211 幸福の国の獣たち①

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 ララキもタヌマン・クリャもアフラムシカに対する手助けはできない。


 ひとまず行き場のないひとりとひと柱にはアンハナケウへの滞在許可が与えられた。

 期限はなく、チロタの正常化がなされたら己の意思で戻ってよい、ということらしい。


 そして──これはララキにとってもっとも重要な点のひとつだったのだが。


「イキエスにも戻っちゃダメ、ってこと?」


 がっかりしながらそう尋ねると、オーファトは神妙な顔をして頷いた。


 ちなみにすでに審判やらなんやらはすべて終わり、神々はまたあちこちの片づけなり後始末なりに戻っているころである。

 ララキのところにはオーファトと、あとなぜかガエムトとその腕に抱えられたフォレンケがいるのみだった。


 ラグランネたち中~東部の中堅三人組はすでにそれぞれの盟主に従ってもろもろの労働に駆り出されている。


 フォレンケはまだ呆然としていてガエムトは無言なので、実質オーファトしか話す相手がいない。


「おぬしは本来イキエスの民にござらぬゆえ。むろん、イキエスの民と『紋章の交わり』があればそちらで暮らす権利を得ることも可能でござるが」

「その交わりってのは具体的にどういうやつなの?」

「あー、人間でいうところの婚姻なり養子縁組なりの社会的関係性を築くこと、とでも申そうか……」

「……いやあたしせんせーの養女なんですけど!」

「それは人間であったころのおぬしの話だ。今はクリャ殿と肉体を共有しておるゆえ、クリャ殿もまた彼らと同じく交わりを結ばねばならぬ。

 が、神と人とに紋章の交わりは原則認められておらぬで候」


 深い深い溜息がアンハナケウの地面に落ちた。

 要するにララキとクリャが分離できないかぎり、ララキは自分の意思でイキエスに帰ることができないらしい。


 というか最後の一言がとってもすっごく問題だ。それってつまり、


「あたしとシッカって、神さま的には結婚できないってこと……?」

「当然でござる。そもそも神族同士すら然様な交わりを結ぶのは稀というか、前例なきことにござるぞ」

「……そなの? 神さまだって恋とかしないの?」

「契りと交わりは別ものゆえ。とくにクシエリスルは原則として神の増減を認めておらぬうえ、万霊平等であれかしとの理念からして、交わりそのものが忌避されがちにござる」


 諦めろ、というクリャの声が脳裏に響く。

 幻聴ではなく実際に言っている。めちゃくちゃ面倒くさそうな声音で。


 ──そもそもおまえはアフラムシカに絡みすぎなのだ。

 私は男神なのだぞ? 彼とのこそばゆい会話やらなんやらを、おまえの内で延々聞かされている私の身にもなってほしいものだねえ。

 肉体の持ち主は元はおまえだったので今までは特別に黙っていてやったのだぞ。


 ──そんなに文句言いたいんなら身体返してくんない?


 ──お断りだ。というか、不可能よ。代わりの肉体でもなければ出たくとも出られんのでねえ。


「むむむむむ……!

 ていうか今さらだけどクリャってオスなんだ……微妙な声だから正直どっちなのかなって思ってた」

「外見も軟弱にござるしな。あれは拙者も当初は見分けがつかなんだぞ」

「──おい虫けら、あまり好き勝手を言うと捻り潰すぞ」


 またクリャが身体の制御権を奪い返してしまう。

 それを、拙者を虫呼ばわりとは良い度胸なり!とか言ってオーファトがやる気いっぱいに抜刀し始めるわけだが、こうなるともはやララキは内側でクリャに向かって騒ぎ立てるしかできないのだった。


 ララキの身体で勝手に誰かと戦ったりして怪我などされては困る。

 これでアルヴェムハルトみたいに手足を切り落とされたり、あるいは顔に傷なんてついたらどうしてくれる。


 ──嫁入り前の女の子の身体で暴れないでよ! シッカは気にしないかもだけどあたしが嫌!


 ──だからそれは諦めろ。それとも人間をやめるかね。


 ──……まじめな話、やめたらシッカと一緒になれるっていうんならちょっと考えようかなって思ってるんだけどさ。なんかいい方法ある?


