006 御変わりの夜祭

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 ふたりはワナエアにお礼を言ってから聖堂を後にした。

 早めに簡単な昼食を取って、夕方までの間に図書館の資料をあたるのだ。こちらも聖堂ほどではないにしろなかなか大きな建物である。


 図書館内ではほぼ別行動だったのでミルンが何をしていたかは知らないが、ララキはアンハナケウに関するものを片っ端から漁った。

 まあそのほとんどはおとぎ話で、大半はすでにハブルサで暮らしていたときに調べてあったものだったが、多少は新しい情報もあったのでよしとする。


 とりあえずどの本でもアンハナケウは西の果てにあるというので共通していた。こんだけ言われていたら西じゃないほうがどうかしているくらいの勢いだ。

 なお、現実の大陸の西端は、ヴレンデールという国の一部である。


 そして新しい情報としては、クシエリスル合意が成されたあたりまでは、アンハナケウは開かれた場所だった、という話が見つかった。

 開かれていたというのは、誰でも行くことができた、という意味だ。これは興味深い。

 逆に言うとそれ以降は閉じられているということになる。


 そういえばライレマにも言われたことがあった。アンハナケウの入り口は、神の紋唱によって封じられている、と。

 その扉を開くため、そして長い旅を無事に過ごすためにと、彼はララキに紋唱術を指南してくれたのだ。


 アンハナケウが閉じられた理由については、外の神の攻撃を防ぐためだとあった。


 外の神、というのは、クシエリスル合意に賛同しなかった神のことである。大陸のすべての神が手を組んだわけではないのだ。

 皮肉なことに、人間たちの争いを終わらせようとして、今度は神々が争うようになってしまったのである。


 本には外の神の名前も記されていた。

 それは、ララキもよく知っている名前だった。


「それにしても神さま多すぎだよねえ、この世界」


 いろいろな神話をまとめた本をぱらぱらめくりながら、そんなことをぼやいた。

 どれくらい神が多いかというと、この本のシリーズは地域別に冊子がわけられていて、それでも一冊一冊が分厚いというくらいである。


 ふとページをめくる手が止まる。


 挿絵とともに、とある神の逸話が記されている。

 ララキは食い入るようにそれを見つめた。猛々しい獣の絵の上に、そっと指をのせてなぞってみる。自然と笑みがこぼれた。

 そして少しだけ、泣きそうだった。


 だが次の瞬間聞こえてきた声で涙は完全に引っ込んだ。


「あーいたいた。そろそろ大儀礼の時間だぞ」

「なんていうかさ、……律儀だよね」

「は?」

「いや、わざわざ呼んでくれてありがとうねってこと」


 関係ないとか言っていたくせに、こういうところはちゃんとしている。お節介というか世話焼きというか。


 ちょっと気になって、弟か妹いる?と聞いてみたら、妹が一人いると答えた。今度はちゃんと答えてくれた。

 それでもって、女きょうだいがいるという点はたいへん腑に落ちた。ララキの扱いがめちゃくちゃ雑なところだ。


「でもお兄ちゃんがこんな外国ふらふらしてて、妹は寂しがってんじゃない?」

「そりゃ問題ない。まだ上にいるからな」

「えっ何人きょうだいなの?」

「四人。兄がふたりいて、三番目が俺で、最後が妹。おまえは見たところひとりっぽいな」

「そうだね、……うん、いない」


 ちょっとララキの回答に妙な間があったので、ミルンは違和感を覚えた。

 そしてライレマの言葉を思い出した。血のつながりはないが親子のようなものだ、と言っていたが、実際に里子と里親のような関係だったのだろうか。ララキは孤児なのだろうか。


 だとしたら今の質問はちょっと悪かったかな、と少し反省したが、そんなミルンをよそにララキは屋台のほうへ駆け出していた。


「おいまて! 何買う気だ!」

「いやだって今からお祭りでしょ? お祭りと言ったら食べ歩きだよ。とにかくお肉が食べたーい! あと麺!」

「あー……まあ夕飯と思えばいいか……」


 ララキは能天気にきゃっきゃと騒いで屋台を覗いている。

 いい匂いがあちらこちらから漂ってきているので、ミルンの胃もそろそろ期待に震え始めていた。昼が早かったのもあり、すでに腹ペコだ。


 財布と相談しつつも適当にいろいろ買い込んでいると、大儀礼の開始を告げる笛の音が広場に響き渡った。

 続いて太鼓やかねの音がけたたましく鳴る。こういう賑やかさはいかにも南の国という感じだ。

 地元の人間だろうか、慣れた調子で掛け声をあげる者が現れ、だんだんとそれが観光客たちにも伝わっていく。

 最後にはその場の全員が、もちろんミルンもララキも一緒になって、声を揃えて叫んでいた。


 ──ヨーオ、ヨオレイ、ウーララ!


