第7話 変わった少女の話

 エルダレ王国の周囲は一見、青々とした大草原が広がり、動物は見られないものののどかともいえる光景が広がっている。しかしながら、これらは偽装魔術によって見せられている一種の幻覚であり、許可証に描かれる魔法陣が無ければエルダレの城壁を見ることすら叶わない。これによって弱小国家であるエルダレはなんとか近隣諸国に攻め込まれていないだけなのである。


 そのためエルダレに入ろうと思うと、既に中に入ったことのある者の仲介が必要であり、他国で主に商売をしている商人にとってはそのパイプは喉から手が出るほど渇望するものとなっている。しかし仲介による入国審査というものは内部のスパイこそが最も警戒しなければならないものであり、このような制度を執っているエルダレにとって、長きにわたりこの問題は切っても切れないものとして代々の王族と国民を悩ませてきた。




 この長年にわたる問題を解決したのが、齢13にして、今現在の政治のほぼ全てを王から奪い取り仕切っている才女、冷徹姫と恐れられるマーガレット・エルダレである。生まれつき強大な魔力をその身に宿し、5回目の誕生日を迎える前にそれを筆頭宮廷魔術師をして敵わないと言わしめるまでに完璧に扱った。その高い魔術の腕によりひとりで国の周囲の広大な敷地を全て偽装魔術によって覆うという偉業を成し遂げた。


 勉学においては研究者たちと共に議論をし、数々の論文を書き上げ、それによって生み出された技術や魔術はいまやエルダレの生活を一気に100年分押し上げた、と噂される。スパイとなりうる人物を素早く見つけ出せるようになったのも彼女の編み出した様々な技術の応用なのだそうだ。それにより技術力を欲した他国の商人や魔導士らはこぞってエルダレを目指したが、そのあまりの到達難度の高さに彼らの多くは未だこの国へ来られずにいるのが現状であった。


 そんな彼女が冷徹姫と呼ばれる所以が金髪蒼眼の美しい容姿と眼光の鋭さであった。常に眉間に皺が寄っていて、ほぼ全ての人間に向ける視線は道端にいる虫を見るように冷ややか、らしい。


 あまりに生まれながらにして完成されすぎているため、彼女が異世界からの『転生者』なのではないかと


 噂されるが、その真相は定かではない。




 というのが、この国の概要……というよりは、マーガレットという方が凄すぎてマーガレット王女の概要って感じだけど、とにかく俺が城に到着し、王に謁見する前に知っておいて欲しい、とメイドさんらしき人から教えてもらった。正直関わりたくないなぁ、という感想しか出てこないけど……。


 しかし俺が謁見する予定となっているのは一応エルダレ国王だという話だ。実権を握っているのがマーガレット王女とはいえ、直接話すことはないだろう……と思いたいけれど、こういった政治体系の国において実際に権力をもつ人がどんな風に生活しているかなんて知らないので、正直当たって砕けろというしかないのだ。胃が痛い。




 王の準備ができるまでお待ちください、と通されたこの部屋は城の応接室のうちのひとつのようで、かなり華美な装飾が多く施されている。触ったら怒られそうな大きなツボには満開の綺麗な花が飾ってあったり、写真でしか見たことないようなキラキラと光を反射するシャンデリア、ご自由にどうぞと言われて置かれた皿の上には大盛りの見慣れない形をした果物が鎮座している。極めつけはティーカップに注がれた琥珀色のお茶だ。こればかりは口を付けないのも失礼か、というのと単純に喉が渇いていたため一口だけ啜ってみたのだが、これが本当に美味しい。物凄く高級なものなんだろうけど、俺の食レポが下手なせいで「美味しい」という感想しか出てこない。この味を知ってしまうともう二度と家で飲んでいたほうじ茶が飲めなくなりそうだ。まあ、元の世界にはしばらく戻れそうにはないので、そんな心配をするだけ無駄だけど。


 ちなみにアルトは王の側近のひとりであるらしく、次に会えるのは王座の間ですね、と言って去って行ってしまった。つまり、今俺はひとりぼっちなのである。……いや、全く寂しくはないのだが。というか、アルトめちゃくちゃこの世界に馴染んでないか?本当に俺と同じ異世界人で、この国の人間からしたら異邦人なのか疑うんだけど……。