「……だめだこの娘。なぜ私の唯一の民がこれなのだ」


 ララキは真剣なのにクリャは呆れていた。

 別に同意してほしいとはこちらも思っていないのだが、そんなに肩を落とすこともないのではないかと思う。


 そんなクリャを見てオーファトが苦笑しながら刀を鞘に戻した。


「状況から見てクリャ殿、ララキがこうなった原因はおおよそ貴殿にあるのではないかと。

 人の身で千年も結界に封じられ、それを救ったのがアフラムシカ殿となれば、彼君に依存してしまうのも致しかたないではござらんか」

「やれやれ……心が死ななかっただけ良い、とは思っていたが……」


 クリャはその先を濁したが、魂がくっついているララキには言わんとしていた気持ちがなんとなく伝わっている。


 心が死ぬどころかその逆で、むしろ自我が強すぎて扱いが面倒くさい、と思っていることが。


 でもってオーファトの言うことに一理あるとも感じている。

 ララキもそう思うが、クリャ自身がそれをいちばんよく理解しているらしい。


 まあ、自分たちの都合でララキの人生を振り回してくれたのだから、今度はララキに振り回される番だと思って我慢してほしい。


 ともかくクリャはこれ以上ララキに文句を言うのをやめて、今度は沈黙している忌神を見た。


 ガエムトはさっきからずっと無言でこちらの会話を聞いているだけで、こうしてクリャに見つめられても、言葉を発するどころか何の反応も示していない。

 黙っていると普段のガエムトとあまり変わらないように見えるが、フォレンケはまだ呆然としたままだ。


「──ときにガエムトよ。死者の王たる貴君に尋ねたい。

 わが民の魂は、忌神たちの手を経て貴君の元へ集められたはずだ。あれから幾百の年を過ぎ、彼らは今どうなっている?」


 もしかしたら、とララキは感じた。

 ガエムトはそのことを訊かれるためにわざわざここにいてくれたのかもしれない。

 それ以外でクリャとオーファトの会話を聞いている必要が彼にはないだろう。


 すべての死を司る異形の神は、地の底から響くような声で静かに答える。


『……他の魂と分けてはおらぬ。すべて砕いて、呑んでいる』


 その言葉にララキはいつか見た結界のことを思い出した。

 朝の来ない薄暗い空、無数の骨が敷き詰められた侘しい沼地と、そこにひとり佇んで骨をしゃぶっていたガエムトの姿を。

 やはりあれは死んだ者たちの魂を慰めている光景だったのか。


 あの中に、亡きチロタの人々の亡骸も埋まっていたのだろうか。

 ララキのほんとうの両親や親戚なども。


 ガエムトの返答を受け、クリャは深々と頭を下げた。

 よくわからないが、彼ら神にとっては領民の魂の行く末が、それくらい大切なことらしい。

 言いかたからしてもガエムトはたぶん彼のするべきことをきちんとやってくれたのだろう。


 ──にしてもガエムっちゃん、ほんと別人みたい。なんでいつもはああなんだろ。


 ──そのほうが都合が良いのだろうさ。


 ──都合って?


 ──人にはわかるまいよ。おまえも人間でなくなれば、いつかは理解できるかもしれんがねえ。


 ──だからその方法を教えてってば。


 ララキとクリャがそんな会話をしていると、ガエムトが割れた仮面を軋ませた。


『オーファト……始末はついた。私はしばし眠らねばならぬ。他の者は忌界に帰っているゆえ、フォレンケは汝に任せるぞ』

「承知つかまつった。またお会いしようぞ、ガエムト殿」

『うむ……あまりこれを苛めてやるな』

「ははは、それは約束致しかねる!」


 サソリの神がいたずらっぽく笑ってそう答えたとき、ガエムトがどことなくしょんぼりしたように見えたのはララキだけだろうか。



 しばらくしてフォレンケがうーんと声を上げた。

 別にこれといって劇的な変化とかはなく、ガエムトは黙ったまま、フォレンケだけが寝起きのようにぐぐっと手足を伸ばしただけだ。


 分裂した神々の内側でいろんなことが起きているのだから、もう少し何かあってよさそうなものなのだが。


 ようやく起きたかこのふぬけネコめ、とオーファトが開口一番にフォレンケをいじる。

 フォレンケはそれを寝ぼけ眼でちらりと睨んで、けれどすぐにふっと笑みを浮かべ、おはようと答えた。


「……えっと、そっちは今はクリャかな。ややこしいから外見もクリャにしといてよ」


 ──あ、視線の高さが変わってないと思ったら、クリャが出てからもあたしの外見のままだったの?


「そうでござるぞ。ちなみにララキ、おぬしの声も若干聞こえておる」

「ん。ボクも一応話は聞いてた」


 西の神々が揃って頷いている。


 というかフォレンケはさっきまであの状態だったのにどうやって話を聞いていたのだろうと思ったが、ララキだってクリャの中で話を聞いているのだし、似たようなことができてもおかしくはないのか。


「いちいち姿を移すのに無駄な力を使いたくはないのだが」

「人型同士だったらそんなに減らないでしょ。

 それよりあんまり意地悪するのやめなよふたりとも。たまにはイキエスに帰ったって、べつに誰も怒ったりしないんだからさ」


 ──そうなの!?


「居住って形にはできないけどね。だから短期間なら向こうに寝泊まりしてもいいし、ミルンやスニエリタに会いにいっても構わないよ。出入りの方法はクリャがわかってるだろうし」


 そこでクリャとオーファトが苦笑の滲んだ顔を見合わせていたあたり、フォレンケの言葉は間違っていなかったらしい。


 つまりララキがあちこち出歩いて面倒ごとを増やさないように、まるでアンハナケウから出てはいけないかのような言いかたを、二柱揃ってわざとしていたのだ。

 ひどい話である。


 ララキはむーっと膨れたが、クリャの内にいる魂がどんな顔をしているのかは神々に見えているのだろうか。

 とりあえずクリャにだけは伝われ。


「んーっと……ガエムト、そろそろ下ろして。もう自分で歩けるから」

『ウー……ドド、あっちにいる。食っていいか?』

「それはダメ」

『ヌダ・アフラムシカ……』

「そっちはもっとダメ!

 あーもう、どのみちここでボクらができることはもうなさそうだし、そろそろヴレンデールに戻ろうか。休んで身体を治さなきゃ」

「ふむ、いつものガエムト殿でござるな。拙者も帰るとしよう。いざさらば!」

「それじゃあ、またねー」


 西の神々はそう言って、ララキたちに手を振りながら消えていった。


 クリャはそれをまんじりともせずに見送って、それからふり返ってあたりを見た。

 あちらこちらの荒れ果ていたところはおおむねきれいに整地されており、それらの作業をしていた神の姿もまばらになっている。

 あとはドドたちが引き受けるのだろう。


 監督していたらしい何柱かの盟主に、引き上げる神々が挨拶しているのが見える。

 その中にはラグランネもいた。

 自身も負傷しているうえ未だにアルヴェムハルトを抱えているが、それでも何か手伝うことがあったのだろうか。


 女神は最後にこちらの視線に気づき、微笑みを浮かべて消えた。


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