第10話 ご対面な話
翌日。だいたいいつもと同じくらいの時間に起きて朝のルーティンを一通りこなすと、突然ノックが鳴らされた。
「おはようございます、ヨウスケ様。マーガレットでございます。入ってもよろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫ですっ!」
「失礼いたします」
突然の訪問に驚いて声がひっくり返ってしまったが、訪問者であるマーガレット王女はいたって涼しい表情で、格の違いのようなものを意識してしまう。
にしても、こうして間近で見ると本当に人形のようだ。色素の薄い肌に冷たく赤い瞳。恐ろしさは依然としてあるものの、それは彼女の噂からだけでなく、完璧すぎる美しさからでもあるのだろう。
俺は内心の動揺を抑え込み、ひとまず彼女が座れるよう椅子を引き手で示す。いわゆるレディーファーストってやつだ。
俺の行動にマーガレット王女は少し驚いたように目を見開いたが、流石は王族。見てる方も惚れ惚れするほど美しい所作で椅子へ座った。というか、この辺りのマナーはこの世界でも同じのようでとりあえず一安心だ。
「ありがとうございます。……昨夜はゆっくりお休みになれましたか?」
「はい、おかげさまで。──俺になにか用ですか?」
……なんだろう、この人が俺を気遣うような素振りを見せると意味もなく警戒してしまう。モネと話しているときの様子を見る限り悪い人ではないのだろうけど、怖いもんは怖い。
俺は少しだけ、ばれない程度に背筋を伸ばした。
「ええ。これからのことについてご希望をお聞きしようと思いまして。ヨウスケ様はこの国にいらっしゃってまだ4日目ですよね?なにか不都合な点ありましたらおっしゃってください」
「いやいやいや、お世話になりすぎて申し訳ないくらいですよ!この部屋だって俺には広すぎて勿体ないぐらいです」
「それなら良かったですわ。他にもいくつかお聞きしたいことがあるのですが」
「どうぞどうぞ!まあ俺に答えられることとかあまりないと思いますけど……」
マーガレット王女が花のような笑顔を見せる。なるほど、確かにこんな表情だと年相応な女の子に見えなくもない。ただあと少し、俺の目線を的確に捕らえて圧をかけているのが和らげば、の話だけども。
居心地が悪くなり横をちらりと見ると、一緒に入室したメイドさんがお茶を淹れてくれていた。マーガレット王女だけでなく俺の前にも置かれたので、とりあえず会釈する。
「ではまず、ヨウスケ様はどうして勇者を目指されるのでしょうか」
「そうですね……。やっぱり元の世界に戻る方法を見つける、というのが一番ですかね」
「やはり、そうですか。他の方々も同じようなことを仰っていましたわね。わかりました」
まあ、みんな帰れるのなら元の世界に帰りたいだろう。モネなんかは特に、まだ小学生か中学生ぐらいにしか見えないし、家族や友達が恋しいかもしれない。……いや、でも案外マーガレット王女と離れるのを嫌がるかもしれないけど……。
「次は……、能力のことですね。宝石を見せて頂きたいのだけど、よろしくて?」
「もちろんです!俺としても見て頂けると助かります」
「ふむふむ……。そうですね、見たところ、そんなに変わったところはなさそうですね。──この石についてどなたかから説明は受けましたの?」
「いえ、まだですね」
「そうですか。それなら少しレクチャーいたしますわ」
それは有難い。昨日モネに聞きそびれたわけだし。なにより経歴も申し分ない人に教えてもらった方が分かりやすいだろう。
「まず、この石がそもそも何なのかはご存じですの?」
「えーっと……。能力の証、みたいな……?」
「そうですわね。それで大体間違いではありません。詳しく言うと、その石は高純度の魔力の結晶でして、物理的に壊すことはできませんし、魔法や魔術でもその石よりも高い魔力をぶつけなければ傷ひとつ付きません。だからこそ盗まれるのが一番厄介なんですの」
「へぇー。……えっと、魔法と魔術の違いってなんですか?」
「えっ?」
突然、マーガレット王女がぽかんと口を開けて固まってしまう。
ファンタジーに疎い俺からすると、魔法も魔術も聞いた感じそう大差ないように思ってしまうが、そんなに常識的なことなのだろうか?
