第23話 ライブのはじまり

「なんだか人通りがまばらではありませんか? 昨日が特別人であふれていた、というわけではないですよね?」

「違う。今日の広場は、明らかに異常だ。俺はこんな電気街知らないぞ」


 唐突な還乃の練習離脱から、数時間経った頃のこと。あれからもアテナの希望でギリギリまで自主練習を行った後、ゲリラライブ先へと移動を開始していた。


 俺たちがやってきたのは、昨日も訪れた駅前広場。

 途中でペルセウスとも合流し、アテナ、還乃、そして俺も含めた四名で訪れたのだが――明白に異変が起きていた。

 人の往来が減じている。普段であれば歩くだけで肩をぶつけ合う混雑なのだが、今なら歩きスマホをしても問題ないだろう。


 偶像アイドル然としながらもどこか神々しい、純白のフリルと金の刺繍で溺れるようなアテナの衣装だって――この状況では好きに動ける。

 どこぞの英雄が着用しているコスチュームに所々施されている固そうな装飾が、すれ違う人を傷つける危険性もゼロ。

 ある意味理想的で、これからのことを考えれば最悪なシチュエーションだ。すかすかの空間を見渡して、ペルセウスはそっと言葉を前方へと放った。


「ボクはイベントでよくこの街を訪れていますが、ここまで静かな街は初めて見ます。この電気街から活気が絶えるなど、想像もしていませんでした」

「数年間ここで過ごしている俺からすれば、夢の中にいる気分だよ。ろくな現実じゃないと思っているし、実際そうだろ?」


 はっきりと知覚することはできないが、違和をひしひしと肌身で感じる。得体の知れない巨大な存在に覆われているような、感覚がこの広場を取り囲んでいる。


「ええ、この異常事態はまっとうでない集団によって引き起こされているでしょう。昨日私たちが衝突した、過激な十字の民たちが関わっている可能性は高いかと。にしても、ここまで大規模に干渉するとは……」

「先日ぶつかりあった方々と、なんだか同じ雰囲気がするのです。わたしの感覚は大変に不確かで、変な気配としか言えないのですが――ちょうどあの街路を超えたところから、奇妙なナニカを感じたのです」


 振り返り、ついさっき通り抜けた場所を指さす還乃。指し示された場所に全員が目を向けると、黒ずくめの服がわずか見切れている。


「あれは、昨日の……やはり妨害に来るか」

「個人を指すにはまだ早いですよ、神官マネージャーさん。あの方から力は感じられませんから」

「周囲にある違和感が、あちらの隠れ蓑になっている可能性は?」

「捨てきれませんが、断定はできませんね」

「ある程度想定をして対策しないと、こちらに被害が出かねないぞ。完全な排除とはいかなくても、遠ざけた方が――」


 目を細めた途端にアテナは身を寄せてきて、その指で俺の頬を突いた。柔らかな手つきで、されどどうしようもなく痛い。


「ダメですよ、そう尖っていては。あの個人がどういう考えを持っていて、どのように行動するか、これは私たちの想像の域を出ません。危険そうだからという理由で敵対の意志を携えてしまえば、あの過激派と同類になってしまいます」


