。


葉陰は涼しい。8月ももう終わりで

陽射しも秋の感じになってきた。




陽子さんは少し考えて「そうかもしれない。私は、お父さんの代わりをしようと

思っていたのかな。」




「お父さんが好きだったんだ。」と、言う。



椰子のような大きな葉が、涼風にゆらり、と。



「そうね。もう少し考えて見る。あ、さっきのことは気にしないでね。


ホント、言って見たかっただけなんだから。」と



陽子さんはいつもの声に戻り、にっこり笑って


立ち上がる。




「お昼ごはんの支度に行くね。もう少ししたら戻ってきて。」と


陽子さん。




「悪いなぁ、僕も作るよ。」と言うと




陽子さんは「妹たちのもあるから、気にしないで。」と。




夏休みは大変だなぁ。




祥子ちゃんもお料理はできそうだけど。なんて


僕は思いながら、陽子さんが




乾いた水着の上にパーカーを羽織って。



普通の洋服姿になって。




じゃね、と。


手を振って、にこやかに。



去るのを眺めていた。






入れ替わりみたいに孝くんが戻ってくる。




「おつかれさまでしたー。」と、ちょっとおどけて。



なにがお疲れなんだかよくわからない(笑)。






「祥子ちゃんは?」と、僕が聞くと



「ああ、サチはね、なんか水着が恥ずかしいって言って。来ないって。

ヘンな奴だね。もしかして・・・・町野さんが好きになったのかな。」と

ニカッ。



快活な子だ。



「少女漫画みたいだ。」と僕が言うと



「でもさ、それだったら姉妹どんぶりだよね。ハハハ。」と


孝くんは意味不明の事を言う。



「なに?それ。」と

僕が尋ねると



「ほら、『卒業』って映画、あったでしょ?お母さんと娘とできちゃう話。あれが親子どんぶり」



と、冗談っぽく話す。




ああ、と。

僕は思い出した。



僕も、映画は見ていないけど

あらすじはなんとなく聞いていた。



「姉妹と三角関係かー。面白いよねそういうの。でもさー、俺は

サチの方がいいと思うよ。おとなしいし。かわいいし。」と。

面白い孝くんだ。



さっき「ねえちゃんは男っケないから」とPRしたばかりなのに(笑)。



「孝くんは祥子ちゃんタイプが好きなの?」と僕が聞くと



「そうでもないけどね。だいたい、一緒に住んでると

嫌なとこも一杯見るでしょ。そういうのを好きになるワケないよ。

夢がないもんなー。」と。



中2らしい言葉だ。



「そうだね。」



と、僕が言うと。



「まあ、姉ちゃんがネコを脱いだのはさ、安心したんじゃない?」




と、面白い事を言う。



「ネコ?」



と、僕が尋ねると



「ネコかぶってた、ってコト。今まで、外面だよ。」と。笑う。



ああそうか、と、僕も笑った。



楽しい少年だ。






「でもさ、祥子ちゃんと僕とじゃ、年がさ。」と言うと


「12と16でしょ、16と19と変わんない。」と。


楽しい引き算の孝くん。




「それはそうだね。」と、僕も笑顔になると




「うん、すぐに色気も出てくるよ。その頃になってさ『妹の方が良かったな』と

言っても遅いよ。それとも・・・・。もうデキちゃったの?」と

孝くんはどっきりする事を言う(笑)。



僕も一瞬固まった(笑)。




「ま、いっか。体つながったって心がバラバラじゃしょうがないもんね。

でも、姉ちゃんは好きみたいね、町野さんの事。ほんじゃ。」と、

孝くんはバーミューダの砂を払って、立ち上がった。


「お昼ごはんだね、ぼちぼち。」と

太陽の方角を見て。



僕は、乾いた水着の上にスラックスをはいて

木綿のウィンドブレーカーを羽織った。


「そういえば、着替え持ってこなかったな。」


下着はあるから、まあいいか。



「あ、下着。」


水着に着替えた時、パンツとシャツを

そのまま、部屋に置いて来てしまった(笑)。



「見られると恥ずかしいなぁ。」とか思いながら。


サンダルで砂浜を歩き、海岸道路を渡って。


クルマの数は少ない。オフ・シーズンのはじまりだろうか。



トラック、ワゴン。


仕事をしているクルマばかりだ。



僕自身、僅かな休暇なのだった。



「ただいまー。」と玄関を入ると


「あ、おかえりなさい。」と、陽子さんは

エプロンをつけたまま。


なんとなく、おままごとみたいだな、と

微笑む。



「どうしたの?」と、陽子さん。



「うん、なんとなくね。子供の頃、おままごとした事を

思い出して。」と。


