第22話 偶像二人に神官一人

「レッスンして、寝て、起きて、またすぐにレッスンが出来る――この事務所は理想郷と呼ぶべきであると、わたしは思うのです」

「理想郷はステージの上では……いえ、一番大事なのは信者オタクがその場所にいるかどうかですね、私的には」

「しょぼい鏡に俺一人が見るだけの練習をレッスンと呼ぶな。ちゃんとしたトレーナーさんに見てもらってのトレーニングをだな……」


 事務所の空き部屋に、スピーカーと少し大きめの姿見を並べただけの一室。小さく音楽が流れる部屋に、偶像アイドル二人と神官マネージャー一人。女が二人に男が一人でもあり、人間が二人に神が一柱でもある。

 これだけいると、さすがに狭苦しい。二人ではまったく問題ないから三人でも、という考えが浅はかだった。何の変哲もない喋り声だって、やけに絡まって複雑に聞こえる。


 いや、神の声を変哲がないと形容するのは少々不敬だろうか。

 またしても心の中を覗かれているかと担当の方を窺うが、いつも通りの笑顔。何か含みのある様子ではなく、話題を素直に続けようとしている。問題なし。


「しっかりとした訓練を受けるのは、戦争でも偶像アイドルでも肝心です。しかし昨日の今日であってはトレーナーのスケジュールを抑えるなんて不可能でしょうし」

「俺も万が一にかけて連絡したんだが、さすがに無理だった」


 アテナの顔つきは、スイッチを切り替えたかのように険しさを帯びる。


「そうですか……」


 また落ち込んだかと思えば、急に天井を仰いで立ち上がった。


「しかしライブのため、より多くの感情を集めるため、私は励まねばなりません。であれば心意気だけでも、大変真剣に熱心でありたいものです。信仰や感情が存在証明である神々にとって、心持ちはやはり最重要ですので! さあさあ、まだまだやりますよーっ‼」


 あれだけ無音だった事務所が、今は騒がしくてしょうがない。寝つきは悪いし朝っぱらから起こされるしで散々だ。

 深夜というか朝まで振りや歌の確認に付き合ったから、こちとらただでさえ眠いというのに……。


「俺が付き合うのは義務だが……この眼と口が大した影響を与えられてるとは、とても思えないな」

「神殿さん、意味はあるのです。あなたがアイドルを見ることには、ある程度の価値が」

「そうか、分からんな。お前が今まさにやってること――観察しての分析・改良・再現・指導――に意味がありすぎて、俺には自分の意義が見いだせないんだが……」


 先ほどから還乃がアテナの練習に参加しているのだが、アテナの動きが一段と良い方向に進んでいた。この少女は一度見物した後、わざわざ童女の動きを改良してやって見せているのだ。その後に、示された手本を参考にアテナが動けば――手を振る動作一つとて見違えるように変じている。


 傍から見ている限りでは、昨日の指導よりも一段上質な気が……やはり初見は敵対心からスパルタっぽい指導だったのだろうか。


「やはり先達の動きは違いますね! とっても参考になります!」

「この程度、習練を継続すれば可能なことなのです」

「隠野還乃、あまり私を舐めないでください。あなたの言葉では簡単でも、実際の到達には膨大な困難と苦難が待ち受けていることぐらい、容易に推測できます。一体毎日どれほどの時を練習に費やし、日々を過ごしてきたことか」


 アテナの顔つきから汲み取れる可愛らしさと明るさの一部が、真摯さと敬意に移り変わっている。


「私の推しのすごさは、推し自身にすら否定させませんよ。それが私です」


 それにほんの少し、怒っている、のか? 偶像アイドル神官マネージャーの繋がりがあるからか、彼女とここ最近ずっと一緒だからか、微妙な機微が感じ取れる。俺の気のせいということも、十二分にあり得るが。

