029 ロディルの判定
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夜が明けた。
明けてしまった。
すなわちロディルの試験を受けるときがすぐそこまで迫っていた。ララキは緊張のためか、朝ごはんの味もいまいちわからなくなってしまっているありさまである。
一方ミルンはいつもどおり、に見える。
とにかく宿を引き払い、訓練所の前でスニエリタと落ち合って、三人は中へ進んだ。
早朝で、しかも大祭の翌日とあって、訓練場は空いていた。予約も何もしていなかったが、すんなり借りることができたくらいだ。
さっそく円の外のわずかな空間に荷物を寄せて、ロディルが来る前に少しは練習しておこうと、それぞれ手袋を着けた手を構える。
三人で使うとなるとさすがに狭いが、仕方あるまい。
「そういえば、ララキさんの紋唱を見るのはロカロ以来ですわね」
「ほんとだ。やー、あのときはスニエリタが仲間になるとは思ってなかったけど……」
「ええ、わたくしも思いもしませんでしたわ。初めてお会いしたときは、てっきりおふたりは愛の逃避行でもなさっているのだと思ってましたし」
「「ぶっ!!」」
スニエリタの爆弾発言にふたり同時に噴出しながら、誤解が解けてほんとうによかったと思ったララキとミルンだった。
でもって、今まで旅の中で出逢ってきた人々にも、言葉にされなかっただけで似たような勘違いをされていたのかもしれない、と思うとぞっとする。
しばらくあれこれと術を発動させてみる。ついでに遣獣たちも顔合わせをさせることになり、ララキはちょっと恥ずかしくなりながらプンタンを呼んだ。
この状況で自分たちだけ招言詩が略式じゃないのは、さすがにちょっと。
「だからプンタン、省略しよ? ね?」
『え~……まあ、そんなに言うなら考えてやってもいいけどよォ、ちなみに略詩はどんな?』
「……考えてなかった。やっぱり歌っぽいのがいいよね?」
『そらそーよ』
ララキが一生懸命プンタン用の略式招言詩を考えている間、背後ではミーがスニエリタとジャルギーヤとニンナに深々と頭を下げていた。
アルヌはいつもどおりだったが、シェンダルはあまり機嫌がよくなかった。たぶん、せっかく仲間が増えたのに性別がよくわからないやつばっかりだからだろう。
そうこうしているうちに、誰かが扉を叩いた。むろん顔を出したのはロディルだった。
「おはよう。じゃあ、ミルシュコ以外は外に出なさい」
すでに険しいモードに入っているロディルは、ミルンと彼の遣獣以外を部屋から出した。
ララキもプンタンを頭に乗せて部屋を出る。
一応ミルンにがんばれ、と声かけをしておいたが、彼からの返事はなかった。どことなく青ざめていたように見えた気がしたのがちょっとひっかかる。
いや、でも、朝食の席ではふつうだったし、練習しているときも肩の傷が痛むような素振りはなかったし、よほど大丈夫だろうとは思うが。
スニエリタもいいだろう。一度ミルンに負けているとはいえ、同条件でなら間違いなく三人の中でいちばん上だし。
それより心配なのはララキ自身だ。遣獣はプンタン一匹で皆さまご存知のとおり大したやつではないし、ララキ自身は最近やっと制御ってものを身につけ始めたくらいだ。
ぶっちゃけ紋唱術師としての認定もぎりぎり滑り込みで通ったという自覚がある。
ロディルは何を求めてくるのだろう。試す、というのは、何をどうするのだろう。
内部が結界になっているせいで、部屋の外には音もほとんど漏れてこないので、中で何が行われているのかはわからない。
大丈夫かなあ、とスニエリタに話しかけてみる。彼女はミルンのことを言っていると思ったようで、心配ありませんわ、わたくしに勝った方ですもの、と答えた。
……自分によほど自信がないと出ない科白だ。すごいなこの子。
そんなこんなで十五分くらい経っただろうか。
急に扉が開いた。相変わらず険しい表情のロディルが顔を出したかと思うと、ぼろぼろになったミルンをぽいっと放り出してきた。
べしゃ、と目の前で雑巾のように転がったミルンに、ざあっと音を立てて血の気が引いていく。
「だ、大丈夫!? 何があったの!? ねえミルンってば!!」
「気絶してるだけだから放っておいていい。次、どっちでもいいから入ってきなさい」
「え、え……」