陽子さんも微笑んで「遊んだわ。お庭にシートを敷いて。

楽しかった。」と、にこにこ。



そういう気持が、ずっと続いているのかなぁ、なんて思う。

それも、いいものだ。





「おままごとの相手に選ばれそうだものね、キミ。」と

いつも、店で会う時みたいな口調で。


お姉さんに戻っていて。



僕も「そうそう。お父さん役ってサラリーマンだったりするの。

かばん持ってどっかから帰って来て。」



そんな思い出に浸っていた。



「姉ちゃん、メシまだ?」と

孝くんが顔を出し。



「ああ、ごめんごめん。今ね。」と、振り返り。



「シャワーは奥だから、お風呂のとこ。洗濯物あったら入れといて、洗濯機に」と言って。



それではあまりにも恥ずかしい(笑)ので

それは遠慮した。


「夜、お風呂の時にちょっと洗って、干しとけば乾くな、朝までに。」と

旅行の時の記憶を思い出して。


夏休みに、叔父の乗務に付き添って

夜行列車に乗った時の事。


洗濯物が困るので、そうして洗っておいて

宿で乾かしたり。



生活の知恵だろうか。





シャワーのあるお風呂に行くと、元々は民宿だったので

広いけれど


今は家族用なので、置いてあるシャンプーとか、洗顔クリームとか。

なんとなく可愛らしくて、微笑んでしまった。


「祥子ちゃんのかな」なんて思いながら

水は思いのほか冷たく、びっくりした。



秋、だな。



もう少しで新学期なのだった。







お昼ごはんは、みんなで食堂で頂いた。



民宿はだいたいそうらしく、広い食堂はこざっぱりと片付いていて。


でもまあ、今はふつうの家なので

家族の雰囲気がした。



「さあ、召し上がれ。」と、陽子さん。



お昼は洋食で、スパゲティナポリタン。

学校の給食を思い出す、懐かしい味だった。

和風、なのかな。レストランのような感じではなくて

好ましかった。


サニーレタスのサラダ。トマトが乗っていて。

赤ピーマン、パプリカみたいな輪切りがあしらってあり

彩りもきれい。


マカロニのマヨネーズ和えも乗っている。


冷製のクリームスープ。



「すごいねぇ。ホント。ひとりでこれを?」と

僕は言う。


陽子さんはにっこり、ちょっと恥ずかしそうに


「えへ。」と。笑顔に。


少し髪が短くなったからか、幼く見えて

可愛らしい。





「おお、豪勢!違うなぁ、カレシ来ると。いつもはさ『カップラーメンでも食べてな』って

ほっぽりっぱなしなんだぜ。」と、孝くん 。 (笑)。



「孝!どうしてそういう嘘を!。」と、陽子さんは

菜箸で叩く振り(笑)。



祥子ちゃんは、微笑んでいる。



「嘘じゃないからねー。ラーメンかパンじゃん。いつも。」と

孝くんは内幕バラシ。


どっちがホントか分からないけど (笑)。



祥子ちゃんも、笑っている。



「ま、いっか。町野さん。サチの方がいいって。」と言うと


祥子ちゃんはちら、と僕を見て、俯いて赤くなって。


食堂から出て行ってしまう。



「あらあら・・・・。と、陽子さん。


「孝、だめじゃないからかっちゃ。祥子はデリケートなんだから!。」と

言うと


「姉ちゃんはバリケードだろ、強引に、どでーん。

怖いよ、難攻不落の要塞だな。

テコでも動かないし。」と、孝くんは。



陽子さんは、祥子ちゃんが気になったのか

後を追ったけど

部屋に居るのが分かって、戻ってきて


「そっとしといてあげてね、孝。」と。


「わかってるよ、悪かった。」と

素直に謝るところが好ましい少年だ。



陽子さんは、祥子ちゃんの料理をお盆に載せて

部屋に運んであげた。



「泣いてたわよ、さっちゃん。まったくもう、孝は

デリカシーがないな。」と


ちょっとご立腹。




「あんなことくらいで?」と、孝くん。



「そうよ。さ、冷めないうちに食べよう。さっちゃんは来れないから。」と

言いながら



「祥子はまだ、12歳なのよ。夢みていたい年頃だもの。

恥ずかしいのよ、そういう自分が。」


陽子さんは、経験らしい気持を述べた。



孝くんは、スパゲティを頬張りながら

「わかったよ。もうからかわない。」と。

真っ直ぐな少年。




「でもさ」と、孝くんは真面目な顔で


「サチが本気だったら困るね。姉ちゃんに似て

思い込むから。」と


ちょっと、真面目な事を的確に。




「そ・・・。」と、陽子さんも真面目な顔で

スパゲティを丸めるフォークの動きが止まる。


「そうね。そっとしておいた方がいいんじゃない?

