第3話 義父軍蔵


昔のしきたりで、まだ子供のはる子が名義上家督を継いだが、実際に采配を振るったひさは商売などはできず、英策なしでは料亭を維持できなくなってしまう。

やがて、ひさは再婚する。相手は遊び人で有名な土屋軍蔵である。どういった事情で、その男をひさが好きになったのかははる子も知らない。ただ、父の生前から、軍蔵は,ひさに目を付けていたようだった。

軍蔵は独身と言う触れ込みであったが、男女の連れ子がいて、先妻は芸者だった。

女の子は自分の子だったが、男の子の勇は先妻の子でもなく貰いっ子だったようである。

やがて軍蔵は、勇とはる子を将来結婚させようと考えるようになる。相続人(戸主)ははる子だったので、料亭を乗っ取るにはそれが、手っ取り早いと思ったに違いない。しかし、はる子は、はっきりしない勇が大嫌いだった。はる子が勇に興味を示さないと知った軍蔵は、こっそり料亭を自分名義に勝手に変えてしまう。その上、軍蔵はひさに全くお金を与えなかった。毎日、買い物のたびその分しかお金を渡されない。かろうじてやっていた料亭の上りもすべて軍蔵に管理されるようになる。かつては髪結いを呼んで、いつも美しく装っていたひさも軍蔵と再婚してからは、めっきりやつれていった。

沼津カフェの一階では、月に一回、畳の部屋を骨董市に貸すことになった。ある日その元締めに、はる子は尋ねた。

「おじさん、ここの場所代っていくらなの」

「十円だけど、お嬢ちゃん。なんでまた?」

はる子は答えた。

「それじゃ、相場に比べて安すぎるから、ちょっと値上げしてくれない?」

元締めは驚いて、目を大きく開いた。

「十五円。いいでしょ!」

「いやあ、まいったなあ。」

おっとりして商いにはまるで向かないひさの代わりに、まだ十歳そこそこのはる子が、場所代値上げを交渉したのだ。値上げしたお金はひさに渡していた。

またその会の時に牛乳を振舞っていたが、はる子はそれを薄めて出し、その差額で出来た小銭も母ひさのこずかいにしてあげていた。はる子がまだ小学生のころのことである。

これまで乳母日傘で大事に育てられたはる子は、ひさにお金も与えず利用しているとしか思えない軍蔵を、絶対父親とは認めまいと心に決めていた。軍蔵のほうもはる子を疎み、はる子が寝たのを見計らって、連れ子に汁粉を作って食べさせるなどをするようになる。寝たふりをしていたはる子は、口惜しさで唇をかんだ。

「戸主は私なのに!」

ひさは器量よしだが裁縫も苦手で一人で生きてはいけない女だったから、はる子を不憫に思いながらも、夫に従うことしか出来なかったのだろう。

このことをきっかけにして、生きて行く術を知らないひさを反面教師とし、女でも自立して生きることをはる子は心に決めたのである。男に頼らず、女も仕事を持つべきと言う考えが、心底染みついたころである。

やがて、料理人のいない料亭は成り立たず、店はたたまれ、軍蔵はいろいろなことに手を出しては失敗することになる。

はる子の生みの親の幸平は、そんなはる子の身を案じ、はる子をしばらく修善寺に戻し小学校に通わせていた。やがて小学校を終えると、沼津の女学校に入ろうとするが、軍蔵がそれを許さない。女学校の学費を幾分か幸平が負担することを条件に、はる子は再び沼津の軍蔵とひさの元に戻ることになる。幸平は大工の棟梁になっていたが、お金に余裕があったわけではなく、一人だけ養女に出しその義父も九歳で亡くしたはる子を不憫に思っていたのだろう。

女学校に入ると、はる子はますます自由奔放になっていく。

色が黒く目鼻立ちのくっきりしたはる子は写真写りが良く、写真館などでは写真をよく張り出された。ボーイフレンドも多く、駅前の喫茶店で男友達と珈琲を飲んで帰ると、既にもう噂が出回っており、家に帰ると軍蔵にこっぴどくおこれられたが、たかがお珈琲を飲んだくらいでと平然としていた。その頃は女学生が男性とお茶を飲むだけで、不良と呼ばれた時代だった。

また絵が上手かったので、表彰されることもたびたびあった。審査員だった県知事から

「才能があるから画家になったらいいんじゃないですか」

と言う言葉をかけられたが、

「画家は食べられませんからやりません」

とけんもほろろに断ったという。はる子は一日も早く自立して、軍蔵の元を離れたかったので、夢など追う気にはなれなかったのだろう。

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