第七章 代表決定戦が始まる

「マリさん、見てください、台風が二つもできていますよ」

 私はスマホの画面を見ながらマリに声をかけた。

 私達は江ノ島で開かれる今年最後の470ワールドに参加する。会場は江ノ島だ。そのために電車を乗り継いでいる。

 なにせ金もない、荷物は多い。馬鹿でかいスーツケースを引きずりながら私達は江ノ島の駅に降り立った。

 今回のワールドで三位以内、かつ日本人選手の中で最高位を取る。それがオリンピック代表の座の条件だ。これが現在の自分達のが立っているところだ。


 ヨットレースは世界各地で年間を通して行われている。そしてオリンピック代表の座は年間ランキングで総合的に判断される。

 私達は、すべての世界大会に出る余裕もない。だが、出るからには常に良い成績を収めてきた。

 一方、ライバルのハルは精密機器メーカーがスポンサーだ。だからワールドツアーにもれなく参戦している。そのため、ハルの世界ランクは今のところ、私達たちより上位だ。

 だから、この最終戦が重要なのだ。私達たちはハルより上位、かつ、ポイントが取れるメダル圏内に入らなくてはならない。そうすれば年間ランクがひっくり返る。その結果、オリンピック代表に指名される。

 これは、多少の事情の違いはあれ、どこの国も似たようなものだ。だから、ここ江ノ島ヨットハーバーには世界の470乗りたちが集まってきている。そしてこのレースはすべての参加者にとって、最終決戦の場になる。


 私達は会場近くの小さなビジネスホテルに荷物をあずけた。そして江ノ島ヨットハーバーにつながる長い橋を歩いているところだ。

 波が高い。腰以上だ。橋の下に回り込んだ波は空気を混ぜ返し、祭り太鼓のような音を立てる。八月でこんな波の高い日はあまり見たことがない。西側に広がる砂浜では多くのサーファーが意気揚々と波乗りを楽しんでいる。

 さあ、ついにワールドの日本ラウンドが始まる。道の両側にはスポンサーの旗が弓なりに並んでいる。強風だ。

 ヨットハーバー裏の駐車場で待つ。時間とおりに輸送業者のトラックが着く。

 自分たちの船が降ろされる。日に焼けた運送会社の運転手と呼吸を合わせてそうっと荷台から白い船体をゆっくりずらしてゆく。

「暑い、こりゃひでぇ」

額からは、滝のような汗が吹き出てくる。

「アン、バウを持ち上げて、せーの」

 私達はなんとか船台の上に470のハル(船体部分のこと)を落ち着けた。

「シートも全部あるよね?」

 マリが確認する。

「はい、大丈夫です。マリさん、マスト載せますよ」


 私達はマストやセールなど艤装を船体に乗せた。

 運転手に挨拶をして、指定されたエリアにトローリーのついた船台を引っ張っていった。

 広い駐車場のようなコンクリートにはすでに多くの470が均等に並べられ

ている。その横に張られた各船首のテントが濃い影をつくっている。

 多くが外国人だ。背の高い姿、彫りの深い顔。帽子を目深に被りサングラスをかけている。

 その間を右に左にマリたちのトローリーは縫ってゆく。

ライバルたちは揃って真新しい船体、パリパリのセール、銀色に光るハリヤード(ヨットのマストなどを支えるワイヤなどの金具などのこと)。いかにも速そうだ。

「おっと、マストぶつかるよ、アン」

「すみません、はい、こっちですね」

 私はハンドルを引っ張りながら風に負けないように大声で返した。


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