第25話 偶像と信者

「わたしは――あの人の、神殿さんのためだけに歌い踊れれば良かったのに!」


 徒手空拳での攻撃が、銀の槍によって捌かれ凌がれていた。拳を握ってぶつけるだけの行為に対し、神の力で練り上げた武具がやっとのことで拮抗する。漆黒の衣装に覆われた還乃の腕が振り下ろされるたび、攻撃に費やされる感情量は増大していた。


 一撃ごとに、閃きと輝きが舞う。両者の間には、明らかに力の差が存在した。

 現状は凌げていても、いずれ崩壊する均衡でしかない。


「隠野還乃、あなた、どうして――」」

「一生分からないのですよ、十全たる者には!」

「今の私が十全? おかしなことを!」


 還乃は上段から右足を振り下ろし、アテナはかかと落としを持ち手で防ぐ。閃光を引き連れた打撃を受けた後、衝撃で歪むのは平たい広場だ。


「さすがはトップアイドル、良い選択ですわ! さあ、ここから畳みかけますわよ!」


 鉄槍が豪勢に振り乱されると、地面に深い傷が刻まれる。回転の勢いを保ったまま、シルフィは偶像アイドルたちのところへと肉薄する。


「アテナ様、いまお助けに――このっ、キリがない――柱たる少女二人なくして、英雄相手にここまでやりますかっ!」


 英雄が吼えるも、闘争による喧騒の中にのまれていく。こちら側の援軍は期待できない上、彼が抑え損ねた幾人かはシルフィへの加勢へと走っていた。

 対してこちら側で援護に行けるのは、俺だけ。しかし、間に合うか――


「アテナっ、こっちに寄れ! それなら俺も援護が――」

「今度は逆だなおい! オレを倒さずに動けると思うなよ、異端者!」


 ブロンドが視界の端を過ぎる。関係ない。アテナが二対一を強いられることなんて、あってはならない。急げ、とにかく。


「無視するなんて余裕はねぇよ!」 


 車輪が右足を掠める。不揃いな鋲や切っ先が衣服を破き皮膚まで抉る。鈍い切れ味が神経をいたずらに損傷していた。痛みは堪えれば済むが、肉体の損壊は困難を招き寄せた。

 どこか大事なところが断ち切られたのか、足が思うように動かない。機動力を奪われては、すぐそこにいけない。転倒しかけて、地面に付いた両手を跳ね上げて持ち直す。だがそれでは間に合わない。


「還乃さんはどうぞそのままで! ワタクシが補いますわ!」


 密に連携を取ろうと試みる声がする。姿ははっきりと見えない。激しく動く視界の中では、そんなこと気にしていられない。追撃をかわすので限界だ。

 先の爆発で痛む四肢と壊れた右足を引きずって走って走って――上半身をぐっと持ち上げた瞬間に、止まった光景を目にした。


 静止したかのように見えたその情景は――防戦で手が塞がったアテナに対して、音もなく伸びる犀利な穂先。

 切っ先を逸らそうと、この身体を無理に動かす。ゴキュリ、ブチリと体内で何かが鳴り響く。

 身体の中から不快な音がしようとも手を突き出す――間に合わないにも関わらず。右の指先はなんとか槍の石突に触れて掴むも、掴んでいるだけだ。腕だけが突出した体勢では踏ん張りがきかない。錘にでもなれれば上出来か。足枷にすらなれずに終わる未来が、脳裏ではありありと見えている。


 いつもこうだ。失敗して遅れるばかりで、一人でずっと足掻いてばかり。

 俺は前にある武具を右手で掴み、引いて遠ざける。


「無駄なこと、ですわね」


 シルフィは容易くこの手を振り払うと、刺突を継続する。俺の行為は、もはや遅滞にすらならない。一秒すらも稼げなかった。

 俺の手が槍に届くにはあと少し足りない。この指先は凶刃に至らず、されど――俺でない誰かは間に合った。

 神の肉は裂かれず、血もまた零れず。

 代わりに発生したのは、堅牢かつ重厚なナニカが削られる音。派手な衝突を示す異音が代替だ。


「や、やらせませんよ……僕はただのオタクですけど、でも、でも……身代わりになる、ぐらいは……」

 一人の信者ファンは、声を震わせていた。

 無慈悲な鉄の刃と交わるは、人工の光を凝縮して形成された二振りのダガー。カタカタとしきりに震えあがる手で得物を持ち、穂先を見事受け止めていたのは、アテナの信者ファンである少年だった。ペルセウスとよく会話していた、彼だ。

 意外な援軍の正体が判明すると、ダガーの印象までもが変化する。

 あの短刀が発している――というよりも刀身を形作っている見知った光は――サイ、リウムか……? 