そのうち分かるわよ。もしそうでも。」と。陽子さんは冷静に。

お姉さんの顔だった。




「12歳だもん、そのうちに気が変わるかもしれないけど。

回りで冷やかしたりすると、却って思い込んじゃうもの。」と。



それはそうだな、と。

僕も黙ってスパゲティを食べていて。


「僕が帰れば、忘れちゃうよ、きっと。」と。

笑顔で。




「そうよね。」と、陽子さんは笑顔に戻る。



孝くんは「まあ、そうかもね。でもさ・・・・。」と言って


「やっぱ、サチのがいいと思うよ、俺」と言って

ニカッ、と笑った。



陽子さんも笑って、叩くふり。


仲のいい姉弟だ。






お昼を、のどかに過ごした僕は


食べたお皿をつい、自分で下げようとして。



陽子さんが「あ、いいのよ。お客さんなんだから。」と。



僕も「つい、癖で。」と、ちょっとテレ笑い。



孝くんが「へー。家でもそんな?」と言うので



僕は「まあ、だいたい・・・・。でも台所狭いからさ。母が居る時は

やらないけど。かえって邪魔だし。」と言うと



「ここ広いもんね」と、孝くん。



そうだね、と、僕は笑う。


陽子さんは「広いんだから、あんたは片付けなさいよ。」と

厳しいお姉ちゃん。



孝くんは「わかったよ。」と、言って

渋々、お皿を片付けたり。

テーブルを拭いたり。



「町野さんは勉強できるんでしょ?宿題やってよ。」と

孝くん。



「まあ、中2くらいなら出来ると思うけど・・・・。勉強できるって

思うの?」と尋ねると


「うん、いつもねえちゃんが話してるから。いろいろ。」と言うと



陽子さんが赤面して「宿題やりなさい!余計な事言わないで。」と


怒る(笑)。


孝くんが「はいはい。いいじゃん、カレシなんだしさー。隠さなくたって。」と言うと


陽子さんは恥ずかしげに俯いてしまって「あ、あの・・・わたし、おしゃべりだから。

ホントは。」と


僕はにっこり。「女の子らしいね。」と。


陽子さんが恥ずかしそうなので、僕は部屋に上がって

少しのんびり。




それでも思う。「いつごろから、陽子さんは僕の事を話してたんだろな、家族に。」


帰郷してからだろうな。それなら・・・なんとなくナットク。



僕らが仲良くなった後だもの。




部屋でのんびり。山から吹き降ろしてくる

涼風を楽しんだ。


海岸沿いの丘陵地。

山が涼しいので、木々を渡ってきた風が海に向かうのかな・・・なんて

考えていると、部屋の入り口が開けてあったので


祥子ちゃんが立っているのが見えた。



僕はにっこりと、やさしく、やさしく。

心がけて「いい風だね。」と。


祥子ちゃんは、こっくり、と頷く。

仕草が可愛らしい。



部屋に招き入れて。


祥子ちゃんは座布団に掛けてもらって。


きっちりと、正座する子。


