007 幻獣急襲
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問い詰めてやろうと思ったのに、ララキは宿に戻るなり「あたし疲れたからもう寝るね! おやすみー」とか言ってさっさと部屋に帰ってしまい、結局ミルンはもやもやしたまま一晩をすごすことになってしまった。
お陰さまでどうにも寝起きがよろしくない。一応寝たには寝たのだが、なんだか朝からすっきりしない気分だった。
かっ込むように朝食を済ませ、そのままテーブルに地図を広げる。これからの予定を確認していると、ミルンよりさらに寝坊だったらしいララキが、寝癖のついた頭でひょこひょこやってきた。
「おはよ~。今日はどうする?」
「もう当たり前みたいに聞くなよ。俺は北上してワクサレア方面に行く。道中見るべきところはなさそうだから、国境までほとんど移動だけだな」
「じゃあちょっと寄り道してロカロって町に行こうよ。ちっちゃいけど古い祠があるんだって、見にいきたい」
謎の提案をしてきたララキをちょっと見上げると、眠そうな顔でパンを齧っていた。これまでは朝が弱そうなようすはなかったので、こいつも昨夜しっかり眠れなかったくちらしい。
「なんで同行前提で話してんだ」
「いいじゃん。私も一応ワクサレア行こうと思ってたもん」
「おまえの目的地は西だろ」
「でも何の手がかりもないままいきなり西には行けないかなって……ふぁ~」
でかい欠伸をするララキを横目に、一応ロカロという町の位置を確認した。
たしかに寄り道できなくはない距離だ。しかしその祠とやらにそうする価値があるのかどうか、ほとんど聞いたことがない町名だけに予想がつかない。
ただ、ララキを問い詰めたい気持ちはまだ残っている。もしほんとうにこいつが何かやらかしたのが原因で数々の異変が起きているのだとすると、しかもその規模がだんだん大きくなっているようなので、いつか大惨事に繋がりそうな気がするのだ。
昨夜だって一歩間違えば人命に関わるような事件だった。
そりゃあララキの身に何があろうがミルンには関係ないが、周りの人間が巻き込まれるのではと思うと放っておくのは寝覚めが悪い。
それにライレマにも言われた。ララキを助けてやってほしい、と。
別にかの偉大な紋唱術師に個人的に恩があるわけでもなんでもないが、頼まれたことを無下にするのはどうにもミルンの性質に合わないのだ。お人好しとでもなんとでも言ってくれ。
「……わかった。とりあえずロカロまでは一緒に行こう」
「ありがと」
「じゃあ俺は馬車の空き見てくるから、戻ってくるまでに支度して宿の前に出とけよ」
そして、ロカロに着くまでに絶対に問い詰める。そしてその返答次第でそれからのことを考える。
ミルンはそれを見て、またかよ、とぼやいた。
またなの、とララキもがっくりしながら言った。
何がまたなのかというと、またしても借りられる馬車が馬車という名の荷車だったからである。ロバと大差ないほど小柄な南部馬に、屋根も敷き布もない荷台。
祭りの時期のジェッケは人の出入りが激しく、馬車を借りられるだけ幸運なのだ。その馬車がこれであっても。
悲しいのはその状況ゆえに値段も思いっきり足元を見ていることだった。都会だったら大型の北方馬に屋根とふかふかのクッションつきで借りられるぐらいの額を提示され、ふたりは肩を落としながら財布を開く。折半ならなんとか出せそうだったので、やっぱり彼らは同行する運命にあるのかもしれない。
しかしこれでは今日の昼食代もままならないのでは、とミルンが危惧したそのとき、誰かが呼ぶ声がした。
──そちらの旅のお方! お待ちください!