 ああ、こいつは女神なのだ、と唐突に思い知らされる。普段や外見が子供だからか余計、偉大で鷹揚な諭し方に見えてしまう。しかし、


「妨害をされたその時にこそ、全力を出して叩き潰します。そうでなければ、護るべき人のことして迎え入れます。それが女神アテナの選ぶ、たった一つの古き良きやり方です」


 この童女は武略の神でもあるのだとすぐさま再認識する。眼窩にある二つの宝玉は爛々と輝いており、美しさの中に物騒さが見え隠れしていた。


 戦争の熱――一切覚えのない情報の奔流が、一瞬で五感を占領する。際限なく膨らんでいく戦場の空気とその香り、肌感覚、熱狂――雑多な諸々が脳内に押し込まれていく。

 自身がどこに存在しているかすら分からない、そんな不可思議な心持でいると、元担当に肩を叩かれた。


「神殿さん、どうか、したのですか」

「いや、なんでもない。少し、考え事をな」


 この返答は不自然だ。この重大な状況で現実から意識を逸らすほどに、深々と思案する奴は愚か者であるからして。

 突き刺さる疑問の視線が痛い。深く俺の心に突き立てた疑念の感情を抜かないまま、還乃は簡素な言葉で表面を覆う。


「であれば、よかったのです。ライブのこと以外を考えているなんてこともなくて、安心したのです」


 ぷいとそっぽを向くでもなく、じっとこちらを見つめるでもなく、少女が一体どこを眺めているのか解せない。彼女の体はアテナを正面に捉えているから、当座の興味はもう一柱の偶像アイドルにあるのだろうか。


 今最優先でやるべきことは別にあるというのに、今朝に懐かしさを刺激されたからか、余分なことにばかり目がいってしまう。

 アテナの身体が動く度、還乃の視線もしつこくその動作を追っているなんて発見は――どうでもいい。

 きびきびと動いている今担当を見習わねば。


「さ、神官マネージャーさん! 準備しますよ!」

「相手の妨害に乗って、わざわざここでやるのか? 今からSNSで告知して、場所を変えてもいいとは思うが」

「変えませんよ! こんなにも信仰集めに適した場所、他にありませんので。何も仕掛けがない別のスペースでライブを行うよりも、邪魔が入ったこの広場で歌う方が有効です! それにですね、私は約束したのです――信者オタクのみなさんと」

「律儀だな」

「神が嘘をつくのは褒められません! 父のようになってしまいます」


 嫌な事でも思い出したのか、アテナはふんすと頬を膨らませるが、そのシンプルな行動もまた魅力的だ。魅了されるのはペルセウスや俺を始めとする男連中で、還乃はにこりともしていないが。


 俺が担当の後に続いて働く間も、少女は童女の動向を追う。神官マネージャーが主神の足元近くでスピーカーを調整している時も、新神偶像アイドルを人気偶像アイドルは睨むようにして対象を観察している。

 アテナが細かに立ち位置を微調整する際も、熱視線は変わらず注がれていた。そこに伴う感情は、ひどく粘ついている。

 パフォーマンスに影響があれば困るが、視線を受けている当人が問題視していないのだから、いいか。我らが主神は先輩の目も気にせず、立ち位置を気にしているしな。


「ふむ、準備はいいかんじですね! 神官マネージャーさんの判断はどうでしょう⁉」

「上々だよ」

「ペルセウス!」

「はっ、至上かと!」

「隠野還乃!」

「まだ、判断しかねるのです。その状態では、まだ」

「なるほど。では、やりましょう! ライブを行った上で、評価を下してもらいます」


 おお! と喜びの大音声が一つ、空虚な広場を貫いては染み渡った。青年のものだ。民衆に朧気な熱狂と根拠のない自信を与えかねない一声。残念ながら群衆は、視界内には見受けられないが。


 英雄は両の手に巨大なサイリウム――お手製の装飾とアテナの直筆サインまで施されている、現場が現場なら禁止のもの――を二振り備え、見事な捌きで応援している。

 あれぐらいの装備は目を瞑るか。さて、切り替えるとしよう。


「アテナ、予定時刻より少し早いが――もう始めるか?」

「もちろん! 人払いが為されているなら、歌声で引き付けるまでのことです‼ 異教がもたらす術の外まで歌唱を届かせ、舞踊を顕すのが――偶像アイドルですから!」


 マイクテスト代わりにきゅっと握りしめた機械へと宣言をぶつけると、神の声が電子によって何倍にも膨らんだ。増幅された振動が寂寞とした都市の一角を叩く。


「さあ、始まりです! みなさんに、私を、伝えます‼」


 童女の空いた左手が太ももの側でピースを形作る。音楽を流すサインだ。

 何度も身体に馴染ませた軽快な旋律に、太陽の光を透かしたような白さの四肢が呼応する。拍に応じて、均整のとれた肉体は柔らかく弾むように躍動し、見物者の集中を一手に引き付けていく。


