085 流砂に潜みて旅人を喰らう者

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 オーファトが叫んだ名前には聞き覚えがある。

 というか、その神こそララキがフォレンケに提示された、次の試験を行うために会わなくてはいけない相手だった。


 その神は流砂の中から眼だけを覗かせていて、姿のほとんどは埋もれて見えなかった。

 よくわからないがオーファトとの戦闘に乱入してきたらしい。でもってこちらを助けてくれるわけではなさそうだった。

 三人はみんな流砂に飲まれかけて、もはや立っているのがやっとの状態だが、もちろん神であるオーファトは流砂の上を悠々と歩いている。


 かといってオーファトもこの期に乗じて襲ってくることはなかった。これまたよくわからないが、どうも彼は別の神の乱入に対していたくお怒りのごようすだった。


『カジン、出てこいッ! よくも拙者と人との至重なる手合わせに水を差したな!?』

『……くだらんね。自分、フォレンケに呼ばれて出ただけなのだが。おまえが勝手に先に始めただけ』


 えらくやる気のなさそうな声でそう言うと、カジンはのろのろと流砂からその身を這い出してきた。


 ワニだ。砂と同じ色をした、乾ききった岩のような身体をしている。

 一応は忌神らしく骨の面をつけてはいるが、ワニの顔に合うものがなかったのだろうか、小さな何かの頭蓋骨を三つほど並べて長い上顎に乗せているような恰好だった。


『だから言ったのに。オーファトの所領に入ったら、絶対こいつが黙ってない。とりあえず……邪魔だオーファト、おまえ帰っていいぞ』

『おのれ忌神の分際でぬけぬけと……貴様では話にならん、フォレンケを呼べ!』

『自分で呼べよ』

『拙者はあのふぬけネコとは口を聞きたくないのだ! ……ああもう、世話の焼ける!』


 オーファトは刀を十字になるように重ねて地面に突き立てた。


 ララキたちはそれを呆然と見ているしかできなかった。いろいろツッコみたい状況ではあるが、流砂に飲まれるのを堪えるのに精一杯だった。少しでも動くと下へ下へと落ちていってしまう。


 ややあって見覚えのある砂埃が起こり、見慣れたヤマネコの神がひょんと飛び出した。

 どうやら多少はどこかで聞いていたようで、フォレンケもちょっと不機嫌なようすでオーファトへと詰め寄る。


『誰がふぬけネコだって~? オーファト、いい加減にしてよ。こういうのがいちばん困る』

『誰でも試験をしてよいと申されたのはカーシャ・カーイ殿でござる。それを盟主でもない貴殿の一存で拙者だけ差し止めなど認められようか? 断じて否! それに拙者は忌神にござらん、然らば貴殿の命令を受ける立場にもあらず!』

『あ~もぉ~ッ面倒くさいなあ……一応もとの立場はボクのが上だったはずだけどなぁ……まあいいや、そんなにどうしても試験したいんなら、カジンと合同でやって。そのかわりボクは彼らを手助けする。それでいいだろ』

『そのほうが面倒だろ……まあいいけど……』

『うむ、乗ったッ!』


 神々による緊急会議はすぐに結論を出した。人間側の気持ちを一切無視した、もう迷惑極まりないとしか言いようのない結論を。


 オーファト一柱でさえ三人で力を合わせればなんとかなるかも、といった感じだったのに、そのうえ別の神をもう一柱相手にしろとはどういうことだ。


 しかも手を貸してくれるのがフォレンケと言われても、正直あまり期待できそうにない。

 いや彼も一応は神だし……神なんだけど、正直あまり頼りになったと思えた場面がこれまでなかった気がする。


 呼びかけに対する反応がいつも遅いし、最初のときなんかサイナと揉めて返事ができなかったとか言ってたし。

 ルーディーンを呼んでほしいと頼んだのにヴニェクを呼んでくれたし。

 タヌマン・クリャには逃げられてるし。


 大丈夫なのかなあ、などと不安になっている暇などない。


 カジンは地中に消え、やる気を取り戻したオーファトはふたたび刀を構えて地上から襲ってくる。しかしララキの足元は未だカジンの流砂に飲まれたまま、引くどころか抜け出ることさえ容易ではない。