振り向くと、女性がひとり走ってくるのが見えた。彼女のあとを少し遅れて走ってくる男性と少年もいる。昨夜ハヤブサの幻獣に襲われていた子どもとその家族だった。
母親は抱えていた包みをミルンに差出し、受け取ってほしいと言う。
「こんなものしか用意できませんが……息子を救っていただいたご恩は一生忘れません。ほんとうにありがとうございました」
深々と頭を下げる女性。その背後から、追いついてきた子どもが満面の笑みを覗かせて、お兄ちゃんかっこよかったよ!と明るい声で言った。隣で父親らしい男性も頭を下げている。
受け取った包みからはなにやらいい匂いがした。食べ物が入っているようだ。
「お兄ちゃんたち魔法使いなの?」
「いや、紋唱術師だよ。元気そうだけど怪我とかなかったか?」
「ちょっとだけ! あのね、ぼく、ぼくもモンショージュツシになりたい!」
「ねーねーボク、お姉ちゃんは? お姉ちゃんがんばってたんだけど、かっこよくなかった?」
「んっとねえ、お姉ちゃんはふつうだったよ」
「ふつう……ふつうか……」
少年の正直な感想を受けてますます落ち込むララキを荷台に押し上げ、ミルンも乗り込む。
ふたりを乗せた馬車がジェッケから走り去る間、姿が見えなくなるまで男の子はずっと手を振り続けていた。それを後ろ向きに座って最後まで眺めていたララキは、いーなあ、とほんとうに羨ましそうに言う。
風にポニーテールが流れて彼女の横顔を何度も叩いていたが、それはちっとも気にならないようだった。
ミルンは包みを少しだけ開いて中を覗いた。厚焼きのパンがちらりと見える。いい焼き色だ。
今日の昼食はこれでどうにかなるなと安堵して、視線を馬車の進行方向に戻す。ロカロの町までは何もないといいが。幸い今日の道はそれほど石だらけではなさそうだ。
「ミルンはさ、どうして紋唱術師になったの?」
聞きたいことがあるのはこちらのほうなのに、ララキから先に質問が飛んできた。
「答えてやってもいいけど、おまえも俺の質問に答えろよ。交換条件だ」
「うん、いいよ。答えるから答えて」
「よし。……兄がふたりいるって言っただろ。いちばん上は家の関係で紋唱術のモの字もやってないけど、二番目の兄はうちの村では神童って呼ばれてたんだ。その兄に教わった」
「けっこう歳離れてるの?」
「二つ。でもあいつは首都の学校に行ってたから俺の何百倍も物知りだった」
今でも紋唱を描くときは頭の中で兄の声がする。
──ミルシュコ、円を描いてごらん。もっと丁寧な線で。
兄に習ったのはほんとうに基礎の部分だけで、あとの大部分はミルン自身も学校へ行って学んだが、それでも自分の紋唱術の根幹にはいつも兄を感じている。
初めてミーと契約したときも兄の手助けがあった。紋唱術に触れる前とあとでは、ミルンに見える世界はまったく違うものだった。
家業を継ぐために忙しい長兄とは異なり、次兄はいつでもミルンの傍にいた。首都から戻り、また更に遠くの学校に進学すると決まったときも、それほど寂しさは感じなかった。心が近くにあると思えたからだ。
だがそれも、あの日までのこと。
あの手紙を読むまでのこと。
「──今度はこっちが質問する番だ。おまえの旅の目的について教えてくれ」
「え、もう何度も言ってるじゃん。アンハナケウに行くの」
「ああ、でもそれって、おまえにとっては目的っていうより手段なんじゃないのか? 単に辿り着ければいいってわけでもないんだろ。最初に言ってたからな、『行かなきゃいけない』って」
あのときは聞き流していたが、ララキの真剣な顔を忘れたわけではない。むしろ、突拍子もないことをあんまりにもバカ真面目に語るものだから、珍しいものを見たなと思ってよく覚えている。
おとぎ話の主人公のようにそこで金銀財宝を手に入れたい、不老長寿の薬が欲しい。
そんな顔ではなかった。そんな口調ではなかった。普段彼女が見せているような楽観的な色合いではなく、どこか身でも削ろうとするような決意の眼差しだったのだ。
それは、とララキは口ごもる。言いづらいようなことなのだろうか。
その内容如何では、今すぐこの馬車を止めてハブルサに送り返すことも考えている。
「前にも言ったけど、あたし、すっごく大事な人がいるの」
「ああ」
「その人……いや人っていうのもちょっと違うんだけど……その人がね……──うわぁっ!?」
ようやくララキが肝心なことを言おうとしたようだったのに、またしても荷台が激しく揺れたのでそこで言葉が途切れてしまった。
何なんだよと前方を伺うと、巨大な翼の影が目に飛び込んできた。
見覚えがあるどころではない。昨夜見たハヤブサの幻獣と同じものがそこにいた。
しかも今度は一羽ではない。二羽もいる。いや、上空から羽ばたきの音とともにもう一羽増えた。……増えた?
