ぶつかった相手【なずみのホラー便 第86弾】

なずみ智子

ぶつかった相手

 弘嗣(ひろつぐ)は、高校生の息子・征也(せいや)のスマホいじりに悩んでいた。


 自分や妻がいくら注意しても聞きやしない。

 まさに四六時中、朝食の時も夕食の時も、トイレへと向かうわずかな移動時間にすら、猫背のままスマホをいじり続けている。

 家のそう長くもない廊下ですら、この調子なのだから、間違いなく外でも歩きスマホをしているはずだ……と、弘嗣は気が気がでなかった。


 小さな四角形の中に広がっている世界に気を取られて注意力散漫になり、そのうち怪我でもするんじゃないかと……いや、怪我が自分一人だけで済むものだったらまだマシだが、他人に怪我でもさせてしまったなら、精神的にも社会的にも経済的にも洒落にならない。

 自分たちと同じ一般ピープルに怪我をさせてしまったならまだしも、”ヤのつく職業”の人やその関係者が相手であった場合、賠償金等で尻の毛まで毟り取られるどころか、骨までしゃぶりつくされてしまうかもしれないのだから……


 そういえば、と弘嗣は思い出す。

 昨日、近くの交差点で、歩行中のスマホならぬ運転中のスマホが原因で、多数の死者まで出た事故が起こっていた。

 スマホをいじっていた男子大学生がハンドル操作を誤り、歩道にいた歩行者たちへとアクセル全開で突っ込んでいった、というのが報道されていた事故の概要だ。


 征也はまだ車の免許を取れる年齢ではない。

 けれども、あの事故を他人事だととらえてはならない。

 事故を起こした大学生は、数年後の征也の姿であるかもしれないのだから。

 そもそも、スマホばかりいじっていることで、成績だって目に見えて急降下しているわけだし、言い合いになろうがなんだろうが早いうちに父親として征也の行動を改めさせなければならない、と弘嗣は腹をくくった。


 しかし、そんな弘嗣の心配と覚悟をよそに、当の征也は四六時中のスマホいじりをピタリと止めてしまった。

 本当に必要最低限、連絡手段としてのみスマホを利用するようになったらしかった。


 いったい、どんな心境の変化が起こったのだろうか?

 だが、息子のこの変化は、親としてうれしい方向へと向かっている。

 このまま勉強に身を入れて、偏差値をグングンと上げてくれれば……と、弘嗣は軽く考えていた。



 ある夜のことだ。

 征也が、弘嗣の書斎へとやってきた。

 青い顔をした征也の手には、スマホが握られていた。


「……俺、スマホを解約したいんだ。母さんに話したら、『父さんにも話してみなさい』って……『父さんがいいって言ったなら、解約手続きをしてあげる』って……」


 確かにスマホいじりならびに歩きスマホは止めて欲しかった、というか自発的に止めたようであるが、今時の若者としてスマホを持っていないのは何かと不便であり、皆の話題についていけないこともだってあるだろうに。


 さらに言うなら、征也の様子がおかしい。

 顔色が悪いというか、血の気を失ってしまっているだけでなく、スマホを握る手すらもブルブルと震えている。


 恐怖?

 スマホを解約することが怖いのか?

 いいや、違う。

 スマホを解約しなければ、より怖い事態になってしまうことを征也は恐れているのであろうか?


 恐怖で震えている息子をこのままにはしておけない、と弘嗣は征也からスマホ解約の詳しい理由を聞くことにした。

 征也は、家の中だというのにキョロキョロと周りを気にし、誰にも聞かれていないことを確認したうえで、声を潜めて話し出した。


「……少し前にさ、近くの交差点で車が歩道に突っ込んだ事故が起こったろ?」


「ああ、確か、スマホをいじりながら運転していた男子大学生が起こした死傷事故だったな……」


 思い返してみれば、征也がスマホいじりをピタリと止めてしまったのは、あの事故の翌日あたりからではなかったであろうか?

 まさか、征也があの事故に関わっていたというオチなのか?


「あの事故が起こる少し前ぐらいの時間にさ、俺、スマホいじりながら道を歩いていたんだ。そうしたら、黒いコートを着た奴にぶつかったんだ。『やべえ、怒られる!』って思って、俺は顔を上げて、そいつを見たんだ……」


「……で、そいつに怒られたのか? まさか、金を脅し取られたんじゃないだろうな? それなら、今からでも父さんが警察に被害届を……」


「違うんだ! そいつ……いや、あいつは”俺からは”金も何も取っちゃいない! そもそも、あいつにとっちゃ金なんて”無用の長物”なんだよ!」


「どういうことだ? 生きていくために、金は必要不可欠なものだろう?」


「…………でも、命はもっと必要不可欠だろ? あいつは……あいつは……死神だったんだ!!」


「は? 死神?」


 弘嗣は、もう少しで噴き出すところだった。

 しかし、征也の鬼気迫る形相が、弘嗣にそうさせなかった。


「そうだ、あいつは死神だ。俺たちが”死神”って言われて真っ先に想像する鎌を持った死神だよ。捻りを加えていないストレートなテンプレみたいな、これ以上、死神らしい死神なんていないみたいな姿をした死神だった。あいつは、俺をジロリと見下ろした。舌なんてないはずなのに、あいつの舌打ちも聞こえた。そして、あいつは俺にこう言って去っていった……『俺が、急功近利(きゅうこうきんり)の阿呆でないことに感謝しろよ。命拾いしたな、ガキ』って……それから、しばらくして……あの事故が起こったんだ……!」


 急功近利。

 死神は、歩きスマホをしてぶつかってきたガキ一人の命という目の前の利益には飛びつかず、もっと多くの命をその鎌で刈り取ることを優先せさせたということか。


 なぜ死神が四字熟語を知っているのか?

 その死神は、征也にしか見えていなかったのか?

 そもそも、死神は実体があるものなのか?


 いろいろと突っ込みたいところはある。

 だが、征也の怯え様は尋常じゃない。

 征也は、ヤのつく職業の人ではなく、”シのつく職業の人”に歩きスマホのうえ、ぶつかってしまったのだ。


「歩きスマホをしなければいいって話なのかもしれないけど、持っていたら持っていたで気になるし、中毒性もあって、ついついいじってしまいそうにもなるから、俺は今も必死で抑え続けているんだ……俺だってスマホを持っていたいよ。命や金ほどではないけど、必要不可欠な物だと思っているよ……でも、またスマホを持って歩いている時に、あいつにぶつかってしまうかもしれない。次は絶対に洒落にならない、骨までしゃぶりつくされるどころの話じゃないって、父さんだって思うだろ?」


(完💀)

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ぶつかった相手【なずみのホラー便 第86弾】 なずみ智子 @nazumi_tomoko

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