 そんなわけでガッチガチに緊張しながらこの美味しい紅茶を味わっていたのだが、突然部屋のドアからノックの音が鳴らされる。




「もしもし!ヨウスケ……様?さん?まあいいや、いらっしゃいますか!?」


「もしもし、は違うのではないか?人間こういうときは失礼します、というのだと儂は習ったのだが……」


「え、マジ?いやでもあたしと同じ世界の人かもしんないじゃん!」


「いや、儂からしたら何でも良いのだが……。というかノックする前に何を言うか考えた方が良かったのではないか?」


「いや、その場のノリって大事じゃない?そういうの忘れるからドラゴンって駄目なんだよね」


「どうしてこの流れでドラゴン批判につながるのだ!?お主儂のこと嫌いなのか!?」


「そうだけど?」




 ……なんなんだ、これ。先ほど会ったドラゴンのような低い声と、いやに響く高い声がドアの前で何か言い合っているのが聞こえてくる。おそらく本人たちは部屋の中にいる人間に聞こえていないと思っているのだろうが、多少くぐもってはいるものの駄々洩れである。


 このままだとずっと入ってくることはなさそうだったため、俺は扉の傍まで行き、外の2人組に話しかける。




「どうも。……えっと、入って大丈夫ですよ」


「おわぁ!?あ、はい!失礼します!」




 ガチャリ、と慌てていたのか、かなりの勢いで開かれた扉の先には、先ほどのドラゴン……にしては小さい、あのドラゴンをぬいぐるみサイズにしたような何かがふわふわと宙に浮いていて、その隣に……いや、なんだこいつ?説明が難しいのだが、頭に見覚えのある、……なんというか個性的な、例えるとするなら……そう、百均に売っているあの宴会芸に使うような馬のマスク。あれのドラゴン、というよりはどちらかと言うと龍に似ているような、謎の緑色の生物をあの馬マスクと同じように作ったらこうなるんだろうな、という感じの謎のマスクを被り、この国で見かけた女性がよく着ていた形と似た、しかしそれより民族的な模様が強調されたワンピースを身に纏っている。……なんだこれ、これは普通に元の世界にいたら不審者と言われ通報されてもおかしくないんじゃないか?……そんな宴会芸とかで出てきそうな見た目のアンバランスな人物がよほど驚いたのか、変な体勢で固まって立っている。いや、驚いたのはこちらも同じではあるのだが。


 先ほどの大事件のときは焦りが大きかったため、あのドラゴンの背で倒れていた人物のマスクまでよく見てはいなかったのだが、パッと見でも強烈に印象に残るそれは、紛れもなくあの倒れていた人物のものと同じマスクだ。




「君がモネさん?だよね?けがは大丈夫?かなり傷口大きいように見えたけど」


「あ、はい!ヨウスケさんのおかげ様でちょっと休んだらすっかり元気です。なんか斬られる直前でドラちゃんが体を突き飛ばしてくれたらしくて、傷が浅かったみたいですね。まあこの国の医療がすごいらしい?のもあるとは思うけど」


「なるほど、それはよかった。ところで、ドラちゃんっていうのは……?」


「ああ、こいつです。本当の名前はもっと長いんですけどね!そんなん覚えられるわけないじゃんって話ですよ、全く!」


「あ、そうなんだ……」




 そう言ってモネさんは隣にいたドラゴン?を指さした。そんな大人気国民的アニメのキャラみたいなのがドラゴンの名前でいいのだろうかと思わなくもないけど、まあ確かに分かりやすくはある。ただなんか、先ほど街で大暴れしていたあの姿からは考えつかない、というかなんとも気の抜ける名前だ。




「ところで、どうしてあたしの名前知ってるんですか?まだ自己紹介してないですよね?」


「ああ、それは……。ほら、君街の人にすごく有名だから」


「おおー!ね、聞いたドラちゃん?やっぱあたしすごいんじゃない?」


「いや、どう考えても悪い噂が流れているに決まっておるだろう……」




 はい、その通りです。というか君の話題でまともな話を聞いたことはないよ、なんていうのは流石に言えなかったけど、俺は苦笑しながらドラちゃんさんの言葉に頷いた。




「とりあえず、立ち話もなんだし、入ったら?俺も聞きたいこととか色々あるし」


「あ、そうでした!じゃ、お邪魔しまーす」




 そう言って、ひとりと一匹を部屋に招き入れる。まあ俺の部屋じゃないけど、この部屋の前にはメイドさんがいたはずだし、駄目だったらすでに止められてるだろうから怒られることはないだろう。……多分。


