004 鳴動するカムシャール
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その後、ミーは一旦また紋章の中へと戻っていったが、プンタンはなぜか戻ろうとせず、勝手にララキの頭の上に陣取った。
ゲコゲコうるさいが、たまのことなので放っておいてやる。
こういうプンタンやミーのような、紋唱によって呼び出すことができる獣を、総称して「遣獣」という。
普段、彼らはそのへんでふつうに棲息している獣である。
ララキたち紋唱術師と契約することにより、専用の紋章を得て、それを描いて「招言詩」という文言を唱えることで呼び出せるようになる。
個体ごとにさまざまな性質を持っており、紋唱術師にとっては苦手な属性を補ってくれたり、獣ならではの視点で自然の知識を教えてくれたりする、相棒のような存在だ。
ララキにとってのプンタンもまさに苦手な水属性を補佐してもらうために契約したもの。
さっきの水流の紋がたいへんしょぼくれていたのも苦手だったゆえなのである。
いつもああっていうわけじゃあ、……ない、はず、一応。
それにしてもである。
ララキが気になったのは、ミーの招言詩の短さだった。
正直言ってさっきも大して役には立っていないプンタンでさえあの長ったらしい詩文を読み上げなければならないのに、ミルンがミーを呼んだときはたった一言で済んでいた。
「招言詩、短くない? なんだっけ、我が友はなんとかする、ってやつ」
「喝采する、だよ。……ミーとは付き合い長いからな。
遣獣とある程度信頼関係が築けてれば招言詩は省略できるんだよ。教授に習わなかったのかよ」
「うーん、いわれてみるとそんなこと言ってたかも……。
プンタン、あたしたちもそこそこ付き合い長い気がするけど省略できないの? あの長いの毎回詠むの正直いってかなり面倒なんだけど」
『……姉さん、もういっぺんオイラの招言詩言ってみて?』
「え? えっと……たゆたう清流に愛されし者よ、その名は陽明、その実は碧蒼の精霊……天果まで轟く唱歌の主。
顕現せよ、青蛙"プンタン"。で合ってると思うけど、これがどうしたわけ」
プンタンは不機嫌そうにゲコゲコ鳴いた。どうやらこの招言詩が気に入らないらしい。
ちなみに招言詩は契約のときに術師側が決める。
自分で作詩してもよいが、たいていの場合は昔の術師が使っていた招言詩を再利用する。
図書館などにいけばその手の詩集が山ほどあるのだ。ララキも借用しているくちである。
「しょうがないじゃん、いっぱい調べたけどカエルの招言詩なんてこんなのしかなかったんだから。ていうか作詩した人に失礼だよそういうの」
『こんなの、って自分も言ってるし』
「あっ……あーもうそれはともかく! 省略! させて! 今のままだと緊急ってときに困る!」
『……シッカの旦那はいいよなァ……ゲーコゲーコ』
しまいには口でゲコゲコ言い出した。もう聞く耳を持たないという意思表示であるらしい。
そんなことをやっている間に、馬車は無事に遺跡へと到着した。
カムシャール遺跡。
木々の生い茂る山中に突如開けた場所があり、周辺の大樹にひけをとらない巨石がいくつも並んでいる、奇妙な景観で知られる観光地だ。
上空から見なければわからないが、これらの巨石は幾何学的な形に並べられているらしい。
だが、これほど巨大な石を十数個も、誰がどのように並べたり積み上げたりしたのかは未だ謎である。
地元に伝わる話では、かつてここに座した神が自らの神殿として立てたものらしい。
ララキがここを訪れたのは、アンハナケウを探す手がかりがあるのではないかと考えたからであった。
なにせアンハナケウというのも神々の建てた国であり、この巨石の主であった神もまた、その一員とされるからである。
プンタンを頭に載せたまま、ララキは巨石のひとつひとつを見て回る。
石の表面はどれも鏡のように美しく磨かれていた。
覗き込んだララキの顔がぼんやりと映っている。だが、ところどころ歪んで見えるのは、そこに何かの紋章が刻まれているからだ。
円や星型、花印。
どれも紋唱術でよく使う図形である。
手袋をした指でなぞってみるが、対応する詩が何かわからないためか、光るだけで何も起こらない。
紋唱術というのはもともと神への儀式の作法として生まれたものだという。
きっと昔の人はこれをなぞって儀礼の言葉を唱えることで何かの儀式を行っていたのだろう。
こんな山深い土地で祈ることとはなんだろうか?
