第26話 信仰と似た偶像

「『占いは信用できない お御籤も信頼できない 夜空はとうに真っ暗で 星座なんて一つも見えないね』」


 アカペラだった。マイクはない。十字の民との戦闘に忙しく、彼女の両手は塞がっている。それでも十分に届くはずだ、届かせるはずだ。安定した音程と目を見張る声量は、特訓によって裏付けられている。

 曲を、流さねば。ここ数日ではあるが、濃密かつ必死に練習した成果を最高の形で届けることこそが、神官マネージャーの存在意義。


 重い身体をかろうじて動く腕だけで引きずって、スピーカーの元へ。倒れた機械を立て直してスイッチを入れ、ボリュームをいじる。既にスタートしている歌唱に追いつくよう、曲を進めて合わせていく。

 身体に染み込むほど聴き慣れた旋律。戦乱の中でも機材が壊れていなかったのは、まさしく神の奇跡か。


「『何もかもがあやふやで 自分さえも信じられない そんな時だってあるよね』」 


 純白の球体が降る。天から灯かりが落ちてくる。雪のように引かれてく粒子は星に引き寄せられるのではなく、一人の童女に繰り寄せられていた。

 まるで神話のワンシーンだ。やはり、俺一人が注ぐのとは比べ物にならないほどの感情が小さな体躯に集まっている。

 童女が武装を振り回すと、先端が宙に軌跡を残して金の大輪を描く。神聖そのものが激突する戦闘の中で、絢爛な舞踏が華を添えていた。


 女神アテナに最も合ったパフォーマンスに違いない。

 戦争と知略の幼き女神。

 それが彼女の本質だ。よって、かの偶像アイドルの輝きが映えるステージは戦場となる。


「『ならばそうわたしがもう あなたの神様になってあげる!』」


 闘争には何一つ寄与しない動作は、大量に積み重ねた振り付けの一つ。長物をバトン代わりにして、舞う童女。自在に稼働する手足が、意識も視線も集中も絡めとって――全てを彼女のモノとする。

 敵対者の苦境に喘ぐ声があった。口惜しさと無力感に歯を食いしばる音も聞こえた。腕が折れても武器を振るうんだと、自己を奮い起こす宣誓も耳にした。

 だがここの舞台に立つのは偶像アイドルだ。些事はまとめて端に追いやられる。


「『お願いことは一つだけ このお祭りを楽しんでね! 言いたいことは一つだけ 楽しんでるあなたを見せてね!』」


 光の雨は一度童女へと集積し、しかし溢れ零れて地に流れる。波であり粒である存在は大地に触れると、煌びやかな石材を生成した。まるで、降雪が偶然に雪像を作り出していくかのように。降り積もった地点から、建物が生えていく。破損していた路面も、神の晴れ舞台にそぐうよう修復されていく。


「は、はは……本当に作るのかよ……パルテノン……」


 笑うしかない。

 建築されているのは彼女の本拠たる著名な遺跡――誰しもが地理や歴史の教科書で一度は見たことがあるだろう建物だ。

 かの有名なパルテノン神殿。

 完成には至らず、そこかしこのパーツが崩落したかの如く欠けているが――それでも美しい。彼女を祀る場所に、相応しい。


「『歌を聴いてわたしを見て 腕振ってくれれば最高! 曲にノって前を向いて 声あげてくれれば最上!』」


 脅威の数は減少する。代わりに戦場に表れるのは、やけに鋭い形状のサイリウム。争いの余波でダウンしていた信者ファンたちは次第に立ち上がり、神具グッズを振って声を出して、推しへと信仰を捧ぐ。現地から奉じられた十数条の光は、崇める先を通じてある方向へ中継されていく。


 感情が継がれた先――遠方では、大鎌の閃きが明滅していた。主神の威光の残余を受け取った英雄が、逃走を試みた神敵を一人一人刈り取っていく様があった。かの英雄は、全てが片付くまでに一曲さえも不要であるとすぐに示し終えた。


「『応援のお返しに わたしがあなたを導いてあげる!』」


 ――今ここに、神の敵対者は全て槍の元に跪かせられた。神父も修道女も倒れ伏している。十字の民は誰も彼もが顔を上げるのにやっと、といった有様だ。今この場において両足で身を支えてられているのは、偶像アイドル一人を除いて全員がアテナの信仰者である。