「あ、いや……すみません……」
「いえ、わたくしとしたことが申し訳ございません。説明をアルトに丸投げしすぎでしたわね。──魔法と魔術の違いは簡単に言ってしまえば感覚で使うか、理論的に組み立てて使うか、ですわ」
うん。全然わからない。頭のいい人なら一発で理解できるんだろうけど、俺にはちんぷんかんぷんだ。そんな思いが表情に出てしまっていたようで、マーガレット王女が詳しい説明を加える。
「魔法は自身の持つ魔力を体内で編み上げ放ちます。そのため元々魔力を持たない人間は使うことができませんの」
「つまり、俺は使えないってことですか?」
「ええ、おそらくは。ヨウスケ様は違うようですが、もとの世界で魔法が存在していて使用されていた方々は魔法を使えますわね。それこそアルトがそうですわね。ヨウスケ様もご覧になったかと思いましすが、アルトは魔法によって風を起こせるようです」
「ああ、なるほど。あれかぁ……」
確かにアルトも足元の白い円盤を使って宙に浮いていた。あのときは焦りと混乱であまり深く考えていなかったけど、確かに飛んできた人を風がキャッチしていた覚えがある。
「それで魔術ですが、これは体外の大気中に満ちる魔力に魔法陣や専用の道具でで干渉して様々な現象を起こすものですわ」
「なるほど。魔術なら俺でも使えたりする感じですか?」
「ええ、かなりの努力を必要としますが可能ですわね」
なるほど、それは……。一瞬面倒くさいなどと思ってしまったが、使えたら楽しそうだ。こういう暇な時間を使って練習してみるのもいいかもしれない。
とにかく、何となくだが分かった気がする。何より、マーガレット王女の説明は簡単な言葉を選んでくれていたようでとても分かりやすかった。
「ありがとうございます、大体理解できました」
「それなら良かったですわ」
一息つき、お茶に口をつける。うん、美味しい。昨日とは違う茶葉のようで、爽やかな香りが口の中に広がった。渋みもなく、このお茶を淹れてくれたメイドさんの技量に拍手を送りたいほどだ。
ふと目の前のマーガレット王女を見ると、瓶から角砂糖を掴んでティーカップに落としている。
さらにミルクをカップのふちギリギリまで注いだ。
「……あの、滅茶苦茶失礼なこと言ってもいいですか?」
「……まあ、程度によりますけど。モネより失礼なことをするはずもないでしょう。──それに、ヨウスケ様はこの国では最も大切なお客様なのです。もっと我儘を仰ってもバチは当たりませんわ」
マーガレット王女もカップに優雅に口を付け、ふぅ、とため息をついた。動きのひとつひとつから王女としての気品がにじみ出ている。
「そうですかね……?じゃあ言うんですけど……」
「はい」
「王女様って、思ったより子どもらしいところもあるんですね。意外でした」
「ぶっ!?ごほっ!けほっ、ちょ、貴方!本当に失礼ですわね!?」
「いやだって……角砂糖6つにミルク……」
俺の言葉にマーガレット王女はむせるがすかさずメイドさんが口元に布をあてたので大惨事は免れる。
しかしミルクはまぁ良いにしても角砂糖6つはいくらなんでも多すぎだろう。13歳でこんなことをしていたら糖尿病まっしぐらだ。
「ま、まあ。見た目でそう思われることも多くないと言えば嘘になりますなりますけど!?別に子どもってわけはありませんわよ?聞いたでしょう、わたくしはこの国の最高峰の研究者たちと共に研究を……」
「いや、そういうことじゃなくて……。なんというか、性格、ですかね?あと味覚」
そこまで言うとマーガレット王女がどこからともなくナイフのようなものを取り出して俺に突きつけた。背筋が凍る。
「貴方これ以上喋ると首が飛びますわよ……?」
「すみませんもうしません」
「わかればよろしいですわ」
またどうやったかはわからないがナイフが消え失せる。え、怖……。もう怒らせないようにしよう……。俺はそう心に誓う。