 光に刻まれているマークは、杖に双頭の蛇が絡みついたモノだ。あんな趣味の悪い紋様入りのペンライト、ウチの事務所グッズでなければ何であるというのだ。ロゴの近くにはアテナのサイン入り。黒の油性マジックで印された文字列から、まぶしい光輝は発せられている。


「やはり、嬉しいものですね……人の子らが付いてきてくれるというのは!」


 自身の窮地だというのに、アテナは心から笑んでいた。片手で槍を操って防御を固めつつも、傍らで身震いする信者ファンの頭に空いた手を置く。


「来てくれて、ありがとうございます」

「い、いえ……こ、ここで前に出なければ、何かしなければ、信者ファンと名乗れなくなってしまうと――そう思ったんです」

「素敵なことです。あなたのその考えに、私は感謝しましょう。オリュンポス十二神が一柱、女神アテナの名に懸けて褒美も取らせます。ですから――褒美を受け取れるよう、生き残るのですよ!」

「は、はいっ‼」


 女神の命に少年は答えると同時に、受け止めていた槍を押し返す。サイリウムの剣で。


「なっ、ワタクシの槍を――」

「助かった! 俺からも礼を言わせてもらう!」


 一人の勇気によって生まれた時間が、出来損ないのこの体を間に合わせる。抱き着くようにして飛び掛かり、シルフィをアテナから引きはがす。オレと彼女の間で繰り広げられるのは、地面で縺れ合いながら得物なしで行われる、無様な格闘戦。

 最悪よりはわずかマシになった窮状に、神からの天啓が轟く。偶像アイドルからのお願いと言ってもいい。


「我が信者ファンたちよ、聞いてください! 昨夜配ったグッズは、あなたの身を護るのに役立つものです! 祈ってください、祈れば――それが力となります!」


 還乃の打撃を受ける重苦しい音にも負けず、芯のある声は届いた。返ってくるのは、


「祈るなんて、どうすれば……」


 弱弱しい複数の呟き。戦闘の余波にかき消されそうな言葉を、アテナは掬い上げる。


「祈祷が難しければ――応援してください、私を! いつかのように! ライブさながらに! その尊い行為は、あなたを祝福するでしょう!」


 すぐに、幾振りもの光が振るわれる。戦場をケミカルな明かりが照らすと、別種の光を喚起する。

 顕現し、集合するのは原初の感情だ。言い換えれば信仰でもある。何かを応援したいという純な思いが、超常を呼び寄せる原動力に変わりつつあった。


「応援するぞ……」「守るんだ……」「推しが大変な目に会っていて、何もしないなんてできないだろ……!」


 次々に取り出され振るわれるサイリウムは、形状を変えて刃を成す。彼らが大切に身に着けてくれていた缶バッジは、サイン部分を輝かせて巨大化し、変形して円盾となる。

 有り余る思いで武装した彼らの先頭に立つのは、先ほどの少年だ。彼は震えながらも仁王立ちして、ありったけを込めて叫んだ。


偶像アイドルが苦しんでいる時に、助けられないなら――推しが大変な時に、手を差し伸べられないなら――僕は一生、彼女の信者オタクとは名乗れなくなってしまう! それだけは、絶対に、嫌なんだ!」


 新たな一団が、戦場に乱入する。震えをそのままに、恐怖を携えて、それでも好きなモノを守るために立ち上がる姿は――勇者のそれだった。

 英雄から逃れて異教の神を討とうとする一軍に、信者ファンたちは立ち向かうのだ。


 なんて、いかれた絵面か。そんな感想と裏腹に、俺の熱狂も冷めやらない。感情が溢れてとどまるところを知らない。

 感情は力だ。莫大な想念は身体能力を強化し、超常を維持し、力を与えてくれる。なればこそ、彼らは強く――。


「みんな、邪魔‼」


 隠野還乃もまた、感情の理において強者であった。

 彼女からのたうつ光の鞭が、辺りを薙ぐ。アテナに対し全力で振るわれる乱雑な攻撃の余波で、周囲で戦う人間は敵味方関係なく散らされていく。俺と組み合っていたシルフィも、追ってきたフィルアも同じように。立っていられるのは、女神が一柱だけ。