 結局、前の担当の心は分からなかったのだし。今だってそう、何を言われようとも平然としている少女のことは、触れ合った時期に比してまったく想像できていない。


「本当のことなのですよ。わたしには学業もありますから、平日は練習できて五時間が限度なのです。休日はリハとライブで埋まりますし、それほど苦しんだ、とも言えないのです。だって――」


 ああ、こちらもだ。いや、泡立つ苛立ちを滲ませるアテナとは異なってはいるが、誰にだって理解できる明白な不快感を、隠野還乃は思い切り表出させている。その証拠に、飾り付けた丁寧語が剥がれ落ちていく。


「練習時間の大半は――下積み時代のファンにも見られないあの閉じた時間は、何よりも楽しくて嬉しかったから。故に、あの訓練の日々が辛く苦しいなんて形容をされるのは、口に出されずともそういった想像をされるのは――大変に腹立たしい」

「なんという向上心……世が世であれば、アルゴー号に乗れるでしょうね」

「…………」


 無言が膨大な意味を持つ。まばたきのない双眸は、開かない口よりも遥かに雄弁だ。


「……っ」


 眠気など端から帯びていない目と、俺の目が合う。どうしてか顔を背けたくなってしまう。冷たくも暖かくもない、彼女のまっすぐな視線と意識とが交錯して、すぐに離れた。


「こんな話、しているだけ無駄なのです。貴重で楽しい時間が無為に消えてしまうだなんて、本当に……」

「そうですね! こんな日常の中の練習であっても、一秒たりとも浪費は出来ないですか。同感です!」

「にち、じょう……そうね、あなたにとってはこれが日常」

「ええと、どうかしましたか? 怖い顔をしていますよ?」

「いえ、なんでもない――なんにもないのです。さあ、早く続きをやるのです」


 素顔を即否定して、還乃はパッと右手を前に突き出した。連動して黒髪がふわりゆれて、パジャマ代わりに身に纏っている黒のジャージが深く複雑に皴を作る。


「ここの振りですが、有り余る筋力に任せて力強く勢いよくというよりも、もう少し軽く素早くのほうが良いと考えるのです」

「こう、でしょうか……」

「音に合わせてもっと力を抜いて、こんな、感じに」

「こう!」


 ブレが出ている。何故か。音楽の聞こえ方が違うからか? 確かに今、スピーカーは数センチ還乃の近くに寄っている。常人ならありえないだろうが、偶像アイドルとなって身体能力が向上している者たちなら可能性はある。 


「まったく、位置と聞こえ方の違いなんて、よく気づくのですよ、そんなこと……」

「へ? いやなんで還乃が、俺の心を……」


 突然言葉を差し向けられたために、俺は気の抜けた声を出していた。突然のやり取りを受けたアテナが、


「むっ、どうかしましたか? ふむ、ふむふむ――神官マネージャーさん、そんなことを考えていたんですね」

「アテナ、お前また俺の考えを勝手に」

「ええ、読みましたとも! 少々時間がかかりましたけれど、丁寧にやったおかげであれもこれも全部筒抜けですよ。細かなことまでバッチリです! なるほど、音源の位置の偏りによる受け取り方の違いですか……確かにあるかもしれませんね」