ぞっとして見上げると、はるか上空に大きな紋章が浮かんでいた。
誰がそんなところにそんなものを描いたのか。
周辺に人影はおろか他の鳥の影すらないが、紋章は未だに青白い光を放っており、招言詩もないままさらに幻獣を生み出そうとしているようだった。あれを早く消さないとまずい。
だがハヤブサがすでに三羽も出現している状況で、前方で馬を操っている御者はかなり無防備な状態だ。彼に怪我でもされようものなら、少なくともミルンに馬車を動かす技術は持ち合わせがない。
「御者! すぐ馬車を降りろ! 物陰に隠れてじっとしてるんだ!」
「で、でも馬が……」
「じゃあ馬車ごと安全なとこまで下がっててくれ!」
言うなりミルンは飛び降り、ララキもそのあとに続く。
しかしどうする? ララキが信用できる腕前の術師なら、すでに出現しているハヤブサを狩る役目と、上空の紋章を壊す役目を分担できる。
だが、とてもじゃないが無理だ。ララキにはどちらも任せられそうにない。
結局自分が全部やるしかない。昨夜のように人質がとられていないだけマシか。
素早く紋を三つ描く。ハヤブサが3羽もいる以上、遣獣の出し惜しみはしていられない。
ミルンは三匹所持しているが、こうして全員を一度に呼び出すのはきわめて稀なことだった。
「我が友は喝采し! 我が友は切磋し! 我が友は朗笑するッ!」
『何ごとですか!?』
『なんかやっべえ感じだなオイ!』
さすがに三体召喚とあってはミーたちも驚いたようすだったが、それぞれハヤブサに向かって駆けていく。
クマのミー、イノシシのアルヌに続き、三番目に出現したのは漆黒の毛並みを持つオオカミだ。
『臭いがないな。あれは何だ』
「実体はあるみたいだが一種の幻獣らしい。頼むぜシェンダル」
『了解した』
三匹とララキがなんとかひきつけている間に、上空の紋章を壊す。
ハヤブサ自体を狩るのはそのあとだ。できるだけ急がなければ、四羽目のハヤブサが出てきてしまう。そうなるともう手がつけられない。
昨日と同じく流閃の紋を描き、空目がけて撃ち放った。
狙いどおりに水の槍が伸び上がり、紋章のど真ん中に直撃する。途端に爆発めいた轟音を立てて大量の水蒸気が噴出した。湯気の中で紋章が揺らいでいるのが見える。
「やったかな。よし」
次はハヤブサを、と言おうとしたそのときだった。上空でまた爆発が起きた。しかも一度ではなく、二度、三度。
何が起きたのかとまた空を見上げたミルンの眼にありえないものが映る。
水の槍。さっきミルンが撃ったものだ。それとまったく同じものが空から降ってくる。ミルン目がけて、しかも爆発とともにその数を増やしながら。
自分で喰らったことはないけれど、よほど当たりどころがよくない限りは、死ぬとわかる。
ミルンは咄嗟に地面を転がって避けた。だが所詮は人間の身体能力で、降ってくる槍を視認してから動いたのでは、完全に避けられるはずがない。頭や心臓のような急所への直撃こそ免れたものの、全身に激痛が走る。
悲鳴というより呻き声に近いものが口から零れ出た。急激に身体が冷えていくのは水のせいだろうか。
遣獣たちが一斉にミルンを振り返るが、ハヤブサに阻まれてこちらには来られなさそうだ。ただひとりララキだけが走ってきたのが、足音でわかった。
「ミルン!? え、何、どうしてそんな大怪我してんの!?」
「う……あ……あの紋章……跳ね返してきやがっ……」