 オーファトはまったく足元の障害を意にも介していないわけで、完全にこちらが不利だ。

 避けられない以上、多少流砂の飲み込みが深くなるのを承知で防御の紋唱を行うしかない。


焦扉しょうひの紋!」

『甘い! 我が双剣術"蟷螂とうろうの構え"にて叩き斬ってくれる!』

「っうわ……とぉッ……傘火の紋!」

『うぐおう!?』

「……いったぁ!」


 防御の下から火花の種を弾かせる。

 速描きに定評があるララキに向いた戦法だから、とシレベニにいたときにミルンに言われて練習していた。役立ってよかった。


 ただ、オーファトはもろに顔面で喰らって仰け反ったのはいいが、至近距離だったせいでララキまで痛い思いをした。ちょっと火の粉が顔にかかってしまったのだ。

 こっちは嫁入り前の女の子なんだぞ、どうしてくれるんだ。

 自分が術を放っておいて、なぜかララキは内心でオーファトを責めながら、ともかく流砂から抜け出ようとする。


 しかし流砂の中心部から外側へともがいた四肢が、そのままずるずると下へ飲み込まれていく。


 まずい。


 ララキは直感的に思った。

 このまま落ちたら、……


 こうなったらやけくそで、体勢を直したオーファトに向き直ると、


『何ィ!?』


 その腕を掴んだ。オーファトは沈まないのだから、彼を掴んでいればこれ以上は沈まない。


 だが、掴んでいるその腕はもちろん刀を持っているわけで、手首を動かされたらその刃は簡単にララキに届いてしまう。

 しかも彼は二刀流。両腕を掴んでしまっているので、手が使えなくなったララキに紋唱はできない。


「うう……ううぅりゃぁぁああああッ!」


 渾身の力を両手に込めて、ララキは足元を蹴った。もはや賭けだった。


 すなわち、ちょうど真下にカジンが来ていることを期待して、彼を足場にしたのだ。

 果たして、たしかに感触はあった。思ったより硬くなかったというか、若干ぐにゃっとした肉らしい質感だったが、それだけに明らかに岩などではない。


 カジンのどこかを踏み台に、オーファトの両腕を軸にして、ララキは流砂を脱した。

 そしてそのまま華麗に空中を一回転までした挙句、オーファトの背後に両手両足をすべて使っての着地を決めた。


 すげえ! というミルンの歓声めいた声が聞こえた気がする。

 まあね、伊達にイキエス南部の田舎で育ってませんからね。


 しかし落ち着いてもいられない。すぐに足元がぞろぞろと嫌な感触に変わり始めるので、飲み込まれる前に走り出さなければならなかった。

 もしかしなくても流砂に飲み込んでくるのがカジンの試験内容だったのだろう。その時点で単体でも充分嫌な試験だったのに、オーファトとの合わせ技で嫌さ倍増である。


 追ってくるオーファトの気配を背後に感じつつ、ララキはスニエリタのところへ向かう。

 ミルンはなんとかして自力で抜け出せる、ような気がするけれどスニエリタには手伝いが要るだろう。


「恵生の紋!」


 スニエリタを飲んでいる流砂の円沿いに樹の紋唱を放つ。紋章が着地したところで、そこから伸び始めた蔦をできるだけ意識してスニエリタのほうに垂れさせる。


「スニエリタ、それ掴んで!」

「は、はい! ……よいしょっ……きゃあっ!?」


 指示どおり蔦を握ったはいいが、そこから這い上がるまではできないらしいスニエリタが、突然がくっと下に沈んだ。さっきまでは腰から下までしか埋まっていなかったのに、もう胸元まで呑み込まれている。


 悲鳴に気づいたらしいミルンが、自分も流砂に呑まれかかっているのをそっちのけで叫ぶ。


「スニエリタ、どうした!?」

「あ、脚が……そのっ……何かに咬まれているんです……! いやぁっ、引っ張られる……!」

「それカジンだと思う! スニエリタ、思いっきり蹴って! それしかない!」

「できません……っ」


 恐怖なのか咬まれている痛みのためか、スニエリタはぽろぽろと泣き出してしまった。

 なんとかララキの蔦にしがみついているものの、下からぐいぐい引き摺り下ろそうとされているらしく、どんどん沈んでいっている。もうすぐ肩が見えなくなりそうだ。


 助けにいきたいが、ララキはまだオーファトに追い掛け回されていた。

 せめてどっちにも絡まれていないミルンがどうにかしてほしいところだが、どうも流砂を出るのに手間取っているらしく、さっきから悪態しか聞こえてこない。


 やはりどちらかをなんとかして助け出さなければ。ララキひとりでオーファトは倒せないし、この際オーファトよりカジンの流砂のほうが厄介だ。

 ふたりが流砂を抜けた状態になればカジンも最後のひとりに向かうはず、そこを二人がかりでどうにかすれば、……ってどうすりゃいいんだ。

 相手は砂の中、せめて一部分でも引きずり出さなければ攻撃が当たらない。


 そこでやっとフォレンケの存在を思い出した。そういえばちっとも助けてくれていない。


 オーファトのしつこい斬撃をなんとか避けながらフォレンケを探すと、適当な岩の上に日向ぼっこでもしているかのような顔でちょこんと座っていた。

 相変わらずかわいいだけで役に立たないヤマネコである。この場合その無駄なかわいさが余計癪に障る。


 腹が立ったので、ララキはちょっと怒鳴り気味に叫んだ。


「フォレンケ! 見てないで助けてよ、っていうかもう見てすらいないよね!?」

『ええ? まだそんなにピンチでもないでしょ』


 これのどこが窮地に陥っていないというのか。ミルンとスニエリタは砂に埋もれっぱなしだし、そのうちスニエリタはワニに食われそうになっていて、唯一出られたララキは元サソリの剣士に追い掛け回されている。

 ときどき背後に軽い術を放ってどうにか刃の届かない距離を保てているものの、このままだといつか息が上がって追いつかれる。


 もしかしたら結界の中だから斬られても大した怪我にはならないかもしれないし、仮に腕あたり斬り落とされてしまったとしても元通りにしてくれるかもしれない。

 だが、やっぱり進んでものすごく痛い目には遭いたくない。


『しょうがないなあ、じゃあひとりだけ流砂から出してあげるよ。どっちにする?』


 フォレンケが呑気に身体を伸ばしながら訊いてきた。その身体の回りで砂塵が巻き上げられている。


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