「貴女っ、ワタクシの仲間まで――」

「関係ない! 邪魔! わたしは、そう、わたしは――独占するこの女を、許せないだけ。理由なんてない、大切な人を守るなんて言い訳! どれだけ最悪でも、醜悪でも、この願いさえ叶えられればいい。倒せればそれでいいの」


 凛とした瞳は原型もなく濁り果てていた。彼女の意識の網に引っかかっているのは、地母神アテナただ一柱のみ。それ以外の何物も、かの偶像アイドルは気に留めないだろう。

 蠢く光はどす黒く染まり、けれどもそれは光だった。闇ではない。あくまでも、輝ける性質を有している。


「私はそうそう、簡単に倒せませんよ! 付いてきてくれる信者オタクたちがいるのです! 倒れるなんて、以ての外ですよ!」


 新たに注がれた信仰を糧に、極光が槍を覆う。粒子は銀に定着して黄金色となり、神聖な光輝が空間を揺るがす。黄金の切っ先がなぞった空間には鋭利な光が残存し、それは流星が如く敵へと飛翔した。

 金と黒が空中にて衝突しながら、槍と拳が交錯する。衝撃波を周辺にばら撒いて、大気が震え嘶いている。美麗な光景だ。

 だが、邪魔者もいる。


「今ですわね――フィルア!」

「了解、シスター・シルフィ!」


 名だけで通じ合う少女二人がアテナへと吶喊する。させない。俺もまだやれる。転倒から立ち直る。何もかもが流れ落ちていく。痛みはとっくのとうに失っていた。邪魔だったから消えたのだろう。


「――『アレクサンドリアのカタリナよ‼』」

「『我らが神の勝利は真なるもの。我らが神の栄光は、いかなる存在にも分け与えられないもの! 異国の神々は存在せず、虚無であると啓示は為されたっ‼』」


 立ち止まり、祈る両手で槍を挟んでシルフィは唱える。隙だらけの彼女を防護せんと車輪は走り回り、光を集めて振動を重ねた。槍先に収斂する輝きは、こちらにとっての破滅を意味している。


「『神を神として崇めよ――不朽なる神の栄光をここに‼』」


 投擲された車輪がカタカタと震え鳴り、遅れて突き出された長槍は赤熱する。接近するだけで肌がひりつくのは、俺たちにとって有害な証だ。 

 荒れた大地をこの両足で踏みしめて前へ。アテナと修道女の間に飛び込み、迫る槍を捌き――きれない。片手で弾く際に、僅かに刃に触れてしまう。手に出来た数センチの傷口は焼けるように熱く、空いた箇所から異物が入ってくる。突如として身体は重く――なれど、まだ動かせる。


 回り続ける輪を蹴りで遠ざけた。爆発も破片もアテナまで届かない。俺には、届くが。


「これは異なる神を否定する御業ですわ……⁉ 何故まだ動けますの⁉」

「こちとらあくまで神官マネージャー、それも成りたてでな……生憎人間は辞めてないんだよ! 神様用の武器を、人に向かって投げてんじゃねぇ!」

「だとしても――まったく大した意地ですこと!」


 空間を穿つ赤の切っ先。鋭利な先端をまたも、俺は肉体を犠牲にして凌ぐ。左下に払った結果、左足に切り傷が走る。速すぎて対処しきれない――否、俺が負傷で対応しきれていないだけか。

 それでも彼女を守る。ひたすらに守護する。支援する。それが――。


「それが、神官マネージャーの仕事だぁっ‼」


 吐き出した血と共に咆哮し――俺の後ろから、何かが衝突した。触れた瞬間には何故だか親近感を覚え、だが――


「――っっっ⁉⁉ あれ、あ、あぁ、わた、わたしは――」

神官マネージャーさん‼」


 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――。


 

 断絶した。途絶えた。感覚と感覚、記憶と記憶の間に開きがある。自分がどうして地面に伏せっているのか、まったくわからない。立ち上がろうとして、身体が言うことを聞いちゃくれない。それがどうした、立て、立て、立って動けっ‼

 自分を大事にしなくたっていい、偶像が絡めば、そんなの些事だ!


