第27話 地下アイドルの地母神アテナ

「みなさーん、ありがとうございましたー! 今日午後八時から、ライブハウス・デルフォイで行われる定期ライブもよろしくお願いしますねーっ!」


 電気街の中心である駅前広場にて、可愛らしくも芯のある声が群衆を射貫く。人混みを貫いて遠方の人も振り向かせ、多数の心を射止める。

 童女がぺこりと頭を下げれば純白のヴェールが可憐に揺れた。今朝新たに到着したウェディングドレス風コスチュームから、絶賛魅力を引き出し放題だ。

 派手な衣装と神聖な童女は衆目を集め、群衆を引きつけ足を大地に縫い付ける。


「さすがにそろそろ指導が入るかもな……これまで何もなかったのが異常だ」


 十字の民との戦いから、経過するコト何事もなく五日。戦闘自体の露見がそもそも発生していない。広場の損壊は信仰の光によって修復されていたこともあり、配信された超常は編集として見做され、人々の記憶から薄れてしまったらしい。

 この世界は残酷だ。あれだけやって大規模に名を売れないとは。

 勿論アテナの存在を許さない彼らが、映像の拡散と定着を防いでいるのだろうが、それにしても悲しいことである。


 やはり地道に活動を続けるほかない。

 だからこうして、彼女は今日も舞い踊る。

 あのいざこざの後もストリートゲリラライブは日課として定着し、日が経つにつれて観客数は増加。新規の方も十数名いるが、最前列では――


「アテナ様ー‼」

「アテナさーん!」


 最初期の信者ファンたちが熱烈にコールしていた。特に熱狂的なのは信者ファン筆頭リーダーを名乗るコスプレイヤー兼英雄と、近頃になって信者ファン副長サブリーダーを拝命した少年だ。アテナを一時的に守った一件以降、信者ファンの間で尊敬の声が高まり、敬意を表す役職を与えようとなったらしい。


 中々に進展が早い。信者ファン共同体コミュニティの拡大は望ましく、熱を上げる機運が高まるのも歓迎ではあるが、何事も行き過ぎると毒だ。参入に壁が出来てしまう可能性があるが、折角の活発な活動を抑制するのも躊躇われる。英雄が弱毒に成功して、薬に変えている最中でもあるのだから。

 一体何から手を付けるべきか。

 やるべき今後の課題は山積みな上に、俺の担当はまだまだやりたいことがあるときた。

 今だって、


「生配信、でしたっけ? 私たちもやってみましょうよ、神官マネージャーさん! 隠野還乃があれをやってくれたおかげで、たくさん力も増しましたし!」


「お前、インターネット嫌いじゃなかったのか……そもそもあの突発配信は、元々多くのフォロワー……信者ファンを抱えていた彼女だからこそ成立することでな……広告とか企画だとかの下準備が肝要だし、すぐに忘れられてしまうし、そうならないよう継続して配信をすることで初めて固定リスナーが期待できるからスケジュール調整も重大で……大体、最低限の機材と場所を用意してクオリティを確保しないとだな……」

「お話がすごく長いです! 私は可愛いので大丈夫です、ずばーんとやっちゃいましょうずばーんと‼ 面白トークでちゃちゃっと盛り上げますよ!」

「お前炎上しそうだから、俺が前もって台本書くわ……」

「な⁉ ひどいです! 信用はどこへ⁉」

「俺はお前を信仰してるはずなんだけどな」


 その二つはどうやら別物のようだ。確実にしでかしてくれるという、ある種の信頼があるのかもしれないが。


「台本無しでインターネット偶像アイドルやりたいんです! 私は! 自由を求めます!」

「女神が言う台詞じゃないな。神格イメージのためにも一度諦めた方がいいぞ」

「嫌です! やらせてくれると言うまで私はここを動きません! 帰りません!」


 座り込むな衣装が汚れるしみっともない――なんだこの心情は、父親か?


