023 雪辱のヤンザール・クラブ③

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 氷板を階段代わりにして駆け上がっていくミルンの姿に、観客席からは歓声や賞賛の声が聞こえている。中にはスニエリタに大金を賭けたらしい者からの怒号や野次もある。

 いつの間にかレートは激しく変動し、ミルンのほうにも幾らか入金の動きがあった。


 だがまだスニエリタのほうが優位にあることに変わりはない。ジャルギーヤの圧倒的な攻撃力の前にミルンたちは防戦寄りの状態で、このままスニエリタに近づいたところでどうするというのだろう。

 ララキも固唾を呑んで見守っていた。


 雪を降らせるなんて思いつきもしなかったし、それだけでスニエリタの行動をあそこまで制限できたのもすごい。

 彼女は先ほどからジャルギーヤに任せっぱなしで、たまに紋唱を行うほかは大人しくしているように見えるが、たぶん寒さのために手が震えてゆっくりとしか紋章を描けないからだ。ものにもよるが、紋唱用の手袋は薄手でそれほど防寒効果はない。

 

結界の外にいる観客たちは平気だが、円の中はたぶんものすごく寒いのだろう。ララキも南国育ちなので、雪を見るの自体初めてだし、どれくらい寒いのかは想像もつかないが。


 もしかしたらほんとうにミルンが勝つんじゃ、と何度か思う場面もあったが、しかしやっぱりスニエリタは強い。

 何よりジャルギーヤがめちゃくちゃ強い。試合開始直後から出ずっぱりでスニエリタを乗せて飛び続け、その状態で攻撃紋唱を絶え間なく放っているというのに、少しも疲れたようすがない。


 それをいうならシェンダルもそうだ。前回はなんだったのかと思うほど今回は働いている。

 雪を降らせるわ、足場を大量に作るわ、さらに盾を張り続けるわ、こちらもかなりの重労働だ。


 どちらかの遣獣が力尽きたときが勝敗の分かれ目になるかもしれない。


「お見事です。足場を作ろうとなさった方は他にもいらっしゃいましたけど、こんなに近くまで登ってこられたのはあなたが初めてですわ……」


 ジャルギーヤの足元近くまで登ってきたミルンを見とめ、スニエリタは素直に賞賛の言葉を述べた。

 頭や身体に雪が纏わりついたまま、決して厚着とはいえない服装の彼女は、両肩を抱きかかえて寒そうに震えている。


 しかし彼女の膝の上には、すでに新しい紋章が描き上がっていた。あえてミルンが近づくまで発動させずに待っていたのだ。


「でも、おかげで吹き上げる手間が省けました。

 お別れの時間ですわ──炎雀えんじゃくの紋、重ねまして割葉の紋」


 紋章から炎を纏った鳥が現れ、ミルンが足場としている氷塊へと突進する。


 しょせんは氷、どれほど丈夫に作ろうとも熱には弱い。足場にするだけあって厚さはそこそこあるようだが、炎の鳥の火力ならば数秒で跡形もなく溶かし壊してしまえる。そうなれば十メートル以上の高さから落ちるだけ。

 そこへ前回も用いた下向きに吹き降ろす風の術を当てて強制的に叩き落すのだ。

 地上にはしっかり雪が積もってしまっているのでただの石床より衝撃は抑えられてしまうだろうが、そこにジャルギーヤが風刃を撃ちこめばいいだけだ。防御する暇は与えない。


 果たして氷板に亀裂が入り、炎鳥が突っ込んだところから湯気があがる。


「そうだな、お別れの時間だ。あとひとつだけ前言撤回するよ」


 しかしミルンは、スニエリタを見て不敵に笑っていた。


 彼の手が動く。一瞬の間に見たことのある紋章を描く。

 術師にとって描きなれた紋章は、眼を瞑っていようが落下しながらだろうが、手が勝手に覚えて描いてしまえるものだ。


「──我が友は切磋する!」

『待ぁってましたあぁぁぁーーーーッ!』


 イノシシ。


 最初、どういうわけか出す必要がないと嘯いていた、彼のもう一匹の遣獣。前言撤回とはそういう意味か。


 紋章から飛び出たそれがジャルギーヤに向かって突進してくる。

 翼も持たない、飛べるはずのない獣が、自らの出てきた紋章を足場がわりに蹴って、その距離はわずかに二メートル弱。獣の脚なら越えられない距離ではない。


 スニエリタはジャルギーヤの名前を叫ぶ。早くこのイノシシを撃ち落とさせなくてはいけない。

 ワシも応えようと翼を振るうが、それよりイノシシのほうが速かった。


 本来ならジャルギーヤが負けるはずはないが、もう何分も人間を乗せて戦いながら飛び続けていた大ワシと、たった今出てきたばかりのイノシシとでは、疲労の具合が違いすぎた。


 イノシシの太い牙がスニエリタに迫る。


 防御の紋章を描いている暇はない。もっと早く描ける別の紋章はなんだ。考えるより早く指が動くが、その描き出された円が閉じる寸前に、衝撃に襲われる。


『なんと! ……なんということでしょう、あのスニエリタ嬢が落ちていきます! 信じられません!

