PM 04:59
とりあえず現状把握が最優先だ。
「手始めに、もうちょっと詳しい情報と、現段階でどこまで推測できたか、を教えてもらっていい?」
そう言うと、立石は少し考えた後に口を開いた。
「チョコ渡しに行く前に、ちょっと寄り道して買い物しに行くって言ってた。チョコ渡してる現場に出会すのは避けたいから、できれば寄り道してる途中で捕まえたい。でも、もう結構経ってるし、ちょっと難しいかも。とにかく、早めに推測を立てたい」
「うん」
「で、そのカード忘れて帰ったお客さんってのが、店長の娘さんの
なるほど。ただのお客さんが、わざわざコンビニの店員にバレンタイン事情を話したりするものだろうか、と少し疑問に思っていたのだが、元から知り合いだったのなら納得だ。
「それで?」
「杏花ちゃん家って、こっから西に30分くらい歩いたとこにあるんだよ。杏花ちゃん、すんげえ真面目な子だから、小学生の帰宅時間をオーバーして家に帰るとは思えないし、家がある方向に向かってるのは間違いないと思う」
私は自分の腕時計を見る。時刻は5時を少し回った頃だ。確かに、今から家と逆方向に進んでいたら、小学生の帰宅時間である5時半までに家に帰るのは不可能に近い。
今度はスマホのマップを開いてみる。コサコーを境にして、西側には住宅街、東側には商店街が広がっている。杏花ちゃんが寄り道するなら、この商店街なのだろうが、いかんせん店の数が多すぎる。
「杏花ちゃんはどこの店に寄る、とかは言ってなかったの?」
「いや、そこまでは言ってなかったんだよなあ」
「そっかー」
小さな落胆をため息に乗せて吐き出すと、「あ、でも」と立石が声を上げた。
「傘売ってる店かも」
「傘?」
首を傾げると、立石は勢いよく首を縦に振る。
「そう。四日ぐらい前に店長が言ってたんだよ。杏花ちゃんが傘失くしたとかで、折り畳み傘で帰ってきたって。いや、待てよ。上着も失くしたって言ってたから、服屋かも」
「え、どっち?」
「とにかく、この一週間でいろいろ物を失くしたらしいんだよ」
「それ、いじめとかじゃないよね?」
少し不安になって訊いてみる。
そんな急に物を失くすなんてことがありうるのだろうか。意図的に誰かが盗っている、もしくは取り上げられている可能性があるのではないか。
そう考えていると、立石はあっけらかんと答えた。
「それは大丈夫。親経由で、杏花ちゃんと仲良い友達2人に訊いてみたらしいんだけど、『別にいじめられてない』ってよ。『もし杏花ちゃんいじめる奴がいたら、私がぶっ飛ばしてやる!』って言ってた子もいたらしいし、多分大丈夫」
なかなか頑丈なセキュリティが付いているらしい。
「それに、その友達によると、学校にいる間は傘も上着もちゃんと持ってたらしいし、盗られたりしてるわけじゃないと思う」
それから少し考えてみたが、手掛かりがあまりにも少ない。
なんとか現状を打破しようと、私は立石の持つカードに手を伸ばした。
「ちょっとカード見せてもらってもいい?」
「おう。あ、でも裏面は見ないようにできるか? 裏面、手紙書けるようになってるんだよ。だから」
杏花ちゃんが本命宛てに書いた手紙があるかもしれないから見ないでやってくれ、ということだろう。
私だって、必要以上に人のプライベートに干渉したくはない。私は「分かった」と短く答えてから、カードを受け取った。
表面をじっと見つめてみる。……駄目だ、情報量が少な過ぎて、何の手掛かりにもならない。たかだか手のひらサイズのカードに期待したのが間違いだったのだろうか。
それにしても。
「柄すごいね、これ」
カード中央の“Dear”の文字を取り巻くように、数多のハートが狂喜乱舞している様は、なかなかに目がチカチカする。
目を眇めながら踊り狂うハートを凝視していると、立石が呆れたように頭をかきながら、裏話を明かしてくれた。
「あー、それ。店長が駄々捏ねて、この柄になったんだよ。本当は
そんな理由で。これが職権乱用というやつか。
柄の件はさておき。
カードをもう一度じっと見つめてみる。とはいえ、やはりチョコを贈る相手のイニシャルが“K”であること以外に、これといった情報はない。この“K”が、苗字なのか下の名前なのかさえ分からない。まあ、分かったところで、どうということもないのだけれど。……いや、待て。1つ、おかしいところがある。
寒そうにコートの襟元をかき合わせていた立石に、私は声を掛ける。
「ねえ、立石」
「ん?」
「杏花ちゃんがこのカード書いてる時、じっと見つめたりとかした?」
「え? いいや。そん時会計してたから、レジしか見てなかったと思うけど。それがどうした?」
顎を押さえて少し考える。
西に向かった小学生の女の子。ここ一週間で失くなった傘と上着。ハート柄のカード。そして、誰か分からない“K”。……もしかしたら。
立石に言葉を投げかける。
「あのさ。杏花ちゃん、最初は『メッセージカードなんて要らない』とか言ってなかった?」
すると、立石は軽く驚いた様子で言った。
「お、当たり。最初はあんま乗り気じゃないっていうか。はっきり『どうせ伝わらないから、カードは要らない』って言われた。でも、せっかくのバレンタインだし、『心を込めれば、きっと伝わるよ』って言ったんだよ。そしたら、『そこまで言うなら』って言って、会計の待ち時間に書いてくれた」
やっぱり。
私の推測は当たっているかもしれない。もし当たっているならば、
「多分、このカード届けなくても大丈夫だと思う。あってもなくても変わらないから」
そう言うと、立石は「は?」と思い切り怪訝な顔を向けてきた。
「それ、どういうこと?」
「えっとね……」
どこから説明すれば良いだろうか。考えがてら空を仰ぐと、夜が間近に迫った淡い紺色が視界を埋め尽くす。もうバレンタイも終わりが近い。
そう言えば、コンビニでチョコレートを買うつもりだったのに、すっかり忘れていた。
と、その時。ふと、思考の端で何かが引っ掛かった。何だろう……あ。
私の横で豪快にくしゃみをした立石に、慌てて尋ねる。
「あのさっ、立石。杏花ちゃんはコンビニで何を買っていったの?」
「え? えーと……あ、犬の形したビターチョコレートがいっぱい入ったやつを一袋。ビターチョコなんて、渋いの選ぶなーって思ったから覚えてる。一袋しか買ってなかったから、本命宛てかなって考えたんだけど。それがどうした?」
「……もしかしたら、まずいかもしれない」
「え? あっ、おい高橋!」
私は全速力で西に向かって走り始めた。
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