魔法少女が珊瑚になるまでの手記(3)

 浦島家が襲撃されてから一週間。私たちの状況は一変していた。


 襲撃のあった夜、家には祖母と母がいた。

 アビスは家に侵入すると、まずは母を襲った。母は動じなかっただろう。浦島家の人間には運舵が流れているため、魔法少女ほどの力はなくとも、呪術は心得ている。


 母は祖母を守りながらアビスと戦った。アビスは家じゅうを引っ掻き回すとその足で神社に向かった。


 香織はこのタイミングで家にやってきた。海に行った際、私の荷物が香織の荷物に紛れてしまっていたらしく、それを届けに来てくれたらしい。


 ガラスの割れる音がして、香織は家のなかに上がった。すると倒れている祖母と、荒らされた家の惨状を目の当たりにし、私に電話をかけた。


 香織は祖母に言われて神社へと向かった。しかし既にアビスは逃げおおせており、母とは入れ違いになったらしい。


 私が到着したのはそれからまもなくである。香織は未来にも連絡を入れており、私たち三人は母から事情を聞いた。


 その結果、神社で奉納されていた玉手箱の欠片が二つとも消えていることを告げた。

 アビスの仕業だった。


 私は刃さんから聞いたことを、母たちには隠し、香織と未来に伝えた。


「麻美のお母さんが乙姫の居場所を知っていたら、この戦いを終わらせられるわね」

「いや、わからないぞ。前に麻美の家庭環境は聞いたけどさ、あの母親は知っていたとしても教えてくれないだろうし、もしかすると本当に知らない可能性もある。仮に知っていたとしても、どうやって乙姫を倒すのかも考えなくちゃいけない」


 私はおっかなびっくり尋ねた。


「そのさ、責めないの? 私の先祖が諦めたせいで、こうして終わりの見えない戦いをしているのに」

「麻美。前も言ったじゃん。わたしは麻美が困ってるから力になってあげたいの」

「だな。先祖がやったことだ。麻美は悪くないだろ」

「……ありがとう。二人とも」


 本当は二人だって辛いはずだ。それでも弱音を吐かずに、私に協力してくれている。なんとしても、戦いを終わらせなければならない。


「ひとまず、悟られない程度に探りを入れてみるよ」


 情報を共有したところで、香織が思い出したように尋ねた。


「ねえ麻美。浦島家の人って運舵の呪術で家や神社に結界を張ってるんだよね?」


 私は香織の言わんとしていることを理解した。つまり香織はアビスがどうやってその結界を破り、欠片のありかを突き止めてまんまと盗み出したのか疑問に思っているのだ。


「うん。そもそもアビスが浦島家を特定して欠片を盗み出すと考えるだけの頭があったことに私は驚いたけれどね」


 アビスは弱体化する一方で知性が失われている。物事を考える力はないようで、戦いにおいても単純な動作でしか攻撃をしてこない。


 すると未来が言った。


「こうは考えられないか? いままでの戦いから、アビスが欠片を持つごとに強くなるのはわかってる。いまアビスたちは、結界を破れるほどの力を、欠片によって手に入れている」


 浦島家に保管していた欠片と、私たちが回収した欠片、そのほかに、第三の欠片が既にアビスたちに渡っている。未来の説は納得できるものだ。


「そうなるとまずいな。アビスが欠片を三つ持ってるんだ。前みたいに甲殻型が現れても不思議じゃない」


 そう言った未来の予想通り、またしても甲殻型が出現するようになった。

 それも数が前より格段に増えていた。二体同時に現れるのはまだいいほうで、酷いときには四体が同時に出て来たこともあった。甲殻型は強さもより増していた。一体一体の強さが以前とは比較にならなかった。

 

 焦燥感が募るなか、私は報告日に、母に尋ねた。


「お母さま、乙姫の居場所になにか手掛かりがないか、ご先祖さまから聞いてはいらっしゃいませんか?」

「そんな情報があればとっくに話しています」

「どんな些細なことでもいいのですが」


 母は目を細めた。記憶の断片を拾い集めているのだと思っていたが、そうではなかった。母は私に異変を感じ取ったらしい。


「麻美、あなた、隠し事をしていないかしら?」


 蛇に睨まれたような居心地の悪さを感じた。深く追求されるのを避けたかったので、私はとぼけることに必死だった。


「どういう意味でしょうか」

「……まあいいわ。話はそれだけかしら? 早く欠片を回収してちょうだい」


 私が頷くと、母はそそくさと部屋を出ていった。


 母はやはりなにも知らないのかもしれない。私は祖母にも話を聞いたが、祖母は首を横に振るだけだった。


 これと言った成果を上げらなかったことを香織たちに話すと、さすがの二人も落胆の色は隠せていなかった。

 特に未来は大きな問題を抱えたような、とても厳しい顔をしていて、私は申し訳が立たなかった。


 私たちはまた苦戦を強いられるようになっていった。

 

