魔法少女が珊瑚になるまでの手記(2)
私は香織に泣いて詫びた。もっとも恐れていた自体が、予想をはるかに超えた速さでやってきた。泣き崩れて謝罪する私に、香織は笑って言った。
「黙っててごめんね。きっと麻美は自分のせいだって思うから、つい避けちゃって」
香織は健気だった。私に気を遣って、まずは未来に相談していたという。
私は情けなくなった。二人は私を傷つけまいとしていたのに、それすら気づかないとは。
シーゲニウスに見初められ、魔法少女となる決意を固めたのは本人の意思だ。けれど私はそれが自分のせいで起きた宿命のような気がしてしまって、香織の顔をまとも見られなかった。
「大丈夫だよ、麻美。私は大丈夫。だから、速く乙姫を探し出して、戦いを終わらせようよ」
私は香織の懐の広さに畏敬の念すら抱いていた。彼女はまだ自分と戦おうとしてくれているのだ。
私は二人に、これから珊瑚病の兆候が現れたらすぐにでも知らせるよう誓わせた。
香織の珊瑚病はまだ初期の段階であった。魔法を使って戦っても、それが長引かなければ症状が進行することはない。
私と未来は香織をできるだけ戦闘から遠ざけた。
私は積極的に前線に出た。二人の負担を少しでも軽くしてやりたかった。
元を辿ればこの戦いは、私の先祖が招いたものだ。
乙姫も、玉手箱も、アビスも、すべての問題は私一人で片づけるつもりでやる。
週に一度、魔法少女としての活動を報告する日が設けられている。
私と母が会話をするのは、この報告日の数分だけだ。
この報告日が、私は大嫌いだった。母と会話をしなければならないからだ。
浦島家の家族関係は歪で、一般的な家族のイメージとはかけ離れているだろう。家族でどこかへ出かけることもなければ、テレビを観ながらおしゃべりしたことは一度もない。
愛情を受けたことはないと言っていい。
現在浦島家は祖母、母、私しかいない。祖父は私が生まれる以前に亡くなり、父は妹が生まれるやいなや、浦島家から出て行ってしまったらしい。妹は運舵が乏しいため、分家の深波家へ追いやられた。
浦島家が欲しいのは魔法少女の素質を持つ人間だけなのだ。
母の部屋に入り、ここ数日の出来事を報告する。
『香織が珊瑚病を発症したため、前線には私が出ています』
『そう。それじゃあ、戦いは厳しくなるわね』
母は香織を気に掛ける素振りすら見せない。私たちのために戦ってくれているというのに。労いの言葉もないのか。
『それで、玉手箱の欠片は見つかったのかしら。乙姫の行方は?』
『お母さまっ』
腹に据えかね母を呼ぶと、母は厳しい眼で私を睨みつけた。
『聞こえなかったかしら?』
『いえ、まだ、手掛かりは。アビスの討伐は続けておりますが、数が減っているのか……』
『言い訳は聞きたくないわ。浦島家の目的は乙姫をこの世から消し去ること。そして玉手箱を永久に管理することよ。いくらアビスを討伐しても、意味はないのよ』
『……申し訳ございません』
『次は良い報告を期待しているわ。行きなさい』
それだけ言うと、話は終わったと言わんばかりに部屋の襖を扇子で指した。
この頃から、私のなかにはある種の疑念が生れていた。
母も、祖母も、そして曾祖母も、いままでの魔法少女たちは、一体なにを思って戦ってきたのだろう。
浦島家の人間は自分の人生をどう思ってきたのだろう。
珊瑚病のリスクを抱えて、アビスたちのとの終わらない戦いを演じて、そして子を作り、またその子が魔法少女となり戦う。
終わりの見えない戦いは、永遠に続く戦いと同じだ。
私が、香織が、未来が苦しんでいるのは、先祖たちが乙姫を倒すことができなかったからではないのか?
自分は、ただ先祖のつけを払わされるために生まれてきたのか?
