047 荒山の守護者
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こんなこともあるんだな、とララキは思った。今までで初めてだった。
フォレンケにどれだけ呼びかけても反応らしいものがまったくなかったのだ。
それはもう名前を呼ぼうがシッカの神名を出してみようが、ルーディーンのように結界に呼ぶこともヴニェクのように攻撃してくることも、地震が起きることもなく、ほんとうにさっぱり何にも起こらなかった。
なんなんだ。ほんとにいろんな神がいるなこの世界。無視されることもあるのか。
ある意味攻撃されるよりも空しい。
足取りも重く寺院を出てから、一応ふたりにもフォレンケに無視されたことを話してみた。ふたりにも驚かれた。
ともかく宿のダイニングで食事をしながら、明日からのことを相談する。
忌神についての情報は多少タイカくんから入手できたし、このあたりで祀られている忌神がガエムトではないこともわかったので、もう少し北上するか西に向かうかが今の焦点だ。
どちらに向かったとしても、あるのはフォレンケ四大寺院だが。
フォレンケが応えてくれない以上は行っても無駄なのでは、とも思う。
寺院そのものは古すぎて紋唱があまり使われておらず、紋唱術師としての勉強にはならないし、かといっていきなり何の忌神を祀るか聞くのはきっと嫌がられる。
やっぱりスニエリタが最初に言っていたように、霊廟とか墓地とか少しでも死者に関係のある施設を回ったほうがガエムトには近づけるかもしれない。
ちなみにタイカくんにはガエムトの信仰地域についても尋ねたのだが、それは教えられないと言われてしまった。よくわからないが何がしかの禁忌に触れてしまうらしい。
サイナの霊壇を見せられないのも似たような理由だそうだ。
「やっぱりさあ、なんていうか変な文化だよね、忌神って」
「そうですね。死後の世界と今生の世界で祀る神が別々にいて、そのうえ今生ではどちらの神も祀っておく、……正直なところ、わたくしには生死で神を分ける理由がよくわかりませんわ」
「そこんところは理想の現実の差から来てんだと思うけどな、俺は」
なんだそれ、と思ったが、ミルンが言うにはこうだ。
理想としては誰とも争わず楽しく豊かに暮らしたいので、フォレンケはそんな神として祀られた。
しかし現実にはこのあたりの土地は痩せていて農業には向かず、食糧などを充分に得ることができないので、生きていくには誰かを殺して奪うことも必要になる。
そんな現実を慰め、たくさんの死者を救うために祀られたのが忌神たち。
フォレンケを差し置いてガエムトが盟主になったのも、実際にはフォレンケら表の神より忌神たちのほうが強い力を持っていて、むしろこの近辺の信仰の主体ですらある可能性を示しているのではないか。
名前さえまともに知られていない神が主体だというのはララキたちからすればぴんとこない説だったが、たしかに辻褄は合うかもしれない。
フォレンケが応えてくれないのもそのせいかも。もしかするとフォレンケ自身には応える意思があっても、忌神のほうがそれを拒んでいてできないとか。
いや、それどころか、ほんとうはフォレンケなんて存在しないんじゃないかとさえララキは思った。
ほんとうにこのあたりの人たちが信仰しているのは忌神で、しかし彼らの名前を表立って口にすることができないため、代わりに実在しない神をでっち上げて隠れ蓑にしているのではないだろうか。
なんとなればほとんどの人間は死ぬまで一度も神の顕現を見ることがない。
アンハナケウはおとぎ話の扱いで実在しないことにされているが、その逆があってもおかしくはないのだ。誰も見たことがないものの実在なんて証明できない。
もしそうならフォレンケに呼びかけても無駄だ。直接ガエムトに語りかけなければ。
とりあえず、三人はどうにか西のほうに小さな廟があることを地図上に発見できたので、とりあえずそれを目指すことにした。少しでも関連のある施設なら呼びかけられるかもしれない。
そこでダメだったらそのときはそのとき、という投げやりな結論でその日は解散した。
少し早かったが眠る。
また夢にシッカが出てこないかな、なんてぼんやり思いながら眼を閉じる。
隣の寝台を使っているスニエリタは、横たわらず何か考えごとをしているようだった。
窓の外で風の音がする。このあたりは強い風が吹くらしい。山のほうから吹き降ろしているのだろう。
荒野の枯れ草や小動物の骨を、山風が巻き上げているのが見える。
……いや、見えるっておかしいじゃないか、寝てるのに。あれ?
