第二章 自分だけが輝くシステム

「日本セーリング協会、次期オリンピックに派遣する種目を決定」

 アンのスマホにラインが回ってきた。さらに続く。

「男子はナクラクラス 1名」

「女子は470」

「男女ミックスのナクラが今回新たに加わることになりました」

 無い。

 私の種目、レーザーラジアルの名前がその中にない。

 人生には分かれ道がある。それも一方通行のY字路になっているときがある。

 決心してどちらかの道を選ぶ。ヤブは深い。傷だらけになってかき分け進む。

 本当に、多くを犠牲にする。そしてついに道が開けた!とおもったらそこは断崖絶壁だった、ということがあるのだ。


 セーリングには多くの種目がある、伝統的な470などの、日本が強みを持つ種目の他に、ボードセーリングの仲間や、新しいタイプの船が種目になるときもある。そのバリエーションは多岐に及ぶ。イギリス、ニュージーランドやアメリカなど、強豪国は各タイプそれぞれに選手を送り込む。

 しかし、日本は決してセーリングに人気があるとは言えない。おまけに実績も乏しい。だから日本は代表種目を絞らざるを得ない。どの種目が選ばれるかは、過去の実績でもあるし、協会内部の話し合いの結果でもあるのだ。


 そして、自分が進んできた「レーザーラジアル」の小道は断崖絶壁に続いていたようなのだ。


「アン、ひどくない?レーザーは勝てる種目じゃない」

 友人のヒメがコメントしてきた。

「あなた、ワールドで総合七位でしょう?メダル有力候補じゃないの、それを

わざわざ捨てるなんて、何を考えているの?それならどうして勝ち目のないミ

ックスのナクラなんかに派遣するのよ。意味わからない」

 ヒメの不満が伝わってくる。

 私にとって、最初の連絡を読んだ時は何が起きたのかわからなかった。あまりの衝撃に脳髄が麻痺したみたいだ。そして友人たちのメッセージを通して、自分の立場がようやくわかってきた。


「当ヨット部員は本日十時にクラブハウスに集合すること」


 つづいて連絡が回ってくる。

「きっと死刑囚の気分はこうなんだろうな」

 知らずにつぶやいていた。そして、いままで過ごした独房の扉をノックされたのだ。

 指先を見つめた。


「父さん、ごめんね。もう二度と三人で暮らせなくなっちゃったよ」


 父とは両親が別れたとき以来、会話すらしたことがない。当たり前だ。大好きな父はノルウェイにいるのだ。彼女を支えてくれ、助けてくれているのは母親だ。ヨット乗りなんて役にもたたない職業を選択できたのだ。家計は苦しい。

 それでもここまで来ることが出来たんだ。多少というか、多くの衝突をしてきた。性格の違いは、ある。それでも、感謝している。

 でも、真っ先に口からこぼれた言葉は父に向けた謝りの言葉だった。涙が首に伝ってシャツを濡らす。

 もう動くこともできなかった。

 その時スマホが震えた。

 画面には

「監督」

 の文字が出ている。条件反射的に受話器のマークを押した。


「アン、十時のミーティングに来られるかい?」


 電話でも感情は伝わるものだ。特に辛い時や伝えたく会いことを絞り出そうとするときには、その押し殺した感情は時空を超える。


「監督、今さら何をしに行くのですか」

「どうしても直接話がしたいんだ」

「もうきまったことでしょう?」

「頼む」

「あなたはいつもそうです。頼むって、それで何かが変わるものじゃない」

「?今度は違う」

「それって何?」

「どうしてもだめか?」

「もうだめよ」

「それなら、人事部に行ってほしい。おれの知り合いが待っているはずだ」

「どうせ首の通告でしょう?」

「違う、いいから、最後のお願いだ」

「お願いなら違うときにして」

「そうじゃない」

 私は電話を一方的に切った。

 どうしてなんだろう。あの時からそうだ。普通に、幸せに、好きなことをやって、みんなと楽しく話したい。でも、サバイバルナイフのような、ある目的を持った言葉がある。

 暴力的なことを楽しむ人がいるって気がついたのは中学校の時だった。苦しみを通して人間関係を学んできた。時には自分の大きな体が武器になることも知った。でも、自分の心はこんなに柔らかいんだ。まるでメロンみたいだと思う。

 傷跡で外面をいくら固めても、鋭いナイフは心の中心に簡単に届く。外の世界は自分を放っておいてくれない。


 そして世界は今度も不条理だった。

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