「『この声のする方に来てね! これはあなたへ贈る神託なの‼』」


 くるりと大きくゆっくりと回る槍が、勝利を示すサイン。

 還乃が構えるスマートフォンのカメラに弾けるように綻んで、アテナはポーズをばっちり決める。


「――ほんとうに、最高だ……‼」


 永遠にアテナの神官マネージャーでいようと思わせられるこの気持ちは、まさしく信仰だった。

 曲が終わり、最高潮に到達した高揚が引いていく。想いで築かれた神殿も一夜の夢として解けていく。


 後に残るのは荒い息遣い。それは興奮した信者ファンのものであり、全力を出し切った偶像アイドルのものでもあり――膝をつく聖職者のものだった。

 少女二人――シルフィとフィルアの双眸には、闘志が消えずに燃えている。


「――諦め、ませんわっ‼ 古き異教の神は存在しないと、我らが主は仰いました‼ 居場所はそうして守られてきたのですわ! どんな手を使ってでも、ワタクシは――」

「そう、だね……オレたちはそう教わって、そう信じることを選んだんだ。だから、この気持ちを曲げるなんて、できないっ!」


 幾度目かは分からない。彼女たちも立ち上がることを止めない。俺たちと同様に信仰を支えにして、敵を眼光で射貫く。


「まだやるのであれば、お相手しましょう! 私は絶対に負けませんから!」

「ワタクシも我らの神も、絶対に敗北はありませんわ――何をしてでも、屈することだけは……‼」


 シスター・シルフィはロングスピアを傾けて構え――


「『歓呼せよ 我らの主に 全ての土地に住まう者よ 賛歌を彼の名の下に謳え――』」


 朗々と言葉をメロディに乗せて紡ぎ始めた。

 ――美しい。余分な力の抜けた歌声は、少女がこの詞を何百何千と唱えてきたことを示す。日課として歌い続けている情景が、ありありと想起可能なのだ。この歌は十二分に人々の思いを引きつけるはずだ。神官マネージャーとして確信できる。

 彼女らも担当できれば、どれだけ幸福か。敵であるが、その衝動は抑えられない。

 歌が響き渡ると、天より降り注ぐ光の量が倍増した。その半数はアテナに吸い寄せられていくが、残りは一人の修道女に引き付けられている。


「なるほど、聖歌ですか。これが噂に聞く、対バン形式のライブというやつですね! ――まったく、なんと偶像アイドルに相応しいのでしょう!」


 心底楽しげに大笑するアテナが黄金の槍を振るうと、鈍色の穂先でシルフィが受ける。

 此度は弾かれない。多寡の差はあれど、信仰の重みは双方の槍先に宿っているために。

 童女と少女は繰り返し繰り返し、対等に金属を響かせ合う。継続して投げ込まれる聖なる円環を躱し、時には砕きながら。


 これまでの戦争を倍速にすれば、この天国のような地獄になるだろうか。高速で繰り出される暴力と暴力の余剰で環境をずたずたにし、溢れた信仰で破壊を元に戻す――そんな光景は、善悪を超えて神秘的だった。

 それは世界を冒涜するような、神にも近しい行為。

 絶対的な力で信仰を貫き通す彼女たちの業に、誰かがぼつりと呟いた。

 ――それでは、異教の偶像アイドルと同じではないか、と。


「――――――そん、な」


 槍捌きが鈍る。黄金の刃とは対照的に、鈍色の動作の精彩がぽろぽろと、静かに抜け落ちていく。


「ワタクシも、同じ……これも、異教の業で……」

「シスター・シルフィっ‼」


 赤毛の少女の絶叫が、鼓膜を劈いた。全身全霊の警鐘が、破滅と武力で出来た旋律を乗り越える。


「シルフィは間違ってない! キミのやり方を、キミの信仰をオレは信じる! 一時信仰が揺らいでいたオレを、キミが信じてくれていたようにっ‼」


 相棒の不調をカバーするのはフィルア=ヒュウガ。車輪を盾として構えて黄金の槍を受け止め、それでも赤子同然に軽く薙ぎ払われた。


「それでも、ワタクシにはこれしか――」


 同胞が作り出した猶予と隙に、黒鉄は振るわれた。主の力を借りて赤熱させたはずの長槍は、いつのまにか明るさを失って冷え切っていた。

 熱され冷却された今――その鋼は頑強にして堅牢。

 しかし、鮮黄色の刃は黒を通過した。

 得物が両断されたと彼女らが知るのは、真っ二つの穂先がカランと地面に落ちた後。



「自分すらも信じられない人の子が、信仰の力で私に敵うはずありません」



 武装を光に変えて消し去り、童女は高らかに言い放つ。



偶像アイドルは自分に自信を持つことでこそ、美しく可愛く強く輝くのだと――何よりも私自身が強く信じているのですから‼」

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