姿勢も正しい感じ。




「宿題、見てあげようか。」と言うと



祥子ちゃんは「わたしは、もう終わっています。」と。



僕は「きっちりしてそうだもんね。」と言うと


少し、表情を和らげたけど

硬い。



「あ、あの・・・。いつ、お帰りになりますか?」と。祥子ちゃん。


僕は「明日のつもり。」と言うと



緊張が解けたように、柔らかな表情になって



「町野さんは、姉の事が好きですか?」



と、唐突に聞く。



気持が揺らいでいるのだろう。



僕は「はい。」と言うと



「そう・・ですか。」と、少し落胆したような感じになった。



「結婚の約束とか、してますか」と聞くので


「それは、陽子さんの気持もあるし・・・・。これから、大学に通って

陽子さんにも、好きな人がほかに出来るかもしれないし。

そういう時、約束に縛られたら

しあわせになれないでしょう。」と。


祥子ちゃんは、笑顔になって「はい!ありがとうございます。

今晩は、私もお料理します!。」と

元気になって。

部屋を飛び出すように。



僕は、勢いに驚いて「可愛いね、若いっていいなあ」と

自分だって16なのになぁ、と


その感じに笑ってしまった。



僕が11歳の頃、クラスの女の子と

なんとなく仲良くなった事はあった。


麻里ちゃん、だったかな。


僕が洋楽を聴いていたので、先生が黒板にローマ字を書いたのを

読んでいたら


「英語できるの?」と

突然話しかけてきた、隣の席の子。


いつもは話した事も無かった。



「あのくらい読めるでしょ」と僕が言うと


麻里ちゃんはかぶりを振って「わたし、ぜんぜん。」


瞳が大きくて、黒髪がたっぷりとした

物静かな子だった。


それから、少し仲良くなったんだけど


ちょっと、その子の事が好きになってしまったような

時期があって。



うまく話ができない。



切ない。


時々、家に居ると

麻里ちゃんのことを思い出したり。



そんなことを思い出して。


ふと、懐かしくなった。



麻里ちゃんは、どうしてるんだろう・・・・・。なんて。



回想。




孝くんが、部屋に来て「ねえ、カンフーできるんでしょ?見せてよ。」と


そんな事も話してるのか(笑)と、驚いたけど



「ああ、出来るけど」と、部屋の中で

ちょっと二回まわし蹴り。



「へぇ、すごいなぁ、ケンカしても負けないね、これなら」と

孝くん。


僕は「武道はケンカに使っちゃいけないんだ」と言うと



孝くんは「そうなんだ。」と言って「じゃあ、なんのために?」と。



心を鍛えるんだよ、と言うと


「ふーん・・・難しいなぁ。」と。



そこに、陽子さんが訪れる。


「孝、宿題終わったの?もう26日だよ。私、嫌だからね。

書き取りとかするの。」と(笑)