しかし意外だ。この人はもっと冷徹で恐ろしい人かと思っていたけど、年相応で可愛らしいところもあるものだ。もしかしたら、モネもそんなところが好きで付きまとったりしているのかもしれない。
「まあ、確かに発言を許可したのはわたくしでしたわね。先ほどの発言は水に流しましょう。そろそろ話を進めても?」
「はい。……何の話でしたっけ?」
「この石の話ですわ。とにかくそれは大事なもので、他の人間に取られると貴方は異世界人としてのアドバンテージがなくなります。なので、箱からむやみに出さないように」
「わかりました」
とにかく、この石がとても大事なことは理解できた。……いや、ここに来る前にアルトから聞いてはいたものの、実際に研究者である人物から詳しい話を聞くとなおのこと現実味が増すというか。
俺は石を元の宝石箱に大切にしまった。
「それから……。そうですわね、ヨウスケ様自身はどれだけ戦闘ができますか?」
「えーっと……。筋トレはしてたんですけど、おそらく誰かに襲われてもなす術なく殺される、って感じでしょうか……」
「なるほど、サイカ様と同じ、非戦闘員ですわね。まあ回復をして頂ければ文句はありませんが、ある程度身を守れるようにはしたいですわね……。こう見ると、戦闘要員はアルトとストラ様だけですか。戦闘だけで言えば雑魚と言われても文句は言えませんわね」
「うっ、すみません……」
「いえ、予想はしてましたし。これから戦えるようになって頂ければそれで充分ですわ」
「はい?ど、どうやってかお聞きしても……?」
すると、マーガレット王女は満面の笑みを浮かべた。うっ……なんというか、俺はこの人のこの表情が
一番苦手かもしれない。背筋が凍るというか、含みがあるような……。
「それはこれからのお楽しみですわ。また詳しいことは今日の会議でお話いたします」
「わかりました……」
まあ、そもそも俺に拒否権がある訳はないのだ。俺たち異世界人の存在が国にとって大きなものであることはそうなのだろうが、実際の俺たちはエルダレの助けが無ければ今頃どうなっていたかもわからないのだから。
「あとは……。──ふむ。貴女、少し下がりなさい。それから人払いを」
「畏まりました」
俺が少しだけ辟易としていると、突然マーガレット王女がメイドさんに簡潔に指示を飛ばした。メイドさんはそれに軽く頷きテキパキとテーブル周りの片づけをしてあっという間に部屋から出て行ってしまった。
残された俺とマーガレット王女、図らずも一番ふたりきりになりたくない相手と対面で座ることになってしまった。
静寂が部屋に落ち、微妙な空気が流れる。
「えーっと……?」
「ヨウスケ様、これから話すことは他言無用でお願いいたします」
「え、あ、はい。それはいいんですけど……」
とにかく、どうしてこんなことをしたのかの説明が欲しいんだけど……。なんとも落ち着かず身を固くしていると、マーガレット王女がお茶を飲み干し、ソーサーに静かにカップを置いた。
「お聞きしたいのはアルト……アルト・ラッダーベルクについてです」
「え……?」
アルトについて……?あまりにも唐突な内容に俺は面食らう。
確かにアルトとは友人ではあるが、この世界に来て日が浅く、アルトともそこまで多くの時間を共にしたとはいえない。むしろ俺よりもマーガレット王女の方が知っていることは多いかもしれないぐらいだ。
俺が首をひねっていると、いつになく真剣な表情をしたマーガレット王女がこちらを見据える。
「ヨウスケ様は先ほど、勇者を目指すのは元の世界に帰りたいから、と仰いましたよね?」
「ええ、まあ……」
というか、大体の異世界人は元の世界に帰りたいと思うけど。特に俺のいた世界は魔物がいない分かなり平和だった。身の危険も日本で暮らしていると感じたことのある人の方が少ないのではなかろうか。