私はなるべくこの考えを忘れようと努力した。
いつか戦いは終わる。いつか、戦いは終わる。そう、自分に言い聞かせて。
夏休みも中盤に差し掛かっていた。私と香織と未来は海水浴に出かけた。
本当はクラスメイトの何人かで出かける予定だったのだが、香織の珊瑚病を慮って三人にしたのだ。
アビスが出現するのは夜だ。たまには魔法少女のことを忘れて、のびのびと遊びたかった。
二人が飲み物を買ってくるというので、私は荷物番を引き受けた。
彼女はまるでそれが当たり前であるかのように、いきなり私の隣に座ってきた。
「あの、場所、間違えていませんか?」
言うと、彼女は片手に持っていたビールをぐいと煽って、私の方を向いた。
「いやあってるよ」
堂々と言われてしまうと、逆にこっちが間違っているような気がしてきた。
第一印象はクールなお姉さんだ。派手な水着にサングラスをかけ、片手にはビール。どこかの大学生だろうか……。もしかしたら危ない人かもしれない。
どうしたものかと困惑していると、
「お前、浦島家の人間だろ? あれか。
「え?」
麻衣子は母の名前だ。
「あの、親戚の方ですか?」
「あー、まあそんなとこだな。名前は、そうだな刃だ」
うちの家系図を頭のなかから引っ張り出す。浦島家と深波家、その両方に、刃と名の付く人物はいないはずだが……。
「それで、私になにか……?」
「お前、乙姫がどこにいるか知ってるのか?」
乙姫について知っている。つまり刃と名乗ったこの女性は、少なくとも浦島家の内部事情や魔法少女について知識があるようだ。
「その前に、あなたの素性について教えてください」
「安心しろ。アタシは敵じゃねーよ」
「証拠がありません」
「疑り深いのは良いことだが、過ぎればせっかくのチャンスすら棒に振ることになるぞ。そうは思わないか? そこの鞄に入ってる妖精ちゃん」
私たちは普段から自分の荷物のなかにシーゲニウスを隠している。一般人はシーゲニウスが見えない。では少なくとも、運舵を持っているということだ。
私は警戒のレベルを下げた。
「……乙姫の居場所の目途は立っていません。この島のどこかにいるとしか」
「だろうな。いまの浦島家ってのはそういうもんだ」
「あなたの口ぶりは、乙姫がどこで眠っているか知っているように聞こえますけど」
「知ってると言ったら?」
「嘘です。浦島家が何十年もかけて、それでも見つかっていないのに」
「じゃあ、お前らが嘘の情報を与えられているとしたら? 話は違ってくるんじゃねーのか」
「どういうことです?」
「おっと、お友達が来たみたいだな」
そういって刃さんは腰を上げかけたので、私は待ったをかけた。
「今日の夜九時。もう一度ここに来い。お前ひとりでな。アタシが知ってることを話してやる」
先ほどまでの明け透けな態度とは打って変わって真剣な表情に、私は妙な納得をしてしまっていた。
悩んだ末に、二人と別れたあと、私は家に帰るふりをして、もう一度海へ引き返した。
刃さんは昼間と同じ場所で立っていた。
「来るかは半々だったが、お前は来るほうを選んだわけだ。その点、見込みがある」
「下手なお世辞はいりません。それで、あなた知ってることとは?」
「どうして浦島家が乙姫を長い時間見つけられないか、考えたことはあるか?」
「もちろんです。でも、乙姫は巧妙に姿を隠している」
「それはお前の先祖がついた嘘だよ。浦島家の人間は、乙姫がどこにいるのか知っている」
私はその言葉を信じていなかったため、冷静に問いを投げた。
「じゃあどうして、いますぐにでも退治にしにかないのですか?」
「勝てないからだよ」
心臓が止まる思いだった。勝てない。この言葉が腑に落ちる。どうして腑に落ちるのか、頭が徐々に理解し始めていても、納得ができない。
「乙姫が復活すりゃ、世界なんて木端微塵だ。だからお前の先祖は、ある日諦めた。乙姫の眠りを妨げず、人間を害そうとするアビスの駆除を行う。アビスは乙姫の復活を行うために玉手箱を完成させようとしているからな。それさえ防げば、世界は平和を演じ続けられる」
「ちょっと待ってくださいよ。じゃあ魔法少女のしていることって」
「長い目で見れば、その場しのぎだ」
そんなことがあるだろうか。では、いままで珊瑚となっていった魔法少女たちは、乙姫を退治するという餌をぶら下げられ、体よくアビス狩りをさせられていただけになってしまう。
「お前は知らないだろうが、魔法少女たちはそれこそ何十年も、玉手箱の欠片の争奪戦をしているのさ。欠片の多くがやつらの手に渡っていた時代なんて、馬鹿みたいに強いアビスがゴロゴロいたんだぜ」
「玉手箱の欠片は、全部で七つあると聞きました。うち二つは浦島家の神社に奉納されています。じゃあ、残りの五つはもう、やつらの手に……」
「安心しろ。少なくとも一つは永遠にやつらの手には渡らない。なぜならアタシが持ってるからな」
「持ってるって、どこに」
刃さんは、ここ、と言って自分の胸を指さした。
「アタシのなかにある。ただ残念ながら、アタシはこの欠片に呪われていてな、自分で取り出すことはできないんだよ」
すると、私の携帯に電話がかかってきた。香織からだ。
もしもしと言い終わる前に、香織が切羽詰まった声音で叫んだ。
『麻美、無事なの!? いまどこにいるの!?』
「どこって、ちょっと外の散歩に」
『あなたの家が襲われたのよ! アビスに!』
「なっ! ……わかった。すぐに行く」
私が電話を切ると、刃さんはどうしたと目で問うてきた。
「家が襲われたらしいです。アビスに。すぐに戻らないと」
「随分と冷静だな」
「薄情かもしれませんが、私はあの家があまり好きではないので」
「そうかい。アタシも浦島家は大嫌いだよ」
「刃さん、また会えますか?」
「さあね。なにしろアタシは呪いのせいで一年に一度しか陸に上がれない。地上の問題には手を出せない。お前が生きていれば、一年後の今日には会えるだろうな」
「まだ、聞きたいことがあるのに……」
「心配するな。アタシの知っていることは話したよ」
私は逡巡してから、刃さんに頭を下げ、陸へ向かって走り出した。
冒頭で示した通り、私は珊瑚になる。刃さんと話したのはこれが最初で最後だった。
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