「お前は子供か? いや子供だったな……仕方ない。お前がその気なら、俺にだって考えがあるぞ」

「考えってなんです――にゃーっ⁉」


 路上に座り込もうとする童女の首根っこを、機材と同じ扱いで掴むことになろうとは。俺がやけに重たい荷物を引きずっていると、例のコスプレイヤーが声を掛けてきた。


「お疲れ様です、神官マネージャー殿」

「お疲れ様、ペルセウス。今日も来てくれてありがとうな」

「いえ、アテナ様の元へ馳せ参じ、威光を広めるお手伝いをするのはボクの使命ですから! この後には信者ファン一同でファミレスに集まり、アテナ様を布教するための会議があってですね――」

「そ、そうか、ありがたい。じゃあまた、明日にでも」

「ええ。明日もきっと、そしていつでも、英雄は参じましょう。それでは!」


 ギリシャ神話の英雄が日本のオタクに馴染み過ぎだろう、との感想を強めている間に、信者ファンたちはペルセウスに率いられて退散していく。去り際に美丈夫は振り返り、ウインクまで残して去る。


「ほんと、何から何まで悪いな……」


 彼がああして二次会じみたことを取り仕切るおかげで、厄介な信者ファンが発生していない。距離感が近い地下偶像アイドル――しかもアテナの容姿がここまで幼いとなれば、トラブルはひっきりなしにやってきてもおかしくないのに。

 平和を支えているのは、間違いなく偉大な英雄だった。

 だというのに、あの英雄の主――我らが女神様はというと、


「うぅー、新たな世界でも私を届けたくてですね!」

「夢をただ呟いてないでしゃんとしてくれ。さしあたっては自分の足で歩いてくれ」

「むー、仕方ないですか」


 しぶしぶ立ち上がったアテナと共に街を歩く。多種多様な喧騒はそこかしこから聞こえてきて、この場所が不変であることを象徴していた。

 絶えず変化し続けるという性質こそが、恒常。

 流動的であるからこそ空白が生まれ、新規が入り込むスペースが成立する。俺たちにとっては望ましい環境であるが、研鑽と進化を絶やせばすぐに濁流へ呑まれてしまう。


神官マネージャーさん、あれ」


 アテナが上方を指し示すと、そこには高層ビルの中ほどに埋め込まれた巨大スクリーンがある。全体を見るにも困惑する大画面の中では、見知った人間が輝いていた。

 隠野還乃だ。

 液晶の中の少女は新曲を見事に披露した後に、全国ライブツアーが決定したことを知らせている。

 本当に遥か高みの存在。パフォーマンスだって、異次元そのものだ。二次元からそのまま飛び出してきたと言われても、信じ込んでしまいかねない。


「私もすぐにあそこへと行けるように、もっともっと歌や踊りを鍛えねばですね! 隠野還乃のレベルを追いつき追い越せもっと高位へと!」

「ああ。だが、アテナはもう超えてるよ。純粋な質ならな」

「そんな、そんな! 神官マネージャーさんが私の信奉者で、私のことが大大大だいっすき――というのは分かりますが、言いすぎです! 贔屓しすぎです!」

「いやまあお前のことが大大大好きなのは確かだし、狂信もしているが――お前と還乃じゃ強みが違う」


 あどけなさを強調した童女の首傾げを見ると、言葉を補う必要がありそうだった。


「アテナと還乃の差は、完全さと不完全さだよ」

「後者は単純な欠点では? それに、あれだけ練習していた彼女がそんなこと――」


 アテナは疑問符を発したまま映像を見つめ、はっとした。


「俺にとっては正直微差なんだが、アテナにならよく分かるんじゃないか、あいつの極小の震えと緊張が。今まで気づかなかったのは先入観だろ。なにせ最初に見た偶像アイドルが、還乃なんだから」

「え、あれ、うそ、あれだけすごかったのに――」


 先入観が取り払われたのか、それとも人気偶像アイドルに対する信仰があったのか、アテナの瞳が驚愕に揺れた。

 やはり彼女も例外なく、還乃の信者ファンに近づいていたか。信仰心を取られる神本人が間抜けなのか、はたまたかの少女が規格外か。


「あいつは練習じゃすごいんだよ。でも本番となると話は別だ。とんでもないあがり症、緊張がひどいんだ。だがそうだからこそ、隠野還乃は馬鹿みたいに嘘みたいに練習する。どんなに努力を積み重ねても性分は変えられないから、緊張が消えることはないんだが――その弱さが、極めて強く信者ファンを引きつける」

「儚いからこそ美しいだとか、脆いからこそ尊いだとか、そういうことですか」

「もっと単純に、応援したくなるって話だよ」


 棒立ちで上を眺めている童女が、呼気を大気にそっと溶かした。


「私には不可能なやり方です……一体、どうすれば出来るようになるのでしょう……やっぱり完璧な私じゃ……」

「別に出来なくていいんだよ。アテナの強みは別――完全無欠の神様みたいな可愛さなんだから」


 俺は彼女の手を引いて、歩みを再開する。


「――よく言いましたっ! 我が神官マネージャー!」


 遅れて後ろから付いてくる足音が、傍らにくる。並んで歩くこと数分で、どこかから清らかな歌声が流れてきた。電気によって響くのではなく、肉声だ。音の重なりから歌手は女性二人であり、この荘厳な旋律は宗教歌のそれだ。

