第2話 沼津カフェ
紫の生地に黄色いケイトウの花の柄が入った豪華な着物に、そのころ流行していた白いエプロンを着せられたはる子は、得意満面だった。はる子のために、東京の三越で英策が求めてきた着物は、沼津ではなかなか見られない個性的なもので人の目を惹いた。英策は、神戸でフランス人形が着るような素晴らしいドレスや、東京の三越で外国製の生地などをよく土産に買ってきていた。とてもこのあたりでは手に入らない上等な品ばかりだった。
この日、三つのお祝いが出来なかった代わりに、四歳で晴着を着て記念写真を撮ることになったのだ。
「ほら、綺麗にお支度が出来たわ。ほんとによく似合うわあ。かわいいねえ、はあちゃん」
手放しで喜んでいるひさを見て、料亭、沼津カフェの女中たちは顔を見合わせて笑った。
(貰うんだったら、もっと可愛い子にすればよかったのに)
じつは、はる子の実の姉のあさは色白でとても可愛い女の子だったのだ。どうせもらってくるなら、そっちを貰ったほうが・・・と話していたのを、彼女は子供心に耳にしている。しかし、その姉は、その後修善寺の鉄砲水に流されて、11歳でに亡くなってしまう。沼津に養女に来たのも、はる子の運勢が強かったからかもしれない。
実際、はる子は、英策とひさの溺愛ぶりとは裏腹に、可愛げのない子であった。色が黒く、目は大きく、子供の家から鼻筋が通っていて、唇は厚く・・・今の世だったら目鼻立ちのくっきりした美人であろうが、大正時代には、竹久夢二の描くはかなく頼りなげな女性が美人とされていたから、決して可愛いとはされなかった。それに毎日、駆け回っていたから、さらに日に焼けて黒くなっていた。運動は得意で特にかけっこは、小学校では五年生まで一番、百メートル一五秒フラットという当時の記録すら持っていたのだ。男の子と競争しても負けず、はっきりとものを言う子で、その風貌と気性から「目玉の黒ちゃん」とあだ名されていた。
またはる子は女子としては珍しく歴史と地理、そして絵も得意。しかも掃除も裁縫までうまかったので、学校では掃除番長というあだ名でも呼ばれるほど、口八丁手八丁の子供だったのである。いつもやり込められている女中たちは、陰口をたたいていたが、はる子は気に留めるでもなく、自由奔放に、明るく元気に育っていった。
ある日はる子は学校の帰りに、神社の参道でお好み焼きを売っているのを見かけた。そとで買い食いしてはいけないと躾けられていたはる子は、その美味しそうな匂いに強く魅かれたけれども、我慢して帰ったのだ。しかし帰ってくるとはる子は
「お父さん、外で売ってたお好み焼きが食べたい」
とねだった。
「ちょっと待っといで」
と英策は答えた。
暫らくして、綺麗に出来上がった料理とお皿を持って英策が戻ってきた。覗き込むと白い皿に、薄い綺麗な黄色い卵で出来た、見知らぬお菓子が乗っている。
「こんなんじゃない!」
はる子は怒った。
それは今でいうクレープシュゼットだった。フランス料理に長けていた英策が、はる子のために焼いてくれたのだが、屋台のお菓子が食べたかった彼女はふくれてしまった。
学校の昼食時間には、毎日「二の重」まである弁当が届けられた。蓋を開けると、一の重にはお造りが、二の重には煮物とご飯が入っている。家が料亭のはる子にとってはそれは普通のことだったが、周りの子供たちは目をまるくして、羨ましそうに見ているのだった。
また英策は、はる子をよく野球に連れて行った。まだプロ野球が始まっていない時代だったので、もっぱら大学対抗の野球だったが、英策の片車で、高いところではる子は野球を堪能することができた。生涯にわたる野球好き、スポーツ好きはこの辺から来たのだろう。
ある日はる子は、町内で出回っているブロマイドのような写真をみている男たちを見かけた。彼女が覗き込むように背伸びすると
「これってお嬢ちゃんのお母さんかい・・・」
と言われた。
写真には母ひさが映っていた。当時は、旅館やレストランの女将の写真が、今のタレントのように出回っていたのだ。ひさの写真を指差すと男は言った。
「べっぴんだなあー」
はる子は呆れて男の顔を見上げた。
七つのお祝いも盛大に行われた。
修善寺の老舗旅館「新井」で腕を振るっていた英策は、真面目一徹の男だったが、沼津に来てからも料理ばかりでなく、趣味にもひとかたのこだわりを持っていた。養女のはる子をことのほか可愛いがるなかにも、それがしっかり表れていた。
七つの祝いの折には、成田参りの帰りに、着物を東京の三越で仕立て、沢山の芸者衆を沼津カフェに集めて豪勢な食事を振る舞った。思えばこのころがひさとはる子にとって、生涯で一番幸せな頃だったかもしれない。はる子の思い出話もこのころのことが多い。
しかし、まもなく、英策は三十八歳の若さで心臓を病んで亡くなるのである。はる子がわずか九歳のときであった。
英策が亡くなると状況が一変する。
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