ララキはあたりを見回したが、そこは温かい寝台ではなく寒々しい乾いた荒野のど真ん中で、足元には獣の骨が散らかっている。
風の音がすごいし感覚的にこれは結界とかではなさそうだ。夢だろうか。
「なんか意味ありげな感じだな……」
単なる夢ではなさそうだと感じつつも、周りには誰もいない。とりあえずうろうろ歩いてみる。
ほんとうにどこまで行っても短い草がまばらに生えているだけで、確かにこれは農業はまず無理だろう。
南ではそこらじゅうに果物の樹があって、ちょっと森に入れば野生動物の宝庫だったが、ここでは放牧してもすぐ家畜が餓死してしまいそうだ。だいたい水場が少なすぎる。
よくこんな場所で暮らそうと思った人間がいたなと思うぐらいの荒地だ。もっと他に行き場はなかったのだろうか。
やっぱりこんなところにまともな神なんていないんじゃないか、と思ったときだった。
目の前の小さな丘をひときわ強い風が下りてきて、その麓から巻立った砂埃がララキに吹きつけられた。ララキは咄嗟に眼を瞑ってそれをやり過ごす。風に混じった小石が痛い。
そしてふたたび眼を開けると、目の前に、ヤマネコがいた。
金色の毛並みにところどころこげ茶の斑が散っている。耳の毛がとくに長く、先端から飾りのようにぴょんと飛び出して見えた。
ヤマネコはちょっと不服そうな顔で丘の上に立ち、ララキを見下ろしている。
「フォ……フォレンケ……?」
実在したのか、というのが最初に感じた正直な感想だった。
となるとさすがに失礼なことを考えすぎたかもしれない。もしかして機嫌悪そうなのもそのせいか。
いや、でも元はといえばどれだけ語りかけてもフォレンケがまったく反応してくれなかったから、実在しない説なんて考えてしまったのだが。
『仕方がないでしょ。こんな土地でも生きてかなきゃいけなかったんだから』
ところがフォレンケの第一声は、ララキの予想とだいぶ違った。
内容もそうだが、声が、男の人というよりは男の子という感じだった。
ルーダン寺院で見た筋骨隆々の立像とはまったくかけ離れた、正直言ってかなりかわいらしい声をしている。
不機嫌そうに尻尾でぺしぺし地面を叩いているのもなんというか愛くるしい。そのモップみたいな尻尾をもふもふしたい。
……いやそんなことを考えている場合ではない。
見た目と声は置いておいて、フォレンケのララキに対する心象がよくないのは事実なのだ。ガエムトとの仲介を頼むためにはこのままではまずい。
「えっと、フォレンケ、だよね? あたし、ルーダンのお寺であなたに呼びかけたんだけど……」
『うん、ちゃんと聞こえてたよ。でもどう応えようかってサイナと相談してて、結論が出なかったんであのときは返事できなかったんだ。それはごめんね。
サイナはどうしてもきみの前に出たくないみたいだから、とりあえずボクだけできみの夢に下りたんだ』
「あ、あの、ごめんなさい。さっき失礼なこと考えちゃって」
『ここはさ、他の豊かな土地を得られなかった人たちが、長いこと旅をして最後に辿りついた場所なんだよ。決して選んで住み始めたわけじゃない。生きていくには辛い場所だけど、それでもなんとかみんなで力を合わせて頑張っていこうとしたから、その中でボクみたいな神が生まれたんだ。
ただ、きみの予想どおり、ボクはそれほど強い神じゃないけどね。ヴレンデール一帯がまとまってるのは、地下で繋がってる忌神たちの存在あればこそだ』
フォレンケは丘を下りてララキのもとへちょこちょこと歩いてきた。
どれほど愛らしい外見であっても、やはり彼もひと柱の神には違いないので、ララキはその場に崩れ落ちるように跪く。目の前までくると、フォレンケは思ったより大きな身体をしていた。
神たるオオヤマネコは、青みがかった灰色の瞳でララキを見下ろす。