 モネさんが俺の座っていた席の対面側に座り、その前のテーブルの上にちょこんとドラちゃんさんが降り立った。あまり行儀がいいとは言えなさそうだけど、まあ今は俺たちのほかに誰もいないし別にスルーしてもいいだろう。




「それで、モネさんはどうしてここに?」


「あ、ちょっと待った!」


「え、はい?」


「あたしはヨウスケさんに大恩がある。それはそうなんだけど、やっぱり同じ異世界人として、お互い対等!ということで、お互いタメ口でいかない?……いや、ヨウスケさんは既にタメ口だった。だから、えーっと……。呼び捨てで!」




 突然モネさんが俺の言葉を制したと思ったら、そんなことを言いだした。まあ確かに、俺としてもその意見には賛成だ。これから俺たちは異世界人として括られて生きていく。ならばできる限りお互いの心の距離は近い方が良いだろう。そのために形から入る、という訳なのだろう。




「了解。……で、モネはどうしてここに?」


「それは普通に助けてもらったお礼を言うため!ヨウスケさんがいなかったら私死んでたかも……とまではいかないと思うけど、後遺症とか残ってたかもしれなかったらしいし。だから、ありがとう!」


「おう。……どういたしまして。ただ、俺だけだったらあそこで能力を使うのは無理だったと思うよ。ドラちゃんさんがいなかったら能力の使い方も分からなかったし、そもそもアルトがいなかったらあんな場所で人が倒れてるなんてことも知らなかったぐらいだし」




 なんだか面と向かって……奇妙なマスク越しで、ではあるが、お礼を言われるとめちゃくちゃ恥ずかしい。そのため思わず俺から話を逸らしてしまったけど、実際その通りだ。俺はたまたま現場にいて、たまたま丁度いい力を持っているだけの人間で、実際になんとかしたのはアルトと主犯でもあるがドラちゃんさんなのだから。


 そのためだろうか、さっきまでいた火の海のような街が夢の中での出来事なんじゃないかとすら思えてくる。俺がモネを治したときにはもう既に火は鎮火されていたけど、あれだけ大きいドラゴンが暴れまわったのだから被害は相当のはずだ。ならばなぜ今モネはここに居られるのだろう?怒られる……というか、なんらかの罰を受けてもおかしくはないのだが。


 それが気がかりで、俺はモネに訊ねてみた。するとあっけらかんとした顔でモネは答えた。




「ああ、ドラちゃんが暴れるのは結構よくあることだからね。ドラゴンって本来の姿でいるだけででっかいし。……まあ、今回はあたしが怪我したからドラちゃんもブチぎれちゃってちょこっとだけ面倒なことになったっぽいけど……。とはいえ、石畳も家の壁も大体は魔力で出来てるし、多分そのうち直るんじゃない?」


「そんなもんなのか……。今のドラちゃんさんは本来の姿ではないんだな?」


「その通りだ。今儂がここで本来の姿に戻れば、お主などぺしゃんこよ。それから儂の名はストラバーストだ。ドラちゃんなどと呼ぶのを許したわけではないのだが」




 今度はモネの代わりにドラちゃんさん……もとい、ストラバーストさんが答える。なるほど、確かに長い名前だ。モネが縮めようとするのも納得である。いや、モネはドラゴンの方を縮めたんだろうけど……。




「長いしストラでいいんじゃない?あたしが許可するよ!」


「ぬっ!?何を言っておるのだモネ!?こやつは人間なのだぞ!?そんな無礼な真似を許しては……!」


「いいよいいよ、契約者権限で!」


「駄目に決まっておるだろう!お主ドラゴンの契約をなんだと思っておるのだ!本来は多くの供物がなければ儂ほどのドラゴンとは契約するどころか取って喰われるだけなのだぞ!」


「はいはーい、それは何度も聞いたってば!でもそれがあたしの能力だってんだから仕方ないじゃん。もういい加減諦めなよ」


「ぐぬぬ……」




 ……なんだかこれだけでなんとなく、ではあるがこのふたり組の関係性が読めた気がする。つまり、このふたりは契約関係で、見た感じだとモネが一応上の立場であるようだ。ストラさんを小さく抑え込んでいるのもモネの能力と関係しているのかもしれない。