「わたくしがいきますわ。ララキさん、ミルンさんをお願いしますね」
スニエリタが明らかにひきつった顔でララキを見て頷いた。
完全に死地に向かう兵士の顔だった。ララキも涙目で頷くしかできなかった。
彼女が入っていったあともしばらくミルンをつついたり話しかけてみたが、まったく反応はない。
怪我はしていないようだったが、服はあちこち凍っていたり焦げていたりした。ほんとうに何があったんだ。
そういえばミーたちはどうしたんだろう。ミルンがこの状態なら彼らもさぞかし心配しているだろうに。
気がつくと頭の上のプンタンが鳴かなくなっていた。ゲコゲコ言ってる場合ではないことを彼も察したらしい。
むしろいろいろ心細すぎて、こういうときこそ何か無駄口を叩いてほしいと思うララキだった。
また扉が開き、今度はスニエリタがちゃんと自分の足で立っていた。
が、一秒後にその場にがっくりと崩れ落ちた。こちらはまだ意識はあるようで、そのまま這いずって出てきたので、ララキは手を貸してミルンの隣に寝かせてあげた。
スニエリタが気絶したのを確認してから、恐る恐る振り向く。
扉のところにロディルが立っていた。彼は何も言わなかったが、逆にそれが恐ろしい。
「つ、次あたしの番だよね……」
そそくさと扉の中へ。
訓練場自体は何も変わったところはな……なくもない。
なんか床が抉れている。とりあえずさっき三人で練習していたときはそんなものはなかった。
すでに恐怖で震え上がっているララキに、ロディルは静かに言う。
「じゃあ、まず僕を全力で攻撃しなさい」
前にどっかで聞いた言葉だった。やっぱりあんたら兄弟だよ、と半泣きで思いながら、ララキは思いつくかぎり攻撃系の紋唱を行った。
炎。傘火の紋。
水。水流の紋。
あとあまり慣れてはいないが雷と岩もちょこっと。
さんざん制御の練習をしてきただけあって、発動自体はかなり安定していた。ただ緊張が高まっていたせいか、威力が全体的に上方修正されてしまっていたが、攻撃しろと言われているのだから高いぶんにはいいだろう。
ロディルはそのすべてを防御の紋唱でいなし、あるいは反対の属性の紋唱を返して無効化した。
しかもその反応速度がすごい。ララキが紋章を描いた時点で、囲みの円を閉じきる前にもう彼の手は動いている。
どれだけ撃っても放っても、プンタンの援護射撃を含めても、結局ララキの手数が尽きるまでひとつも彼には当たらなかった。
ララキの手が止まったのを見て、ロディルは言った。
「描紋速度は及第点。威力、制御精度はともに低い。遣獣の力も充分に発揮されているとは言えない。
残念だけど、はっきり言って不合格だね」
それからなめらかな動きで紋章をひとつ描き、詠む。
「──我が友は巧笑する」
紋章から現れたのは真っ黒な毛並みのネコだった。瞳が青い宝石のようで、思わずララキは見とれてしまう。
いや、そんな場合ではない。ロディルはまだ紋唱を続けている。
「ララキ、防御の体勢を取りなさい。今から僕がきみのやった術をすべてそのまま返す。
どこが足りないのか、自分の身体で考えるんだ。──傘火の紋」
慌てて防御の紋唱を行ったが、正直それはあまり意味がなかったと、すぐにわかった。
ロディルはそのまま返すと言ったが、実際には軽く十倍くらいにして返ってきたのだ。しかもいつの間にか背後に壁のようなものを造られていたので、どれだけ術を喰らって弾き飛ばされても結界の外に弾き出されることはなく、つまりララキには逃げ場などないのだった。
数発受けた時点で防御の術は無意味なほど破れていたが、ララキがそれを張りなおすような暇などロディルは与えなかった。術と術の間が異常に短いのだ。それだけ彼が描くのも唱えるのも速いということだろう。
さらに合間を縫ってネコの遣獣がプンタンを再現するとばかりに水の術を放ってくるのでほんとうに一瞬も隙がない。
容赦一切なしの攻撃にさらされ続け、意識が遠くなる。途中でプンタンが消えたのが視界の端で見えた気がして、いいよな遣獣は逃げるところがあって、と思ったような気もするがよく覚えていない。
もはや痛いという感覚もない。何度も背後の壁に叩きつけられ、意識が飛んでは次の衝撃で眼を醒まし、また衝撃で頭がふわっとなって、その繰り返しだ。
──あたし、もしかして、ここで死ぬんじゃない……?