「……それ、炎輪だな」
急に横からミルンが顔を突っ込んできた。
何かと思えばララキのちょうど目の前にあった紋を指差している。
たしかにそれは、火を表すぎざぎざの図形を円形に描いたもので、炎輪と呼ばれているものだ。
「交差する円も見つけた。たしかに類型の紋唱がここにはある……」
「え、何の話?」
「ああいや、こっちの話だ、悪い。……でもこれにいったい何の意味があるってんだ……?」
ミルンはなにやらぶつぶつ言いながら遺跡の奥へ歩いていった。
わけがわからん。
ただかなり真剣な顔をしていたので、たぶん彼にとってはすごく大切なことなのだろう。
気を取り直してもう一度巨石の調査をする。
刻まれている紋唱は、よく見るとほぼすべてが炎に関連する図形だ。
山の上で、炎の紋唱。
かつてライレマに習ったことを一生懸命頭から搾り出す。
たしか昔は、イキエス西部のこのあたりでは、太陽神の崇拝がなされていたはずだ。
単純に考えて、山の上ならふもとより太陽に近い。少なくとも古代の人々の感覚ではそうだろう。
紋唱術においては炎は太陽と関係が深い、というか従属する力と考えられている。
だからたぶんここは太陽神信仰の遺跡なのだ。
炎輪をなぞる。線はぼんやりと赤く光っている。
「この地におわしました太陽の神さま、どうかあたしをアンハナケウにお導きください……」
自然とそんなことを呟いていた。
──どうか、あなたがアンハナケウに連なる神々のひと柱なら、そこへ続く道を示してください。
あたしは何が何でも行かなくちゃいけないの。あたしの、世界でいちばん大切な人のために。
その人の名は、──。
次の瞬間、轟音とともに大地が揺れた。
頭上からプンタンが転げ落ちて地面に叩きつけられた。ミルンの慌てた声も聞こえる。
何が起こったのかわからないまま、とにかくプンタンを拾おうとしたが、また凄まじい音を立てて大きく揺れた。
そしてそのまま収まることなく、小刻みに揺れ続ける。
「なんだ!? 地震か!?」
『そんなんじゃねえよ! いてて……揺れてんのはこの遺跡だけだぜ!』
プンタンが叫ぶように言った。
あたりは地響きのような音が延々と鳴っている。
「このでかい石が簡単に崩れることはないだろうが、一旦離れたほうがいいな。さすがにミーでもこいつを支えるのは無理だろうし」
ふたりと一匹は這うようにして遺跡から出た。
幸い遺跡には他に観光客などの姿もなく、そのまま急いで離れる。
プンタンが言ったように、確かに揺れているのは遺跡だけのようで、離れた場所に停めてあった馬車はなんともなく、慌てたようすのふたりを見て御者は不思議そうな顔をしていた。
しばらくようすを見たが、揺れがおさまる気配はない。
ふたりは諦めてふもとに戻ることにした。
「何だったんだろうな。ひととおり書き写したあとだからまだいいけど」
「あ、そんなことしてたんだ」
「おまえは何をしてたんだよ。……まさか何かやらかしたのか?」
「してません!」
帰りの荷台でそんな会話をしつつも、ララキにはわかっていた。
あれは間違いなく自分のせいだ。
ある言葉を胸に思い浮かべた瞬間にあの遺跡は揺れ始めた。
たぶんそれが遺跡の主である太陽神の怒りを買ってしまったのだろう。
このあと何もなければいいのだが。
ともかく、カムシャール遺跡ではこれといった手がかりは得られなかった。
困ったなと思いながら、鞄から本を取り出す。
世界各地の名所が載っている観光ガイド本だ。
アンハナケウに繋がりそうなところを予め調べておいたのだが、とりあえずこの遺跡は不発っぽいので、罰印をつけておく。
それと次に行く場所を検討しなければ。
幸先の悪い旅なのはわかっていたが、やっぱりそう簡単にはいかないようだ。思わず溜息をつく。
「あのさあミルン、次の行き先なんだけど」
「……それをなんで俺に聞こうとしてるの? おまえは」
「いや、一応確認しとこうと思って。……ジェッケの街でやってるお祭りを見にいく予定、とか、ないよね?」
そして案の定、ミルンは嘘だろ……とぼやいて撃沈していた。
