第86話 凡此五者、将莫不聞。知之者勝、不知者不勝

投資を始めるに当たっての注意事項、即ち『目的』、『環境』、『場味』、『銘柄』、『投資法』の意味を教わった。

遥香は、一応納得はしたが、やはり腑に落ちない箇所があった。

でも、そのことを口にしても、よろずのは真面目に取り合ってくれなかった。

「実際にやっていけば、そのうち分かるよ。」

いつも笑顔でそういうのだが、遥香ははぐらかされているように聞こえていた。



だから、一度だけ食い下がったことがあった。

その時は、5つの条件の続きの部分を言われた。


「凡そ、この五者は、将は聞かざることきも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。」



――【孫子】――――――――――――――――――

およそ、これら5つの条件について、聞いたことが無い者はいない。

つまり、これらのことをより深く理解している者が勝利を収め、理解していない者が勝利できないということなのである。 

――――――――――――――――――――――――


――【投資】――――――――――――――――――

およそ、これら5つの条件について、聞いたことが無い者はいない。

つまり、これらのことをより深く理解している者が成功を収め、理解していない者が成功できないということなのである。

――――――――――――――――――――――――



「理解の深さですか!?」

「そうだよ。人の理解には段階がある。まず『知る』、そして『理解する』、最後に『実行する』だ。」


遥香が尋ねたら、よろずのはそう教えてくれた。



多くの人は、『知った』だけで『理解した』と勘違いしている。

なぜなら、普段の生活では、『知って』、『理解して』、『実行する』の間に、大きな壁や溝を意識することが無いからだ。

『知って』いれば、簡単に『実行できる』と思い込んでいる。



ところが、実際には、それぞれの間には城を取り囲むような深い堀と高い壁がある。

いつも例に出すが、『損切りは大事』ということは、ある程度経験した投資家なら、誰もが知っている。

しかし、本当に理解しているかどうかは、疑わしい。

なぜなら、『損切りする』と言いながら、簡単に例外を作って持続する投資家の方が圧倒的に多いからだ。



そして実際に理解できている者は、大いに悩む。

自分は、本当に『損切り』できるのだろうか、それともできないのだろうかと・・・。

出来ないと腹をくくって、『損切り』を諦めて『戻り待ち』に移れば、それは『理解した』ことと言える。

また、『損切り』をすると決めて、実行すれば、それもまた『理解した』ことになる。



しかし、数回『損切り』できただけでは、『実行できた』ことにはならない。

やり続けることが出来て、初めて『実行できた』になるからだ。



そう言えば、この個所では、えらく孫子の凄さを語っていたな・・・・、と遥香は思い出していた。



孫武は、自分のこの兵法書が、後の時代に教本になるのを知っていた。

知っていたと言うより、それくらい内容に自信があったのだろう。

だから、『孫子』を学んだ者同士の対戦も、考えていた訳である。



『孫子』を学んだ者と、学んでいない者との対戦なら、学んだ者が必ず勝つ。

だから『孫子』は、教本になる。

しかし、『孫子』を学んだ者同士の対戦なら、どうなるのか?

引き分けになるのか?

違う、孫武は、『より深く理解している者』が勝つと言っている。



ここで孫武は、覚えているとは書いていない。

理解していると書いている。

つまり、『孫子』を丸暗記しても、勝てないと言うことになる。

孫武が言いたいのは、この『孫子』の根底に流れる人類普遍の原理に相当するものを、どれだけ理解しているか?と言うことだ。

そして、その理解の深度によって、勝敗が決まると言うことだ。



これを聞いたとき、遥香にとって演奏も、投資も同じだと思った。

まずは、楽器が吹けるかどうかが問題になる。

投資なら、基本的な売買が出来るかと言うことだ。

楽器も、その後からが難しくなる。

息遣いと指運びだけで、同じ音でも、その色は無限の広がりを見せる。

どのような音色にして聞かせるかは、演奏者の腕であり、新たな色を得る為に、日夜練習していたのだ。

つまり、遥香は、音の広がりを、理解の深さだと気付いたのだった。

だから、同じように練習を繰り返せば、そのうち必ず成果が出ると思った。

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