第5話 浅夫との出会い
戦争が終わった後のある日のことだった。はる子が焼け残りのあばら家で、米をやかんで炊いて、ススだらけの真っ黒な顔で足を延ばして休んでいるところに、兄の國男が一人の背の高い男を連れてきた。國男は生みの親の幸平の再婚相手のまちの連れ子だが、幸平と再婚した相手が兄嫁なので、実際ははる子の従兄に当たる。はる子は養女に出され一人っ子として育ったが、いろいろ気にかけてくれる頼もしい存在だった。奨学金を得て満州の大学を優秀な成績で卒業し、一級建築士になっていた。はる子とは同い年だった。
生みの親の山口幸平は再婚後、廣美、衛、泰和、幸子、里富が生まれてたが、いずれも学業優秀で、廣美は横浜国大を卒業して、やはり一級建築士になっている。
國男が連れてきた男は、浅夫。なんとこの日に、見合い相手を連れてきたのだ。浅夫は百七十三センチと、大正九年生まれにしては背が高く、なかなかの男前でもあった。
はる子は思ってもいないことだったので、何の支度もしていなかった。ひさが、千本松でもご案内したらというので、浜辺を一応案内したが、話すこともないので、ほとんどぶっちょう面で黙っていたらしい。それからひさに言われたとおり駅まで送ることにした。
浅夫が汽車に乗りこみ、窓から手を振ろうと思って振り返ったときには、もうはる子の姿はなかった。そのまま、さっさと帰ってしまったのだ。(愛想が無いな)と思いつつも、浅夫はすぐその日のうちに國男に求婚の意志を伝える。浅夫がこの人と思った決めてとなったのは、先にもらった写真が、聡明で魅力的に映っていたこと、それにはる子が女学校を出ていることだった。(瀬戸では女学校を出ている人なんか、見たことが無い。自分が学歴がないぶん頭の良い女性と結婚したい)浅夫はそう思っていた。
浅夫は瀬戸の小さい瀬戸物屋と農家を兼業している家の出身で、次男だったから学校もろくに出てしてもらっていなかった。貧乏で煮干しの頭を食べ残して、頭を殴られたという家庭に育つ。学歴も無かったので、初め平城(北朝鮮)で電電公社に勤務しながら電気関係の技術を習得する。帰国して徴兵されてからも、無線の技術を買われ、満州に赴任、その後満州が戦地になる前に幸運にも日本に帰される。しかし、次男で住む家も無かったため、中村と言う家の養子になりそこに住んでいた。
一方小池家の方では、浅夫が帰った後、ひさが
「あの人はお酒を飲みそうよ」
と心配していた。はる子もこのことは見抜いていた。けれども、はる子は極めて現実的な性格なのですぐに結婚することを承諾した。まず、背が高いこと、そして何よりも欠かせない条件、家があるということ。自分の家が空襲で焼けてしまっていたからだ。自分で決めていた条件に、浅夫はどちらもあっていた。
ところが軍蔵は浅夫に、
「不良で手が付けられない娘だから、やめた方が良い。とんでもないじゃじゃ馬だから」
と告げ口をして、結婚を反対した。
それを聞いた浅夫は
「面白い。じゃじゃ馬ならば、慣らして見ましょう」
と答えたという。
昭和二十一年四月二七日 はる子は水野浅夫と結婚。結婚前に二人が会ったのは、一回だけだった。
やがてはる子の義理の父の軍蔵も、戦後の粉塵がもとで結核にかかり静岡の日赤病院に入院する。軍蔵の元の妻の芸者の娘が読売新聞の静岡支社の社長と結婚しており、静岡の日赤病院の道向かいに住んでいた。沼津から看病の為に静岡まで来ていたひさだったが、軍蔵はその芸者の娘の家まで、食事を取りに行くよう命じた。ひさは入院している軍蔵の食事を、元妻の芸者の子の家まで取りに行かされていたのだ。はる子はそんな母をみていて、ますます軍蔵を許すまいと思った。
その軍蔵が臨終の時、
「お父さんと言ってあげなさい」
とひさに言われて、かろうじて、はる子は生涯一回だけその男を
「お父さん」
と呼んだ。父と呼んだのはこの一回きりだった。
浅夫と結婚したはる子だったが、夫の養子先の中村家が彼女をこき使うのに腹をたて、持ち前の勝気さから、わずか一年ほどで家を出てしまう。仕事の当てなどありはしなかった。
生活に困った二人だが、はる子の得意な裁縫がこの時役にたつこととなる。
ある日、一人のオンリーさんが洋服を縫って欲しくて尋ねてきた。終戦後間もないころ、生活できなくなった女性が進駐軍を相手に身を売って生活をしていた。オンリーさんとは、特定の進駐軍の人の愛人になっている人のことを言うのだった。世間では、敵国だったアメリカ軍人の愛人を蔑んでいたので、繕いものなどを頼んでも、断られることもしばしばだったのだが、はる子は快く引き受けた。戦後に必死に生きて行こうという気持ちはみんな同じ。弱い立場で、他に生きるすべがない女性たちを差別する理由はなにも無いと考えていた。オンリーさんはその時のことを、後までも感謝してくれ、時々進駐軍の払下げ品などを持って来てくれたそうだ。
裁縫で夫を養った期間は、わずか半年ほどだが、これによって一生涯、浅夫ははる子に頭が上がらなくなる。「じゃじゃ馬ならし」どころかならされたのは浅夫の方だったようだ。
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