ここまで予定が被る確率というのは世間的にはどのくらいのもんなのだろうか。
よくわからないが、いれば何かと便利な人かもという認識をしていたララキは、今さらあんまり同行されるのが嫌ではなくなっていた。
一方、同行しているつもりなど微塵もないミルンは、これからどうしようと頭を抱えていた。
行き先が重なってしまった以上、わざわざ日時をずらすのもどうかと思うし、ライレマ教授から頼まれたこともあるので、とりあえずその街までは一緒に行ってもいい。
問題はそのあと。
嫌な予感しかしない。しないが、先に確認するのもそれはそれで怖くてできなかった。
それにだ。ララキはあの高名なライレマに直接学んでいたというわりに、紋唱術師としては今のところへっぽこである。
これを放っておくのもどうかと思うし、よくあの教授が旅に出るのを許したものだと疑問に思う。
多忙極まる身でいまいち引きとめきれなかっただけかもしれないが。
凸凹なふたりは、やっぱり打ち合わせてもいないが連れ立ってジェッケへと向かった。
その道中はけして穏やかなものではなかった。
まず馬車が捉まらなかった。テバの町からジェッケまではそれなりの距離があり、歩いていくとなると途中別の町で一泊しなければならなくなる。
それは財布的にとてもまずい。
かといってこんな田舎町に他の交通手段などあるはずもない。
もう少し大きな街なら列車という選択肢も出てくるのだが。
仕方がないから今回だけ特別だぞと言って、ミルンは空中に紋唱を描く。
「"我が友は切磋する"!」
その言葉に応じて表れたのは、一匹の大きなイノシシだった。
ララキは思わず後ずさった。
イノシシといえば、昨日ひどい目に遭った──具体的に何もされていないので実際はララキが一方的に攻撃しただけだが──ばかりであったからだ。
ただこのイノシシは体毛が全体的に灰色がかっていて、「岩砕き猪」とは異なる種のものだったが。
「アルヌ、悪いけど俺とこいつを乗せてくれ」
『……おいおいおいおい、オレを馬車代わりにするなって言っただろ!』
「だから悪いっつってんだろ。ていうか俺だってできれば頼みたくねえけど、とにかく今回だけは他に方法がないんだよ。あとで美味いもん食わせてやるからさ」
『チッ……しかもなんだよ、いつのまにか女作りやがってよ。そういうことは教えてくれよ兄弟』
「いやそんなんじゃねえから!」
ぶひひんと鼻を鳴らすアルヌに、ほんとにそんなんじゃないよとララキからも挨拶ついでに訂正しておいた。
やっぱりこうして喋ったりする姿を見ると怖くはなくなる。なんかいい奴っぽいし。
「だってあたし、もういるから。大事な人」
『へー。振られたな、ミルシュコ』
「黙ってとっとと走れ!」
「ねーアルヌー、ミルシュコって何ー?」
『ミルンの愛称さ! ハーシじゃ仲のいいもの同士は愛称で呼ぶんだ。よおおし飛ばすぜぇぇ!』
宣言通りアルヌはものすごい速さで走り出す。
あっという間に目を開けているのも辛いくらいになり、会話も途絶え、耳元をすり抜けるのは風切り音ばかりになった。
ララキはミルンにしがみついていればいいが、そのミルンはアルヌの首にすがりついた体勢をとらねばならないので、たぶんそれなりに辛いのだろう。
ときどき歯を食いしばっている感じの呻き声がした。
できれば頼みたくないとか口走っていた気がするのもそういうことか。
しかし、兄弟、か。
遣獣にそんなふうに呼ばれる関係というのも悪くなさそうだ。
プンタンはララキのことを姉さんと呼んでいるけれども、姉のように思って呼んでいるわけではない。
招言詩の省略もさせてくれないし。
そんなことを考えている間に、イノシシはあっという間に街をひとつ越え、ふたつ越え、
「……おいアルヌちょっと待て止まれ! 通りすぎてる!」
『あ、悪い悪い』
越えすぎて引き返す一幕もありつつ、どうにかその日のうちにジェッケに辿り着けたのだった。
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