PM 04:28

「……やっと終わった」


 2月14日火曜日。時刻は4時半手前。

 世間がバレンタインに浮かれている最中、私は県立図書館の窓側にある机に突っ伏していた。


 何があったかと言うと。

 何の因果か、大学のレポートの提出期限が今日に固まっていたのだ。ここ一週間は下宿先のアパートにこもってずっとレポートと戦っていたのだが、いい加減アパートの風景に飽きてきた。ということで、フィールドを図書館に変え、戦い続けていたのだが……。


 その長く孤独な戦いもついに終わりを迎えた。私は勝ったのだ! ……今は若干ランナーズ・ハイならぬレポーターズ・ハイ(?)になっている気がする。大学生ーズ・ハイの方が良かっただろうか。


 まあ、それはさておき。

 せっかく一週間戦い抜いたのだから、ご褒美があってもバチは当たらないと思う。よし、今日はバレンタインだし、コンビニでチョコレートでも買って帰ろう。


 そう決めると、私はがばっと身を起こして、戦いの相棒パソコンをリュックにしまい、臙脂色のマフラーを首に巻いた。



 *****



 コンビニは、県立図書館を出て、30分ほどまっすぐ東に向かったところにある。その道のりを、私はひたすら歩いた。


「さむー……」

 吹き込む寒風に、マフラーをぐっと引き上げる。

 最近、とても寒い日が続いている。今日も例に漏れず寒いけれど、ここ一週間降り続いていた冷たい雨が止んだので、まだマシな方だ。それでも寒いものは寒い。暦の上では立春を過ぎたが、まだまだ春は遠いことを思い知らされる。


 小学生の下校時間とかぶってしまったらしく、私が歩く横を、男子小学生が数名走り抜けていった。かと思うと、今度は女子小学生が数名姦しく通り過ぎていく。彼らが向かう先は、どうやら古坂第三公園、通称・コサコーのようだ。


 コサコーは、県立図書館とコンビニの真ん中ほどに位置する、そこそこ広い公園だ。遊具も豊富なので、小学生からすれば絶好の遊び場だ。5時半に「お家に帰りましょう」の放送がかかるまで、きっと遊び尽くすのだろう。


 レポート終わりでふらふらした足をなんとか動かしながら、小学生の後を追うようにコサコーの横を通り過ぎる。

 と、その時。コサコーから「きゅうん」という小型犬の鳴き声のような音が聞こえた気がした。誰かが散歩させているのだろうか。いや、捨て犬や野良犬かもしれない。コサコーはその広さゆえ、捨て犬や捨て猫、野良猫や野良犬が多く、問題になっていると聞いたことがある。


 しかし、外から見た感じだと、犬らしき影は見当たらない。遊んでいる子供達も一切気にかけていないようだ。聞き間違いだったのだろうか。



 *****



 コサコーからまた15分ほど歩いて、ようやくコンビニ・トキウマートが見えてきた。

 ふらふらと近づいていくと、コンビニの前で、辺りをきょろきょろと見回している男性の姿が目に入る。


 その姿には非常に見覚えがあった。というか、普通に知り合いだ。


 立石春太郎。

 私の高校時代の同級生で、トキウマートのアルバイターだ。

 高2以来、ぱったりと交流が途絶えていたのだが、昨年の10月にコンビニで再開してから、それなりに関わっている。先月は一緒に初詣にも行った。


「おーい、立石」

 声を掛けると、

「あっ、え、高橋」

 随分とどもった返事が返ってきた。丈の長いベージュのコートの襟からは、トキウマートの青い制服が少しだけ覗いている。バイト中なのだろうか。


「何してんの」

 訊くと、立石は「あ、そうだ」と呟き、

「高橋、今どっちから来た?」

「え? 県立図書館の方からだけど」

「じゃあさ。髪の毛ツインテールにした、10歳ぐらいの女の子見たりしてない?」

「いや、見てないけど」

「あー、そっかあ……」

 露骨に落胆する立石。自分から訊いてきといて、若干失礼な気がしなくもない。


「どうしたの? ていうか、今何してるの?」

「いやー、これなんだけど」

 そう言って立石が見せてくれたのは、手のひらサイズの小さな長方形のカードだった。カード中央には“Dear K”と記され、その周りには赤やピンクのハートが大量に舞っている。端っこには、小さな丸い穴もあいていた。


 

「これは?」

「バレンタインのメッセージカード」


 立石の話によると、このカードはトキウマートが無料で配布しているバレンタインのメッセージ用カードらしい。バレンタインまでの一週間、チョコレート系のお菓子を購入した人に無料配布されるものだという。


 表面には、大量のハートともに“Dear”の文字が印刷されており、その後ろにチョコを贈る相手の名前を書くだけで、それなりにちゃんとしたメッセージカードになるようだ。


 ちなみに、会計の待ち時間にカードを書けるように、レジの横には小さなテーブルと様々な色ペンが用意されているそうな。なかなか用意周到である。


 さて、このメッセージカードがどうしたのだろう。

 落ち着きなく、気が急いた様子で、立石は話してくれた。

「これ、お客さんの忘れ物なんだよ。会計に気を取られて、持って帰るの忘れたっぽい」

「あー」

 もう既に“K”と記入されていたところから察するに、会計の間にレジ横のテーブルでカードを書き、そのまま置いていってしまった、ということだろう。


「さっきバイト終わって、着替えようとした時に気づいて。慌てて追いかけようとしたんだけど」

「見失っちゃった、と」

「見失ったっていうか。そのお客さんが店出てってから、もう5分くらい経ってたしな。でもさー、このカード、多分本命宛てなんだよ。それに、今日チョコ渡しに行くって言ってたし、そのお客さんに届けたくて」

「ほうほう」

「で、闇雲に探しても見つかんないだろうし、余計時間ロスしそうだから、どこ向かったか、大まかに推測立てようとしてたってわけ」


 なるほど。事情はよく分かった。

 たかがメッセージカード、されどメッセージカード。

 立石の、こういうお節介というか、優しいところが私は割と好きだ。


 私は自分を指差しながら言った。

「私、手伝おっか? 人手は多い方が良いでしょ?」

「マジか。助かる」


 こうして、私と立石の、バレンタインの謎解きは幕を開けた。

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