PM 05:13

「ちょっと、高橋どこ行くんだよっ!」

 走る私の後ろから、立石の声が飛んでくる。ばたばたと足音も聞こえてくるので、どうやら付いてきているらしい。それもそうか。


 私は振り返らずに答える。

「コサコー!」

「何で!」

「後で説明する!」

 そのまま私と立石は、冬の街を疾走し続けた。



 *****



 マフラーが首に纏わりつき始めた頃、ようやくコサコーが見えてきた。小学生の姿はもうほとんどなく、寒々しく物寂しい雰囲気が漂っていた。


 コサコーの中に入り、周りをきょろきょろ見回す。どこだ……というか、本当にいるだろうか。


「高橋、何か探してんの? というか、何でここ来たんだよ」

「ちょっと、一回静かに」


 目で見つけられないなら、今度は耳だ。走って乱れた呼吸を落ち着けながら、耳を澄ませる。と、公園の縁をぐるりと囲う茂みの中から、女の子の声が聞こえたような気がした。


 私はまっすぐに声が聞こえる方へ向かう。

 そこには、私の予想通り、杏花ちゃんらしき女の子と、段ボール箱に入った仔犬がいた。



 *****



「高橋、そろそろ状況の説明を……って、あれ? 杏花ちゃん、と……捨て犬?」

 私の後を追って、茂みに入ってきた立石が困惑した声を上げる。それと同時に、杏花ちゃんも、「拾ってください」と書かれた段ボール箱の前にしゃがみ込んだまま、困惑の声を上げた。

「え……立石さん、と、えっと……」


 杏花ちゃんは手に犬の顔の形をしたチョコレートを乗せており、その手を仔犬に向けて差し出しているところだった。私は、「ちょっとごめんね」と一言だけ断ってから、杏花ちゃんの手からチョコレートを取り上げる。


 と、

「いや、だから、これどういう状況なん?」

 立石が若干疲れたように言った。

「見ての通りだけど」

「見ても分からんよ。説明説明」


 そう言われて、私は少し唇を湿らせると話し始めた。

「まず傘と上着の話の段階で、なんかおかしいなーとは思ってたんだよね。ここ一週間、雨が降り続いて寒い日が続いてるのに、傘と上着を失くしたりするのかなって」


 杏花ちゃんの友達によると、杏花ちゃんは、学校にいる間は上着も傘もちゃんと持っていたという。つまり、失くしたのは下校中。しかし、ここ一週間は雨が降る寒い日が続いていたのだ。きっと杏花ちゃんは傘を差し、上着を着て下校していただろうに、そう簡単に傘や上着を失くしたりするだろうか。傘や上着をただ手に持っていたのなら、落として失くす可能性もなくはないが、そうではないのだ。


 加えて、立石の「杏花ちゃんが傘失くしたとかで、折り畳み傘で帰ってきたって」という発言から分かるように、杏花ちゃんが失くしたのは折り畳み傘ではなく大きな方の傘だ。あんな大きなもの、そうそう失くすものではない。


 いじめの可能性も考えたが、それも違うときた。ならば。

「杏花ちゃんは傘と上着を、意図的にどこかに置いてきたんじゃないかと思って」

「意図的にどこかに置いてきた……」


 立石は眉根を寄せて、繰り返す。あまりピンと来ていないようだが、困惑した杏花ちゃんを放置し続けるわけにもいかないので、ちゃっちゃと続ける。


「で、次に“K”の話。何でイニシャルで書いたのかなって不思議に思ってさ。だって、あのメッセージカードは、チョコを贈る相手に渡す物でしょ? それなのにイニシャルにして名前伏せる必要ってある?」

「あ……」

「書いてるところを立石がじっと見てたなら、見られるのを嫌がってイニシャルにしたのかなって思ったけど、そうじゃなかったみたいだし。だから、この“K”はイニシャルじゃなくて、フルネームなんじゃないかと思って」


 と、立石が素っ頓狂な声を上げた。

「えっ、フルネームが“K”の人なんている?」

「いるかもしれないけど、この辺にはいないと思う。つまるところ、そもそもチョコを贈る相手が人間だって考え自体が間違えてるんじゃないかってこと」

「え?」

「例えば……動物とか。そうやって考えると、立石が勧めたのに、『どうせ伝わらないから、カードは要らない』って断った意味も通るし」

 相手が動物なら、カードに書かれた言葉は理解できない。『どうせ伝わらない』のだ。


 唇が少し乾いてきた。再度湿らせてから続ける。

「じゃあ、その動物って何なのか。

 友達の家で飼われてるペットって可能性も考えたんだけど、その時、傘と上着の件を思い出して」

 そこまで言うと、立石が「あっ」と声を上げた。


「意図的にどこかに置いてきたって、そういうことか」

「うん。傘と上着は、捨てられた動物とか野良の動物にあげたんじゃないかなって思って。ここ最近、雨と寒さが酷かったし、見かねて自分のものをあげたのかなって」


 立石がふんふんとうなずく。

「要するに、杏花ちゃんは捨てられた動物か野良の動物を、どこかで隠れて世話してて、その動物にチョコをあげようとしてるんじゃないかってことか」

「そうそう。この感じだと捨て犬だったみたいだけど」


 仔犬に目を向ける。まだかなり小さい。犬種はよく分からないが、小型の洋犬らしい。垂れた耳がお洒落な白い犬だ。貰い手が見つからなくて、捨てられたのだろうか。


「はあー……なるほどな。だから、高橋、『カードは届けなくていい』って言ったのか。動物には、あってもなくても変わんないもんな」


 一つ頷いてから、私は続ける。

「トキウマートから西にあって、かつ捨てられた動物とか野良の動物がいそうな場所っていえば、コサコーここしか思いつかなかったんだよね。今日、ここの近くを通った時も、犬の鳴き声が聞こえてきたし」