「紋章って、……えっ何あれ、なんであんな高いところに紋章があるの?」
そこからかよ。気づいてすらなかったのかよ。
ミルンは呆れと痛みで思わずへらへらと笑いながら、逃げろよ、とララキに言った。馬車は無事だし、ララキひとりを乗せて突っ走ればどうにか逃げ切れるかもしれない。
自分はもう無理だろう。この身体でもう一度紋唱はできないし、したところで上空の紋章を壊すことはできなさそうだ。
せめて起き上がれるなら、もう少し別の術を試してみてもいいかもしれないが、防御系の紋を同時に張るとか、そんな工夫ができたなら、ああ……ええと、なんだっけ。
意識が朦朧としていく。だんだん視界が暗くなり、ララキの声だけが聞こえた。
──しっかりしてよ! 死んじゃだめ!
そんなこと言われても、寒い……。
「……たぶん、あたしのせいだよな」
ララキは噛みしめるように言う。わかっている。すべての原因は自分にある。
そのせいでミルンが死にかけている。滲みかけた涙を手袋で拭って、ララキは上空の紋章を見上げた。爆発をやめて今は沈黙している紋章は、だが青白い光を放ち続けている。
息を吸う。手を胸の前にまっすぐ掲げ、指をしっかり伸ばして描く。
円。炎を表す輪模様で縁を飾る。そして周囲をぐるりと花印で囲む。
「
顕現せよ──
ミルンは、見た。暗くなる視界の中に突如現れた光を。
それは紅よりも真っ赤に燃えたぎりながら、金とも銀ともつかない厳かな光を放って、あたり一面を眩く照らした。赤銅色の艶やかな身体、大地を踏みしめる屈強な四つの脚、口許から除く鋭い牙、そして何よりその頭部から肩を覆う長い鬣。
百獣の王とも称される獣の中の獣、ライオンが、光のさなかに君臨している。
それはひと声も吼えることなく、何をも語らず、静かにララキを振り返った。猛々しい姿とは裏腹に、彼女を見つめる瞳はひどく澄んで穏やかなものだった。
「シッカ……力を貸して。あの空の紋章を壊したいの。あなたにしかできない」
ララキがそう言うと、シッカと呼ばれたライオンは頷く代わりに瞬きをして、それから空を見上げた。
彼のわずかな所作で陽炎が立つ。紋章が、シッカに見つめられただけでひどく歪んで見えるのもそのせいだろうか。ミルンの身体まで温かくなってきた。さっきまであんなに寒かったのに。
紋章が、歪む。熱で溶かされるようにゆっくりと。
少し離れたところで何かが落ちてくる音が立て続けに三回聞こえた。ハヤブサだろうか。すぐさまミーがミルンのところに駆けてくる。
『坊ちゃん! しっかりしてください、すぐに血を止めますから……シェンダル、手伝って!』
「なあ、ミー……何が起きてる……?」
『幻獣はすべて地に墜ちて、昨夜と同じように崩れてしまいましたよ。それから……』
ミーがララキのほうを見やって、言った。
いや、視線の先にあるのは彼女ではない。シッカだ。
何を感じ取ったのかはわからないが、ミーはすぐさまかぶりを振って、そのまま何も言わずに止血を続けた。シェンダルとアルヌの気配も近くに感じるが、もうミルンは眼を開いていられなくなっていた。とてつもなく身体が重くて、そのまま意識が遠のいていく。
ああ、だめだ、聞かなくては。ララキに聞くんだ。
そのライオンは何者なんだと。
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