魔法少女が珊瑚になるまでの手記(4)

 山椒魚と名付けたその特殊なアビスとの戦闘は苦戦を強いられた。


 撃退こそしたものの、倒すことはできなかった。他に頼れる仲間が、香織と未来たちがいれば話は違っただろう。


 私はその思考を頭から追い出して、具体的な対策を練ろうとしたが、慢性的な不眠症になり始めていた頭ではろくな考えが出てこなかった。


 いくらそつなくこなしているつもりでも、相当な負担がかかっていたのだろう。

 ちょっとした事件は体育の時間に起きた。


 着替えをしているときに、隣の子が小さな悲鳴を上げた。


「浦島さん、背中、どうしたの……?」


 言われて背中に触れると、ざらりとした感触が指先に触れた。人間の肌ではない。どうやら背中にも珊瑚病が広まりだしていたらしい。一番気を付けなくてはならない場所を見落としていたとは。


 しまったと痛感したときには遅く、にわかに更衣室がざわざわとし始めた。私は努めて冷静にちょっと皮膚の炎症でなどと言い訳をして、体調が悪いと適当な理由をつけて更衣室を抜け出した。


 しかし、逃げるようにして飛び込んだ校舎の廊下で、私は突然足に力が入らなくなり、そのまま倒れ伏してしまった。鼻が痛かった気がするが、あまり覚えていない。


 意識が戻ったのは保健室のベッドの上だった。


「麻美、大丈夫!?」

「おい、返事しろ!」


 目を開けて、最初に飛び込んできたのは、香織と未来の顔だった。


「二人とも、どうしたの? いま授業中じゃ――」

「良かった……」


 香織が飛びついてきたので、私は体勢を崩しそうになる。鼻をすすりながら香織が言った。


「ごめんね。いままで逃げたりして。いっぱい無理したよね」


 未来が頭を下げる。


「本当に、悪かった。友達として、最低なことしてた。酷いことも言った」


 胸の奥がきゅうと締め付けられる思いだった。


「全然だよ。酷いなんて、一度も思ったことないよ」


 目頭が熱くなって、口元は震えた。上手く言葉を紡げたかどうかわからない。


「良く泣くなあ、麻美は」


 未来はからかうように言ったけど、その目じりに涙が溜まっていたことは言わないでおいた。

 

 こうして私たちはまた、三人で魔法少女として活動することになった。もう一度覚悟を決めることで、結束はより強固になった。


 このときの感動は忘れもしないが、のちに私は、ここで二人との友好関係を取り戻したことを死ぬほど後悔することになる。もし、このときそれでも二人を遠ざけてさえいれば……、考えても所詮はないものねだりだ。


 まずは二人に戦いの勘を取り戻してもらうのが先決だった。


 そこから改めて山椒魚に臨む算段を立てる。


 一か月後、私たちは山椒魚の討伐に本格的に乗り出した。山椒魚が浦島家を襲撃したアビスではないかとする私の推察に、二人は同意してくれた。


「あいつを倒せば、欠片が手に入るかもしれないしな」


 私としてもそうであってほしかった。刃さんが持つ欠片を除けば、少なくとも二つ、あるいは三つの欠片がアビスたちの手にある。


 かつて甲殻型を倒したときのように、アビスのなかに欠片を持つものがいるのはわかっている。山椒魚はいまのところ、甲殻型や他のアビスのように複数の個体が存在するわけではない。欠片を持っている可能性は高かった。

 

 そうやく山椒魚を見つけ、私たちはチャンスが来たと意気込んだ。

 戦いは熾烈を極めた。短期決着を望んでいたが、山椒魚は戦いを学んでおり、易々とは倒せなかった。


 身軽なフットワークで適切に距離を取って守り、隙あらば容赦なく攻撃をしかけてきた。表情が乏しいため、攻撃の先読みもできない。ダメージを受けるたびに、重い一撃が身体を痛めつけた。


 それでも三人の合わせ技で、決定的なダメージを与えた。しかしやつは倒れなかった。さらに、腕を変形させ、ブレードのようにして攻撃パターンを変えたのである。


 アビスの知性と、その知性に合わせて変化する体。つくづく彼らの生態には驚かされる。

 私たちは活動限界を過ぎても、山椒魚との戦いを続けていた。速く決着をつけなければ。

 私は焦っていた。こうしている間にも運舵は体と溶け合い、珊瑚病が進行していく。


 二人には、これ以上リスクを背負ってほしくない。


 私は勝ちを急いだ。ありったけの力を込めた一撃をぶつけた。それが間違いだった。私の攻撃はあっさりと避けられ、大きな隙ができた。


 ブレードが迫る。そのとき、視界の端から飛び込んできた影があった。

 香織の細い体が、激しく揺れた。べちゃりと生暖かいものが、顔にかかった。

 私を庇って、香織が切られたのだ。変身が解け、香織の体がのしかかる。


 私は完全に身動きが取れなくなっていた。私に体を預ける香織の体重が、いつもの何倍も重たく感じられた。私のなかで、香織が小さく冷たくなっていく気がして、必死に彼女の体を手繰り寄せた。