何度目かに意識を取り戻したとき、そんなことを思った。イノシシ突進事件以来の思いだった。
──いやだよ、そんなの。シッカを助けなきゃいけないのに。
「……え……?」
急に攻撃が止んだ。あれ、もう終わったのか、と思ったが、それにしては変だ。ロディルが何も言わない。
それになんだか、部屋の中が温かい。炎系の攻撃はしばらくなかったはずなのに。
途中からまともに空けていられなかった眼を、ゆっくり開く。
明るい、柔らかい光が闘技場に満ちている。その中に誰かがいる。逆光でよく見えないが、ロディルではない。
なぜならその影は、四ッ脚で立っているから……。
「シッカ? ──シッカなの!?」
理解した瞬間、身体じゅうが痛むのも忘れて飛び起きた。まさしく目の前に佇んでいるのは緋色に輝くライオンの姿をした神だった。
思わぬ神の顕現に、ロディルも驚いて手を止めたようだった。彼はゆっくりとその場に膝を衝く。ちょうど、ルーディーンを前にしてそうせずにいられなかったララキのように。
遣獣のネコもまた、その場で深々と頭を垂れた。
「どうして、あたし、紋唱してないよ?」
『……』
シッカは答えない。答えたくても、今の彼は声を持たない。
ただ、ララキを見て、すまなそうに眼を伏せた。
ララキは思わずシッカに駆け寄る。そして、その首筋に抱きついて、鬣を撫でた。そうするのももう数年ぶりのことだった。
きっと痛めつけられているララキを心配して、無理に姿を現してしまったのだろう。紋唱を経由せずに顕現するなんて、きっと残り少ない彼の力を余計に消耗してしまっただろうに。
ララキのせいだ。攻撃を前に手も足も出ないほど無力だから。
涙がぼろぼろ零れて頬を伝い落ちる。
「ごめんね、心配かけて。ごめんね、あたしが弱いから……」
『……』
「大丈夫よ、あたし、ひどいことされてたわけじゃないの。かなり苦しかったのはほんとだけど、きっとこれを乗り越えなきゃシッカを助けたりできないんだ。
だから、シッカは見守ってて。絶対あなたをアンハナケウに連れてくから」
しばらくシッカはララキの眼をじっと見ていた。
きっと言いたいことがたくさんあるのだろうが、今は何ひとつままならない彼は、悔しそうにララキに頬を摺り寄せてから、消えた。
涙を拭う。泣いてばかりもいられない。
強くならなくてはいけない。
やがてロディルが立ち上がり、口を開いた。まだ衝撃が残っているようで、少し上擦った声だった。
「ミルシュコがきみを信用している理由が、やっとわかったよ……」
『まったく驚いたわ、この眼が青いうちに神の顕現を目の当たりにするなんて。夢でも見てたような心地よ。
ねえ、あなた、あの方とどういう関係なの?』
困惑しきりのネコに聞かれて、ララキは答える。
「あたしの魂の恩人で、世界一大事な、大好きな人だよ」
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