『でも、ボク個人はきみに会えてとても嬉しい。きみを通してヌダ・アフラムシカが見えるよ』
「そうなの?」
『彼の、なんていうのかな、力の破片のようなものがきみの中にあるんだ。人間でいうところの紋章かな。
……もっと話したいのはやまやまだけど、あまり呑気に構えてるとヴニェク・スーに怒られるから、そろそろ本題に入ろう。
ボクはルーディーンに迎合してるくちだけど、サイナはそうじゃない。彼女はきみたちを試したいと言っている。
たぶん、ここに来るまでにゲルメストラに何かされただろうけど、それと似たような試験を課すことになる』
「試験? ゲルメストラってあのシカの神さまだよね。あたしたち試されてるの?」
『ルーディーンがきみたちを助けた件は、ボクらの中でもちょっと問題になってね、久しぶりに全土の神がアンハナケウに集う事態にまでなったのさ。そこで、北の雄カーシャ・カーイの提案で、すべての神がきみたちを試すことになった。
きみたちが無事にサイナの試験を超えられたら、ボクはきみたちをガエムトに引き合わせると約束するよ』
情報量が多すぎてララキは困惑した。
まずヴニェク・スーに怒られるってなんだ。
ルーディーンに迎合してるってなんだ。
試験ってなんだ。
大陸じゅうの神々がアンハナケウに集合したってそんなことをさらっと言われても。もうわけがわからん。
とにかく、ええと、ララキたちのことはもう神々の間では知れ渡っているということか。
それででもって、たぶんその中でもルーディーンのように協力的な神と、そうではない神とに分かれていて、たぶん協力的でない神がこぞってララキたちにちょっかいをかけようとしていると。
このあいだ結界迷路に迷い込ませてきたゲルメストラもそういうことだったと。
な、……なんかすごいことになってきた……ちょっと頭がくらくらする。
まあでも目の前のフォレンケは友好的な神のようだし、ガエムトに会わせてくれると約束してくれたのは安心した。
クシエリスルの神は嘘をつかない。シッカがよくそう言っていたから、フォレンケのことも信じていいだろう。
フォレンケは、それじゃあまたね、と言って尻尾をくるんと回転させた。すると強い風が吹いて砂埃がフォレンケの姿を包み、それが収まるころには神の姿は消えていた。
あとに残ったのは寂しい荒野だけ。
おしゃべりな神がいなくなると、もう風の音すら耳に痛い。
やっぱり、何度見ても、とても人が暮らしていける環境ではない。
フォレンケが最初に怒っていたのは、ララキがここに住んでいる人たちを物好きのように思ったことに対してのようだった。
決して選んだわけじゃない、という言葉には、どこか悲しい諦めの響きがあった。たぶん彼は彼なりに自分の民を大事にしているのだろう。
シッカもそうだったのかなあ、と思う。ロカロやその近辺のイキエスの人たちを、今でも大切に思っているのだろうか。
そんな気持ちを、ほんの少しでも無関係な"呪われた民"に向けてくれたのだということに、今さらながら気づく。
それがたぶん神の感覚からすればものすごく特殊で、ある意味では異常なことなのだろう、とも。
旅に出てから、シッカと話したい、という気持ちが強くなっている。もちろん声を聞けなくなってから慢性的に思ってはいたが、旅に出る前とは少し違う。
昔のララキは自分のことに精一杯で、シッカのことをあまり聞かなかった。それを今はすごく勿体ないと思う。
シッカと話したい。
彼が何を見てどう感じるのか。ララキと会う前はどんな神だったのか。
どんなふうに自分の信徒を守り慈しんできたのか。
彼の気持ちを、もっとよく知りたい。
今はただそう思う。
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