 しかし、ただの主従関係というだけではモネが怪我をしたことによってあれだけ怒ることはないだろう。もしかしたら契約者を失うことで何かストラさん側にデメリットがあるかもしれないけれど、少なくともふたりには確かな絆があるように見える。どことなく、祖父と孫娘のような印象を受けるのもそのせいだろう。




「あっ!そうだ、忘れてた!ドラちゃんの話はどうでもいいんだよ。あたし、ヨウスケさんにお願いがあって来たんだった!」


「どうでもいいとはなんなのだ、どうでもいいとは!──うおう!」




 ストラさんが短い足をバタバタと動かし机の上で地団駄を踏むが、モネは気にせず翼を引っ掴んで地面に放り投げた。ストラさんは悲鳴を上げながら放物線を描き、床で一回跳ねて綺麗に着地した。……本当にぬいぐるみのような扱いだ、と思ってしまう。……確かな絆があってのことだと思う……。多分。




「それで、お願いって?俺は最近ここにきたばっかりだし、そんなにできることはないぞ?」


「王様に謁見するときにあたしも連れていってほしいの!あ、許可とかは大丈夫だから!」


「はぁ、それは俺としても願ってもないけど……」




 アルトが王座の間で待機しているとはいえ、ひとりでそんな凄いところに通されるのは緊張するし、誰か知っている人が付いて来てくれるのはありがたい。何より例の冷徹姫。彼女に会うかもしれない……というか、十中八九会うことになるだろうから、いるとなんだか気の抜けるというか、その奇妙な格好のせいではあるが、気を緩めると笑ってしまうようなモネがいることで少しくらい態度が柔らかくなったりしないかなぁなどとという邪な気持ちを持ってしまう。




「よかったー!あたしとしても、さっきのドラちゃんの暴走もあったし、いつもみたいに気軽に入ってけなかったんだよ!」


「いつもは気軽に入ってるのか……。というか、なんでそんな王座の間に入りたいんだ?緊張とかしないの?……ほら、あの冷徹姫のこととか」




 最後の方は小さな声になってしまったが、それが俺の素直な感想だった。俺に伝えられたということはモネも知っているだろうが、怖くないのだろうか。


 すると、返って来たのは意外な返答だった。




「いやぁ、その冷徹姫、マーガレットに会いたいんだよねぇ」


「は!?えっ、お前怖くないのか!?噂は聞いたんだろ?いやまあ、噂だしどこまで本当かは分からないけど……」




 しまった、思わず声に出てしまった。自分でも年下の女の子をこんなに恐れるのはおかしな感じがしたが、王への謁見への緊張も相まって余計恐ろしいものに見えているのかもしれない。もしかしたら、俺が思っているほど怖い人ではないのかもしれない。




「うーん、怖いというか……厳しい?悪い子じゃないんだよ!」


「はぁ……。まあ、モネがいいなら別にいいけど……」


「やったっ、ありがとう!あたしとしても命の恩人にこんな変なこと頼むのは気が引けたんだけど、頼んでよかったよ!」


「まあ、俺もひとりで入るのは緊張してたし……。付いて来てくれるのはむしろありがたいかな」


「そう?まあそんな緊張しなくて平気だと思うな!王様優しいし!」


「そうなのか……?」




 正直不安しかない。が、思わぬ同行者に俺の緊張は少しだけではあるがほぐれたことに変わりはない。俺はそっと心の中でモネに感謝した。モネも文化の違いはあれど、ストラさんへの接し方から常識のある人間のようだとわかるし、最悪、返答に困ったら頼っても大丈夫だろう。……マスクは、文化の違いによるものだと思いたい。俺は決意を固めるようにひとつため息をついた。


 するとそれを見計らったかのように、部屋にノックの音が鳴り響く。




「失礼いたします。ヨウスケ・サカモト様、王がお呼びでございます」


「はい」




 メイドさんが扉を開け、俺を呼ぶ。ついに、この時が来てしまった。机の上に残っていたすっかり冷めてしまった紅茶を飲み干して立ち上がる。


 そうして俺たちはメイドさんに案内されるまま、王の座へ向かったのだった。


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