「わたしは、どうして、一体なにをして――ただ、ただ見てほしくて、ただあの時みたいに『還乃はすごいなって』喜んでほしくて、そこはわたしの位置のはずで――だから、わたしはこんなことをして、あなたの、邪魔をして――」

「……邪魔じゃ、ないぞ……お前が少し俺に触れたところで、何にもならない……っ」


 こんなの、妨害にすらならない。目を開けば、立ち上がってくれた信者ファンたちや軍勢相手に一人抗っている英雄がそこにいるのだ。俺が寝ていていい理由なんて一ミリもない。

 せっかくまたとない好機に恵まれた――神に救われたどころか、神そのものに拾われたのだから、突き進む‼


「――侮るな、還乃。この程度じゃ、なんともねぇよ」


 中途半端でも身を起こす。敵を見据える。盾にすらなれなくとも、せめて感情を注ぐ。


「俺が、仕事を放棄するわけねぇだろ!」


 情が枯れるまで信仰を注げ。感情が枯れても心を削れ。身を犠牲にしたのだ、心を捧げることも同じ。英雄が単身で莫大な信仰を携え、主の苦境を救ったように――俺も。


「担当を支え続けるのが、俺の仕事だ‼ 輝きを信者ファンに与えられるようにっ‼ 俺自身が救われた恩を、返せるように!」


 自らの躯体から耀きが立ち上り、アテナの方へと引き寄せられる。小さな光球たちは、今までに見たどんな代物よりも煌めいている。

 正面で閃く黒鉄など、この光量に比べれば目の錯覚にすらなりえない。


「信仰を単独で担う⁉、そんな、主への不敬は許されませんわ! 『神よ――』」「単身で力をもたらす祈りなんて認められるか! だってそれは、オレが、オレが辿り着くべき境地だ‼ 『異教を誅せ――』」

神官マネージャーに槍を向けることは許されません!」「神殿さん以外、わたしがぜんぶ壊してしまえば――‼」


 白と黒が一体を塗りつぶす。

 世界を照らす力が偶像アイドルを神へと押し上げていく。赤熱した武具も聖なる車輪も何者かが唱えた教典の呪文も、女神は一切を跳ね除けた。


「それはわたしが、わたしが一番欲しいものなのに――」

神官マネージャーさん、それ以上はダメです! 過度な信仰は心を必要以上にすり減らして、空っぽに――廃人になりますよっ‼」

「大丈夫、だ……この、程度……お前がいれば、すぐ回復、する……」

「そんな、無茶です!」


 神の武具と情念の塊が衝突し、戦の拍動が育まれている。命を脅かす拍を耳にしようと、この信仰を止められるものか。祈りを捧げなければ、彼女は負ける。


「神殿さん、あなたは、どうしてそこまで――」

「……俺はただ、好きなだけだ……。担当する偶像アイドルを、多くの人に見てもらいたいだけだ……アテナをより広く、より多くに届けられるなら……‼」

「なんで、そこまでして。だって、わたしには――」


 音を付随させて風を切るは、質量を有した黒い光の鞭。禍々しい怪物の触手と形容できる物体を、全て黄金の刃が切り裂いて無に帰す。


「俺の祈りを止めたいなら――一つだ! 勝って歌を聴かせろっ、アテナぁ‼」

「――――っ、はいっ‼ 了解です‼」

「ああ、ほんとうに……ほんとうに、愚か。わたしも、神殿さんも、誰も彼も……」


 破壊の律動が唐突に乱れ、止む。

 もう一人の偶像アイドルは闘志を失くして脱力し、ポケットに右手を差し込み――一つのデバイスを空気に曝け出した。


「わたしが何をしたところで変わりはせず、消したところで意味はないのですか。どれだけ足掻こうと望みには近づけず、求めるモノは手に入らないのですか。なら――その純粋な献身と信仰に、せめて穢れが混ざりますように」


 神話と宗教により敷かれた暴力の中で、少女は画面に触れる。


「わたしが独り占め出来ないならば、あなたにも独り占めはさせません」


 強く端末に触れて、隠野還乃はカメラを偶像アイドルに向けた。 


「電子の海を通して、世界中から女神アテナへと機会を捧ぐのです。数多の信心を得られるチャンスを。純粋で濃密な彼の信奉を、不定で多量で名のない感情でたくさん薄めるといいのです」


 ――突然ですがごめんなさい、配信です。わたしのおすすめ偶像アイドルをファンのみなさんに紹介しますね。ぜひ見てあげて、応援してください――と、彼女は言った。どこかの誰かに向けて。


「さあ歌うのです。わたしはあなたのライブを、楽しみにしていますよ。あなたが大嫌いなインターネットにのせてあげます」


 歪んだ微笑に応じるのは、善意と自信だけで作られた笑顔。


「最悪ですが、最高です! さあさあ世界の皆さん‼ 私のライブを、最大限楽しむ準備は出来ていますか‼」


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