 山椒魚は隙だらけだった。


 未来がこの好機を逃すわけがなく、山椒魚の懐に潜り込み、フルパワーの一撃をゼロ距離から見舞った。


 そのあとすぐに未来が駆け寄ってきたが、香織は既に意識を朦朧とさせていた。


 私はすぐに修復の魔法をかけた。けれど、傷は深く、私は未来に叫んだ。

「香織! 未来! 救急車!」

 けれど、それから間もなくして、香織は息を引き取った。

 魔法にできることなんて、なにもなかった。


 香織のお葬式に参列したとき、私は大声で泣き叫ぶ香織のお母さんの声を聞いているだけで頭がおかしくなりそうだった。


 どうしてなの、どうしてなのと、まるで獣の慟哭のような声に耳をふさぎたくなる。全部私のせいなんですと、人目を気にせずに大声で白状したくなる。動悸が激しくなってきて、目の前が真っ暗になってきた。


 未来に連れ出されてトイレに駆け込まなければ、私は式場で嘔吐していたに違いない。


 香織が亡くなってから、私と未来は絶えず喧嘩を繰り返した。私は些細なことに苛々するようになったし、未来も常に不機嫌な態度で私に接した。私はそれを受けてヒステリックに未来を罵った。


 未来の口からも私を執拗に傷つける言葉が飛び出した。本当はそんなことを言うつもりはないのに、言いたくない言葉が飛び出していった。


 二人して散々お互いを罵ったあとでごめんなさいとどちらが伴く泣きながら謝罪を始める。不思議なのは、泣くほどの罪悪感を抱いているはずなのに、次の日には昨日の謝罪を忘れたように、また相手を罵倒することだ。そしてまたごめんなさいと泣きわめき、謝り、お互いを慰め合う。

 深い傷を別の傷で誤魔化すみたいに。


 これが毎日のように繰り返された。

 もう私たちの関係は友達ではないなにかに変わっていた。

 事ここに至って、私と未来のなかで切れてしまったのだろう。常識や理性や感情のセーフティラインがぷつりと。


 そんな日々が続いていたから、未来が距離を置こうと言い出すのは必然だった。


「あたしたちは、しばらく関わらないほうがいい。もう、ひとりでも戦えるんだから」

「でも……」

「もううんざりなんだよ! わかれよ! お前の相手は疲れたんだ!」

「そんなこと言わないでよ……」

 未来はこちらを見向きもせず、もう一度言った。

「……あたしたちはもうひとりでも戦えるだろ」


 香織がいなくなったあと、私たちは強くならざるを得なかった。

 山椒魚から欠片は出てこず、私たちはまだまだ戦い続けるしかなかった。喧嘩をして、戦い続けて、没頭することで香織の死を正面から見つめないようにしていた。


「じゃあな」


 私は未来に泣いて縋った。いかないでと子供のようにみっともなくあがいた。けれど未来はこちらを振り向くことはなく、珊瑚病の進行した足を引きずって、私の前から姿を消した。私はそれ以上追いすがることができなかった。珊瑚病が腕や足に進行していて、まともに動かせなくなっていた。


 未来は学校にも姿を見せることはなくなっていって、そのうちに、私も学校に行けなくなってしまった。

 珊瑚病が進行して、もう隠すのは難しく、歩くことも困難だった。


 私が入院しているあいだも、未来はどこかでアビスと戦っているらしかった。それはシーゲニウスたちから聞いて知っていた。彼らは運舵の流れを追うことができる。


 もう私は乙姫を倒そうなんて考えることもできなくて、ただ病室のベッドで窓の外を眺める生活を送った。


 唯一の救いだったのは、分家で育った妹である真菜子の存在だった。

 真菜子は時折私の見舞いに来てくれた。車椅子を押されながら、散歩に出かけて他愛もないことを話していたと思う。


 真菜子の存在が、私にとっての一番の治療だった。体ではなく心の治療だ。

 真菜子は私に、魔法少女についてなにも尋ねなかった。


 きっと気を遣わせていたに違いなく、もしこの手記を読んでいるのなら、申し訳ないとここで謝罪しておきたい。


 私が行動を起こしたのは、梅雨が明け、七月に入ったばかりのころだった。

 真菜子が、浦島家に呼び戻されたと告げたのである。


「ダメよ! 行ってはダメ!」


 声を荒げた私に、真菜子は目を丸くした。

 母はおそらく、真菜子を私の後釜に据えるつもりだろう。


 私は論理的に説明をせず、ただ感情の赴くままにダメだと繰り返した。

 真菜子にはなにも知ってほしくない。こんな残酷な世界を知らずに生きてほしい。


「いい? 姉さんの一生のお願いよ。絶対に浦島家に帰ってはダメ。なにがあっても」

 真菜子はこくりと頷いた。

「あの人たちは自分たちのことしか考えていないのよ」

「未来さんも、同じことを言ってたわ」

「えっ?」


 真菜子の口から未来の名前が出たことに私は驚いた。


「どうして未来を知ってるの?」

「未来さん、最近姉さんの容体を尋ねに、ときどきうちへ来るんです。ときどき浦島の屋敷に行ってるみたい。この前浦島家に呼ばれたとき、あの人と未来さんが口論しているのを見たの。未来さんとはそこで知り合って……」

「未来はなにをしに行っているの?」


 真菜子は首を横に振った。


 真菜子が帰ったあと、私はベッドの上で考えた。どうして未来が浦島家に……。

 未来に電話をかけても繋がらない。


 私はパートナーのシーゲニウスの反対を押し切って、久しぶりに変身した。魔法を使えば、飛べるため、足を使わなくても済む。


 私はベッドから抜け出して、浦島家へと向かった。

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