「実はアルトは勇者を目指していないのです」
「えっ……?──そういえば、確かに……」
「ええ、お父さまが宣言されたこの国の勇者選別の代表は3名。ヨウスケ様とモネ様、それからサイカ様のみです」
そう言われてみればそうだ。あのときはアルトはこの国の重鎮ということもあってかそんなに違和感を抱かなかったような気がする。
「でも、確かアルトは……」
「ええ、故郷に奥方と娘さんを残して来ているはずです。──それなのに、彼は勇者になり、力を手に入れて元の世界に帰る、という選択をしなかった。それはなぜでしょう?──おかしいと思われませんか?」
「それは……」
もちろん家族もそうだが、残してきた大事な人が幼馴染である俺ですら帰ることを切望するほどなのだ。アルトだって家族に会いたくないはずがない。家族のことを話しているときのアルトの表情が何よりそれを物語っていたのだから。
しかし、彼女の口ぶりではまるで、アルトのことを怪しいと思っているようではないか。
そう思い立ちハッとした。とっさにマーガレット王女に鋭い視線を送ってしまう。
「もちろん、彼にもなにか考えがあってのことかもしれません。しかし、警戒するに越したことはありませんの」
「でもっ!」
「ええ、分かりますわ。わたくしの作り上げた反逆者やスパイなど王国に仇なす者を発見する魔術でも白とでていますし、これまでの付き合いで彼が裏切るようなことをするとはとても思えません。なにより聡明な彼ならこの国を裏切ったとしてデメリットが大きいことに気付かないはずがありませんもの」
「だったら!」
「しかしそれは疑う理由になり得ません。しかしわたくしどもの背負っているのはひとつの国であり、もし何かがあれば危険にさらされるのは我々だけでなく、国民なのです。……もちろんヨウスケ様はご不満でしょう。ですから、ただ『そんな可能性もあるかもしれない』ということだけ心に留めて頂ければ十分です」
その眼には、確かな為政者としての覚悟と、責任感があった。あまりに力強くまっすぐなそれが俺を刺すのが耐えきれず、つい下を向いてしまう。──俺には、この眼に立ち向かえるほどの「何か」がない。治癒の力でモネを助けられたとはいえ、それだけの人間なのだ。今目の前にいる彼女ほど、何かを成し遂げたともいえないし、確固たる意見があるわけでもない。
何より、彼女はこれでもかなり譲歩してくれているほうだ、と理解できないわけじゃない。『そんな可能性』というのを心に留めるだけでいい、というのがそれを如実に表している。
「……わかりました」
結局、俺にはどうすることもできない。彼女や、……おそらく国王も、アルトのことを信頼しながらも疑い、日々を送っている。そしてそれはさほど楽ではないであろうことも、彼女の言葉の節々からもわかってしまった。当たり前だろう。アルトがいつからここにいるのかは分からないが、彼女にとっては俺より長く共に国の運営を支えてきた人物なのだ。そんな状況、大人びているとはいえ、13歳の女の子にとって辛くないはずがない。
だからこそ、俺には頷くことしかできなかった。しかし、ため息は抑えられず吐き出された息が更に部屋の空気を重くした。
「……少し空気が重くなってしまいましたわね。少し明るい話をしましょうか」
「明るい話?」
「ええ。……これはヨウスケ様にとって、いい話、にあたるものだと思いますわ」
そんな空気を断ち切るように、ぱん、とマーガレット王女が手を叩き、そんな話を持ち出した。
明るい話。確かに、今の俺には……いや、俺たちには必要なものだろう。
俺はマーガレット王女の言葉に素直に耳を傾けた。
「──ヨウスケ様の幼馴染、アオイ・ホウジョウについてです」
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