 香織をなるべく戦わせないようにすることもままならず、事態は悪化の一途を辿るばかり。


 盗まれた欠片を持つアビスにも接触する機会はなく、ただただこちらが消耗されていく。


 天真爛漫な香織の顔には影が差し、いつも楽観的で飄々としている未来は常に張り詰めた顔をしていて、私は眠れなくなっていった。


 三人とも、相当な疲労が溜まっているのは明白だった。そうなれば、望まずとも心は荒んでいく。


 私たちに亀裂が入ったのは、そんな日々が続く秋が過ぎ、冬に差し掛かった頃だ。


 戦いを終えて帰る途中、ふいに未来がその場で倒れた。私と香織が駆け寄ると、未来は足を抑えてうずくまっていた。私はまさかと思い靴を脱がせると、背中に怖気が走った。


 私の顔を見て、未来は疲れ切った顔で笑った。


「あーあ、クソっ。バレちまったか」


 未来の足は真っ赤な珊瑚に成りかけていた。

 私は眩暈がして、その場にうずくまって泣き出してしまった。とうとう、未来まで。


「約束したじゃない。どうして言ってくれなかったの」


 香織が珊瑚病を発症したとき、私たちは誓った。これから症状が現れたら、真っ先に申告すると。


 未来ははあとため息をついて言った。


「うるさいな、あんたがびーびー泣くからに決まってんだろ」


 呆れたようなものいいだった。香織が注意する。


「ちょっと未来、そんな言いかた――」

「そんな言いかた? 別にいいだろこれくらい。あたしだってこんなわけのわかんねー病気になって参ってんだよ! 親とか友達とか見つかったらどういう反応されるか、香織にだって想像つくだろ!」

「それは……そうだけど! いまここで言ったってしょうがないでしょ! 麻美の前で言わないで!」


 穏やかな香織が声を荒げるところを、私は初めて見た。きっと未来もそうだったに違いない。気圧されたのか、勢いをそがれた未来はつぶやくようにいった。


「……けど事実だろ。あたしらは魔法少女である前に中学生だ。生活だってある。学校の成績だってどんどん落ちてきてる。それを痛感してんのは香織だろ」


 痛いところを突かれたのか、香織は押し黙った。

 香織は成績がよく、学年では常にトップの成績を誇っていた。けれど前回の定期考査では順位を格段に落としていたのを、私は知っている。


「でも、麻美に……」


 香織はどこまでも私を気遣ってくれている。きっと未来だって、言いすぎてしまったと思っているだろう。それは顔を見ればわかった。


「いいよ香織。未来の言ってることは正しいよ。いままでありがとう。本当に二人には感謝してもしきれないし、とても申し訳なく思ってる。だから、やっぱり、私ひとりでやるよ。これ以上無理はさせられない。元々これは浦島家の問題だし、二人は元の生活に戻るべきだよ。言い出せなかったのは、私の弱さ。二人はなんにも悪くない」

「でも……」


 香織はまだ悩んでいるようだったが、未来は違った。肩の荷が降りたようにふうと息を吐き出すと、ひとりで立ち上がった。


「じゃ、あたしは行くよ」


 香織はしばらく、未来の背中を目で追っていた。


「香織、未来、ひとりだと心配だから行ってあげて。私は大丈夫だから」

「……うん」


 二人の背中を見送りながら、私は胸のつかえが取れていく気がしていた。心は凪いでいた。


 二年に進級するころには、私もとうとう珊瑚病を発症した。

 いままで三人で戦っていたぶんの、香織と未来に背負わせていた苦労を思えば、自明の結果だった。


 けれど、ひとりで戦う頻度に比例して、魔法少女としての自力がついてきた。魔法のバリエーションや近接戦闘のコツ、的確にアビスを倒すテクニックを身につけていった。


 惜しみなく魔法を使うので、そのぶん珊瑚病は進行したが、幸いなことに私の珊瑚化は胴部から始まっていたので、授業では体育の着替えさえ気を付ければ周囲に影響はなかった。ラッキーだったのは、健康診断が終わっていたことだ。


 もちろん体力を使う分心はすり減っていったけれど、私は案外、なんでもそつなくこなす方だったらしく、成績は落とさなかったし、友人関係も良好だった。


 ただ寝不足を隠すのはなかなか難しくて、何度か早退はした。

 二年になると香織と未来とはクラスも離れていて、二クラス合同の体育こそ一緒だったが、あまり話はしなくなっていた。


 そのアビスと出くわしたのは、四月の下旬。雨で桜が散って、地面を花びらが汚す季節だ。


 外見は甲殻型に近いが、明らかに思考する知性を持っていた。まるで亀の木乃伊のようなグロテスクな頭部と、山椒魚のようなぬらぬらと月光を反射する胴体。

 私は元来のアビスと逸脱した特徴から、浦島家を襲撃したのはこの個体だと当りをつけた。

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