「あなたがたは、不可思議な力を使って通じ合っているのですか」

「通じ合っているというよりは、一方的に見通されてる感じだけどな」

「神殿さんから読み取ることは、できないのですか」

「ここまで細かくは無理だ。喜んでいるとか悲しんでいるとか、ざっくりとしたことは一応分かる」


 ぴしっと決まっていたポーズが、鏡の中から消えていた。伸ばされた細腕はだらりと力なく落ちていて、生気が欠けている。


「大層な力を用いて、結構な繋がりを通して、その程度なのですか」


 楽曲が止まる。メロディによって保たれていた最低限の明るさが失われて、少女のかんばせが伏せられた。


「隠野還乃、あなたも神官マネージャーさんの心理を見抜いて……」

「見抜けるわけではないのです。人の脳内を知れるはずもないのです。わたしはただ単に神殿さんを見て、予想して喋っているだけですので」


 鏡面に映るも、影を纏って細部があやふやになった表情が脳裏に焼き付くばかり。


「想像が合っているかなど不明で、最悪の場合、わたしの言葉は妄想でしかないのです」


 前髪が作り出した暗がりの中で、形の良い唇がしきりに動いていた。逆に、それ以外のパーツの動きが鈍いとも表せる。


「あなたの読みは正しいですよ。答えを知れる私が保障します! まったく、さすがの観察力に私も舌を巻かざるをえません!」

「あなたに保証してもらう必要など、ないのです。あなたからの賛辞も、同様に」


 そっけなく言葉を吐き出しながら、還乃は機械を自らの方向へと引き寄せて再びボタンを押す。カチリ音がして、多種多様な振動が吐き出されてく。


「――?」


 唐突に突きつけられた拒絶にもアテナは首を傾げるばかりで、その仕草や顔つきに不快や嫌悪は皆無だった。単にきょとんと在るのみ。

 けれども気の抜けた状態はどこへやら、小さな体躯が機敏に動き始めた。いつのまにか振り付けの再確認する先輩に合わせて、童女の両腕両足指先が華麗に伸びては嫋やかに曲がる。


「音を意識して、聞こえ方が違っていて、ズレていて――なのですから、こう。こんな感じで――」


 積み重ねられた試行錯誤の一幕。長い時間の中の一時に、童女は完璧からわずかに遠退き、最高を作り上げた。


「いいな、それっ‼」


 俺は叫んでから、自分が大声を出したことに気付く。感性と肉体が意識に勝っている。


「うわっ、びっくりしました! そんなに大きな声を出すくらいに、私のダンスが良かったんですか⁉」

「ああ、よかった。とても、いい。よくて……良すぎるな、それ……」


 ああ、まるで語彙がない。ダメな信者オタクだ。こんな回答は最悪に近しい。俺は言語化する機能を一時的喪失していたらしく、しばらくしてようやく纏まりが出来てくる。

 過剰な力が抜けていて、かすかなブレがあって、脆くも強靭でもない、最適な身の運び方。


 偶像アイドルとして――俺が担当し応援するアテナとして、そのダンスは最上だった。褒めの気持ちが溢れて零れて、この気持ちの高まりに比例して童女の笑みもまた輝きだす。満面の喜色を湛えて継がれる言葉は、きっと最高なはずだ。   


「よしです! よいです! なのでこのままじゃんじゃん練習を――」

「ならば、終わりよ」


 ――バチン、と無機物が強く速く乱雑に押し込まれた。スイッチに強く強く圧がかかって、音楽が鳴りやむ。

 無音の中で常識ある人間は言いのける。仮面を外して、繕うのを止めて、本音を吐き出す。


「上手くいったのであれば、それを忘れずにいればいい。無駄に疲労してパフォーマンスを悪化させるのは、それこそ最低の選択」

「私はまだ――」

「続行すると言うのであれば、わたしは邪魔しない。自身の喉も四肢も限界がないのであれば、いつまでも精進するのは正しい選択だから」


 乱れのない足音と遠くなっていく気配。振り向けば、出入り口に近づいていく少女の身体と遅れて靡く黒髪が視界に入る。


「わたしはこれでやめにする。そのお顔にある節穴を信じて、脳みそで考えて、それでも続けると言うのであれば、ご自由に」


 ドアが立てる衝撃が、狭い部屋に反響していつまでも残っていた。 


「一体どうしたのでしょう、突然……」

「さあ、な……」 


 アテナの呟きに答える喉が、震える。

 退出する間際、閉じていく扉の隙間から覗く彼女の瞳が、俺は忘れられずにいた。 

 目と目が合った瞬間に、彼女の視線が帯びる歓喜の意思を読み取ったが故に。いや、そんなのは勘違いだ。きっとそうに決まっている。


 まったく、ひどく空しい妄想だった。

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