 それだけ聞くと呻っているだけにしか聞こえないが、さきほど図書館で見た資料によると、これはこの地域の古い言葉で「神よ、神となれ、新しく!」という意味らしい。

 土着の神が、世界の神へと生まれ変わる儀式なのだ。


 いまや大陸のほとんどの地域はクシエリスルの神を信仰している。

 ミルンの故郷も同じである。

 未だクシエリスルの加護を受けていないのは、ここイキエスよりも南にある、もはや人の住まない呪われた土地のみ。そこだけはクシエリスル合意を呑まなかった土着の神の信仰を続け、その結果滅んだのだ。


 聖職者たちが聖堂から列を成して歩いてくる。その中にはワナエアの姿もあった。

 基本的に聖職者はみんな紋唱術師である。宗教活動のこうした儀礼や祭事にはほとんど必ず紋唱を含んでいるからだ。

 彼らは一様に手袋をして、人々の掛け声に合わせて広場の空に紋唱を描き始めた。あの聖堂の壁にあった紋唱だ。

 描き終えると聖書を手に招言詩らしい言葉を唱える。といっても、ここでは実際には何も出てきはしない。

 大儀礼の性質から考えるとたぶん神そのものが呼び出されていることになるが、それは人間ごときの眼には見えたりしないからである。というか、形だけやっている。祭りというのはそういうものだ。


 何かが起きるわけでもないので、紋唱術を嗜まない人間にとっては光で絵を描いているだけにしか見えない。彼らはそれでもそれなりに楽しいようで、わいわい騒ぎながら肉を齧ったり麺を啜ったりしている。

 というか、ミルンの隣の自称それなり紋唱術師もめちゃくちゃ美味そうに麺を啜っていた。


「はー、これ美味しー」


 ドがつくほど呑気な顔だ。紋唱術師としてもう少しこの儀礼の意味とか意義とかを考察しようとは思わんのかおまえは。


 今さらながら、ララキはどうしてアンハナケウに行こうとしているのだろう。

 自分も旅の理由を話してはいないが、そういえばちゃんと聞いたことがなかったなと思う。

 聞いてどうするでもないが。どうせこのあと別れるのだし。……別れられるといいな。助けて神さま。


 そんなことを考えつつ手元の揚げ肉を齧る。衣がざくっと香ばしい音を立てて崩れ、旨みたっぷりの熱い肉汁が迸った。正直めちゃくちゃ美味しかったので、思わずこちらも「あー美味ぇ」とか言ってしまった。