 ですが本クラブのルールでは、相手を戦闘不能にした者の勝利となります! まだ決着はついておりません! さあさあ皆さま、まだまだ入金締め切りではありませんよ! お急ぎください!』


 やかましい放送の声を聞きながら、スニエリタは自分が落下したことを理解した。


 なんとか牙に刺されずには済んだが、ジャルギーヤから突き落とされ、あとは雪原へ真っ逆さま。少し眼を上に向ければジャルギーヤが氷板のひとつの上で倒れこんでいるのが見える。


 もちろん黙ってやられるわけはない。すばやく紋唱を描き、風を起こして落下速度を緩ませる。

 優雅に、というわけにはいかなかったが、無様に顔面から落ちるのだけは避けられた。雪で服が一気に濡れるのを感じながらも急いで起き上がる。この恰好でジャルギーヤに乗ったら今度こそ凍えて身動きが取れなくなるのを理解していたスニエリタは、その場で紋唱を開始した。


 ちょうど彼女の向かいには、蔓草のようなものを生い茂らせて着地していたミルンがいる。だが、彼のほうが落ちたのは先だった。もうとっくに描き終わっている。


 両脇に従えた遣獣たちは、主の勝利を確信でもしているのか、何もせずにじっと控えていた。


 ミルンが口を開く。招言詩を唱えるためではなく、スニエリタに話しかけるために。


「やっと地面に下りてくれたな、スニエリタ」

「……あら、呼び捨ては勝ってからとおっしゃいませんでした?」

「ああ言ったよ、だからだ──勝つって決めてるからな。ちょっと気が早かったか」

「ええ、さすがに早すぎます。改めていただけるかしら」


 そこからは紋唱の打ち合いになった。スニエリタはまだ両手が使えなかったこともあり、片手同士の勝負なら速さも威力もそれほど差はない。


 雷。炎。風。水。岩。氷。

 あらゆる属性の術を試すように放ち、互いの腕を競う。


 試合というより芸を見せられているようだった。色とりどりの紋章が闘技場を飾り、しかもそのどれもがいちいち威力の高い派手な術で、観戦席もおおいに沸いた。


 ララキも食い入るように見ていた。

 どうなるのだろう、この試合。先に手数の尽きたほうが負けか……?


 だが、そこへ乱入してきたものがあった。ジャルギーヤだ。

 ようやく立ち直ってきた大ワシは、イノシシやオオカミと違って主の後ろに控えていることはせず、急降下しながらミルンに突っ込んできた。


『邪魔すんじゃねえよ鳥公!』

『ふん、走るしか能のない豚風情が』


 アルヌが飛び込んでジャルギーヤに食って掛かる。目の前で始まった遣獣たちの攻防を俊敏な体さばきでかわし、ミルンはさらに紋章を描く。スニエリタも一歩も譲らない。


 お互いほぼ同時に叫んだ。


牙嵐がらんの紋!」「練壌の紋!」


 迸る泥水と雪を巻き上げる竜巻とがぶつかり合い、泥水が四方八方に飛散する。

 咄嗟に眼を閉じたスニエリタとは対照的に、泥に怯むことなくミルンはさらに描紋する──沼に棲んでいると都会の人間に揶揄されたことを思い出しながら。


 沼じゃない。湖だ。広くて、きれいな透き通った水の、湖のほとりで暮らしていた。


 顔に泥水がかかっても平気だった。

 このお嬢さんにはきっと、湖に潜って底の泥の中に棲んでいる貝や蟹を捕まえた経験はないだろう。ミルンにはある。だから、負ける気がしない。

 田舎者には田舎者の戦いかたがある。


 主の窮地を察したジャルギーヤが飛び込んでくるが、炎の術で追い払う。

 ──散焔の紋。前回まったく通用しなかった技だ。派手な見た目に反して威力は弱いが、至近距離ならそれでもけっこう痛いもの。


 大ワシの悲鳴が闘技場に響き渡る。

 だがその間にスニエリタも手だけで何かを描いていた。眼が見えないぶん簡単な術ではあったが、それが飛び回る火花にもろにぶつかったものだから、相乗効果で火花が爆発を起こした。