 息をのむ。


「――アテナ」

「はい、行きましょう」


 路地裏を通って、開けた場所に出た。そしてそこには予想通り修道女が二人。修道服の黒い頭巾から流れる髪色は、金と赤だ。赤髪の方は両手を組んで瞼を閉じながら祈り歌い、もう一方は歌唱しつつも、両手にチラシをもって興味を抱いた通行人に差し出していた。

 全身に力が入る。


神官マネージャーさん、大丈夫です」


 とん、と手を叩かれたことで、俺は自分自身の異常行動を知覚する。

 この右手はスマートフォンを早急に取り出し、ペルセウスへのコールボタンに指を伸ばしていた。彼女らの姿を認めた途端の無意識行動がこれである。


「彼女らに敵意はありません。そうでしょう、十字の民」


 アテナの呼びかけを聞き取り、不機嫌そうに振り向くのはフィルアだ。


「うん、ないよ。敵意がないというより、敵対できないって感じかな。今のオレたちには、力がないから」

「なんだそれ。俺には信じられないぞ」

「信じてほしくもないね。ただ、オレたちが二人だけでこんなことをしているって事実を見れば、遅かれ早かれ分かっちゃうだろ? そこのアイドルは特に」

「――『異端』と、なりましたか。組織から、追放されたと」


 たった一語、わずか三音で、歌声が止まる。形のいい、しかし重たい瞼が開いて長い睫毛が艶めき、粘着質な視線が放たれた。

 あの戦いで信仰を得てアテナに抗した――つまりはある種の偶像アイドルと化した――シスター・シルフィその人がこちらを凝視している。


「ワタクシは自身を異端だとは思いませんわ。この身は主のため、過去も今も正しい行いを貫いていると、そう強く考えています。教会本部は異なる考えのようですが」

「だというのに、布教をしているのは何故でしょう?」

「オレたちには力が必要なんだよ。どうしても、人々からの信仰が要る。二人でもやっていけるようにな」

「ワタクシは最後の最後まで自分自身を信じられなかった。であれば今度こそ信じ切れるようにするだけのこと。重要な時に意思を微塵も曲げぬように、日々布教を積み重ねるのがワタクシにとり最上の選択である――単純でしょう?」


 まっすぐだ。雑多な環境の中で、眩しいくらいに一直線の意志。


「それでは、失礼しますわ。ワタクシたちにはやるべきことがあるので」

「待ってください。最後に一つだけ」

「なんでしょう?」

「何故、歌を選んだのですか?」

「主の輝ける威光を伝えるにあたり、聖歌は最も相応しいから――ですわね」


 では、と短く残して二人の修道女は去っていく。


「いいのか、これで? また何か――」

「いいんですよ、これで。歌を邪魔しては、どこかの誰かと一緒です。もしリベンジに来ても、返り討ちにして差し上げましょう!」

「そうか」


 自信満々に宣言した後、アテナから落ち着きが消えて――代わりに高揚が小さな体を満たしていく。

 もう何となく、彼女の言いたいことは分かる。分かってしまう。さてやるべきことは……スピーカーの準備か。


「聖歌、綺麗でしたね!」

「ああ」

「私たちも負けていられませんね!」

「ああ、そうだな」

神官マネージャーさん、一つお願いがあるのですが!」

「――なんだ? ねだられても、どうにもできないことはあるぞ」


 マイクの手入れも万全。機器を動かすバッテリーも、まだ残量がある。


「ここで一つ、歌いたいのです。ライブを、したいのです! ニューパフォーマンスとしてやりたいことも思いついたので」

「そういうと思って、今準備してるところだ」

「さすが、私が選んだ神官マネージャーさん! さあ、いきますよ!」


 スイッチを入れ、純白の手にマイクを渡す。MC用のBGMを再生して、これで準備は完了だ。

「刮目してください! これが新たな私の武器、神槍のバトンパフォーマンスです!」

「おい、やめろばか――」

 

「みなさーん、はじめましてー! みなの偶像アイドルにして神様、アテナです!」


 ――偶像アイドルはそれでも歌う、電気街にて。

 己の槍を振り回し、踊って歌って人を魅了する。

 今ここに、新たな神話がまた一つ。

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ソシャゲのガチャに負けて信者を奪われた女神アテナが、地下アイドルになる話 はこ @ybox

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