 そのときだった。


 広場の、ミルンやララキがいるのとは反対側で、女性の悲鳴が上がった。男性の叫び声もする。

 明らかにそれまでの掛け声とは違う性質の声で、何か異常が起きたのは明らかだ。さすがにララキも食べるのをやめてそちらに眼を向けた。


 すでに日が落ちて暗く、さらに間にある紋唱の光でよく見えないが、何かいる。人ではない何かが。


 理解するや否や、ふたりはほぼ同時に駆け出した。


「いやあぁぁぁッ! 誰か、誰か助けて、子どもがぁ!」


 そこにいたのは巨大な鳥だった。暗いせいでまだよく見えないが、脚の鋭い鉤爪や頭部の感じからして猛禽の類だろう。

 その鉤爪にはまだ幼い男の子が掴まえられており、近くでその母親らしき女性が叫んでいた。


 子どもはというと、わけがわからないという恐怖に染まった顔で、恐ろしすぎて声が出ないようだった。

 それもそうだろう。この鳥が飛び去ってしまえばもう命の保障はない。


「どっから出てきたんだあれ!」

「さ、祭司さまの紋唱から飛び出してきたんですよ……そんなの初めてだ……」

「祭司だと!?」


 地元民の言葉に振り返って確認すると、腰を抜かしているワナエアがいた。

 彼も相当驚いているようすだ。故意に何かしたというわけではなさそうだが、しかし今は一刻を争う。


「事情を聞いてる暇はないよな──我が友は喝采する!」

『あの子を助ければいいですね?』


 素早く描印し、ミーを呼び出す。背の高さを考えたらクマしか選択肢はない。


 とくに何を指示するまでもなく、ミーは猛禽へと駆けていった。ただし鳥が警戒して飛び立たないよう、ぎりぎりのところで立ち止まり、機会を伺う。

 そういう気遣いができるのもミルンの手持ちではミーがいちばんだ。


 ララキが隣に来る。少し時間がかかったのは、周辺の人を避難させていたらしい。案外わかっている。


「ミルン! あたしはあれに対抗できそうな遣獣は持ってないんだけどどーしよう!?」

「飛び立つのを妨害できそうな術を適当に連発してろ。でもガキとミーには当てんなよ」

「わかった!」


 相手は翼を持っている。機動力ではこの場の全員より上だ。

 ミルンのほかの遣獣にも、猛禽より素早く動いたり、また空を飛べるようなものはいない。つまり動かれたら打つ手がないのだ。


 子どもは鉤爪によって地面に縫い付けられた状態にある。鳥なので体重はそれほど重くはないだろうが、爪が少しでもずれたら彼の身体を引き裂くだろう。


 一発だ。一発で決めなくては。


 深呼吸で精神を集中させて、指を振るう。

 こういうときはいつも使っている紋がいい。それはミルンが初めて覚えた紋唱でもある。以来、幾度となく描いてきた、呼吸と同じくらい慣れた紋唱。


 ──いいかいミルシュコ。円は水ととても相性がいいんだって。どちらも永遠に廻る形だからね。


 懐かしい声が頭の中でこだましていた。優しい、安心する声だ。


 ──でもね、水には本来決まった形がない。だから紋唱で形を与えてやるんだ。


「槍のように鋭くするなら、槍の形を描けばいい、か……」


 水を表す真円。それを貫く、まっすぐな線。それ以外の意匠は要らない。


 前を見る。


 ミーとララキがそれぞれ工夫して猛禽が飛び立たないようにしている。

 ララキは相変わらずへっぽこな術を連発していたが、逆にそれがよかった。猛禽は彼女を大した脅威とは思わないが、かといってとても鬱陶しいので、苛立ったようすでララキを睨んでいる。だがララキを攻撃しようとするとミーの妨害が入る。

 猛禽はひとりと一匹を交互に睨んでおり、ミルンを意識していない。紋唱に気づいてもいない。


「ララキ、ミー、伏せろ!」


 "流閃の紋"。


 水が、糸ほどに細くなって猛禽へと向かう。見た目とは裏腹にその威力は凄まじい。本来の水量となんら変わらないまま、圧力だけを高めて放つために細く見えているだけなのだ。


 水の槍はまっすぐに猛禽の首を貫いた。真っ青な水が、その瞬間から深紅に染まった。猛禽は断末魔に大きくひと鳴きし、その声を広場の空いっぱいに響かせてから、やがて絶命した。


 崩れ落ちる猛禽の身体を素早く押しのけ、ミーが少年を救出する。掴まれている相手が猛禽から猛獣に変わっただけなので子どもは引きつったままだったが、ララキを経由して母親のもとへ帰されると、安堵のためかとたんに火がついたように泣き出した。

 母親も泣きながら頭を下げてくる。ありがとうございます、と何度も言いながら。


「いや、お子さんが無事で何よりっす。ミーもありがとな」

『いえいえ』

「それにしてもなんだったんだろうね、このでっかいハヤブサ。……あっ!」


 ララキが大きな声を出したかと思うと、猛禽の身体が急にぼろぼろと崩れはじめた。


 明らかに死骸が腐るのとは違い、肉体が真っ黒な埃か煤のような物質に変わってゆき、それが風に舞って散っていく。単なるハヤブサではないのは間違いない。

 そして何者かの遣獣だったとしても、こんな滅びかたをすることはまずない。遣獣であっても死ぬときは獣として死ぬからだ。


 これは初めから形だけハヤブサを模した別のものだったのかもしれない。

 だが、ではこれが一体何で、誰がどうやって、何のためにこれを用意したのか、なぜ祭りの見物客を襲ったのか。そのすべては謎だ。


 念のためワナエアにも聞いてみたが、彼もただただ困惑するばかりだった。


「わ、私は祭司としてもう八年間、毎年この大儀礼に参加していますが、このようなことは初めてです。紋唱も決められたとおりの紋章と招言詩で……ああ、なぜこんなことに……」


 何かが変だ、とミルンは思った。


 旅にトラブルはつきものだ。これまでも旅の間にいろんな事件や事故を見てきた。

 だが、紋唱関係のことなら、よく見ていれば原因がわかる。ましてやこの場にはミルンの他にも紋唱術を扱える祭司が何人もいて、何か間違いがあったのなら誰も気づかないはずはないのだ。


 もしかしたらカムシャール遺跡の異変とも何か関係があるかもしれない。なにせこの大儀礼と遺跡とで、祀っている神は根源が同じものなのだ。ハヤブサの幻獣からも何か人智を超えた力のようなものを感じる。


 ふとララキを見た。彼女も顎に手をあてて考え込んでいるようだった。


 ──遺跡で彼女が何かしたのではないか。

 ミルンは改めてそんな疑念を抱く。遺跡が揺れだしたとき、誓ってミルンは何もしていなかった。巨石には手を触れず、何の言葉も発していなかった。


 一度問い詰める必要があるかもしれない。果たして彼女はこの旅で、一体何を得るつもりなのか。


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