 ミルンはそれを耐えられた。

 目の前にアルヌが来ていたからだ。ジャルギーヤを追ってきて、そのままミルンをかばってくれた。


 ありがとよ、と呟いて、ミルンはスニエリタに歩み寄る。彼女は何の守りもなく爆発に巻き込まれたようで、ぼろぼろになって雪の上に横たわっていた。

 その前に立ちはだかる、ミルンが今度は彼女を見下ろす番だった。


「……殺してください。そういうルールなんでしょう」

「あれ、そうだっけか? おかしいな」


 ミルンは彼女の手から手袋を脱がせると、それを誰からも見えるように宙に放った。


「気絶させるか手袋を奪えば勝ちだろ。そんなルール、俺は知らない」


 それだけ言って、ミルンは踵を返す。


 自分の代わりに傷ついたアルヌのところに戻るのだ。シェンダルもそこで待っている。どちらもやりきった顔でミルンを見ている。

 その脇にジャルギーヤが、こちらは苦虫を噛み潰したような表情で伏せていた。


 スニエリタの手袋が雪の上に落ちたのを皮切りに、放送席が騒ぎ始める。──しょ、勝者、赤の席!


『奇跡を呼ぶ男、現る! まさかまさか、前回は大敗を喫したミルンが、不敗のスニエリタを破ったァーーッ!

 信じられない、信じられません! 我々はすごい試合を見た! これは当クラブでも歴史に残る戦いでしょう!』


 興奮冷めやらぬ放送席がその後も延々とあーだこーだ言っているのを聞きながら、ミルンはアルヌに回復の術を施す。運んでやれる大きさではないので最低限自分で歩いて闘技場を出てもらわなければならないからだ。


 そこへララキも急いで駆け寄った。まだ信じられない気持ちだった。


 アルヌが身体を起こしたのを見て、ひとまず円の外へ。


 少し気になったのでスニエリタのほうをちらりと見ると、彼女は担架で運び出されていた。ジャルギーヤはすでに紋章へと去り、消えていく雪の中でようやくニンナが動こうとしている。


 観客席の後ろまで移動して、そこでまた治療を再開した。

 ミルンはアルヌを、ララキはミルンを。シェンダルは何も言わずにララキの横に座り込んでいたが、ミルンが撫でてやれというのでララキが軽く頭を撫でてやったら、満足げに消えた。彼らの中でそういう決まりがあるらしい。


 思ったよりアルヌもミルンも深い傷ではなさそうでほっと息をつく。やっぱり見ているだけは辛いものがあるな、と改めてララキは思った。


「あのさ。……勝ったね。おめでと」

「おう。勝つために必要なことはぜんぶやったからな。

 あ、試合に集中しててレートの変動ぜんぜん見てなかったけど、結局どのくらい儲かったんだ?」

「すーぐお金の話するね!? もっとなんかこう他に言うこととかないの!?」

「何もねえよ。いいだろ、どうせ俺の財布から出してんだし」

「そこはちゃんと見てたんだ……」


 なんていうかブレないやつである。


 でも元気そうだ。

 よかった。心なしか表情も試合前よりさっぱりしている気がする。


 そこで放送が入った。スニエリタは次の試合も参加予定だったが、負傷により棄権することになったため、第四試合を先に行うとのことだった。

 このまま代理か飛び入りの参加者が出ないと試合そのものを中止にするそうだ。


「あ、じゃあおまえ出れば。おまえの財布から全額つっこんでやるから」

「お断りじゃ! それよりスニエリタ、大丈夫かな。さっきはそんなにひどい怪我には見えなかったけど」

「怪我っつうより凍傷と低体温症じゃねえか。あの恰好で小一時間雪の中にいたんだし」


 けろりとして言うミルンの外套姿を見て、もしかしてこういうときのために普段から無駄に厚着してるのかなこの人、とララキは思った。

 ハブルサじゃ目に毒なくらい暑そうだったが。まあ熱中症とかにならないように、中に何かの紋唱を仕込んであるのは間違いない。


 ともかくララキは立ち上がった。スニエリタのようすを見にいこうと思ったのだ。


 ララキは別に彼女や彼女の国に対して何も思うところはないし、別に変なコンプレックスも持っていないし、むしろ彼女個人に対してはたいへんお世話になっている。借りがあると言ってもいい。


 ひとりで行こうと思っていたが、なぜかミルンもついてきた。


「おまえが思ってるほどいい人じゃなさそうだぜ、彼女。戦っててわかったけど」

「でも助けてもらったことには変わりないでしょ」

「……そりゃそうか」


 マルジャックに尋ねたところ、この地下闘技場内には医務室みたいな設備はなく、スニエリタは上の民家で寝かされているらしい。


 それではちゃんとした治療は受けられていないだろう。場所を確認し、ついでにミルンの報酬を受け取ってから、階段をあがって地上へ戻った。


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