「誰でも同じだなあ、僕も鉛筆2本持って書いたっけ。」と


英単語の書き取りなんかで、ズルをした事を話した。



「そうそう。それやってるね。みんな。」と、孝くんは楽しそうに笑う。




「じゃ、宿題やるね。」と、意外に素直な孝くん。



自分の部屋に引き上げて行った。





陽子さんは「夜はお魚がメインになるけど、お魚好き?お刺身とか。」と。


僕は「なんでも好きだな。あ、ナマコはニガテ。」と言うと


陽子さんは「大丈夫、それは買ってない。」と笑って



「なんか、お肉料理も作ろうか。ハンバーグとか。」と。



張り切っている。



「ありがと。お魚好きだよ僕。あんまり食べ過ぎるといけないし。

それに悪いよ、ほんと」と。



陽子さんは笑って「いいの。作るの好き!」と言って


「あ、洗濯物ないかしら。着替え持ってきたの?」と聞くので


僕はいいえ、と言うと


「じゃ、それ脱いで。洗っちゃうから。部屋着があるから、それ着てて。」

と。



「民宿でそういうの、あるんだね。」と言うと



陽子さんは「あなたは、わたしのお客様だもの。」と。



ユースホステルとかも、そういうものはない、と聞いていたから


旅館みたいだな、と思っていたけど。





僕は、部屋着、作務衣みたいだったけど


陽子さんが、気を利かせて階下に下りている間にそれに着替えた。




陽子さん、ふたたび。



「着てきたのは?ああ、これね。」と

さっき脱いだそれを持った。



「あ、臭いよ」と僕が言うと


「いいの。」と。


楽しそう。




ふと、思う。



「こういう感じを、祥子ちゃんが見ていたら

ちょっと可哀相かな・・・。」なんて。



祥子ちゃんにとっては複雑だろうな、と思う。


お姉さんも好き、だけど・・・・。



そういう気持。


さっきの祥子ちゃんの事を、陽子さんには言わないようにした。



仲の良い姉妹でいてほしかった。



「なんでも言えばいい、ってもんでもないしね。」と

心でつぶやく。



ふと、着替えを置いたバッグを見ると。


パンツも持っていってしまった!



「あーあ。恥ずかしい。」と。



パンツが見られるんだったら、ヨソイキの上等なのにするんだったと


後悔。



そんなもの見せる機会があるとは思わなかった(笑)。



和装だと、なんとなくきりり、とした気持になるのは

不思議だ。


いつもは、せいぜい浴衣くらいだけれども。



父が元気な頃は、週末に良く小さな旅に出たりした。


その頃の父は、小さな会社を経営していたりしたので

お金も結構あったらしい。



その時、浴衣を着たりした。そのくらいの記憶。





作務衣って、なんとなく修行僧みたいなイメージもあって。

「少林寺拳法かな。」なんて思って


すこし、アクション。



祥子ちゃんが、廊下の方から歩いてくるのが分かったので


僕もおとなしくした(笑)。


部屋に、静々と入ってきて


「あの・・・・ご住所を教えてくださいますか?」と。



ちょっと俯き加減、少し、頬が薄桃色で

かわいらしい。


夢路の絵の少女のようだ。




お姉さんには聞きづらいんだろうな、と思い

僕は、手元にあったメモを一枚。

そこに、住所と、ご近所の呼び出し電話を書いた。


「はい。」と、渡すと


祥子ちゃん、にっこり。「ありがとうございます!あの、これ、お帰りになってから

読んでください!」と


小さな、可愛らしい色合いの封筒。



ありがとう。と。

僕はバッグの中にそれを仕舞った。



祥子ちゃんは、ぺこり、とお辞儀をすると


ととと、と

廊下を小走りに。





「いい子だな、祥子ちゃん。」



と、僕は、その後姿を見送って。





入れ替わりに陽子さんが入ってきて

「祥子、お邪魔してたの?」と。



僕は頷き「うん、お話を少し。他愛ない話ね。」と。



陽子さんはにっこりして「可愛いでしょ祥子」と言う。



僕は、そうだね、と笑顔になる。



「あ、洗濯物乾いたから。」と。



風が涼しい時期だからかな、と

受け取る。



Tシャツに挟まって、パンツ(笑)


