第7話 忍び寄る影

順風満帆かに見えたその後の人生にも、落とし穴はあるものだ。

浅夫が五十歳を数えるころに、社員が使い込みをして三千万ほどの穴をあける。信頼していた人だったので、ショックは大きく、そのうえ会社は二つ目のビルの建築中であった。銀行に多額の借り入れがあったので不安になったのだろう、それを機に浅夫は躁鬱病になってしまう。今でこそ公然と言えるが、その頃は精神科の病気は世間から疎ましく思われた時代。幸い家の向かいが、精神科の名医だったので、薬を飲んで治療していたが、その薬によって、持ち前の楽しい性格が半減し、何をしても面白くないと言うようになっていった。もともとゴルフと酒が好きだったので、医者にとめられると、「やめるなら死んだ方がまし」ともこぼしていた。

徐々に仕事もブームが去り、うまくいかなくなりつつあり、借金もあって気力も失せてきたのかもしれない。正月になると、やたらに元気になる躁の状態、そのあとから訪れる鬱。その繰り返しが七年も続いただろうか。医者に薬で緩和されていたが、元気で楽しい社交的な浅夫は、どこかに行ってしまったようだった。

ようやく躁鬱病がやっと治りかけ平穏に戻ったかにみえた一九九一年の一月一七日、浅夫は倒れ帰らぬ人になった。湾岸戦争が始まった日のことだった。

娘の薫子はジュエリーデザイナーになって独立し、イタリア在住の彫刻家長谷京治と結婚した翌年だった。浅夫の布団の枕元を見ると、桜子の結婚式の写真が置いてあった。

はる子はこの時も泣かなかった。しかし、この日からはる子の人生は一変する。


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