 観衆は寡少なれど、一人一人を確実に捉えればよいだけの話。

 表現でそう雄弁に語るのは、電気街に一人立つ偶像アイドルだ。


 舞踊は優雅でありながらも苛烈さを纏っていて、絡めとった視線をけして離すまいと言わんばかり。

 可憐かつ芯の通った声が遠方まで到達しては跳ね返り、その寄せては返す波に攫われる形で、徐々にではあるが人が集う。人払いされた領域の外から、彼らは集結していた。


 よし、いけそうだ。この様子だと、修道女たちの妨害も完璧ではないらしい。まあ、うちの偶像アイドルにかかれば当然。それに、オタクを推しから剥がそうなんて出来やしないのだ。

 辺りを不安げに見渡しながら、違和感の中を突き進んで誘引された人々の中には――見知った缶バッジを付けたオタクたちがいる。

 目の覚めるような青地に白抜きで描かれた紋章が、文字通り輝いていた。杖に双頭の蛇が絡みつく――うちのロゴマークだ。


「わ、すみません! 遅れましたーっ!」


 昨日ペルセウスと親しげに会話していた少年が一番に到着すると、まるでそれを合図にしたかのように、見覚えのある人間が広場の中心に足を運んでいく。

 暗闇に満ちた洞穴の中で、腰にぶら下げた灯火を目印に仲間と合流するかの如く。俺の眼には、そう映った。

 集結した信者ファンたちは早急にリズムに乗ると、即座に連携の取れたコール&レスポンスへと移行。それらは神への奉納として機能する。声援と歌声が交換される度に、アテナが放つ光が膨張し大地に染みわたった。


信者オタクのみんなー! きてくれてありがとー‼ 信じてたよー‼ 祈ってたよー!それでは、一曲目――」


 観客が集まり、本当のライブが始まった。濃密な時間は現実を省略し、視覚と聴覚を鋭敏にし、心を沸騰させ――『今』はいつしか『過去』になっていた。

 歌声は伸び、やがて途切れる。ポーズがぴたり見事に決まり、彫像と化したかのように童女は不動となる。


 スピーカーから流れる荒い音が止むまで、偶像アイドルは無機物の領域に達していた。曲が完全に終焉を迎えた瞬間、アテナは再びマイクを口元に添える。


「みんなの神様、アテナでーす! みなさーん、楽しんでくれてますかー⁉」


 問いに対し、肯定で出来た歓声は矢継ぎ早に返ってくる。響きが重なり合う毎に、益々周囲は光輝に満ちて――



 ――ひどく唐突に、弾けた。


 

「――『彼を語るべきではなく、彼は唯一であり、彼より前に神はなく、彼より後に神はなし』」


 超常が、多神の否定が、少女の峻嶮な声に乗って届く。ついに、彼女らが来た。

 一拍置いて、男女混成の復唱が為される。リピートされる言葉は極小のブレすらなく、恐ろしく不自然なまでに混然一体としていた。何度何十度何百度と、唱え続けてきた一節なのだろう。


 異なる神威を発する先に、俺は身体を向ける。

 二桁では済まない数の、人の群れがにじり寄っているのだ。集団――というよりも軍勢――の先頭には、ここ数日間で拳を交わした少女二人。その後ろに付き従い歩行するは、多くの神父と修道女たち。


「――『異教徒よ、偶像を捨てて神へたち返り、生けるまことの神に仕えよ』」


 機械のような重厚な言葉の反復に、偶像アイドルはマイクを通して返答する。


「私のライブは――神の信仰は――何者にも止められません! 推しでも、神官マネージャーさんでも、信者オタクのみなさんでも――たとえ、世界の終焉でもっ‼」


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