 「なるほどなるほど」と繰り返す立石。しかし、すぐに「え、待って」と突っ込みを入れてきた。

「じゃあ、何でこんなに慌てて杏花ちゃんのもとに来たんだよ? 別にカードは届けなくてもいいはずだろ?」


 私はその問いには答えず、代わりに杏花ちゃんの前にしゃがみ込んだ。できるだけ優しい言い方にになるように気を付けつつ、口を開く。

「あのね、杏花ちゃん。人間には大丈夫でも、わんちゃんが食べたら危険なものがあってね。チョコレートはその一つなんだよ」


「え……」

 杏花ちゃんの顔が瞬時に強張る。やはり知らなかったようだ。


「もちろん、大丈夫なわんちゃんもいるんだけど、わんちゃんにとってあまり良いものじゃないのは確かなんだ。今日はバレンタインで、チョコレートを食べさせてあげたくなるのは分かるけど、ね?」

 杏花ちゃんはこくりとうなずき、謝罪するかのように仔犬を撫でまわし始めた。


 立石がその様子を見ながら、口を開く。

「犬ってチョコレート駄目なんだ。俺、知らなかった」

 私は、ぐっと反動をつけて立ち上がりながら答えた。


「らしいよ。個体差はあるけど、嘔吐とか痙攣を引き起こす可能性があって、酷い時は突然死も引き起こすって。特にビターチョコレートはミルクチョコレートよりも危険なんだって。さすがに一個ぐらいなら大丈夫だとは思うけど、食べないに越したことはないでしょ」


「よく知ってたな」

 びゅっと寒い風が吹き抜ける。立石はコートの襟をかき合わせながら、感心した様子で言った。


「こないだ、ちょうどテレビの動物番組で見たんだよね。時期も時期だし、全国の飼い主に向けての警告の意味もあったんだと思う。

 杏花ちゃんが隠れて世話してる動物の種類までは分かってなかったけど、万が一のこともあるし、一応コサコーここに来たってわけ」

「で、ビンゴだったわけだ」

「ありがたいことにね。まあ、犬の形のチョコ買ってたって話だったし、犬の可能性はかなり高いんじゃないかなとは思ってた」

「ほー、すげえな高橋」

「たまたまだよ」



 *****



 その後、私たちは杏花ちゃんから詳しいいきさつを聞いた。


 一週間ほど前の雨の日。杏花ちゃんは下校中に、捨てられた仔犬を発見した。雨が直撃していたのがかわいそうで、自分の差していた傘をあげた。それが始まりだったらしい。


 自分の家で飼いたかったが、生憎親は動物嫌い。そこで、自分の名前のイニシャルから“K”と名付け、隠れて世話をすることに決めたらしい。


 そして、今日はバレンタインだったので、犬の形のチョコレートを買って、Kに与えようとしていたのだそうな。


「わんちゃんに砂糖が多いものは駄目って聞いたことがあったから、ビターチョコレートなら大丈夫だと思って」

 しゃがんだまま俯いて、ぼそぼそと杏花ちゃんは呟く。横で仔犬が心配そうに「きゅうん……」と鳴いた。たったの一週間でも、それなりに絆が生まれているのだろうか。


 それにしても、杏花ちゃんは今後どうするつもりなのだろう。ずっと隠れて世話するわけにもいかない。小学生1人の力では、限度があるのだ。資金も足りなければ、知識も足りない。今回のチョコレートのようなことがまた起こらないとも限らない。


 しかし、まいった。私はどうも小さい子の相手が苦手なのだ。どうすればいいか、さっぱり分からない。


 と、立石が杏花ちゃんの横に行って、しゃがみ込んだ。そして、落ち着いた、まっすぐな声で杏花ちゃんに語りかける。


「杏花ちゃん。一度、親御さんと話し合ってみた方がいいよ」

「でも、動物は飼えないし、絶対反対される、から」

「店長、別にアレルギーってわけじゃないし、絶対飼えないってことはないよ。きっと本気で掛け合えば、考えてくれる。

 でも、一番重要なのはそこじゃない。杏花ちゃんがちゃんとお世話して、この子を見捨てないって覚悟を持って欲しいんだ。命を預かってるわけだから。きっとその覚悟があれば、店長も考えてくれるよ」

「……うん」

「よし、偉い!」

 さっきまでの真面目な雰囲気とは打って変わって、無邪気な笑顔で立石は杏花ちゃんの頭をわしゃわしゃと撫でた。











※犬にチョコレートをあげるのは危険だと言われていますが、犬種やサイズによって、危険度がかなり変わるそうです。

一応、いろいろ調べてから今回のエピソードを書きましたが、書いてあることをそのまま鵜呑みにしないようにお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る