それを引っ張り出すと、陽子さん、赤面。



「仕舞って。」と。俯く。





ああ、ごめんごめんと。

バッグに仕舞ったけど。



・・・・でも、洗濯したんだろうになあ(笑)。


どうやって洗ったんだろう。





でも、和装が快いので。

麻、だろうか。さらさらしていて。


少し緩めに出来ているので、風が通り、涼しい。



ちょっと、サンダルを借りて

お散歩。




傾きかけた陽射し。


すこし、遠くなった。


「秋が来るんだなぁ。」と。


頬を撫でる風が涼しい。




林を渡ってくる風、だ。





「いいところだなぁ」と。

僕は、坂道の彼方の渚、水平線を見ながら思う。




「こういう所に住んでると、いい子になるんだろうな。」と


陽子さん、祥子ちゃん。孝くん。


その三人の事を思う。



「ここから出ないで生きていけないのかな。」

なんて思ったりもした。




部屋に戻ると、ギターの音がどこからか。


孝くんが弾いているようで、フォークソングかな。

基本的なコード。


のんびりとしたリズム。



「流行ってるもんなぁ。」と

僕も思う。



その、音が止まって。


階段を昇ってくる。


孝くんが「ギター弾いてよ。」と。



ああ、と、受け取り



ちょっと調弦がずれてたので、ハーモニクスで合わす。



「そんな方法もあるんだね。」と、孝くんが言うので

丁寧に教えてあげた。



「いい音だね。」と言うので



僕は、thorn tree in the garden の

最初の所のハーモニクスを、ちょっと弾いた。



クラプトンの「レイラ」がはいているLPで

レイラの次の曲。


静かな、優しい曲だ。



「へぇ・・・。」と、孝くんは楽しそうに見て


「僕もそんな風に弾けるかな。」と言うから


ギターを渡して「さっきの調弦みたいな感じで。」と

言うと、中々上手くは出来ないけど


なんとなく、それっぽく聞こえる。




孝くん、にっこり。



「歌も上手なんですね。」と孝くん。


陽子さんはそれも話したのかな、と


ちょっと恥ずかしくなった(笑)



そんなに家族の前で話したら、孝くんでなくても

カレシだと思うね。それは。



僕は、女の子と付き合った事がないので


そういうものかな、くらいにしか思わなかったけど。





孝くんが「歌、聞かせてください」と言うので

金色の髪の少女、を弾くと


「あ!それ好きです」と笑顔になった。



ギターの音が聞こえたのか、祥子ちゃんが、廊下の方から

此方を見ているので


僕は「いらっしゃい」と、呼び寄せた。



ちょっと切ない、恋の歌。


祥子ちゃんの胸には、響いたかな?

なんて思って歌っていた。



いい思い出になると、いいなぁ。


ギターの音が響いていたのか、階下から陽子さんが昇ってきて


「孝にしては、洋楽を弾いてるから珍しいと思ったら。」と

にこにこ。



僕が、歌の途中だったので。

続きを歌いだす。


「いい曲。わたしもラジオで良く聞いたわ。」と。


この辺りは、よくラジオが入るらしい。




孝くんは「この曲、ヒットしたもんね。」と。


「でも、このコード知らなかった。」と言うから



「うん、適当だよ。合ってるか分からない。」と言うと



「耳コピーなんだ!。すごいなあ。ミュージシャンになるといいね。」と

孝くん。


僕は笑って「僕くらいの人はいくらもいるよ。」と

北高の軽音楽部の事を思い出した。



上手い人が一杯。


それでも、ミュージシャンになれるかと言うと、そうでもない。




学年でひとり出るかどうか、くらい。




「やっぱ、どっか違うね。」と、孝くん。



「そうでしょ?ちょっとね。個性があって。」と

陽子さん。


傍らの祥子ちゃんの気持を、ひととき忘れていた。



その雰囲気に、ちょっと祥子ちゃんの・・・楽しい気持が

しぼんでいくような、そんな気がしたので


僕は、次の曲を。


bread の if と言う曲。

優しい感じのギターで、人気のある曲。


ゆっくり、半音づつハーモニーが下がるあたりが、優しさを感じて。



僕は、静かに歌った。



終わってから、拍手。みんなで。



ちょっとテレる。



「いい声ですね。」と、祥子ちゃん。

気持が和らいだみたいで、良かったな、と。


僕は思う。




孝くんは「それも耳コピーですか?どうやってやるんですか?」と



僕は「ちょっとわからないけど・・・・。なんとなく、あるのね。感じが」と

言った。


実際、分からないのだ(笑)。





「間違えてもいいから、弾いてるうちに合うみたいね。かっこ悪いかもしれないけど。」と

僕。



孝くんは「恥かしいでしょ、間違えたら。」と言うので



「うん、でも、かっこよくやりたいと思ってたら、ずっとできないもの。

自由な演奏って。なんでもそうだと思うな。

僕も、鉄棒の逆上がりが出来ないもの、未だに。

かっこ悪いけど。

でも、出来なくてもいいと思うんだ。

得意な事すれば。」



陽子さんは、なんとなく会心、と言う表情。



「わたしも、ちょっと分かる気がするな。体裁良く、そつなく。って

思ってると疲れるし。なんにも出来ないもの。」と。



祥子ちゃんも、何かを感じたようだった。

まるい、微笑み。




いい子でいよう。そう思うと

そうかもしれないけど。


でも、ダメならダメでいいんじゃない?

そういう生き方もあるんだもの。



貧乏暮らしになって、思った事だった。


格好をつけようがないから。(笑)。




音楽は、それを教えてくれるような

そんな気もする。

















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る